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HN tuta
HNは山岡荘八著「吉田松陰」をヒントにした。 国法を犯しての海外脱出なので、堂々と「長州浪人吉田寅次郎」などと本名を名乗ることはできない。 「わしはクワノウチマンジにしょう」 「クワは瓜(うり)瓜の中の卍(まんじ)、これは即ち吉田家の家紋だ」 「瓜中万二という偽名で巻紙に手紙を書いた。」 偽名を思いつくのが家紋だったことを思い出して真似た。 我が家の紋は蔦であった。 |
住んでいるところ 家康は田中城が好きだった.西上、東下の際は必ずと言ってよい程、田中城に立ち寄り、または一泊し、 時には滞在するのが常であった。家康は鷹狩を好み、各所に狩を催すとともに民情視察の役目も果たし たのである.元和二年、茶屋四郎次郎道晴は、駿府で家康に謁見した。家康は非常に喜んで談笑し、 京阪の形勢を尋ねたりした。談たまたま庶民の生活に及び、庶民は日夜泰平を楽しみ、酒茶の宴に 耽っている。別して鯛をから揚げにして食べることが盛んで、ニラをすりかけて食べると風味がまことに 結構である旨を述べた。 元和二年一月二十一日に変事が起こった。二十一日の朝、榊原内記清久の使いが、久能の海で捕獲 した鯛二尾と興津鯛三尾を献上したので、先日の茶屋四郎の言葉を思い出して早速料理させた.家康 はこれはうまいと感嘆して、いつもより多く食事を取り快然と田中に赴き、終日近傍各地に放鷹して、 夕方田中城に戻った。その夜にわかに腹痛を催し、痛みはますます烈しく快復する見込みもなかったの で、速駿府に使して医師片山興庵を召したが、興庵は他出中で用が達せなかった。そこで詮方なしに 万病丹を服して当座の手当てをした.暫くして興庵がきて、薬を調合して進めた. この放鷹には頼宣も頼房も従っていたが、家康の容態が快方に向かないので、落合小平次を飛脚に 立てて江戸に急を知らせた.駿府の将士も続々見舞いの為に田中へ馳せ参じた.興庵の投薬によって やや効験が見えたので、二十四日には駿府に帰ることができた。一旦軽快になったものの、四月十七 日七十五歳で生涯を閉じた.(藤枝市史より抜粋) 現在田中城の建物はないけれど、家老屋敷の建物があり、そこに生まれ育ってきた.我が家の建物は 江戸の後期ごろ建てられたようだが、軒が長く出ていて部屋は暗い。郷土博物館の人達が視察にきた。 玄関を入ると1畳の部屋がある。ここに座って来訪者の応対をする。現在では考えられない間取りで す。 |
幼稚園 大人の足で15分位かかるところへ一人で通園した。現在の国道一号線や信号機は無く、交通事故の 心配が無い時代であった。 国民学校 今の小学校だが戦争中は国民学校といっていた. 入学してまもなく、同級生の親がお宅の息子に家の子供の傘を破かれたと抗議にきた.当時の傘は 紙でできていたので簡単に破ける.何人かの傘を破き叱られた. 「欲しがりません勝つまでは」が流行語になり我慢の時代であった。 四年生になったころ、度々空襲警報がでるようになり授業を中断して避難をする.学校のそばの茶畑へ もぐりこんだ.そこには将棋盤が置いてあり将棋をして楽しかった. 川でフナ、ハヤ、ナマズ、ウナギ、ドジョウなどを取ってくると母が喜んでくれた。ところがある日私を驚か せるようなことが起こった。今まで見たこともないない真っ赤なエビのようなものがいたのだ。あとで 分かったのだがこれはアメリカザリガニであった。ザリガニを捕獲するため前にぶったいを置き後ろから 足で追っていく方法を使った.足を動かしている方に後ずさりしたので慌てた.魚は普通前に泳いで逃 げるがアメリカザリガニは後ろへ下がる性質がある. 中学生 新制中学の制度ができても校舎も運動場も無い。中学生になっても小学校の校舎で授業が行われる. 祖父のところへくるお客さんの大部分は碁打ちである。私は横で見ていて囲碁を覚えた.だんだん腕が 上がり負けないようになった. 高校生 二段の先生に教わった.生徒でありながら図々しく校長先生のお宅へお邪魔して先生方と碁を打った。 大学生 囲碁部はなかったので卓球部。実験実習で結構忙しかった. 駅前の碁会所では三段位の力碁の人に打ってもらった。私は本を読んでその通りに打っていくタイプ なので勉強になった。 社会人 若い時は月月火水木金金で夜八時ごろ帰宅。現在と違って休みはほとんどなし.職場でも囲碁の好きな 人はいたが打つひまがなかなかとれない。 就職して11年目から少し時間的余裕ができ各種囲碁大会に参加するようになった。 現在 退職して昼間は畑に出て野菜作り、朝夕は好きな囲碁という恵まれた環境だ。 平成11年に日本囲碁連盟の全国統一囲碁検定で六段以上と認定された。まだ読みが足りない。 |
01/07/25スタート