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『雑記』 1996年 「勝間田哲朗『錯綜する迷宮銀河の考古学』」
『雑記』 1998年 「上條陽子の転回」 「切断と積層が 生む新世界─上條陽子の新作群について─」 「呉一騏 水墨画の新次元」
『雑記』 1999年 「安藤信哉・自在への架橋」  「呉一騏 水墨画の21世紀へ」 「深沢幸雄・人間存在への深い眼差し」
『雑記』 2000年 「内田公雄の絵画世界」  「水墨の原理・易経の哲理」
『雑記』 2001年 坂東壮一手彩色銅板画集「仮面の肖像」
『雑記』 2002年 「坂部隆芳『山王曼荼羅図』」  「ヴァンジの彫刻について」  「記憶の塔ー上條陽子の箱」
           「蒼天の漆黒 内田公雄『2002 W−8』」    「久原大河 『才難は、この若者に降りかかった』」
『雑記』 2005年 「世紀を越えて−大矢雅章と佐竹邦子」   「生動力と構造力 佐竹邦子作品への視点」
『雑記』 2006年 「佐竹邦子の21世紀的展開」
『雑記』 2007年 張得蒂「尊敬すべき人生追及──日本三島市K美術館及び館長越沼正先生に ついて」



『悠閑亭日録』Diary2012年

気になる展覧会

 戸谷成雄展  ユベール・ロベール展  セザンヌ展

3月31日(土) 絵のある人生
 4月3日(火)休館します

 嵐のお昼。それでもお客さんは車で来る。ありがたい。

 安野光雅『絵のある人生 ─見る楽しみ、描く喜び─』岩波新書2003年を読んだ。首肯できる箇所から。

《 国策として科学的発見を願う時代に、「美」などは迂遠なことのように思われ、直接コンピューターの教育を徹 底すれば足りる、と考えられているようですが、わたしにはそうは思えません。》9頁

《 「きれい」というのは「汚い」の反対語ですが、「美しい」というのは醜悪な部分までも含んでいます。》9頁

《 「作者はこう考えているのだとわたしは思う」という憶測はいいのですが、「作者はこう考えているのだ」とき めつけるのは、いけないと思います。》18頁

《 このバランス感覚は、構図法とか色彩論などといった規則はなく、頼るのは自分のセンスです。(引用者:略) それは熟慮というほど手間のかかるものではなく、瞬時に頭をよぎる感覚です。》44頁

《 英語では、制約のもとに描く場合をイラストレーション、自由に描く場合を、ファインアートと、分けて考えて います。》66頁

 この区別は知らなかった。

《 線は対象に対し、それを認識したことの証として人間が取捨抽象して描いたものです。》78頁

《 つまり、デッサンの線は思考の痕跡です。だから一義的に、もっともオリジナリティの高い作品と認められます。 》78頁

 ネットのうなずき。

《 日本は、その人の本質・能力・人間性などから量られる可能性よりも、肩書で量られる。つまり、中身よりもパッ ケージ…包装が重要視される。》


3月30日(金) 星と月は天の穴
 4月3日(火)休館します

 吉行淳之介『星と月は天の穴』講談社1970年新装初版を読んだ。四十歳、離婚歴のある独身小説家の前に現れた女 子大生との「情事」から引き起こされる日常の波紋。情事なのだ。セックスではない。情事。場面は胸の愛撫の描写 だけ。帯の文。

《 濃密な人間関係の裡にひそむ愛の構造と性の秘奥を、新鮮なイメージと、犀利な分析で見事に描く長篇。》

 官能小説とは違って、ごく普通の静かな日常で起こりそうな出来事。その何気ない気配が、じつは意外に深い。重 要なことに気づかないで読了する恐れを感じた。講談社文庫、川村二郎の解説から。

《 ポルノグラフィックな興味ももちろんこの話の中にはまじりこんでくる。それが全体として、ポルノグラフィッ クどころか、陰湿でも暗鬱でもないのは、ごく一般的な言い方で、文体の功績だが、この明晰かつ繊細な文体の中に 生き、同時にこの文体を生かしているのが、本質的な意味での作者の精神である。》

