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『雑記』 1996年 「勝間田哲朗『錯綜する迷宮銀河の考古学』」
『雑記』 1998年 「上條陽子の転回」 「切断と積層が 生む新世界─上條陽子の新作群について─」 「呉一騏 水墨画の新次元」
『雑記』 1999年 「安藤信哉・自在への架橋」  「呉一騏 水墨画の21世紀へ」 「深沢幸雄・人間存在への深い眼差し」
『雑記』 2000年 「内田公雄の絵画世界」  「水墨の原理・易経の哲理」
『雑記』 2001年 坂東壮一手彩色銅板画集「仮面の肖像」
『雑記』 2002年 「坂部隆芳『山王曼荼羅図』」  「ヴァンジの彫刻について」  「記憶の塔ー上條陽子の箱」
           「蒼天の漆黒 内田公雄『2002 W−8』」    「久原大河 『才難は、この若者に降りかかった』」
『雑記』 2005年 「世紀を越えて−大矢雅章と佐竹邦子」   「生動力と構造力 佐竹邦子作品への視点」
『雑記』 2006年 「佐竹邦子の21世紀的展開」
『雑記』 2007年 張得蒂「尊敬すべき人生追及──日本三島市K美術館及び館長越沼正先生に ついて」
『雑記』 2012年 「見出された、かたち  白砂勝敏氏の木彫椅子について 」



気になる展覧会

  吉川霊華展   バーン・ジョーンズ展  特撮博物館


『悠閑亭日録』Diary2012年

7月15日(日) 女囮捜査官1 触覚

 降ったり晴れたり、蒸し蒸しした陽気。展示室のエアコンをドライで起動する。一気に心地良い。少しして停止。節電。

 山田正紀『女囮捜査官1 触覚』幻冬舎文庫1998年初版を読んだ。山手線内での痴漢の描写から始まるのが、昨日 引用した「官能を売りにしましょう」なのだろう。この描写が、続く連続殺人事件の解決への伏線になっている。 スイスイ読めた。犯人像は二転三転、そして驚愕の殺人犯。本格推理だ。

 初出のトクマノベルスのときの題名が『女囮捜査官1 触姦』。山田の「どちらも買わないかもしれないという可能性」 が当たって、私もそうだが、ミステリマニアの多くはスルーしていた。

 ネットの拾いもの。

《 久々にAmazonのほしい物リストを覗いたら、ほしくない物リストと化していた。。。 》

《 ほっともっとフィールド神戸球場がAKBの握手会会場に使われ、美しい天然芝がボロボロに。 》


7月14日(土) 共産主義的人間

 昨夕帰りがけにブックオフ長泉店で二冊。大野左紀子『アーチスト症候群』明治書院2008年3刷帯付、ミヒャエル・ エンデ『エンデ全集13 自由の牢獄』岩波書店1996年初版、計210円。

 未明の激しい風雨は朝には止み、湿気の多い曇り空。これぞ梅雨。

 林達夫『共産主義的人間』中公文庫1986年7刷を読んだ。感銘を覚えた。あまりに深い洞察にこちらの視力が追つかない。 発表が1946年〜1951年。60年以上も前なのに、古くさくない。新鮮。

《 君は不服そうな顔をしているが、それは君の時代を見る目が、下らぬ新聞や雑誌の見出し(ヘッドライン)にしか くっついていない証拠だ。あとになって時代の顕著な動きと見られるものはその時代には明確には掴めず、つまり 見出しにはなりにくいという鉄則に早く気づく必要があるね。 》「ちぬらざる革命」

《 このごろの編輯者は、概して見出し感覚(ヘッドライン・センス)ばかりが異常発達していて、時代の深層に横たわって いるのもやもやした捕捉し難い問題の発掘などにはあまり心が向かなそうです。時代の潮流というものは、実は幾層にも なっていて、そのいちばんの底流はほとんど動いているのだかいないのだかわからぬような進行の緩慢ぶりで、流れの急な 表面とは打って変わった相貌を呈しています。 》「無人境のコスモポリタン」

