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『雑記』 1996年 「勝間田哲朗『錯綜する迷宮銀河の考古学』」
『雑記』 1998年 「上條陽子の転回」 「切断と積層が
生む新世界─上條陽子の新作群について─」 「呉一騏 水墨画の新次元」
『雑記』 1999年 「安藤信哉・自在への架橋」
「呉一騏 水墨画の21世紀へ」 「深沢幸雄・人間存在への深い眼差し」
『雑記』 2000年 「内田公雄の絵画世界」
「水墨の原理・易経の哲理」
『雑記』 2001年 坂東壮一手彩色銅板画集「仮面の肖像」
『雑記』 2002年 「坂部隆芳『山王曼荼羅図』」
「ヴァンジの彫刻について」
「記憶の塔ー上條陽子の箱」
「蒼天の漆黒 内田公雄『2002 W−8』」
「久原大河 『才難は、この若者に降りかかった』」
『雑記』 2005年 「世紀を越えて−大矢雅章と佐竹邦子」
「生動力と構造力 佐竹邦子作品への視点」
『雑記』 2006年 「佐竹邦子の21世紀的展開」
『雑記』 2007年 張得蒂「尊敬すべき人生追及──日本三島市K美術館及び館長越沼正先生に
ついて」
『雑記』 2012年 「見出された、かたち 白砂勝敏氏の木彫椅子について 」
気になる展覧会
ユベール・ロベール展 セザンヌ展 味戸ケイコ「夢違」原画展
宇野亜喜良の全貌
『悠閑亭日録』Diary2012年
4月30日(月) 休館日
『おおさかカンヴァス推進事業2012公募』なるタブロイド版が届く。一
ページ全面を使って椹木野衣の美術評論「街を疾走するアー
ト」を掲載。
《 アートはもともと、「お宝」という発想を否定するところから始まった。》
《 アートを宝物のように鑑賞しても、得られるものはない。アートは「鑑賞」するのではなく「参加」するものだ
からだ。この勘違いから、アートは難解だとする広く共有された誤解も生じる。》
現代アートの大部分は、ある意味で大道芸と重なると、私は考えている。
《 けれども、アーティストがそうした場所に果敢に取り組み、いつしか風景が魅力あるものに変わることで、しだ
いに人が訪れるようになり、いつのまにか見違えるような場所に変わる事例が増えるに連れ、かれらの活動に広く注
目が集まるようになってゆく。》
このくだりは、源兵衛川の再生プロジェクトを連想させる。原風景の再生という標語で二十年修景してきたけれど、
私としては、環境の創造、という観点で関わってきた。そして、それは現代のランドスケープ・アートだと自認して
いる。
「街を疾走するアート」を「街を失踪するアート」と誤入力してしまった。失踪するアート、意外と面白い、かも。
4月29日(日) 北の夕鶴2/3の殺人
一昨夕帰りがけにブックオフ長泉店で二冊。東川篤哉『謎解きはディナーのあとで』小学館2011年12刷帯付、大阪
圭吉『銀座幽霊』創元推理文庫2001年初版、計210円。
昨夕帰りがけにブックオフ長泉店で四冊。朝吹真理子『きことわ』新潮社2011年初版、庄司薫の中公文庫2002年改
版から『白鳥の歌なんか聞こえない』『さよなら怪傑黒頭巾』『ぼくの大好きな青髭』、計420円。
島田荘司『北の夕鶴2/3の殺人』カッパ・ノベルス1985年初版を読んだ。上野発青森行きの夜行列車「ゆうづる」
車内で起きた殺人事件と、北海道釧路市のマンションで起きた密室殺人事件を結ぶ謎の美女。彼女は釧路市で「たん
ちょう」という彫金店を営んでいるが、事件後失踪。その美女加納通子は、『出雲伝説7/8の殺人』を手がけた刑事
の別れた妻だった……。そして、釧路警察で指揮をふるっていたのは、『斜め屋敷の犯罪』に登場した札幌署の主任
刑事だった。
五階建てのマンションの五階で起きた密室殺人とほぼ同時刻に起きた、写真に写っている鎧をまとった幽霊の真相
は? これはまた仰天トリックだ。これを痛快! と面白がるか、アホくさ、とけなすか、評価が別れよう。私は大
好き。島田一男『古墳殺人事件』を連想。
ネットの見聞。
《 エグゼクティブ・プロデューサー」だの「ゼネラル・マネージャー」だの「クリエイティブ・ディレクター」だ
