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『雑記』 1996年 「勝間田哲朗『錯綜する迷宮銀河の考古学』」
『雑記』 1998年 「上條陽子の転回」 「切断と積層が
生む新世界─上條陽子の新作群について─」 「呉一騏 水墨画の新次元」
『雑記』 1999年 「安藤信哉・自在への架橋」
「呉一騏 水墨画の21世紀へ」 「深沢幸雄・人間存在への深い眼差し」
『雑記』 2000年 「内田公雄の絵画世界」
「水墨の原理・易経の哲理」
『雑記』 2001年 坂東壮一手彩色銅板画集「仮面の肖像」
『雑記』 2002年 「坂部隆芳『山王曼荼羅図』」
「ヴァンジの彫刻について」
「記憶の塔ー上條陽子の箱」
「蒼天の漆黒 内田公雄『2002 W−8』」
「久原大河 『才難は、この若者に降りかかった』」
『雑記』 2005年 「世紀を越えて−大矢雅章と佐竹邦子」
「生動力と構造力 佐竹邦子作品への視点」
『雑記』 2006年 「佐竹邦子の21世紀的展開」
『雑記』 2007年 張得蒂「尊敬すべき人生追及──日本三島市K美術館及び館長越沼正先生に
ついて」
『雑記』 2012年 「見出された、かたち 白砂勝敏氏の木彫椅子について 」
気になる展覧会
セザンヌ展
宇野亜喜良の全貌
内藤ルネ展
『悠閑亭日録』Diary2012年
5月31日(木) 翻訳と日本の近代
昨夕帰りがけにブックオフ長泉店で二冊。藤田宜永(よしなが)『壁画修復師』講談社文庫2009年初版、『ミステリ
ー傑作選 Dout きりのない疑惑』講談社文庫2011年初版、計210円。前者、新潮文庫を買いそこねていたら、講談社
文庫で再刊。活字が大きくなった。
丸山真男・加藤周一『翻訳と日本の近代』岩波新書1998年初版を読んだ。年下の加藤が丸山に訊くというかたちの対
談。膨大な知識の海から、あっと驚く新鮮な解析が次々と展開される。これはすごい。
《 加藤 両方ね。尊皇攘夷を本気で信じていて西南戦争までつながるような人々と、テクノクラー
トの先祖みたいなもので、イデオロギーを交換可能な道具と考えていた人々と。 》17頁
《 丸山 進化論の影響を受けたかどうかが、中江兆民と福沢の決定的なちがいだと思うのです。兆
民においては決定的です。「進化神」が出てくるでしょう。福沢のは進歩の思想なんだね。二人をくらべると進化の思
想と進歩の思想の違いがよく出ている。進歩の思想は一八世紀であり、進化は一九世紀の後半にはじめて出てくる。進
歩はいいものに決まっているけど、進化はいいとは決まっていない。 》154頁
《 丸山 士農工商の支配の基礎づけも、江戸中期からは有機体の構造と同一視するのでね、細胞と
同じように相互依存的なものとして。だから、生物学的なモデルのほうが入りやすい。ところがまったくの無機的な自
然、ニュートン力学の自然は、日本の自然観にないわけです。主観と客観を完全に対立させて、あらゆる意味性とか価
値性を剥奪して見る見方は、日本思想史の文脈では仏教にも儒教にもない。神道にはなおさら、ない。 》160頁
最近出た翻訳本についてネットの書き込み『これじゃスタイ
ナーも浮かばれまい』から。
《 やれやれ。なにが悲しゅうてこんな支離滅裂な文章に付き合わねばならんのか。(略)固有名詞のでたらめさとい
ったら枚挙に暇がない。レオナルド・スカシア(シャーシャ)、クララ・ゼトキン(ツェトキン)、ウイリアム・ガス
(ギャス)、アイザック・バーベリ(イサク)、フェルナン・ブラウデル(ブローデル)、エリザベス・ケーブラー‐
ロス(キューブラー=ロスまたはキューブラー・ロス)、チーコゥ・ブラーエ(3頁後ではティコーとなっているが、テ
ィコが妥当)、ヴァージル(ウェルギリウス)、マルゲリート・ユルセナールは許せないでしょう、さすがに。 》
老婆心から一言。マルグリット・ユルスナールのこと。