《 政治の化けの皮がはげかかってから、それを追求し、それに悲憤慷慨することはたやすい。定めし、幕末獅志士の 現代廉価版が、これからこの国土に輩出することだろう。というのは、わが日本は、いまや二度目に「尊王攘夷」ないしは 「尊王か攘夷か」の時代に足を踏み入れて来たようだから。 》「新しき幕開き」

 庄司薫が「解説」で書いている。

《 すなわち、およそ知的戦いにおいて、相手について相手以上によく知ってしまうこと、よく理解してしまうことほど 完全な勝利はないのではあるまいか。 》

 そのとおりだ。凄い本だ。以前著作集をかじったけれど、歯が立たなかった。この歳になってやっとわかってきた。

《 軍人が勝算もなしに戦争に突入したのは自分らに都合のいい見通しをたてたから。たとえば山田が「女囮捜査官」 を出すとき担当が「官能を売りにしましょう、推理、官能両方のファンが買うから売り上げが倍になる」と見通しをたてる ようなものだ。どちらも買わないかもしれないという可能性に思い至らない。  》

 山田正紀が自作について上記のようにツイートしているので、読んでみよう。

 ネットの見聞。

《 いま米国でハリーポッターをしのぐスピードで売れている本はFifty Shades of Grey というSMボンデージ系のエロチカ小説で読者はほぼ女性。元は オンデマンド出版電子書籍だったが火がついていまや地下鉄で女性たちが読んでいるとのこと。 》

 日本の官能小説と読み較べてみたく……はないな。

《 ニューヨーク・クリスティーズでの村上隆らの東日本大震災支援オークションの売り上げ6億8千万円

 欲しい作品は……ない。


7月13日(金) 油絵を解剖する

 ドナルド・キーン『日本人の美意識』、「日清戦争と日本文化」から。

《 明治二十六年(一八九三)、つまり戦争勃発の前年、日本の現代美術運動の創始者黒田清輝(一八六六 〜 一九ニ四) が、フランスから帰国している。 》

《 黒田は繰り返し、しかも公然と、大抵の日本の西洋画は無価値だ、と主張している。そして彼によると、その理由は 当の芸術家が、スタイルの背後にある西洋文化を少しも理解していないからだというのだ。 》

《 明治二十九年、黒田は白馬会というグループを結成している。以後長年にわたって、日本の油絵界に君臨することになる 集団である。 》

 九年も留学していれば、そりゃ西洋のことはよくわかるだろう。しかし、黒田清輝の油絵は魅力が乏しい、と私は思う。その理由の一端が、歌田眞介『油絵を 解剖する 修復から見た日本洋画史』NHKブックス2002年2刷でわかった。以前にも書いたが、帯文がすごい。

《 高橋由一の魅力と  黒田清輝の不手際 》

《 黒田清輝の先生はラファエル・コランである。コランの油絵は漆かと思うほど丈夫であったことが、「白衣の女」 (久米美術館蔵)の修復時に判明した。一方、黒田の留学中の油絵は、帰国後の作品より緻密な絵肌をしているが、耐溶剤 テストをすると、色によっては石油系の弱い溶剤にも溶けてしまうものがる。コランを敬愛し、一生懸命勉強してきた のだろうが、油絵具の扱い方については、充分に習ってこなかったように思える。 》122頁

 和田英作の回顧録が紹介されている。昭和九年(1934年)の発表。明治三三年(1900年)のパリ万博のこと。

《 巴里万国博覧会日本部の油絵出品は、黒田先生が日本へ帰られて、初めて日本婦人の裸体モデルを描いた、『智、感、 情』という装飾風の三部作と蘆の湖畔に立つ浴衣姿の美人画『湖畔』をはじめ、(略)出品しました。 》157頁

