尊敬すべき人生追及
──日本三島市K美術館及び館長越沼正先生について──
張得蒂(チャン・デゥディー)
(中国の美術雑誌『読者 欣賞』2007年10月号、「芸術人生・達人」欄)
私は美術家ツアーの一員として日本へ行った。帰国してからすでに何か月が経ったが、この特別な経験がまだ思
い出に残っている。特に、その小さくて精巧な個人美術館のことを思い出すと、K美術館のことと館長のことが胸に
浮かんできた。
K美術館の所在地は静岡県三島市(訳注:正しくは三島市の隣、駿東郡清水町)である。私の仲間の日本書道家
松本竹志先生に紹介していただいて、その美術館へ見学に行ったのである(訳注:2007年4月15日)。そこに、珍し
い日本の近代の絵とか現代の絵とか、陶磁品とか、書道作品が集めてある。私のツアー十数人の美術家たちは
ここに入ると、展示品の精細さを発見してみな驚き、大勢の眼の前がぱっと明るくなったものである。
「日本に来てから沢山の美術館や博物館を見学したが、この小さな美術館で、一番人を感動させる好い作品を見るこ
とができた。」
と一行の一人が興奮して話された。
松本先生は私たちにK美術館館長越沼正先生を紹介してくれた。越沼正先生は50歳あまり、短い髪で、カジュアル
な服を着ていて、とても優しそうな感じの人で、口数が少ない。松本先生は越沼正先生より20歳ぐらい年上であるが、
「私は日本人として、越沼正先生のやっていることをみんなに薦めたいと思って、外国の友人に紹介します。もし、
もっと大勢の中国の友人に彼を紹介できれば、非常に喜ぶでしょう。」
と、松本先生は鄭重に越沼正先生のことを紹介してくれた。松本竹志先生は芸術にも、友だちにも真心を持ってい
て、天真爛漫、子どものように見えることさえあり、彼とはもう20年間付き合ってきた。彼は中国に極めて友好的で、
中日文化交流を促進させる仕事を多くしてきているのである。そして、かつて西安東方芸術進修学院の客員教授と西
安大慈恩寺三蔵法師記念館の建設委員の職を努めたことがあり、中国へ来たのは数十回になり、私のアトリエへ来た
のも9回にのぼる。越沼正先生が彼の親友というからには、私は彼の推薦と紹介を全幅的に信頼するものである。
越沼正先生は今までの精力と財産を費やして、人を深く感動させ得る作品を誠心誠意で収蔵されており、彼の美術
館では定期的に所蔵品を入れ替えて展示し、入場券を取らずに無料開放している。彼の事業に対する私たちの気遣い
を感じとった彼は、この事業をとことん頑張り続ける覚悟で、そのために奮闘する生活を非常に有意義に感じていま
す、と真摯に語ってくれた。
その初め、彼は20歳余、大学を卒業したばかりで、まだ社会に出ていなかったが、父親の急逝に直面して、大きな
打撃を受け、殆ど耐え難く、この後自分がどう生きていったらよいかわからないという状態に陥った。まさにそうし
た折りに、彼は挿絵画家味戸ケイコ先生の作品と出合い、それを見て彼女の作品の中から困難に打ち勝つ勇気を得た。
そのことから彼は、そういう彼に感動を与え、力を与えてくれる好作品の常設展示館を開くことによって、更に多く
の歳若い人々に向けての生活向上の啓示を与えたいと志した。けれども、その時には彼はまだ味戸女史と会ったこと
がなかったので、彼女に手紙を認めて自分の考えを伝えたものの、彼女はにわかにそれを信じることができなかった
ほどである。その後、彼はまた陶芸家で書家でもあった北一明先生の作品とも出合い、非常に感動して、私設美術館
を建てて二人の作品をそこに収蔵しようと心に決めた。
当時はちょうど20世紀の70年代であったが、彼は当時の日本社会に大きな疑問を抱き、どうしたら物欲がはびこる
社会を正常な文明社会に変えることができるだろうかと考えた。反復熟慮した末、彼は自分がなし得る事情としては
国家の大事を空談義することではなく、常設の美術作品展を開くというような活動を通して、美しい美術作品で人の