 ネットの見聞。

《 これからはそっち方面への洗練はやめにして、もっと荒削りで腹の中心に響いてくるようなものを模索しようと 思う。》


3月29日(木) おもたせ暦(ごよみ)
 昨夕帰りがけにブックオフ長泉店で二冊。安野光雅『絵のある人生 ─見る楽しみ、描く喜び─』岩波新書2003年 初版、平松洋子『おもたせ暦』新潮文庫2010年初版、計210円。後者は友だちの探求依頼本。手渡す前に読んでみた。

 「おもたせ」という言葉を知らなかった。友だちは知っていて当然のふう。無知をさらした。

《 いただいたものを、その場で開ける。いただいた側が、その場でふるまう── (引用者:略)おもたせは、い ただいた側の言葉である。》「おもたせ暦」

《 かたちのない気持ちをかたちあるものに託して伝えようとする、ひとの心持ちのなんとやわらかいことか。》

《 差し上げたほうも、いただいたほうも、いっしょにしあわせな気持ちに浸れたら。》

 お遣いものにしたくなる食品が紹介されている。羊羹、草だんご、奈良漬、酒粕、中国おこわ、コロッケサンド、 梅干し、バラすし、ちりめんじゃこ、マカロン、レアチーズケーキ、などなど。紹介されている店で行ったことのあ るのは二軒の洋菓子店、東京赤坂の「しろたえ」と神田神保町の柏水堂だけ。どちらも三十年あまり前に行ったきり。 「しろたえ」では著者と同じ、「レアチーズケーキ」を賞味した。先進的なトイレに感心した記憶。

 画家福山知佐子のブ ログから。

《 誰も無料奉仕したくないのは当然だ。自分がクリエイティブな人間だと言うなら、独りで、誰にも甘えないで、 誰にも見てもらえなくても、誰にも評価されなくてもやるべきだ。》

 ネットの見聞。

《  化粧する時間がない……でもドすっぴんで行くわけにはいかない……。》


3月28日(水) 書感・リセット・続き
 書評という言葉にたいして書感という言葉を知る。徒然なるままに拙文を上げているのは、まさしく書感だ。

 北村薫『リセット』、「第二部」は、子ども時代に重なって、思い出が鮮やかに蘇った。

《 外に出ると銀玉鉄砲。粘土を固めた銀色の玉が飛び出す。これで撃ち合いをした。》

《 危ないからいけないといわれたのが、2B弾。鉛筆より一回り細くて短い、棒状の爆薬だ。先端をマッチで擦ると 火が点く。五つぐらい数えると、《ボン!》と爆発する。》

 あった、あった。この二つは思いっきりよく遊んだ。

《 「百円分集めると、ミゼットトランプが貰えるんです」 》

 引き出しにしまってあるこの小さなトランプ、名前があったとは知らなかった。27×19×17ミリほどの、キーホルダ ーの付いたプラスチック容器の上蓋には大きい字のG、その下に glico の文字。 53枚のトランプ。小さい。

《 当時、切手を集めるのが流行っていた。》

 手元にある外国切手、当時は国名を読めなかった。 MADAGASCAR, MAURITANIE, MALAYSIA, CESKOSLOVESKO, TURKIYE, AUSTRALIA, NEDERLAND, U.S., 中華民国, PHILIPPINES, MALTA, SUOMI, MALI, 中華人民, CCCP, etc.。

《 この頃、大きな版の『ドリトル先生物語全集』が出始めた。》

 高校生の時、全12巻のこの本を、有り金はたいて購入。本棚に今もある。

 ネットの見聞。

《 宮崎駿  作品ってこういうもんですって、とうとうと述べられると嫌だよね。もうちょっと混沌としてる部分を持 ってるから。持ってるでしょう? 1人の人間ってそうですよ。》

 ネットの拾いもの。

《 では寝る。明日は燃えるゴミの日。収集車が来る前に起きられますように……。》


3月27日(火) リセット
 北村薫『リセット』新潮社2001年初版を読んだ。『スキップ』『ターン』に続く時間と人を巡る三部作の第三作目。 『スキップ』は二十五年後へのタイムスリップ、『ターン』は臨死体験(並行世界)そして『リセット』は輪廻転生が テーマ。