《 審査の結果で黒田先生の『 智、感、情』は銀牌になりましたが、非常に弱い影のうすいものであることを感じて、これは一大事だ、我々は大いに 奮発しなければ、油絵で世界を相手に互角の争いをすることは出来ないと、しみじみ感じたものでありました。 》158頁

 黒田清輝から岡鹿之助まで、油絵画家の不手際が科学的に解明されていく手順は、巻を置く能わず、の面白さだ。作品の 歴史的意義とは別に、二十一世紀の視点から作品の魅力、価値を再検討することが必要だろう。いいと思わされている作品が いかに多いか。見逃されている作品のいかに多いか。大仰な金メッキ作品ではなく、小体な純金作品を。

 ネットのうなずき。

《 自己利益よりも公共の福利を優先的に配慮する「大人」が一定数いなければ、社会は保ちません。

  今の日本のすべての制度劣化は「大人がいなくなった」ためだと私は思っています。 》 内田樹

《 1993年7月12日の夜10時17分、北海道万世沖地震が発生し、奥尻島では津波で甚大な被害が出ました。夜のこのくらいの 時間に津波が起きたら…と思うと改めて時間の選べない自然災害の恐ろしさを感じます。 》

 ネットの拾いもの。

《 トイレに座ってるとき揺れるのは怖い!  》

《 今まで「官僚・公務員の生活が第一」とする政党ばかりだったが・・・。 》

 首相官邸前デモ案内サイト

《 「デモ」とも呼ばれますが、正式には「デモ行進」ではありません

  前に進むわけではなく、来た人から順に並んで抗議をします 》

《 いってみて「なんかちがう?」って感じたらどうしよう

  見物だけして帰れば OKです!  》


7月12日(木) 日本人の美意識

 昨夜のBS『極上 美の饗宴』の藤田嗣治の戦争画は、穏当な内容だった。ヨーロッパで高い地位の歴史画への転換を 図って、戦後藤田が戦争画のサインをアルファベットに描き替えたというのは初耳だった。藤田だけが戦争協力者として 糾弾され、日本の画壇を見限って出国したことは軽く流されていた。

 ドナルド・キーン『日本人の美意識』中公文庫1999年初版を読んだ。金関寿夫(かなせき・ひさお)の「訳者あとがき」 に同感。同じ箇所に感心している。

《 とにかくこの本の中には、日本の古典文学および文化一般についての、ユニークな指摘が満載されている。中でも 一番私に興味深かったのは、日本の伝統演劇(能、歌舞伎、文楽)の中には、様式性と写実性とが、微妙なバランスに おいて両立しているのだという意見。 》 「訳者あとがき」

《 しかしなんといってもこの書物中の圧巻は、明治二十七、八年の日清戦役が、日本文化の諸分野に及ぼした影響を 明かにした長編エッセイであろう。 》 「訳者あとがき」

《 日清戦争が日本の演劇界に与えた影響とは、一口に言ってみれば、一方では、同時代の出来事を写実的に描き出し 得る近代劇への基礎を作り出したこと。そして一方では、歌舞伎を初めとする伝統演劇は、その機能として、専ら古典的 レパートリーからの演目を上演するもの、と規定されたことであろう。 》「日清戦争と日本文化」

《 日清戦争中における錦絵の大人気については、すでに述べた。(略)浮世絵がいつ終末に達したかということを、 割合正確に言うことは、不可能ではない。明治二十八年の秋、ある日の『読売新聞』は、錦絵の売行きが激減した事実を 伝えている。戦争画の売行きは、もちろんもう退潮気味であった。ところが、いつもはよく出ていた役者絵さえも、「 辛うじて一ぱい(二百枚)をさばく」のみであったと。以後版画は、再び広い売行きを見せることはなかった。 》 「日清戦争と日本文化」