ネットの見聞。
《 単に子どものような絵を描けるだけの人と、子どものような絵であるのに感動を与えてくれる人の、どこが決定的に
違うのだろう。 》
ある程度時が経てば、食べ物の発酵と腐敗のように、味わい深くなるか、つまらなくなるか、分かれるだろう。味戸ケ
イコさんの鉛筆画は、四十年近く経ても素晴らしい。魅力が増している。
《 どんなに素晴らしいものでも伝えない事にはしょうがないだろう? 》
その考えでK美術館を開いた。閉館まであと半年。
ネットの拾いもの。
《 「死ぬ気でやれ!死ぬ気になれば10回に1回くらいは勝てる!」という野次が9連敗中のヤクルトに飛んでいる。 》
5月30日(水) Big data/クリティカル・モーメント
「 Big data 」という用語を知った。確かな定義はまだないようだ。ネット上に集まる巨大な情報をどう利用するか、
といったこと。ネット検索からこのようなブログまで、ネット上から新たな測定規準で情報を集約する。ポイントカー
ドの買い物情報から消費動向を探ることも含まれる。
「クリティカル・モーメント」という言葉を知った。
《 ラグビーなどのスポーツで「勝敗を分けるような重要な一瞬」という意味。 》
《 一瞬の判断(決断)が、一試合の勝敗だけでなく、その後の人生にとっても大きな分かれ道になることもある。 》
ネットの見聞。
《 日本の半分ぐらいの美術館は、たぶん夕張美術館のようになる運命を持っている。自治体に予算が全く無くなった
ら、維持も修理もできない。売却不能な収蔵品はどこに行くかわからない。そんなものをたくさん作っても仕方が無い
のに、コンクリートと補助金をつぎ込んでいっぱい作ってしまった。 》
《 道なき道をつけた人への評価が今の日本には無いと思う。既に道があるところで、その道を舗装したり拡張したほ
うが有難がられるのだろう。日本自体が「既得権社会」と化しているからだろう。たぶん、40年ぐらい前からのよう
に漠然と思う。「既得権社会」では道なき道をつける作業は疎まれる。 》
《 だから日本で成功しようと思えば、画期的なことを避け現状に大きな変更は加えず、何かをちょっと付け加える程
度の小さな発明を繰り返せば良い。それを、車ではマイナーチェンジと言う。フルモデルチェンジは冒険なので、めっ
たにやらない。現状の自動車が全部売れなくなるような大発明があったら潰す。 》
ネットの拾いもの。
《 次回オフの開催場所に関してメールが届きましたが、これがもう味も素っ気も必要栄養素もまるでない、「PTAの
回覧文でももうちょっと面白いことが書いてあるだろがっ!」と言いたくなるような箇条書き。しかもその短い文章の中
に誤字が三箇所、放送禁止用語が二箇所も使われておりました。 》
《 昨日の夕方水戸黄門再放送観てて悪代官のフィギュアとかあったら面白いなとググッたら既に作られてたw 》
5月29日(火) THE WRONG GOODBYE
矢作俊彦『THE WRONG GOODBYE ロング・グッドバイ』角川文庫は、傑作かもしれない。大人の読み物であること
は確かだ。600頁にならんとする長篇を最後まで楽しんで読んた。切り詰めれば半分にもすることはできるが、それ
では面白さが激減。その面白さとは。レイモンド・チャンドラー『 THE LONG GOODBYE 長いお別れ 』へのオマージ
ュだからこそ、この長編であり、気の利いた科白が散りばめられている
《 私はコーヒーを飲んだ。色のついたお湯だった。今では希少もののアメリカンというやつだ。 》441頁
《 やっと一冊ベトナム戦争の通史をみつけたが、トラックのタイヤ止めに使えるほど大きく、タイヤ止めより高価
だった。 》477頁
《 気づくと、グラスは空だった。氷も無かった。冷蔵庫が三万光年の彼方にあるような気がして、ストレートで飲
み続けた。 》484頁