の、わけのわからぬ横文字役職で田舎者をビビらせるハッタリ 》
《 金沢21世紀美術館 2011年度入館者、4年ぶり150万人割れ 金沢21美の入館者って、有料ゾーンの入館者数
ではなく、美術館を通り過ぎた人の数らしいですね。。。》
《 自民憲法改正案は地球規模での歴史的環境の中で日本という国家の主体性が構築されてきたことを無視し、「我
が国」の「伝統」と「国土」という自明なるものを設定してそれへの追従を求める内向きの憲法であり、「国土」の
外部的環境と人類普遍の原理に拘束されることへの認識を欠いた潔癖性の憲法案だ。》
《 自民憲法改正案で一番大きな問題は、憲法が人類普遍の原理によって作られたとする理念を後退させたことだ。
その代わりに「天皇を戴く国家」の歴史・伝統・文化が強調されてそのような固有性・特殊性(いわば国体)が憲法
を規定する大きな要因とされた。》
《 人類普遍の原理ではなく日本国の固有性・特殊性が重視されるから、天皇の地位も大きく変更されている。象徴
から元首というのもそうだが、現行99条では天皇・摂政は国務大臣などとともに憲法の尊重・擁護の義務を負うが、
改正案102条では天皇・摂政は削除されている。》
《 日本は敗戦という事実の前で憲法の「押付」すらも自国の主体性に取り込み、憲法の根源を天皇から人類普遍の
原理という最も抽象度の高い虚構に転換させた。憲法外的な存在として天皇を位置づけなおうそとした今回の自民憲
法改正案はそういった敗戦後の日本の選択を無効化する。》
《 しかし、こういう憲法改正案が出てきたことの現代的意味それ自体は軽くみてはいけない。きちんと分析と考察
をしないと、ただ単に冷笑を込めて揶揄してもダメだ。》
ネットの拾いもの。
《 経済ニュースによれば、アサヒ飲料が、カルピスを買収するらしい。
おおっ、そうなると、アサヒのテイストを活かした新たなカルピス飲料が開発される?
となると、やはり「カルピススーパードライ」。他にも新製品、続々
「カルピス黒生」「カルピス一番麦」「カルピス・ストロングオフ」「玉露と抹茶カルピス」
「五年熟成したカルピス」「カルピスモルト余市」「カルピス樽生」「カルピス大五郎」
個人的に気になる味は、「カルピス一番麦」だ。麦から作ったカルピスって……。 》
4月28日(土) 出雲伝説7/8の殺人
眩しい陽射し。初夏の陽気。天窓を開放。チョコレートを冷蔵庫へ入れる。
島田荘司『出雲伝説7/8の殺人』光文社文庫1988年初版を読んだ。事件の発端は1984年4月20日金曜日、山陰
地方を走る六本のローカル線の駅と大阪駅に、同じ女性のバラバラにされた七遺体が着いた。八つのうち残る頭部が
見つからぬまま、犯人と目される女性には犯行時刻には夜行列車に乗っていたという、鉄壁なアリバイがあった……。
秀抜なトラベル・ミステリだ。堪能。1984年と同じ、先だって20日(金)の日録を見る。
《 天体は予感のやふに光りつつ汝よゆきずりの一人とはせぬ 河野裕子 》
わ、ブルブル。
ネットの拾いもの。
《 確か今週の月曜はヒートテックを着て、夜はヒーターを入れていたような気が……。 》
《 まちがえた…中にヒートテック着てる……。 》
4月27日(金) 斜め屋敷の犯罪
霧雨だったので、濡れて参ろうと、自転車で来る。
きょう軽井沢ニューアートミュージ
アムが開館。某ブログから。
《 夏場のトップシーズンの観覧料は一般2500円という驚くべき料金設定。聞くところによると、実際の運営元は東
京・銀座の某画廊と聞いています。》
島田荘司『斜め屋敷の犯罪』光文社文庫1989年初版を読んだ。北海道宗谷岬のはずれ、オホーツク海を見下ろす高
台にある俗称「斜め屋敷」で、1983年のクリスマスの夜に殺人事件が起きた。その日の情景。
《 陽が落ち、暗い色に沈んだオホーツク海を、水平線から手前に向かって日に日にはすの葉のような流氷が押し寄
せ、埋めていくのが望まれた。》
あれっ。流氷はクリスマスにはまだ来ていないはずだけど。それはさておき、斜め屋敷で起きる連続密室殺人に名