 その一年前の記事。

《 明治二十七年八月九日読売新聞は日清戦争の浮世絵が売れていることを伝える 》 永田生慈『資料による近代浮世絵事情』 三彩社1992年初版

 たった一年で様変わり。今の政治みたいだ。

 江戸浮世絵の最後の残照を飾るのが、明治三十年(1897年)に出版された、楊洲周延(ようしゅう・ちかのぶ)の『真美人』36枚と『時代かがみ』50枚 だと私は考えている。昨日版画店の東洲斎から届いた目録では、全部揃いで 「刷良 保存良」、各々50万円と60万円。

 ネットの見聞。

《 あしたの官邸前抗議ですが、名称が「官邸前周辺」になっています。急激に参加人数が増え、実質全ての参加する人が、 官邸前で抗議できない状況です。国会議事堂前には第二ステージを設けてマイクを用意します。官邸にその声が届くわけでは ありませんが、賛同する国会議員が発言する予定です。  》

《 森ゆう子参議院議員が国会で明らかにした野田政権での外国への資金提供14兆3000億円は禁断の数字。絶対に 日本のメディアは触れない、報道しない数字。消費税大増税の必要性などの、すべての政府の大嘘が露呈してしまうからデス。 広くネットで国民に知らせよう14兆円、どこから出てきたのかな。 》

 みうらじゅん、東村アキコ、山田章博らが京都精華大学 客員教授に。

《 みうらじゅんコメント

 人と同じようなことをする時期が過ぎると、人と違ったことを考えなきゃダメだって思う時期がやって来ます。 ほとんどやり尽くされてるような気がしますが、隙間は必ずどこかにあるもんです。今から見つける癖をつけておく。 それが私の授業です。 》


7月11日(水) 戦争画

 朝、ブックオフ長泉店で二冊。『田中一光』トランスアート2003年4刷帯付、吉田浩美『ア・ピース・オブ・ケーキ』 筑摩書房2002年初版帯付、計210円。

 今夜のNHK・BS極上 美の饗宴は藤田嗣治の戦争画。どんな 内容かな。

 いつだったか、東京国立近代美術館の常設展示で藤田嗣治の戦争画を観たことがある。『アッツ島玉砕』1943年 だったと記憶している。高さ194センチ、幅260センチの大画面から迫る壮絶な描写に圧倒された。圧倒されたのは 描かれた悲惨さではなく、綿密に構成された構図と、それぞれの個人が見せている豊かな人間性という、じつに演劇的な 奥行きの深さだった。目を蔽いたくなる悲惨さは、ほとんど感じなかった。今にして思えば、演劇の群集劇を目前に しているようだった。崇高さえ感じさせる品格ある絵画だ。これぞ息を呑む名画だと確信した。

 『芸術新潮』1995年8月号特集「カンヴァスが証す画家たちの『戦争』」を開いて、あらためて藤田嗣治の戦争画の 凄さを実感。

 安藤信哉にも戦争画がある。文部省戦時特別展覧会出品の『学徒』。モンペ姿、うつむき加減の三つ編みの女生徒を 横から描いたもの。手元にあるのは白黒写真のみだが、品のある絵画だ。

 ネットの見聞。

《 あなたの欲望は「アートを創りたい」なの?

  それとも「アーティストと呼ばれたい」なの?  》

 遅くなったけど中日新聞のK美術館閉館の記事。


7月10日(火) 旧宮殿にて

 次回坂部隆芳展の宛名書きなど。真夏の気。いわっとくる暑さに慣れないせいか、用事が進まない。

 三雲岳斗『旧宮殿にて 15世紀末、ミラノ、レオナルドの愉悦』光文社文庫を愉しく読んだ。ミラノで制作に いそしんでいたレオナルド・ダ・ヴィンチのもとへ持ち込まれる謎の事件。消えた肖像画、高楼から失踪した令嬢、 倉庫から忽然と盗まれた巨大な銅像など五編。