《 「飲む相手は間違わなかった。しかし、別れを言う相手を選び損ねたな」 》579頁
《 「ぼくは、君が必要としているような人間じゃないんだ。それでかまわないなら、いつでも来ればいい。寝室を
毎日掃除して待っているよ」 》582頁
終わりのほうから少し引用。本筋から逸れた枝葉末節の科白を面白がるかどうか、で評価が分かれる。それこそ長
いお別れだ。それから好きな表現をひとつ。
《 水に浮いた小さなステージで、彼女は終始、蝋燭の大きな炎のようだった。 》549頁
「浮」は「サンズイに乏」という漢字が使われている。2000年時点での、横浜〜横須賀の変貌が語られる。語られ
る場合、多くは昔は良かった、だが、これも同じ。ホテル・ニューグランドについて。
《 「回転ドアじゃなくなっちゃったんだな」
「いつの話をしているんだ? そのころの酒場を期待しているなら、入らないほうがいいぞ。金儲けしか頭にな
い不動産屋が社長を送り込んできて、すっかり変わってしまったんだ。」
「バーも駄目なのか?」
彼は目を丸くして尋ねた。
「バーマンは相変わらず大したもんだが、経営者が彼らにティーポットを運ばせている」 》19頁
5月28日(月) 休館日
昨夜、源平衛川中流域の蛍をちょっと鑑賞。数十メートルに二十匹ほど。これからが旬。
ゆっくり朝寝、それから矢作俊彦『 THE WRONG GOODBYE ロング・グッドバイ』角川文庫2007年初版を味読。気の
利いた科白が頻出。古い革袋に新しい酒だ。こういう小説を読みたかった。急いで読むと面白いことを見逃しそうで、
ゆっくり進み、じっくりと味わう。感想は明日。
5月27日(日) 手技の魅力、発見
日本の版画がこれほどに魅力的とは、と来館者は口々に述べられる。感慨深い。
ネットの見聞。一昨日、テレビ朝日『報道ステーション』でこの場面に心に沁みた。
《 報ステ、作家佐野眞一さん。「一番大切なのは”身につまされる”という感覚ではないか。原発周辺の世界を見
よ。豚が共食いをし誰もいない町に桜が咲く。東電の人たちを見ていると、言葉を失うという感覚がない。鈍感すぎ
る。世界に恐怖をもたらしているというひりひりした感情がない」 》
《 「重版出来」は「じゅうはんしゅったい」と読む。 》
《 埼玉近美は「ウルトラマンアート!」展、東京都現美は「特撮博物館」 》
大震災はまったく予感しなかったけど、2010年に予感したのは、2011年が時代の潮目が変わる年(地上デジタル放送
がデジタルの限界を象徴、テレビの終わりの始まり)、2012年にそれが顕在化する年だったけれど、そのようになった。
デジタルからアナログ=手技への回帰。「ウルトラマンアート!」の「またそのイメージから生まれた今日のフィギュ
アなどを展示。」、「特撮博物館」の副題「ミニチュアで見る昭和平成の技」が象徴している。美術に地殻変動が起き
ている。世代交代。需要と供給の大変化。
5月26日(土) 版画展初日
天気晴朗、開館と同時に来館者たち。ご挨拶をして、さりげなく読書。読み始めたのは矢作俊彦『ロング・グッド
バイ』角川文庫2007年初版。2000年の横浜〜横須賀が主舞台。ソワソワ、ワクワク。なんて思っても、応対をして時
は過ぎてゆく。
朝刊の全面広告『龍馬を愛した明治の偉人たち』、なんだろう、とよく見たら『競馬を愛した明治の偉人たち』だ
った。競馬といえば。
《 競馬場のレンタルスペースでディック・フランシスの読書会ってのを以前考えたんだよなー。
》
彼の競馬推理小説、数冊本棚にあるけど、棚上げ状態。棚卸はいつのことやら、お手上げ〜ではない。
ネットの見聞。
ウェブサイトCNN GOの『 Tokyo's 'street sleepers'東京の路上で眠る人々』が面白い。
《 日本は「人材の宝庫」ですが、その人材が充分に社会的に活用しきれていない、「人材の倉庫」だともいえます。
》
ウチの美術品、来年には倉庫入り。美術創庫だな。