 戦時中、昭和三十年代前半そして現在、と三つの時代に出会った男女の不思議な巡りあわせ〜純愛に貫かれた輪廻転 生の二人。 第一部の戦時中の話は、ただ読んだけだった。リリアン・ハーヴェイ歌う「唯一度だけ」(映画『会議は 踊る』より)を聴く場面では、CDでそれを参考に聴く。

 第二部、もはや戦後ではないといった頃から俄然面白くなった。

《 中学三年の秋に、東京オリンピックがあった。》「第三部」

 私と同世代だ。以下の文には激しく同感。

《 テレビが日常的なものになる前の、映像の魅力というのは、実に大きなものだった。》「第二部」

《 寒さも暑さも、その他いろいろなことも、昔はまず我慢するのが当たり前だった。》「第二部」

 泡坂妻夫の本格ミステリ小説『妖女のねむり』1983年、辻真先のSF小説『時の回廊 昭和は遠くなりにけり』 1999年を連想。輪廻転生がテーマのニ作。どちらもヒネリ〜ツイストが効いている。

 ネットの見聞。

《 つまりいま使ってる電気も原子力ゼロということか。気分いい地産地消。》

《 研究者は「わからない」ことを「わからない」と述べなければならないが,実務家は「わからない」ことにも「答 え」を出さなければならない。これが研究者と実務家の違いのひとつである。》


3月26日(月) 休館日
 昨夕帰りがけにブックオフ長泉店で三冊。ジョン・デジクスン・カー『死が二人をわかつまで』国書刊行会1996年2 刷帯付、佐藤泰志『移動動物園』小学館文庫2011年初版、別役実『淋しいおさかな』PHP文庫2006年初版、計315円。 『移動動物園』の解説で岡崎武志が書いている。

《 「空の青み」は、外国人が住むマンションの管理人を描く、という点では、その設定に村上春樹的世界と共通点が あるが、主人公が詰まった便器に素手で手を突っ込むシーンは、村上には絶対書けなかった。村上春樹的世界の住人は 手を汚さない。共通点を持ちながら、別の道を歩んだ村上を並べてみると、佐藤泰志の世界が際立って見えてくる。》

 この解説で、村上春樹の小説に常に付きまとう拭いようのない違和感の原因にやっと気づいた。

《 ジャズに置き換えるなら村上がスタン・ゲッツ、佐藤は「空の青み」に名が見えるセロニアス・モンクか。》

 とも岡崎は書いている。スタン・ゲッツのリーダー・アルバムは一枚も持っていないが、セロニアス・モンクは十枚 ほど持っている。「空の青み」、バタイユの作品を読みたくなった。読みたくなった、とえば、昨日の毎日新聞、読書 欄、佐々木睦『漢字の魔力──漢字の国のアリス』講談社選書メチエへの藤森照信の評を読んで、 中島敦の短篇『文字禍』を連想。 

《  漢字について、言霊の住人と字霊の国の住人では、根本的なところで違うらしい。字霊の国では、字は情報ではな く実体にほかならない。字のないものは実体もなく、字が誤っていれば実体も嘘(うそ)を含む。優れた中国文学者の 井波律子は、中国の文化を考えるとき、「中国人にとって名前は符牒(ふちょう)ではない、実体なのだと私はいつも 自分に言い聞かせる」そうだが、言霊の国の住人にはそこんところがなかなか理解出来ない。》


3月25日(日)ターン
 昨夜は白砂勝敏氏の車に同乗、富士市のカ−ポス工作所の「それぞれの 書架」展の集まりへ初参加。ユニークな展示品を鑑賞し、歓談。帰宅は午前様。