《 万能の天才レオナルド・ダ・ヴィンチが、ミラノ宰相ルドヴィコ・スフォルツァと、才媛チェチリアとともに 不可解な事件の謎に挑む。 》

 これは面白かった。ライトノベル『M.G.H.』『海底密室』と違って、大人向きの本格ミステリー。イタリア語に 翻訳されたらどんな反響があるだろう。愉しい想像だ。

《 芸術家の魂が、もっとも昂揚した仕事をしているときというのは、ほかの人間から見れば、遊んでいるようにしか みえないものなのだ。これまでこの世になかった新たな思想、すなわち観念の完全なる形態というものを精神的に探し 求めている状態とでもいえばいいのかな。 》13頁

 全編に登場する『白貂を抱く貴婦人》のチェチリアがなんとも印象的だ。この絵は横浜美術館で観ているので、一際 印象深い。

 ネットの拾いもの。

《 電車で、スマホに集中している女子大生っぽい人に、手すりと間違えたのか二の腕を握られました。 》

 美声魔女藤生恭子。You Tube 「セクシー過ぎるオリックス2軍のウグイス嬢」。


7月 9日(月) 休館日

 梅雨の晴れ間。暑くなると元気が出る。こんな晴天だと動きたくなる。ブックオフ長泉店で二冊。中山典之『完本  実録囲碁講談』岩波現代文庫2003年初版、アミール・D・アクゼル『天才数学者が挑んだ最大の難問』ハヤカワ文庫2003 年初版、計210円。

 暑いのでやっぱりのんびり読書。三雲岳斗『旧宮殿にて 15世紀末、ミラノ、レオナルドの愉悦』光文社文庫2008年 初版を読む。なかなか面白いわ。

 ネットの拾いもの。

《 気分転換すると転換したままもう戻れないタイプです、はい。  》

《 反戦フォーク集会、と打ち込んだつもりが反省フォーク集会になっている。想像するとじつに情けない光景で あるなぁ。 》


7月 8日(日) 海底密室

 朝、源兵衛川を愛する会の月例清掃へ。集合場所のかわせみ橋の袂に半化粧が咲いていた。五人で軽く清掃。水量が 多くなったので、深みにはまらないように浅いところを選んで歩く。午前十一時過ぎ開館。

 三雲岳斗『海底密室』徳間デュアル文庫2000年初版を読んだ。前作『M.G.H.楽園の鏡像 』が宇宙ステーションと いう密室。今回の密室殺人事件は水深四千メートルの深海にある深海海底生活圏実験施設で起きた。前作同様外部からの 犯人はいない。誰がどのように、なぜ殺人を犯したのか? これまた本格ミステリーだ。二作とも大人の読み物として 充分通用する。三十歳にしてこんな小説を書いてしまうとは。我が身の三十歳を省みて驚く。いや、私の成長が遅いだけ、 かも。だからといって大器晩成と見栄を張れないところが、なんとも。塚本邦雄にいわせれば、死んでも大成しない 破格の大器もあるというから。慰め慰め。

《 「M.G.H.」は「謎」そのものの面白さという点においてきわだっていた。が、この「海底密室」では、謎の 「解決」の新しさという点において、きわだったものを見てとることができる。どちらも素敵に新しい。 》山田正紀 「解説」

《 しかし、その危険なエントランス・ポートも、中にいるぶんには普通の建物の一室のようにしか思えない。真の危険 とはそんなものかもしれない、と私は思う。危機に面していると実感できたときには、ほとんどの場合手遅れなのだ。 安全対策が進めば進むほど、その傾向は顕著になる。 》71頁

 原発事故に先立つ十年前の指摘。

 ネットの見聞。

《 知り合いの古書店から電話。ケータイせどり人がやってきて「調べていいか」と聞かれ、店主がよくわからずOK したら、店の棚の本すべてをケータイで調べて(それなりに買って)帰ったそうな。 》