5月25日(金) 準備万端
昨夕帰りがけにブックオフ長泉店で三冊。『山本周五郎全集 第三十巻 小説の効用 雨のみちのく』新潮社1984
年初版函帯、スウィフト『ガリバー旅行記』岩波文庫1999年39刷、『岩波文庫の80年』岩波文庫2007年2刷、計315円。
展示した版画作品をあらためて確認。清野泰行の木版画二点は、二十年あまり前に購入。その後の蜜蝋を使った造
形作品に惹かれなくて関心が薄れた。東京学芸大学の准教授になっていた。二十年近く前に銅版画を購入した若月公
平は東北芸術工科大学の教授になっていた。
エチオピアの歌姫Yeshi Demelash のジャジーな新曲
Qeneを You Tube で視聴。たゆたう気怠さ。今の気分。
ネットの見聞。
《 余計なタッチがなく、生命の表情を端的にとらえるロートレックの動物画に強烈な詩情を感じる。力強い線と消
え入りそうに細いあえかな線。隅々までオールオーヴァーに描かれていないことに、対象が生きて動いていること、
運動や息づかいそのものが描かれていることを感じる。 》福山知佐子
《 川上弘美『センセイの鞄』を買ったのは25%が60歳以上の男性で、当時、「センセイ」のモデル論争があっ
て、高橋睦郎、川村二郎、池内紀などの名前が上がっていたという。 》岡崎武志
《 木下直之『股間若衆』新潮社。公園や駅前などに置かれている男性の裸体彫刻は、身体の各部位がかなりリアル
に彫られているにもかかわらず、なぜか股間だけは曖昧にぼかされている、その現状と理由を追ったルポルタージュ
です。 》大矢博子
《 各章のタイトルも笑えます。「股間若衆」「新股間若衆」「股間漏洩集」など。巻末の「股間巡礼」は各地の曖昧
模っ糊りを巡るためのモデルコースまで載ってます。地元の曖昧模っ糊りを探す散歩がしたくなる一冊。言っておくけ
ど、これはかなりまじめな美術専門書ですからね、そこ大事ですからね! 》
《 木下直之『股間若衆』では、その彫刻の曖昧模糊とした股間を「曖昧模っ糊り」と名付け、さまざまなバリエーシ
ョンの曖昧模っ糊りを紹介。面取り型や葉っぱ付き、バレエダンサーのタイツっぽいものや、輪郭がとろけたようなモ
ノなどいろいろ。それは芸術家と官憲の戦いの歴史でもありました。 》
《 北九州がれきに、県外から反対するのはおかしいと言う方、ぼんやりしていたら、みな汚れてしまう。島田市が警
告してくれています。 》早坂類
5月24日(木) 見えない都市
冷蔵庫と打ったつもりが霊倉庫と変換。昨晩、菩提寺の行事で墓参して、墓石の中のあんな寒々したところへ骨
を入れたくないな、と思ったせいかな。
昨夜BSプレミアムで曾我蕭白の龍の絵を視聴したが、森岡正博の書き込みに納得。
《 某展覧会では、曾我蕭白の龍が人気だったが、実際に観てみると私は長谷川等伯の竜虎のほうが断然良かった。蕭白は平面的だが等伯
は奥行きがある。蕭白は人を驚かす感じで表面的。 》
奈良県立美術館で開催中の『藤城清治 影絵展
』の水を使った演出が好評で入場者増という記事を見て思った。昭和三十年、三島市の楽寿園での人形公演が、
彼の人生の転機になった。先年三島市に記念イヴェントの話を提案したが、却下された。
展示した版画の位置を微調整。間隔に余裕をもたせて展示したので、40点ほどになったけど、それまで気づかな
かった魅力を放っている。展示方法によってこれほどに変わるとは。自分一人の展示では、こういうふうにはゆかな
かった。別の人の眼が不可欠だ。
イタロ・カルヴィーノ『マルコ・ポーロの見えない都市』河出書房新社1977年初版を読んだ。帯文から。
《 幻想の旅を行くマルコ・ポーロが憂い顔の皇帝フビライ汗に語る55の都市の変奏曲!》
読むのにひどく疲れた。面白さが見えてこなかった。どうも、カルヴィーノとは相性が悪いようだ。
ネットの見聞。
《 思想最前線は10年単位で古くなる。10年後に次の最前線に飛びついているか、それともかつての最前線を黙々