探偵御手洗潔が挑む。快刀乱麻を絶つ殺人トリックの解明にはへえ〜。こんな驚天動地のトリック、よく考えたわあ。
感心。よく作り込まれたものの面白さを堪能。
ネットの拾いもの。
《 天の岩戸開闢以来の喜びようw 》
4月26日(木) 異邦の騎士
島田荘司『改定完全版 異邦の騎士』講談社文庫2003年12刷を読んだ。裏表紙の紹介文から。
《 失われた過去の記憶が浮かびあがり男は戦慄する。自分は本当に愛する妻を殺したのか。やっと手にした幸せな
生活にしのび寄る新たな魔の手。》
記憶喪失の男に襲いかかる犯罪の真相を暴くのは名探偵御手洗潔。男の独白体がちょっと鬱陶しい。「改定完全版
のための後書き」の結びから。
《 愛蔵本の企画のおかげで、「異邦の騎士」は十八年の時を経て、ようやく落ち着く場所に落ちつき、完全なもの
になったと今は満足している。だがこの先また九年ばかりの年を経て読み返せば、はたして著者がどう感じるかは保
証の限りではないが。 一九九七年七月十五日 》
今、島田荘司はどんな感想だろう。もっと削り込んだほうがよい、とは思わないかな。
「異邦の扉の前に立った頃」から。
《 この小説を書かせたもうひとつの要素は、まぎれもなくチック・コリアだった。》
ここで紹介されているLPレコード、『第七銀河の賛歌』『浪漫の騎士』は未聴。その前のLPレコードは、よく
聴いていたが。
ネットの拾いもの。
《 浦島太郎の文字を見て、「むかしむかし、ふくしまは……」と歌い出してしまった。orz 》
《 朝ごはんをしこたま食べたらすっかり満足して、なんか既に一日が終わった気分。まだ朝7時だけど。》
4月25日(水) かくもみごとな日本人/魔界へ
昨夕帰りがけにブックオフ長泉店で二冊。林望『かくもみごとな日本人』光文社2009年初版帯付、泡坂妻夫『妖
盗S79号』文春文庫1990年初版、計210円。後者は単行本で読んでいるけど、文庫本は持っていなかった。前者は、
《 当今は、日本人も自信喪失の体で、また政治家などろくな人材を見出せないという混迷の時代にあって、》
有名無名を問わず、すぐれた業績を遺した70人を短文で顕彰したもの。版画界では川瀬巴水、吉田博らだけど、
知らない人も。
林由紀子さんから来月、大阪のワイアートギャラリーで催される新作銅版画展の葉書が届く。葉書の
手彩色銅版画「ガラスの角と青い薔薇」2012年に釘付け。これはいい。独特の濃厚な表現はさらに濃密に、さらに奥
深く……未知の魔界へ。これは嬉しい。林さんに電話、感想を伝える。
ネットの見聞。金井美恵子の発言。すごく同感。
《 「教養」というのであれば、60年代のアメリカ前衛美術のスター的存在だった、ジャスパー・ジョーンズが来日
した時、彼にインタビューした詩人から聞いた話なのですが、ジャスパーは少年時代に(アーサー・)ランサムの小
説を愛読したそうです。そういうところが、ジャスパーより日本でもアメリカでも人気があるに違いない下品なアン
ディ・ウォーホルと違うところであって、それを「教養」と言うのです。》
《 よく、少年の時から、ドリトル先生の偽善性のいやらしさが嫌いで、『シートン動物記』の動物=自然と人間
の闘いのリアルな過酷さの方に感動した、といったふうのことを書くやつがいますが、それは、アーサー・ランサム
の小説の湖でヨットの帆走を最高度に楽しむ子供たちについて、どれくらいの数の子供が自分のヨットと艇庫を持っ
ているというのだろうか、と中産階級(ブルジョア)批判をする児童文学者と同じ類いの「小説嫌い」というか小説
というものの教養に欠けた意見というべきです。》
名古屋人の書き込み。
《 コーヒーを注文したらコーヒーしか出てこない東京のカフェ。 》
4月24日(火) 歴史とは何か
洗われたような晴天。初夏の陽気。昨日引用した短歌、
《 猟銃のごと美しき弟(おと)あらば風吹ける夜のいづこに歩む 葛原妙子 》
に、飾画家宇野亜喜良を連想。高橋睦郎は書いている。
《 背がけっして高いというわけではないが、色の黒い痩身の獣皮の鞭のような人がそこにあった。剃刀のような、
蜥蜴のようなするどいイメージもあった。》「宇野さんのこと」