《 スパゲティを茹ですぎた……。これはもう、スパゲティじゃない。これはまさに――ソフト麺。 》

 夕飯はトマトソースのスパゲッティを予定。今朝トマトなどを煮つめたソースは今は冷蔵庫に。ソフト麺、やだなあ。


7月 7日(土) 静岡県立美術館

 休館にして静岡県立美術館へ行った。静鉄バスに乗ったのだけれど、車体が長い。こちらのバスとは違ってえらく長 い。これには驚いた。県立美術館で最も(唯一)瞠目したのが、ホールに展示されていた藤田嗣治の初期の風景画小品。 遠くからでも目を惹いた、次の企画展ユベール・ロベール展 の前売り券を購入。見逃せない。

 ネットの拾いもの。

《 遠距離恋愛してて年に一度しか会えない恋人とやっと一晩だけ会えるというその日に、赤の他人から「試験に合格 しますように」「花屋さんになりたい」「中日優勝」などと自分には関係のない願い事が山のように届いたらあたしなら ブチ切れると思う。織姫彦星の心の広さには感動する。 》


7月 6日(金) HEAVEN in THE MiRROR

 明日静岡県立美術館へ行くので、休館します。

 お客さんが退出、昼食後、あまりによい陽気にふっと眠気〜夢見心地。突然電話。椅子からころげそうになった。 これじゃあコントだよ。

 三雲岳斗『M.G.H.楽園の鏡像 HEAVEN in THE MiRROR 』は面白かった。宇宙ステーションで起きた二つの殺人 事件。

《 そもそもこの二つは有り得ないはずの事件だった。無重力空間で起きた墜落死。一人の男だけを襲った真空。 》

《 「M.G.H.」という作品の最大の魅力は、いかにして無重力状態の宇宙ステーションにあって墜落死が可能で あったか、という謎の見事さに拠るものといっていい。 》山田正紀(三雲岳斗『海底密室』解説)

 本格ミステリーの謎解きの面白さに加え、それに付随する道草的な言辞が小説にふくらみを与えている。

《 居心地がいいということは、自分がそれだけ相手に負担をかけているということだ。 》87頁

《 だが、夫婦はお互いの信頼がなくても夫婦になれるが、パートナーはお互いに信頼関係がなければパートナーに なれない。 》215頁

《 たぶん人間が生まれてきて、一番最初に認識できるようになるのが触覚なんだろう。触れるという行為で、自分が 生きていることを初めて実感できるんだ。》334頁

《 人間は、反射した光によってしか物を見ることができないし、摩擦がなければ触覚も役には立たない。人が生きる ということは、世界中の全てのものからの抵抗を受け続けるのと同義である。傷つけられることによってのみ、人は己 が生きている証を得る。 》341頁

《 色素の働きとは別に、構造色ってやつがあるんだよ。真珠や光学ディスクや、虹もそう。物質そのものが光の干渉 で輝いて見える色だ。顔料やインクはやがて色褪せてはがれ落ちるけれど、構成する分子が壊れてしまわない限り、 構造色は永遠に輝き続ける 》337-338頁

 北一明氏の耀変茶碗もこの構造色だ。それに惚れた。

 ネットの見聞。

《 「死んだ馬にまたがっていることに気づいたら、最善の策は馬から降りることだ。」ネイティブアメリカンの名言 (部族不詳) 》

 ネットの拾いもの。

《 「おまえが生き残るには、一千個の選択肢のなかから、正解であるたった一個のカードを引かねばならぬ」……命 の千択 》

《 PCに「島崎藤村」を「藤村藤村」(ふじむらとうそん)と打ち込んでいた。 》


7月 5日(木) M.G.H.楽園の鏡像

 三雲岳斗(みくも・がくと)『M.G.H.楽園の鏡像』徳間書店2000年初版を読んだ。宇宙ステーションの無重力空間 に浮かぶ墜落死体。本格SFミステリー。感想は明日。

 ネットの見聞。

《 組織内にばかり留まって外側と交流しないから、内側だけで共有されている価値観やバランスの異常さが分からない 人は多いよね。同僚とか上司とか取引先と飲んでも同調して偏るばかり。見知らぬ人とカウンターで立ち飲みして自分 の外側の思考を取り込む機会は必要だろうね。 》

《 昨日、東北芸工大でも話しましたが、芸術産業のこと、もっと美大は理解し教えるべきです。芸術作品を展示鑑賞 させるためには様々なスペシャリストが必要です。ですが、美大ではほぼ全員をアーティストに仕向ける教育しか行 われていません。 》 村上隆

 ネットの拾いもの。ロンドン・オリンピック。

《 霧がオリンピック競技に影響をもたらさないか、不安と期待を覚えてしまうのだ。

  陸上競技なんか、どうだろう?