 朝、石巻から来た人たち(子ども多数)を源兵衛川へ案内。途中、伊豆箱根鉄道駿豆線際では電車の写真を撮る撮り テツの子ども。川へ入って魚取り。後は任せて美術館へ。

 北村薫『ターン』新潮社1997年初刊1997年5刷を読んだ。二十九歳の銅版画家を志す独身女性が交通事故に遭い、誰 一人いない世界へ投げ出されてしまう。見慣れた風景なのに、つい今しがたまで人がいた痕跡があるのに、人をはじめ 生きているものは何もない。そして午後三時半になると、一日前の世界に戻って(ターン)しまう。その繰り返しの世 界。絶望的な世界で生きていて、あるとき偶然に実世界と電話がつながる。それも肉親ではなく、赤の他人の一人の男 性だけに通じる電話。

《 「会ってるじゃないか」
   そういわれて、一瞬、震えた。泉さんは続けた。
  「面と向かったって、会ってない人たちはいくらでもいるよ」》「第八章」

 まさしく命の電話だ。最後の一頁、恩田陸の『夢違ひ』を連想。こちらも女性がどこかへいってしまい、男性が待つ。 待つのは男かあ。

 ネットの見聞。

《 東武鉄道では業平橋駅がとうきょうスカイツリー駅に改名されました。これについては賛否両論があるようですが、 合わせて一部の下り特急列車と全ての上り特急列車がとうきょうスカイツリー駅に停車するようになりました。ところ が全ての快速と区間快速はとうきょうスカイツリー駅を相変わらず通過するのです! 》


3月24日(土) スキップ
 昨日の雨が上がって、春の陽気。遠方の友だちの誕生日なのでメールする。すぐに返事。

《 ありがとうございます。今 娘の結婚式 式場に 向かうタクシーの中です 》

 なんと目出度い。結婚式というと、東野圭吾の『秘密』を思い浮かべる。泣かせる話だ。昨晩はグラウンドワーク三 島の職員の送別会だった。それぞれの旅立ちに感慨一入。

 北村薫『スキップ』新潮社1995年初版を読んだ。十七歳の女子高生が突然、二十五年後の自分の体にタイムスリップ してしまう話。四十二歳の肉体に十七歳の心が入ってしまう。四十二歳の彼女は高校の先生。娘は高校生。高校生の心 が、中堅の先生の役をこなさねばならない。これはタイヘン。二十五年後の世界は激変していた。浦島太郎気分だ。な んて言ってられない。

《 いやはや、進歩というのは、凄まじくも素晴らしく、見事でもあり、また人を置いてけぼりにするものである。》 「第六章」

 高校教師の夫と娘の協力で、高校の先生役をなんとかこなしてゆく主人公。ハラハラドキドキの連続。高校生活を活 写した青春小説とも言える。

 東野圭吾の『秘密』1999年に先行した構図だ。『秘密』は、母子が交通事故に遭い、母は死に、助かった娘の肉体に 母の心が入ってしまう話。『スキップ』は女子高校生から中年女性に、『秘密』は母から子どもに。心と肉体=現実社 会との齟齬と葛藤と折り合い。どちらも状況は変わらぬままに結末を迎える。結末は真逆。

 ネットの見聞。

《 専門家でないからこそできることがある、より高い次元へ踏み込める、そう再確認できる展示だったと思う。》

 本の装幀の展示会。そんな作家を見出し、こう言える展示をしたい。

《 花森安治は言っていた。「買った人にオツリがきたと喜んでもらえる、それが親切な商品だ」 》

 島根県立美術館で催されている花森安治展、行きた いが、いかんせん遠い。


3月23日(金) 坂田明/オカン・アート
 毎日新聞昨夕刊、川崎浩「POPS こぼれっ話」は「今時のフリージャズ  過激続けて、坂田明」。アルトサッ クス奏者、67歳。