と掘り下げて人類普遍的な層へと到達するかが、偽物と本物の分かれ目だと思う。森岡正博 》
《 『孤独のグルメ オリジナルサウンドトラック』はJASRAC登録無し。全曲著作権フリーです。映像演劇宣伝等に
どうぞお使いください。コピーして演奏してYouTubeにでもなんでもあげてください。でもその際ボクに一本メールく
れたら嬉しい。久住昌之 》
《 九州に瓦礫を運んだ第一の理由は、政府のメンツ、第二の理由は九州にお金が行ったということと思います。この
二つははたして日本の将来を明るくするものなのでしょうか? 私は瓦礫を運搬するのに携わった「瓦礫運搬派」の人
にもう一度、考えてもらい、九州にも汚染を心配している人がいて、その人達は「考えが足りない人たちではない」と
思ってもらいたいと願います。武田邦彦 》
5月23日(水) 展示の準備
五月晴れの下、近所の田圃に水が入り始めた。水面に浮かぶ逆さ富士。水鏡。鈴木一平。
味戸ケイコさんから電話。一時間半ほど語らう。
お手軽に情報が手に入る現在でも、容易に手にできない本物。明治〜平成の版画を収蔵庫から版画を出して思う。
友だちに手伝ってもらい、レイアウトを決める。明日微調整。
ネットの見聞。
《 布袋寅泰・今井美樹一家が英国へ移住。井上陽水の家族は福岡に転居。彼ら以外にも公表されていないが多くの
日本人が転居或いは海外移住を決断しているのが現状であるがマスコミは報道しない。西日本は断固放射能汚染から
守らねば、日本人の行き先が無くなってしまうだろう。 》
《 “ツヤっと輝く、40代女子力。” 》
5月22日(火) 片付け
朝暗いのは曇天のせい。もっと暗くなったのは雨のせい。
東京スカイツリーに高さ世界一位の座を譲った中国の電波塔、広州タワーは600メートル。愛称は「小蛮腰」で、
「くびれた腰」という意味だそう。たしかに。
ネットの見聞。
《 島田市試験焼却後の周辺地域の放射能濃度上昇が新聞報道「今後、広域瓦礫処理をする自治体は「環境汚染をす
る」という大前提の上で焼却を行なう事となる」 》
《 瓦礫拡散阻止に医師達。「5年後、10年後に数百万人という犠牲者が出る事を、チェルノブイリ原発事故から学ぶ
べきでしょう」 》
《 簡単。汚染がれきは移動させず、地元で処理するだけ。宮城は処理出来るそうですが、何故かしら長距離移動させ
ています。北九州は恐らく瓦礫が欲しいのです。何故かしら? そして国は被曝訴訟逃れのため、まんべんなく広域被
曝させたいのでしょう。シンプルに拒否しましょ。 》
《 宮城は確か数日前にがれきの量を訂正発表したのです。広域被曝については、原爆症と同じく保障逃れと、そして
被曝データも欲しいのかしらと私は思います。アメリカの核の人体実験について調べてみると興味深いです。日本も独
自に欲しいことでしょう。世界って、思うより残酷。 》
《 次は6月6日の「金星の太陽面通過」。これは楽しみだ。メガネは捨てないように。 》
5月21日(月) 休館日
朝暗かったのは金環食のせいだったのかな。心地良くぐずぐず寝ていた。
昨夕帰りがけにブックオフ長泉店で三冊。阿部謹也『大学論』日本エディタースクール出版部1999年2刷、『一葉語
録』岩波現代文庫2004年書版、E・D・ホック『サム・ホーソーンの事件簿 VI 』創元推理文庫2009年初版、計315円。
夜風が心地良いので、自転車をブックオフ函南店まで走らせる。『日本幻想文学集成1 泉鏡花』国書刊行会1991年
初版、林芙美子『放浪記』みすず書房2004年初版帯付、高田宏・編『「あまカラ」1、3』冨山房百科文庫1995年書版、
1996年3刷、中井英夫『新装版 幻想博物館』講談社文庫2009年初版、中西進『日本人の忘れもの 2』ウェッジ文庫
2008年初版、綿谷雪(きよし)『近世悪女奇聞』中公文庫2010年初版、本格ミステリ作家クラブ・編『法廷ジャックの