  濃霧の中でやり投げ。

  審判も他の競技者も観客もすこぶるスリリングだと思うが。

  ハンマー投げも同様、いや、もっとサスペンスフルかもしれん、

  あれ、ぐるぐる回って投げるからね。

  マラソンは次々と道に迷い、集団で遭難するかもしれん。

  まるで、八甲田山だ。 》


7月 4日(水) 愛句百句/TED

 金子兜太(とうた)『 愛句百句』講談社1978年初版を読んだ。

《 一般にはあまり知られていないが、自分では好きでたまらない、いわば秘蔵のよろこびを味わせてくれる句があ る。それらの句をまとめて鑑賞したら、どんなに楽しかろうと日頃おもっていたので、この本の実現はまったくうれ しい。 》「あとがき」

 とあるように、俳人の名前は半数近くを知っているけれど、俳句は片手で足りる。三十年ほど前は投げ出したけれ ど、今回は興味深く読んだ。年の功ね。この本は、七合目あたりの俳句愛好者向きという印象。慣れ親しみ経験を積 み重ねた人が、その面白味を充分に堪能できる。俳句の作り手に向けたくだり。

《  枕木を五月乙女一歩一歩  中村草田男

 このころの草田男には、字余りの句がおおい。この句のように、下五字(すなわち五音)が六字(六音)になる ものもおおく、(略)字余りでなければ、ひびかせることのできない、感情のエネルギーがあるといってよい。字余り をおそれる必要はないわけで、むしろ、字余りを避けるあまりの、感情の萎縮をおそれなければならない。 》

《  雑木山ひとつてのひらの天邪鬼  金子皆子

 つまり、読むとき、まず「雑木山」と五音で切り、つづいて「ひとつてのひらの」と八音で読まないと、リズムが とれない。韻文の味わいがない。(略)堀葦男は、音律にしたがう区切り方を「音節」といい、意味にしたがう区切り を「文節」といっていたが、双方が重なるところに韻文特有の魅力があるといってもよい。 》

 金子のこの二つの解説、絵画の鑑賞にも援用できる。たとえば安藤信哉。字余りと音節と文節でも解読できる……気 がする。

 一昨日だったか、NHK『クローズアップ現代』で特集していたけど(Eテレ番組の宣伝)、『TED』はじつにいい。まさしく観衆を魅了する18分の スーパー・プレゼンテーション。Eテレでよく視聴している。TEDとは Technology, Entertainment, Design の略。 番組では技術、芸術、デザインと訳されていた。アイデア満載だ。先月末、村上隆の言葉に共感して引用したけど、同 じことを言っている。再掲。

《 日本人の説明は真面目一辺倒でつまらなくなりがちですが、ものを伝えることは娯楽だと割りきらなければなりま せん。 》

 ネットの見聞。

《 【大飯で自分が機動隊に受けた暴力】頭や背中を激しくコズかれる、体を強くツネられる、足を蹴られる、楯の隙 間から肝臓辺りを強く殴られる。抵抗すれば公妨だぞ!と脅しながら、すべては背後から周りから見えない死角でやら れます。そんな中みんな両手を上げて非暴力を貫いていたんです。 》

 40年前と変わらない。

《 大飯原発再稼動反対デモに行けなくて良心の呵責を感じている人がいるかもしれないけど、運動のやり方はそれだ けではない。今夏猛暑日にテレビを消し、パソコンを閉じ、じっと夕暮れを待ったり、職場や学校の無駄な電力消費を 見つけて減少させようと個人で試みることが多大な脱原発運動である。 》 森岡正博