《 徹底して、「フリー」を吹きまくったアルバム「ちからもち 空を飛ぶ!」(キング)を発表し、度肝を抜かれた。》

《 フリージャズは、1950年代半ばから、オーネット・コールマンらが提唱し、60年代にピークを迎えたジャズのスタ イル。》

《 が、70年代半ばになると、一気に大衆音楽の表舞台から消え去った。「重・暗・難」に「騒」まで加わるのだから、 当然か。》

《 それから40年。坂田は、その灯を守り続け、盟友・山下洋輔や若き顔外の仲間と、ここに現代のフリーを提示して 見せたのだ。》

 坂田明のLPアルバム二枚を聴いた。『テノク・サカナ』1980年のキャッチコピー。

《 世紀のスーパー・スター " 坂田明 " がアナーキイ・ダブ・テクノに挑戦!! 》

 もう一枚は『サカタ・オーケストラ「ベルリン28」』1982年。ベルリンでの1981年のライヴ録音。当時と変わらな い印象。1970年代の山下洋輔トリオの時のほうが断然エキサイティングでスリリングだった。新作はどうだろう。

 画家福山知佐子さんの 発言にうなずく。

《 私は記号的なものは衝撃にならないと思う。》

 NHK総合、土曜日夜の番組『東京カワイイTV』の終わりに、視 聴者手作りの「Myカワイイ」が紹介 されている。「粘土で作ったイチゴタルト」「ハンドメイド 美・ママバッグ」「手作りスイーツデコ」「ソックラビッ ト(靴下で作ってある)」などなど。コレって、21世紀のオカン・アートだと思う。

 ネットの見聞。

《 東京スカイツリーのマスコットキャラは、「ソラカラちゃん」。》


3月22日(木) ダニエル・ダックス
 一昨日、椹木野衣氏がツイッターでダニエル・ダックスに触れていた。美貌の女性マルチプレイヤー、ダニエル・ダックス DANIELLE DAX の日本デビュー盤の二枚組LPアルバム『Up Amongst The Golden Spires 』1986年を久しぶりに聴いた。帯文から。

《 イギリスが生んだ異色の女性アーチスト、ダニエル・ダックス。密林に蠢く昆虫の如く、複雑に交差する「音霊」 が、我々の脳波に微妙な変化を引き起こす。彼女が日本向けに制作したコンピレーション・アルバム。》

 当時耳にしたときは拍子抜けした気分だった。パワフルで汗が飛び散り、グイグイ迫って来る演奏ばかり聴いていた から、彼女のコトコトした音作りに脱力した気分が残った。しかし、今聴くと、これがいい。私がオレが、と迫って来 ない歌と演奏。なかなかいい。

 ネットの見聞。

《 日本には戸籍制度があるにもかかわらず名字が何通りあるかはっきりしたデータがない。なぜなら「やまざき」と 「やまさき」や「斉藤」と「斎藤」を同じと考えるか別カウントにするかで変わってくるからだそう。》


3月21日(水) 東京暮らし
 気温は先月並みだけれど、陽射しが日増しに強くなって、コートが重く感じる。でも、まだ手放せない。手放して いいのは古本。だけど、不要本はまだ両手で足りる。美術館へ泡坂妻夫『奇術探偵 曽我佳城全集』講談社2000年2刷 を持ってくる。贈呈用。

 昨夕帰りがけにブックオフ長泉店で二冊。川本三郎『東京暮らし』潮出版社2008年初版、佐伯一麦『ノルゲ Morge 』 講談社2007年初版帯付、計210円。「美術館を歩いて町のなかへ」といったもくじに惹かれて『東京暮らし』を購入。 さっそく読んでみた。

《 ささやかな東京散歩になった。》「美術館を歩いて町のなかへ」

《 宵曲はあくまで作品を味わう人。鋭利に批評し、裁断する人ではない。》「柴田宵曲のいた時代」

《 『蕉門の人々』などは十分、評論になっているが本人は、これは研究でも考証でもない、ただ作品を通してその 人を知ろうとする一つの試みに過ぎないとあくまでも謙虚。》「柴田宵曲のいた時代」

 岩波文庫の『蕉門の人々』『古句を観る』は棚にある。来年の今頃読んでみたい。

《 自分の好きな世界のことだけを丁寧に書く。敬愛する文人のことだけを書く。自ずと文章に穏やかな品が生まれ る。》「柴田宵曲のいた時代」

 この本の印象だ。

《 新宿に出た折り、夕暮れ時、ビールが飲みたくなると、その食堂に入る。テレビの相撲中継など見ながら、冷や っこを肴にビールを飲む。都市生活の幸せなひとときである。》「大衆食堂」