心理学』講談社文庫2011年初版、日本推理作家教会・編『 MARVELOUS MYSTERY 至高のミステリー、ここにあり』講談社
文庫2010年初版、計945円。気分爽快、そうかい。
写真そっくりに描かれている絵、本物そっくりに描かれている絵。この本質的な違い。
ネットの見聞。
《 博物館で日本の鎌倉時代の釈迦涅槃図を見た。たくさんの動物たちが集まってきた中に、白い象がいた。白い象は
日本絵画に頻出する。日本に白い象が来たことはあったのだろうか。それとも海外の絵の模倣、あるいは想像なのか? 》
5月20日(日) 大石靖展最終日
最終日。にぎやか。出品者に「どれがいい?」と訊かれて指し示した絵はすべて売れた。やはりね。大勢の方が来て
搬出。無事終了。やれやれ。
ネットの見聞。
《 どう考えても日本は進化の最先端だと思う。資本主義が変わり始める場所はここ以外には考えられない。だから日
本の先には道がない。日本人の不安感はここから来ているのだと思う。でもこれは楽しむべきことではないのだろうか。
》
椹木野衣の発言から。
《 公立の美術館が、文科省と経産省の蛸壺的な棲み分けから商業主義を嫌い、結果として国の文化予算をめぐる既得
権益や談合的な天下りの巣になっていることは、ほとんど指摘されません。日本では新聞社が展覧会の事業主体になっ
ているため、ジャーナリズムがまともに機能しないのです。 》
《 たとえば、国公立美術館の館長職は、一部の「現代美術ムラ」でたらい回しにされているのが現状です。いわゆる
「渡り」ですね。彼らは「美術の自律性」を高尚そうに主張しますが、裏返せば、それは彼らの「美術」が市場原理に
晒されれば、ひとたまりもないのがわかっているからです。 》
《 こうした輩が、村上隆のように世界市場の最前線で活動する作家を(おそらくは既得権の保守か劣等感ゆえ)軽ん
じ、コマーシャルギャラリーを見下し、健全な売買よりも時代錯誤の啓蒙を振りかざすことで、日本のアートは、中国
や韓国といった隣国と比べても著しく遅れてしまいました。 》
《 日本では美術の世界でも、広い意味での文化官僚の主導による業界の自閉と腐敗が大きな問題なのです。 》
ネットの拾いもの。
《 ツイッターってあれだろ、竜巻みたいなやつ
それはツイスター 》
《 ヤマサキ春のパン祭りの引き換え期限を過ぎていたことに気づく朝。 》
5月19日(土) 柔かい月
イタロ・カルヴィーノ『柔かい月』河出文庫2003年初版を読んだ。方法論にこだわり過ぎて袋小路に入ったような短
篇集。
《 すぐそこに唐突な死が待っているなんて知っていたはずもないのに、一九八五年夏、カルヴィーノが自分の作品す
べてを「軽さ」という言葉でくくってみせたことに今更ながら驚く。 》和田忠彦「文庫版解説」より
この「軽さ」は昨日話題の加藤郁乎氏の作品(俳句、詩、小説)に通じる。
《 単調なひろがりとそのにぎやかな内識(インサイト)。加藤郁乎の世界を一言にして要約すれば、それは気的空間
だ。固体の不透明にして牢固たる客観性も、液体の湿っぽい流動性も、ともに加藤郁乎には無縁である。透明にして獏
としたひろがり──だが、そこにはあらゆる「気」がところ狭しと犇めき合って千紫万紅の痴態をくり展げていると観
念したがよい。 》種村季弘「卵生の狼少年」(『加藤郁乎詩集』思潮社1971年所収)より
《 私が語ろうとした物語は、その実在性がともに疑わしい過去と未来、そうした過去と未来の作用においてのみ個体
の存在が決定されうるという限りでは、結局は存在しない二つの個体の出会いなのである。あるいは存在している他の
すべての物語からは、また存在しないことによって存在しているもの存在せしめている存在しないものの物語からは切
り離すことの出来ない物語なのである。 》「プリシッラ」118頁