E・H・カー『歴史とは何か』岩波新書2008年75刷を読了。
《 もちろん、事実と文書とは歴史家にとって大切なものです。けれども、事実や文書を祭り上げてはいけません。
事実や文書が自分で歴史を形作るのではないのです。》21-22頁
《 歴史とは解釈のことです。》29頁
《 ある社会がどういう歴史を書くか、どういう歴史を書かないかということほど、その社会の性格を意味深く暗示
するものはありません。》60頁
《 偉人は一個の個人ではありますけれども、卓越した個人であるため、同時に、また卓越した重要性を持つ社会現
象なのであります。》75頁
《 歴史がいろいろの時代に区分されるというのは、事実ではなくて、必要な仮説、あるいは、思想の道具であって、
それが光を当てる限りにおいて有効なもので、その有効性は解釈の如何によるのです。》86頁
《 あることを不運として描くのは、その原因を究めるという面倒な義務を免れようとする時に好んで用いられる方
法であります。》150頁
《 何か望ましいものという抽象的な規準を設けて、それに照らして過去を非難する以上にひどい誤謬はありません。》
191頁
《 科学にせよ、歴史にせよ、人間現象における進歩というものは、もっぱら、人間が既存の制度の断片的改良を求め
るにとどまることなく、理性の名において現存制度に向って、また、公然たると隠然たるとを問わず、その基礎をなす
前提に向って根本的挑戦を試みるという大胆な覚悟を通して生まれて来たものであります。》232-233頁
ネットのうなずき。
《 人間、ほんと、いつ死ぬかわからないのである。
50代半ばになったら、そろそろ死んだあとのことを考えたほうがいいだろう。
コレクション一代。コレクターが独身でも妻帯者(子持ち)でも同じこと。》
《 技術陣も原子力安全委員会の委員は事故の責任をとらず、まだ任務についていて報酬ももらっている。このよう
な子供のような責任の取り方で原発を運転するのは危険である。》
ネットの見聞。
《 新幹線は今、品川に停まってますが、あたしのハナミズ(花粉症)はノンストップで爆走中です。》
4月23日(月) 休館日
昨夕帰りがけにブックオフ長泉店で文庫を三冊。E・D・ホック『夜の冒険』ハヤカワ文庫2010年初版、『ティル・
オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』岩波文庫1990年初版、リチャード・ブローディガン『アメリカの鱒釣り』
新潮文庫2005年初版、計315円。
一日雨。結城昌治『隠花植物』角川文庫1977年初版を読んだ。元本は1961年初刊。表紙裏の紹介文から。
《 都会の夜を原色で彩る隠花植物にも似た、倒錯と同性愛の世界を背景に、スリリングな発端から意外性に富んだ
結末まで、快適なテンポで連続殺人事件を追った長篇ミステリーの傑作。》
昨日の短歌の流れで、五十年前は、ゲイボーイはどんな描かれ方をしていたのか、興味を抱いて読んでみた。昨日
の短歌はこれ。
《 少年は少年とねむるうす青き水仙の葉のごとくならびて 》
ゲイボーイたちの集まる店は銀座のアドニス。いかにも、だ。同性愛は偏見なく描かれていた。
葛原妙子の短歌から塚本邦雄の短歌を連想。
《 猟銃のごと美しき弟(おと)あらば風吹ける夜のいづこに歩む 葛原
ペンシル・スラックスの若者立ちすくむその伐採期寸前の足 塚本 》
《 生ける鷹旋回しつつ虚空なる高き朴の香(かをり)に遇ひけむ 葛原
金婚は死後めぐり来む朴(ほほ)の花絶唱のごと蕊そそりたち 塚本 》
《 錐・蠍・旱・雁・掏摸・檻・囮・森・橇・二人・鎖・百合・塵 塚本 》
「り」で終わるこの歌、『隠花植物』からヒントを得たような。それにしても、葛原妙子〜塚本邦雄〜野溝七生子が
白玉書房でつながることを、『葡萄木立』の後記を読むまで気づかなかったとは不覚。ネット検索して納得。
ネットの見聞。3Dとは。
《 Dull(退屈)、Dirty(汚い)、Dangerous(危険)〉の3D仕事。 》
4月22日(日) 短歌の待ち伏せ
開館すぐに来館。車のナンバーは尾張小牧。わ、遠い。