 来年はこんなこともしてみたい。山間には住めないわ。

《 よく仏像は作るのではなく、すでに木のなかにあるものを彫り出すのだ、という。引用という行為はそれに似て いる。》「引用の楽しさ」

 引用するのは楽しい。今展示中の白砂勝敏氏の木彫椅子オブジェについていえば、これぞ「すでに木のなかにあるも のを彫り出」した作品だ。仏像の場合、円空仏などの少数を除いて、木は素材という印象が拭えない。が、白砂氏の木 彫は、木が無意識に望んでいるカタチに仕上げた、という印象を強く受ける。木を活かすとは、こういうことだ。実際 に手で触れてみて、多くの人が納得する。

 ネットの見つけもの。

《 フグの価格破壊がはじまりそうである。》

 お相伴にあずかったのは三昔も前。落ち着かず、賞味どころではなかった。楽しみ。

《 「聡明な女は料理がうまい」という本が80年代にベストセラーになりました(かれんママ著)。

  「顔と料理は比例する」という本を2012年に、どなたか出してみてはどうでしょう。

  この法則が真理なら、個人的にはぜひ、鳳蘭の料理、香里菜の料理、を食べてみたい。派手そうだ。》


3月20日(火) 春分の日
 昨日はブックオフ沼津南店で二冊。矢崎存美『キッチンぶたぶた』光文社文庫2010年初版、矢作俊彦『ロング・グ ッドバイ THE WRONG GOOD BYE 』角川文庫2007年初版、計210円。

 早朝五時過ぎ、キィー、ドカン。追突だ。窓を開けると、30メートルほど先、広小路の路肩に停まっている車の側 面に車がくっついている。現場から10メートル先の交番からおまわりさんが小走りに来る。あれまあ。おかげで寝そ けてしまった。

 こんな事故を起こしそうなので、私は車の免許を持ってない。ないといえば、女友だちから呆れられたけど、カッ プ麺を食べたことがない。即席麺はこの四十年縁がない。珍味のフォアグラやトリュフなんかも縁ががない。どんな 味なんだろう。

 開館前にグラウンドワーク三島主催の源兵衛川中流域の生態系を豊かにする手直し作業に参加。カワセミが二度、 上流へ飛んでゆく。ウグイスが鳴いている。いかにも春分の日の陽気。

 ネットの拾いもの。東京スカイツリーは高さ634メートル。そこに水族館ができるという。ならば。

《 水深634メートルの水槽を作る。これなら、深海魚を飼えるじゃないか。

  地上階が、634メートルの深海になるわけだから、

  スカイツリーに入場して、いきなり、深海魚たちがお迎えしてくれる。》

《 去年、阿修羅像を見て「あしゅらって、お口は三つあるけど、おしりの穴はひとつだから、たいへんだね」とい う名言を残した長女(8)は、先日、十一面観音像を見て絶句していた。》


3月19日(月) 休館日
 移転したテケテケを自転車で訪問。新鮮な店内。 いい雰囲気。午後はのんびり。


3月18日(日) 日本文学史早わかり・続き
 丸谷才一『日本文学史早わかり』の結びの部分。

《 実を言ふと、江戸がどれほど贅沢な時代だつたか、われわれにはまだよく判つてゐないのである。》

《 ただ、問題なのは、七部集時代以後に突入するとき、西洋十九世紀の刺戟があまりに強かつたため、徳川時代の 文明の思ひ出を大あわてで拭ひ取らうとしたことである。このことはわれわれの内部における江戸と西洋との断絶と なつて長く尾を引き、つまり、文明の過去と現在とは離ればなれになつてしまつた。》

《 籍(か)すに歳月をもつてするならば、江戸と西洋との断絶といふ悪条件はやがて解消し、われわれの文明はも うすこし落ちついたものになるかもしれない。》

 この本が出て三十年余、丸谷才一の期待したような昨今の江戸ブーム。

 「七部集時代以後」とは、「第五期 七部集時代以後 20世紀はじめ──?」をさす。しかしなあ。付表の年譜に は「第五期 七部集時代以前(宮廷文化の絶滅期)」となっている。第3刷でも直ってない。