 40年前には変わり者だった。

《 その無責任体質は今日に至るまで続いている。今回、48名の離党者を出し、まさか誰も責任を取らないのか。 》 三宅雪子


7月 3日(火) 220円105円

 友だちから平松洋子『おとなの味』平凡社を借りてパラパラと読む。25種類の納豆の選考会。彼女は優しい噛み応 えを好み、選考委員の別の男性は噛み応えのある納豆を好む。真逆の好みの二人が最高!と選出した納豆は、同じだっ た。真にいいものは個人の好みを超えている。美術作品にもいえることだ。作品を好悪で観るのはかまわないが、優れ た作品は、好悪を軽く蹴散らしてそこに存在する。ピカソの初期中期のいくつかはそんな作品だ。

 ブックオフ長泉店へ古本を売って220円。山田風太郎『戦中派焼け跡日記』小学館2002年初版帯付105円を買う。昭和 21年の日記。七月二日の日記から。

《 ──三万円儲かったら十万円欲しくなるだろう。十万円儲かったら五十万円欲しくなるだろう。──かくて生涯金 の奴隷として過す輩の憐れむべき哉! とはいえども俺も金は欲しい。しかし、普通の食物を食って本を読むことが出 来るなら、それで結構である。 》

 ネットの見聞。

 「自炊」っていうから本をパソコンに取り込む雑誌と思ったら、本来の意味の「自炊」雑誌だった。

《 自炊派の若い世代に向けた食の情報誌『食べようび』を、オレンジページが創刊した。 》

 大飯原発に反対する人を紹介したドイ ツのニュース が You Tubeに投稿されている。

 ハッカー集団アノニマスが7日渋谷で『お掃除オフ 会』開催!

《 クリックの代わりに『クリーニングを行う』 》

 ネットの拾いもの。

《 この前「筑波大学冬景色」という歌を教えてもらったんだが「上野発の普通列車おりたときから 土浦駅は風の中 つくばへ帰る人の群れは誰も無口で 風鳴りだけを 聞いている 私も一人 関鉄バスに乗り こごえそうな蛙見つめ 泣 いていました ああ 筑波大学冬景色」という歌詞で笑い転げた。 》

 安藤信哉の絵を観に茨城県立つくば美術館へ行ったことがあった。車窓からは延々と続く高圧線鉄塔が印象に残った。 つくば駅をおりて……。二度と来ることはないなあ、と思った。ちなみに1977年だかに出た石川さゆりのシングル盤『 津軽海峡冬景色』は持っている。

《 腹が減ったのに雨 (自由律俳句) 》

《 ……さ、仕事しよう! 》


7月 2日(月) 休館日

 朝から風呂に入り、静養。


7月 1日(日) 悠閑からはほど遠い

 先月の疲れがどっと出たのか、未明から体調不良。今年初めて。朝食を抜き、バスで来る。窓の外は雨。事務室の窓 に守宮(ヤモリ)だかカナヘビだか、小さなのがへばりついている。これまた久しぶり。

 大阪の和泉市久保惣記念美術館 ハンス・ウェグナーの椅子があって、とてもよかった、と年配の女性から電話。デンマークの生地にあるウェグナー美術館を訪問した人の書き込み。

《 しかし、残念ながら地元では彼に対する関心はさほど高くなく、そこを訪れる日本人の方がよっぽど高いそうです (笑) 》

 いずこも同じか。お客さんが退館されたので、午後二時昼食をおそるおそる摂る。梅干、沢庵、白米のみを食す。秋に 個展をする北斎道子さん、下山fさんが来館。知人が自作の絵を持ってくる。

 ネットの拾いもの。

《 光の速さで1回表終了。なんというエコ打線。 》

《 ハンバーグを焼かずに生で食べるぜ。ワイルドだろ〜  》


旧日録 2012年 1月  2月  3月  4月  5月   6月 

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