『現代歌人文庫 葛原妙子歌集』国文社1986年初版を読んだ。全歌収録の『葡萄木立』以外は中井英夫によって3223
首から420首を選出、抄録。好みの歌から少し。
《 蒼ざめし一枚貝のなかにゐる貝婦人月(げつ)婦人ともみゆ
貝殻のひかりとなりし月の尾根われの死後にも若者は生きよ
猟銃のごと美しき弟(おと)あらば風吹ける夜のいづこに歩む
生ける鷹旋回しつつ虚空なる高き朴の香(かをり)に遇ひけむ
くらがりにわがみづからの片手もて星なる時計を腕より外す
少年は少年とねむるうす青き水仙の葉のごとくならびて
あきらかにものをみむとしまづあきらかに目を閉ざしたり
他界より眺めてあらばしづかなる的となるべきゆふぐれの水 》
中井英夫の解説「球体の幻視者」から。
《 このとき人はようやく葛原妙子という幻視者の存在を知り、この地上には退屈無残な現実ばかりではなく、美と危
機とが断崖の際どい境で互(かた)みに支え合うもう一つの世界があることを教えられたのである。》
『現代短歌大系 月報7』三一書房1972年、相澤啓三「葛原妙子または恐怖の飛翔」から。
《 おそらく葛原妙子は作品の選ばれ方によって相貌を変える。選ぶひとの秘密をあかしてしまう。》
歌集『橙黄』からは、『現代歌人文庫』では41首、『現代短歌大系』では49首が抄録されている。重なる短歌は
10首ほど。漢字とひらかなの違う歌もある。「中」と「なか」。「われ」と「吾」。
ネットの見聞。
《
大正新脩大藏經(たいしょうしんしゅうだいぞうきょう、大正一切経刊行会)は、大正13年(1924年)から昭和9
年(1934年)の10年間をかけて、高麗海印寺本を底本として日本にある漢訳経典をすべて調査校合した、民間人の手に
よる大蔵経である(通常は、国家事業である)。》
《 17字詰29行3段組、各巻平均1,000ページになっている。正蔵(中国所伝)55巻、続蔵(日本撰述)30巻、別巻15
巻(図像部12巻、昭和法宝総目録3巻)の全100巻から成り、漢訳の仏典の最高峰と呼ばれている。》
《 日本人の母音の長さに関する敏感さヤバイ。もうaとaaの違いが分かるってレベルじゃない。もうこの時点で英語
話者はお手上げ。でも日本語はそんなのお構いなし。永遠とかeeenだし鳳凰とかhoooo。極めつけは「東欧を覆う」の
tooooooou。こんな言語、世界にない。》
《 カーマスートラには、例えば人を好きになる段階を次のように書いてある。読むと納得してしまう。一、見てほれ
る。一、心を引きつけられる。一、絶えずものおもいにふける。一、眠れなくなる。一、やせ衰える。享楽の対象から
遠ざかる。一、恥も外聞もなくなる。一、気が狂う。一、失神する。一、死ぬ。》
4月21日(土) 醜魔の待ち伏せ
牧村慶子さんの姪子さんが来館。展示の仕方(額装なし)をとても喜んでくださる。やれやれ。
女性歌人なら、葛原妙子だろう。と、本棚から『現代歌人文庫 葛原妙子歌集』国文社1986年初版を抜き、全歌収
録の『葡萄木立』1963年刊を読む。小さい活字で二段組。楽しめないなあ。大判の『葛原妙子歌集』三一書房1974年
初版を取り出す。これは大きい活字で一段組。なんでこれを出したかというと、以下の一首にドッキリ。誤字かと。
《 椅子に睡るひとときは醜魔の刻(とき) あらわるる人形のおもてましろき 》
醜魔とは。手元の辞書には載っていない。醜魔の待ち伏せ。目が醒めた。
《 晩夏光おとろへし夕 酢は立てり一本の壜の中
たれかいま眸を洗へる 夜の更に をとめごの黒き眸流れたり
三月のよごれし硝子あかるみぬ生きをりて死別の意味を知る日に
ただにあかるき窓のへありぬひらひらと文字なき紙のめくれつつあり
天秤の目盛のかげにわがみたり死をよそほへるうつくしき秋を
夜の波眩しき断崖(きりぎし)のもと破船は舳を宙に立てたり
海の大岩うらら洞(うつろ)となりをればなまあたたかきうしを充ちゐき 》
「三月の」、昨年の大震災を想起させる。明日へ続く。
ネットの拾いもの。
《 コンビニでお会計の際に、「ポイントカードは持っていないし不要です」「コンビニの袋も不要です」「チンする