 ネットの見聞。

《 ウッドストックどころじゃない。 1991年9月、ソ連8月クーデターの一か月後に、モスクワでこんなことが起き てたのか…すげぇ。》You Tube の画像「 Enter Sandman  Metallica 」5735万アクセス。


3月17日(土) 日本文学史早わかり
 雨なのでバス。

 丸谷才一『日本文学史早わかり』講談社1978年初刊1996年3刷を読みなおした。

《 かう見て来れば、勅撰和歌集といふ企てを成立させる要因のうち、最も重要な二つのものが取出されたことにな らう。すなはち、一方では君主に詩への関心を求める……土俗的な呪術性の残存。他方では先進国の文明への憧れ。 その二つのものが出会って、平然と合体してから約一世紀たつたとき、ニ十一代集といふ、他国には類のない詞華集 の系列がはじまつた。》35−36頁

《 勅撰集は宮廷の文化的な力を誇示するために編まれた。一応はさう言つて差支えない。しかし大事なのは、その 文化的な力がただちに政治的な力として働くといふ事情である。》36頁

《 漢詩は前代において俳諧以上に支配的な形式で、まして小説などまつたく問題にならなかつた。》61頁

《 詞華集ことに勅撰集に注目して日本文学史を書くことにはいろいろな利点がある。まづ、時代区分といふ厄介な ものがきれいに処理できるし、次に宮廷文化と文学との関係の移り変りが明らかになる。》175頁

 昨日の高橋睦郎『読みなおし日本文学史』は、『日本文学史早わかり』を受けて展開した日本文学史といえる。

 ネットのうなずき。

《 希望は自ら探す者にある。》


3月16日(金) 読みなおし日本文学史
 高橋睦郎『読みなおし日本文学史』岩波新書1998年初版を読んだ。

《 わが国の平安時代は女流文学の時代といわれる。しかし、女流文学をになった女性たちの実名は紫式部をはじめ、 ほとんどが不明のままだ。女流ばかりではない。あきらかに男性と思われる『竹取物語』『伊勢物語』『宇津保物語』 『落窪物語』の作者名もわからない。『土左物語』は紀貫之らしいが、本人が名乗っているわけではない。同じこと は『源氏物語』以後の物語群にもいえる。》5-6頁

《 わが国の文学史は、歌、連歌、俳諧を中心に、歌の運命の歴史、さらにはっきりいえば歌の漂泊の歴史、さすらい の歴史と捉えることができる。》7頁

《 歌の漂泊はどこから始まったか。大陸から先進文化の詩が入ってきた時からだ、と私は考えている。新来の歌はか らうたと意識され、それまでただうたと呼ばれていた歌はやまとうたとなった。かつて神のいた位置に人間の詩が坐り、 神の詩はかつての位置を追われてさすらわなければならなかった。》7頁

 この仮説から『古事記』『万葉集』に始まる日本文学史を読みなおしてゆく過程は、じつに大胆な卓説に満ち、しば し立ち止まってしまった。

《 もし世界文学の中で日本文学に何らかの特徴があるとしたら、この特殊事情と文学の当事者との関係に起因するは ずだ。とくに自分の権威付けに文学を利用しようとした帝王たちだ。》211頁

《 天武は『古事記』の撰上を下命するが、その中心が神、そして神に準ずる天皇・皇族の歌にあったという私の考え は、すでに述べたとおりだ。》212頁

《 持統天皇以下、天武系の女帝たちによって下命され、何次かにわたって拡大編集された『万葉集』が天武の意思の 拡大であることは、いうまでもない。212頁

 初見の言葉。

《 老働力 》

《 馬鹿 洞人 

  中国南部で見つかった石器時代の骨は、未知の人類のものかもしれない。》

 ネットの見聞。

《 灯油販売車です。18リットル1780円。勇気をだしてお待ち下さい」…勇気じゃなくて容器でした。》


旧日録 2012年 1月  2月  3月

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