心に感動を与え、次第次第に人々の価値観を改変することではないか、と信ずるに至った。その頃彼はまだ若かった
が、信念が固まるや、必ず美術館を建設しようと決心したのである。その夢を実現するには相当の資金が要るので、
彼は毎日早朝3時に起床して懸命に働き、奮闘して、父の遺した飲食店を経営、発展させて、20年余り奮闘努力し、
ついに飲食店の事業を成功させた。資金の目処をつけた後、彼は店を畳んで、この美術館を建てた。この精緻な小型
美術館は、隅々にまで彼の心血を注いだ証を観て取ることができる。
以来この十年間、K美術館は誰の資金援助も受けず、自主独立で経営してきた。また同時に、越沼正先生は、世に
知られていない優秀な画家を発掘、顕彰、紹介する努力も続けてきた。彼の目的は、世界でも優秀な、人を感動させ
る美術作品を後世の人にまで伝えることである。
K美術館が収蔵する主な作品には日本で非常に著名な陶芸家で書道の名家でもある北一明の作品がある。北一明先
生は東洋の伝統芸術を基礎とし、陶磁芸術作品を通して一種の生命力を深く表現されている。彼の陶芸と書道芸術は
東西両洋の人々から賞賛を浴びている。趙樸初(訳注:ちょう・ぼくしょ=現代中国を代表する最も高名な書家)先
生は、かつて北一明先生には世上比べるもののない平和の促進力がみなぎっている、と称されたことがある。北一明
先生には鮮明な正義感、平和反戦思想があり、以前、自分の作品を盧溝橋抗日戦争紀念館や南京大虐殺紀念館、上海
博物館等に寄贈されたことがある。
館内に珍蔵されている挿絵画家味戸ケイコ先生の作品は、風格が鮮明で、かつて青年時代の越沼正先生に重要な人
生の啓示と精神的鼓舞を与えた。越沼正先生は、この女流画家の作品について次のように評価している。すなわち、
味戸先生の絵は、感情と理智を絵画の中に融合し、表現される情感を帰納することを通して、夢幻と現実の間に、人
々に濃厚な情感を喚び起こさせ、彼女の画中の人を見ると、過去に失ってしまった自己を想い起こさせ、あの甘く麗
しい心持が、無意識のうちに人々の魂の深部にまで直接到達してくる、と。
美術館には更に日本の近代や現代の著名な芸術家小原古邨、高橋松亭など多くの名家の版画、絵画、及び書道の作
品も珍蔵されている。収蔵されている現代絵画の中には、中国の水墨山水画家呉一騏先生の作品もあり、こうした作
品は極めて貴重で、深く人を感動させるものである。
越沼正先生は美術に対してばかりでなく、社会に対しても深い責任感を抱いておられる。彼は、日本の発展方向と
して、人が先例を創造しなけらばならず、政治運動に頼ることはできないのであって、種々の指導・啓発を通して調
和の崩れた環境を改善し、人々の精神を充実させなければならない、と考えた。この美術館を通じて、彼はまた何人
かの有志と一緒に環境保護運動にも取り組み、共同して自然環境の回復、河川の汚染除去に力を尽くし、美術館の所
在する三島市を環境保護先進都市にした。もともとはそれほど名を知られていなかった三島市は、この美術館のよう
な自然環境改善のおかげなどもあって、人々が争って住みたいと願う有名な都市へと変わり、日本の都市発展に一つ
の新しいモデルを創造したと言うことができる。彼は、それは彼が生きるこの時代の人間が担わなければならない歴
史的使命であると考え、また自己の後半生は全身全霊でその事業をやり抜こうと決心したのである。
私は彼のそうした追及(人生努力)は敬重に値すると深く感動した。それというのも、我が国の経済発展に伴って、
我々も同じように、経済は次第に発達するけれども、道徳精神は乏しくなるという状況を経験しているからであり、
それゆえに、私は国内の朋友たちにこのK美術館及び館長越沼正先生のそうした精神を推薦し紹介したいと願うもの
である。
注:翻訳は、松本竹志氏の友人の中国人の翻訳と、私の知人の中国研究家中山敏雄氏の翻訳を対照合体させたもので
ある。文責は越沼正にある。