必要はありません」という煩わしい3つのメッセージを一語で完結に伝える言葉として、それぞれの頭文字を取って『
ポコチン』を提案したい。》
4月20日(金) 相聞歌の待ち伏せ
ドッキリを期待して河野裕子(かわの・ゆうこ)自選相聞歌集『あかねさす』沖積舎1982年を読んだ。
たとへば君ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか
ブラウスの中まで明るき初夏の陽にけぶれるごときわが乳房あり
喪ひて再び返り来ぬものを瀑布のごとく昏れゆく坂よ
天体は予感のやふに光りつつ汝よゆきずりの一人とはせぬ
たつぷりと真水を抱きてしづもれる昏(くら)き器を近江と言へり
記憶しているので待ち伏せされたドッキリ感は乏しいけれど、ドキドキ感はある。
ネットの見聞。
《 女装図書館、御徒町(東京新聞4月20日)「「図書館」の名称には、静かな時間を過ごしてもらいたいというメッ
セージをこめた。これまでも「女装サロン」やクラブ・・・騒々しくて落ち着けるものではなかった。女装しない男
性は原則入場禁止、「禁酒、禁煙、禁欲」をルールにした。」》
《 国際関係論では、「管理できる危険」を「リス
ク」、「管理できない危険」を「デインジャー」と呼び分ける。「晴天型」の競争主義者は「負けるリスク」のこと
しか考えない。だから「デインジャー」については何も考えない。》
女と男……時々ドキドキ、ドッキリ、デインジャー。
4月19日(木) 夢の待ち伏せ
目覚める直前の夢。我が街がレトロな人懐こい街に変身していた。自宅前の大通りには軽便鉄道の蒸気機関車が一
両の客車をつないで(子どもが数人乗車)、走っていく。車輪はゴムタイヤと先端が丸くなっている杖のような真鍮
の棒。棒が路面電車の凹んだ線路にはまって滑っている。なんとも懐かしい風景。見聞したことは無論ないけど。懐
かしい未来に待ち伏せされた。
毎日新聞昨夕刊で高階秀爾がセザンヌ展にふれて書いている。
《 事実、絶え間なく変化する光と靄に包まれたイール・ド・フランスの風土が印象派の誕生をうながしたとすれば、
青く澄んだ空にくっきりとした山の稜線を見せる地中海世界は、明確な形態と不変の秩序を重んずる古典主義を育て
上げた。セザンヌが友人モネの眩いばかりの色彩に強く惹かれながら、その奥に確固としたボリュームと構成的秩序
を追い求めたのは、その古典的性格の故である。彼が描き出すのは、風景にせよ人物や静物にせよ、いずれもごく身
近な世界のものばかりだが、その平凡な対象が彼の徹底した探求によって鮮烈な輝きを放ち、日常性を超えた堂々た
る風格を獲得するにいたる。》
その下段の「そのほかのニュース」荻原魚雷から。将棋レディーによ
る将棋恋愛格言講座。
《 「メール交換、5日は空けよ」(角交換に五筋は突くな)
「アラフォーの高望み、不倫の餌食」(桂馬の高飛び歩の餌食)》
北海道立旭川美術館の学芸課長が午前十時に来館。牧村慶子さんと味戸ケイコさんの絵をじっくり鑑賞される。白
砂勝敏氏の木彫椅子に深く関心を向けられる。午後来館された年配のご婦人に北村薫『詩歌の待ち伏せ・上』文藝春
秋2002年初版帯付を贈呈。
ネットの見聞。
《 いつのまにか、「太陽光促進付加金」という名前の税金が電力料金に加算されていた。口座引き落としの利用者
だと気がつきにくいかもしれない。こういうことは、国はやることが素早い。》
ネットの拾いもの。
《 今晩は新しく購入した布団を敷いた。これまでのやつはいわゆる煎餅蒲団、それも、駄菓子屋のソース煎餅ほど
のヘラヘラだった。
新しい布団、実にふっくらとして、弾力もあり、今川焼のよう。》
たい焼きもありそうだな。
4月18日(水) 詩歌の待ち伏せ・上
昨日話題にあげた清住緑地の講演会資料の古い地図に、今は更地の遊郭があった。朝コンビニに寄って都筑道夫『
都筑道夫コレクション 七十五羽の烏』光文社文庫2003年初版の514-515頁をコピー。「三島で見た大正期の女郎屋
……」で、515頁には山藤章二の「三島清住町 村岡荘」の絵。小学生の時は、そこに住んでいた同級生を訪ねて入っ