カルヴィーノの「個体」と加藤郁乎の「固体」、この違いには月と地球以上の隔たりがある。カルヴィーノの物語に
ついて。
《 純粋に形式論理にもとづく演繹的思考のプロセスのみを追うことで物語が構築されるようになる。 》和田忠彦「
文庫版解説」より
イタロ・カルヴィーノが加藤郁乎を読んでいたら……。しかし、イタリア語でもなんでも、翻訳不可能だからなあ。
あるいは岩成達也の詩集『レオナルドの船に関する断片補足』思潮社1969年を読んでいたら。
大林宣彦の新作映画『この空の花』がネットで話題騒然。
椹木野衣。
《 夜は明けたが、大林宣彦監督『この空の花』の衝撃は醒めない。むしろ深く喰い込んできている。僕は映画評論家
ではないけれど、この作品を一人でも多くの人に見てもらうことに、震災と原発事故について考えてきた批評家として、
使命のようなものを感じている。 》
《 僕の呟きを読んで少しでも『この空の花』が気になったら、なんとしても劇場に足を運んでほしい。もちろん商業
映画である以上、好き嫌いがあって当然だし、すべての人が満足するとも思っていない。けれども「この空の花」は、
そうした好悪をこえて、それでもなお、見た人の中になにかしらを残す筈です。 》
中森明夫。
《 昨日、有楽町スバル座で『この空の花』を観た。まさか次の回で椹木野衣さんが観てるとは! 椹木さんと実は一
度もまともに話したことないんですよ。けど私の小説『アナーキー・イン・ザ・JP』の一番すごい書評を書いてくれた。
それが真夜中のツイート…一つの映画でつながることになるなんて!! 》
椹木野衣。
《 広い劇場にはお客さんが片手で数えられるほど。呆気に取られたが、ゆったりでいいかくらいにしか思わなかった。
でも、この映画の全貌が観えたとき、その感情は(中森さんもつぶやいていたが)悔しさに変わっていた。僕は、映画
から受けたわけのわからない衝撃と悔し涙とで、しばらく席を立てなかった。 》
5月18日(金) 不在の加藤郁乎
朝刊で加藤郁乎氏の訃報
を知る。十代の末、氏の俳句で現代の詩歌に開眼。その一句。
《 冬の波冬の波止場に来て返す 》
いつぞやの年賀状に墨痕鮮やかな一句。
《 年立つや一ニ三四五六七 》
四十年あまり前、西池袋の夏目書房で安く売っていた詩集『荒れるや』思潮社1969年を購入。フーリエについてフ
ァンレターを出し、以来四十年ほど手紙を交わした。『加藤郁乎詩集』思潮社収録のエッセイにある「静岡県三島市
の一青年」とは私のこと。氏の勤めていた麹町の日本テレビでお目にかかり、新宿のスナック薔薇土での出来事など、
思い出が脳裏を巡る。薔薇土で加藤郁乎氏から中井英夫氏を紹介された。おお、この方があの名作『虚無への供物』
の作者……。
わが文学魔道の先導者、加藤郁乎、中井英夫そして種村季弘、三者とも鬼籍に入ってしまった。文学がつまらくな
った。
ネットの拾いもの。
《 ドナ・サマーが亡くなったと聞いて驚き、でも彼女の顔を思い浮かべようとしたらティナ・ターナーしか出てこ
ない自分の映像記憶力のいい加減さにさらに驚く。 》
《 玉袋筋太郎さんがフランス座修行時代、ストリップの選曲でドナ・サマー「ホット・スタッフ」をかけるとスト
リップ嬢に喜ばれたらしい。つかれてるときに早い段階でスパッと脱げるから。 》
5月17日(木) 不在の騎士
イタロ・カルヴィーノ『不在の騎士』河出文庫2005年初版を読んだ。甲冑の中は空っぽという奇想天外な騎士が主
役の中世騎士物語。騎士をとりまく物語がしずしずと進む。後半は破天荒にぐんぐん進み、そして大団円。1959年の
作。
《 「どうしたって、なに、存在する男たちみんなに対する欲望を捨て去ってしまったら、最後に残った唯一の欲望
は、まるっきり存在しない男に対する欲望だけってことになるのかもね……」 》100頁
男を女に替えれば、初音ミクに……。
《 単調一様なこの表面にごくごく微かな線が──針で紙の裏からすじを引くとできるような──浮き出て見えてい