た。だっだ広い玄関だった。高校生になってからは周囲を見て廻った。へえ、四畳半かなあ。などど想像を巡らせた
。解体すると聞いて、玄関上のデカイ鬼瓦を欲しかったけど、置き場所を考えてあきらめた。廓の写真は、まだ目に
したことがない。
しばらくすると気づいてくるものがある。昨日話題の姫野カオルコ『受難』もそう。受難、すなわち受苦、受け身。
フランチェス子の生き方は哲学的観点からの深い思考実験へ思いを及ばせる。なんて書くとすっ飛んでる、と思われ
そうだが。頭の中に新たな視点が生まれそうな予感。予感で終わりそう、なんて言わない。そんな予感が、予兆とな
り、芽生え、いつか花が咲く……花咲か爺か? まあ、果報は寝て待て、だ。
ブックオフ長泉店で文庫本を四冊。垣谷美雨『竜巻ガール』双葉文庫2009年初版、北村薫『ニッポン硬貨の謎』創
元推理文庫2009年初版、同『鷺と雪』文春文庫2011年初版、ジル・チャーチル『眺めのいいヘマ』創元推理文庫2011
年初版、計420円。数日行かないうちにいろいろ入荷していた。『ニッポン硬貨の謎』は単行本で読んでいるけど、法
月綸太郎の「あらずもがなの解説」を読みたくで(言い訳じみてるなあ)。『眺めのいいヘマ』は、主婦探偵シリー
ズ十一作目。まだ続くという。十一作すべて、題名は小説のパロディ。今回のは言わずと知れたE・Mフォースター
の長篇『眺めのいい部屋』。といっても、本さえ持っていない。
北村薫『詩歌の待ち伏せ・上』文藝春秋2002年初版を読んだ。
《 『何となく』よくて、一日中でも、一年中でも、あるいは一生見ていられる絵、などというものに巡り合えたら、
こんな素晴らしいことはないでしょう。》「十一」
K美術館に展示している味戸ケイコさんも、牧村慶子さんも、そういう絵。鬱陶しくない。
《 作品に向かい合うのは、人間という鏡で、それが一枚一枚違っている。同じ像は結ばない。影がずれつつ重なり
合うことにより、作品はより深くなって行きます。》「十一」
《 西條八十もまた、功なり名とげながら、誰もがそうであるように何かを得られなかった人であるように思えまし
た。》「十九」
ネットの見聞。
《 政府の作戦は兵糧攻め。大飯原発現地を始めとしてどこも現地は定期的に入ってくる作業員が来ないので民宿も
飲食店も収入が途絶えて悲鳴を上げている。地元民自らが再稼動を懇願するように。この戦略は非情かつ効果的、伝
統的な分断作戦でもある。原発現地にベーシックインカム的な補助を暫時するべし。》
ネットの見つけもの。どこ。
《 大阪府交野市私市 かたのし(交野市)きさいち(私市) 》
4月17日(火) 受難
昨日はブックオフ函南店へ自転車で行く(漢字変換したら、辞典車に。どんな車じゃ)。河野多恵子『臍の緒は妙
薬』新潮社2007年初版函帯付、北村薫『詩歌の待ち伏せ・上』文藝春秋2002年初版帯付、桶谷秀昭『昭和精神史』文
春文庫2005年2刷、計315円。『詩歌の待ち伏せ・上』は贈呈用。既読の気がするけど、以前買った本は読んだ形跡が
ない。『昭和精神史』は、以前知人に贈ったけど、再読したくなった。
昨晩は清住緑地愛護会の総会へ。総会後の講演がじつに興味深かった。三島市と清水町にまたがる(古くは伊豆の
国と駿河の国にまたがる)清住緑地は戦国時代には、北条、今川、武田、上杉そして徳川が、順繰りに占有していた。
さらに古くは、富士山麓から御殿場泥流がここまで流れてきた。崖に痕跡。また、南の伊豆天城山からは火砕流がこ
こまで及んでいる。白い細石がある。地質と歴史の面白さを堪能。
毎日新聞昨夕刊コラム「近時片々」から。
《 「再稼働」めぐり、何かときぜわしく。たとえば、松本清張の名作タイトルだけを拝借してこんな短篇は。
「ゼロの焦点」。原発ゼロ回避を焦点に急いできたが。一瞬ゼロなる新語も登場。
「点と線」。電源の町と消費の都会と。虚栄の都会はそれを結ぶ送電線も町の存在も忘れ。
「砂の器」。波にさらわれた安全神話。消え去ったはずが、寄せては返し、また寄せて。
「半生の記」改題「反省の記」。現実味なく、原子力ムラでは空想科学小説の扱い。》
姫野カオルコ『受難』文春文庫2002年初版を読んだ。『不倫(レンタル)』の変奏曲ともいえる。『不倫』が一人
称にたいし、『受難』は三人称。主人公は修道院育ちの三十路の処女、フランチェス子。
《 フランチェス子は美術館にあるような石膏彫刻に似た顔立ちをしていたが、石膏さながら、すべての男に石の物
体のように映るのである。》「第二章──小夜曲」
なのに、周囲の男性はこんな評。
《 「チンチンが懺悔しはじめる」 》「第二章──小夜曲」
脱力させるこの一文、米原万里も解説で取り上げている。
《 修道院育ちのフランチェス子は、在宅プログラマーとして、ひっそりと質素な生活をおくっている。彼女には「
男性をひきつけるものがまったく欠落していて」男たちは彼女がそばにくるとやたら冷静な気分になって、「チンチ
ンが懺悔しはじめる」。》
そんな彼女のアソコに人面瘡が取り憑いたから、さあタイヘン。解説から。
《 恐ろしく口がたっしゃで意地悪な人面瘡は日夜彼女を罵倒する。「おまえは羊にも劣る、蒟蒻にも劣る、南極2
号にも劣る」……要するに女として無価値であると。》
《 人面瘡と繰り広げる、どつき漫才のようなやりとりが、可笑しくて可笑しくてケタケタケタケタその場で笑い続
けたのだった。》
《 オチにホロリとさせられた。》
《 それにしても、なんて不思議な読後感。放送禁止用語とパロディが悪ノリと思えるほど溢れかえる文面なのに、
いつのまにか著者のかなり生真面目な哲学的とでも評すべき問題意識に引きずりこまれている自分がいる。》
そのとおり。なんか引用ですべて語ってしまったような。だけじゃしょうがないから。人面瘡といえば谷崎潤一郎を
連想するが、香山滋の初期の哀切極まる短篇『月ぞ悪魔』を再読。『受難』はこの裏返しのような……気はしないな。
それにしても、姫野カオルコに興味のある人が周囲にいない……。
4月16日(月) 休館日/不倫(レンタル)・続
姫野カオルコは『不倫(レンタル)』角川文庫の「文庫版あとがき」で書いている。
《 処女が主人公だからといって、成長(成熟)するとは、性的体験の増加を指さない。成熟するとは、笑いの種類
の数が増加することである。》
《 二十四時間、本当に一分、一秒、すべてこの作品を書くためにのみ暮らしていた。》
解説は斉藤美奈子。
《 『不倫(レンタル)』は非常に批評性の高い作品でもあるのです。》
同感。
《 終始一貫、単刀直入でありたいと考える力石理気子は、私たちが「恋愛」と呼んでいるものの陳腐さを、みごと
にあぶりだしてくれます。》
《 結婚と恋愛はスカーフとチョコレートのように別ジャンルだと考える彼女にとって、セックスと生活を切り離せ
る不倫は便利な制度です。》
《 『不倫(レンタル)』は、発表当時、じつはあまり話題になりませんでした。こんなにおもしろいのにです。過
剰な知的サービスが、姫野カオルコの場合は裏目に出てきたかもしれません。(引用者:略)あ、それでも、わかん
ない人にはわかんなかったかな? 》
姫野カオルコは15日のブログに書いている。一人
称小説『不倫(レンタル)』にも通じる。
《 また、一人称小説が陥りやすい失敗に客観性の欠如がある。(引用者:略)
小説なのだから主観ではあるのだが、その主観を作品に織り込むには非情な客観を要するのである。
たとえば森に菫が咲いていたとする。「まあ、美しい菫」と中学生文芸部員の日記なら綴ってもよいが、菫が美し
い+美しいと自分が感じた+感じている自分、この三点にカメラが置かれなければプロの小説ではない。「まあ、美
しい菫」と思う「わたし」と、なのにその「わたし」の鼻は団子鼻だと恥じている「わたし」を、さらに「わたし」
はカメラを操作して撮らねばならない。
この客観、つまり「カメラを寄せて&カメラを引いて」の駆使にこそ、ウィットやユーモアや、爆笑冷笑微笑といっ
た、人類だけが持ち合わせている感受性を織り込め得るのである。この織り込みをするのに、一人称小説はきわめて
困難な形態である。》
この困難な作業の成功事例が、『不倫(レンタル)』だ。
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