て、しかもこの僅かな線、この微妙な緊張のなかに世界のひとしなみの性質、練り粉が詰めこまれ、滲みこんでいて、
そこにこそ感覚が、美が、苦悩が、そしてほんものの衝突と運動がある、というのでなくてはならないのです。 》
162-163頁
物語について書かれているのだけれど、絵画にそっくり通じる。
東京では味戸ケイコ展、宇野亜喜良展そして内藤ルネ展が開催中。それに沼津市の牧村慶子展を加えると、時代の
波を感じる。
ネットの見聞。
《 「牛乳を注ぐ女」(一六五八〜九)のテーブルの形が変だなどという指摘があって、わざわざCGでテーブル
を真っすぐに直した図像を作って美術雑誌に載せたりしているのを見たことがある。しかし、それは大きな誤解で
あろう。このテーブルの天板はもともと長方形ではないのだ。フェルメールのデッサンがおかしいのではない。 》
《 「眠る女」(一六五六〜七)に描かれた奥の部屋にテーブルが置かれている。台形なのである。おそらく(断
言はしないが)これと同じテーブルにパンなどが載っている。そう思って見れば「牛乳を注ぐ女」には何もおかし
いところはないだろう。 》
5月16日(水)むずかしい愛
平野雅彦氏が15日のブログで牧村慶子さん
を紹介されている。嬉しい記事だ。
イタリアの作家イタロ・カルヴィーノ『むずかしい愛』岩波文庫1999年7刷を読んだ。「ある兵士の冒険」から「あ
るスキーヤーの冒険」まで、十二編の「ある○○の冒険」を収録。○○には悪党、海水浴客、会社員、写真家、旅行家、
読者、近視男、妻、夫婦そして詩人が入る。ちょとした偶然の出来事からさざ波のように揺れる心理と情景がありあり
と目に浮かぶ。どの短篇も映像化に向いている。
最も興趣を感じたのは「ある読者の冒険」。人気のない岬の滑らかな岩場で、男は日光浴をしながら読書にいそしむ。
気がつくと、近くで若くもなく、とりたてて美しくもない日焼けした女性がセパレーツの水着で横になっている。
《 ふくよかではないが均整の取れた脚、最高にすべすべした腹部、不快感はあたえないだろうが弛み気味に思える薄
い胸、幾分骨張った感じのする肩に首と腕、そして黒いサングラスと麦藁帽子のひさしに隠れた顔は、よく見れば聡明
そうで、分別もあり皮肉な感じもかすかに窺うことができた。 》
《 「なにかお困りのことでも?」かれは訊ねた。
「本を読むのに厭きることはありませんの?」女がいった。そして「あなたのような方とはとても連れに向いてい
るとはいえないわね! 女性と一緒のときには会話が必要だってこと、お分かりにならないのかしら?」とかすかに微
笑みながら言葉を継いだ。 》
《 彼女の「服を着るわ、わたし」という言葉を耳にしたとたん、それはたちまちかれの頭のなかで「彼女が服を着て
いる間、ぼくのほうは邪魔されずに本を読めるぞ」という別の言葉に翻訳されることになった。 》
そして二人は……。草食男子と肉食女子はイタリアも日本も、五十年前も今も変わらない。
イタリアといえば、まずはミルバの Bella ciao だ。
故郷ゴーロにちなんで「ゴーロの女豹」と仇名された彼女のこの歌に惚れて幾星霜。そしてもう一曲「愛遥かに Da troppo tempo 」にイチコロ。こういう歌が You Tube
でお手軽に視聴できる時代になるとは、まさしく隔世の感がある。
ネットの拾いもの。
《 人魚は女性しかいないようである。
男の人魚、イマジンすると、なぜかムカつく。
胸毛がすごく生えてたら、石でも投げたくなる。
ホラー映画とかの半魚人は男ってイメージが強いよね。
人魚=女 半魚人=男
この男女の間に生まれる半魚人魚っていうのか、顔=半魚人、身体=人魚、
これはかなり怖いと思った。巨乳でも帳消しにならない。 》
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