生動力と構造力 佐竹邦子作品への視点


K美術館館長 越沼正


 佐竹邦子の作品は「ベニヤ板によるリトグラフ」という技法を知らなければ、一枚の絵画と思い込んで 観賞してしまう。それが版画作品と説明されても、その画面からは版画という先行するイメージからはほ ど遠い画面が、そこに立ちあらわれている。すなわち版画とか油彩画とか技法を云々する以前に、まず 一枚の絵画なのである。佐竹邦子の絵画は、観る人をして技法のことなど一気に忘却せしめ、この現実 世界とは全く異なった絵画の時空へ拐ってしまうのである。なぜか。それが優れた美術作品だからであ る。反有用の極みである無用のそれは、現実生活にあっては壁ふさぎ以外には何の使用価値も見出せ ないものである。けれども、いったんその絵画を目の当たりにすると、有用無用の論議はすっ飛んでしまい、 ただその異次元のような絵画世界に目を奪われる。そこにあるのは眼の開放である。視界は急速に広ま り、深度が急に深まる。それがあまりに急なので、人は焦点が合わない。合わないけれども、視野の拡大 という予想外の経験に驚く。あるいは戸惑う。そこに拡けてくる、眼の経験値から外れた視覚が聴覚・触覚 と三位一体となって、全く新しい超視覚・超聴覚・超触覚の感覚体験が、清冽な泉のごとくに鮮烈に湧き出 してくる。
 眼は未開の状態にあるのではない。眼は未発達−いまだ発達途上にある。その眼−視覚が、佐竹邦子 の作品によって新たに起動し、聴覚・触覚と相互に連動し、組合わさり、それまでには無かった超視覚・超聴 覚・超触覚の三位一体の知覚体験を呼び起こす。それは静かな感動ではなく、生き生きと生動する情動−感 動体験である。
 それはどこに起因するのか。当然ではあるが、その絵画である。絵の具の定着した不動の絵画が、観る 人の眠れる感覚を目覚めさせるのである。新たに芽生えた感覚は既成の経験値を超えて分離−統合−組織 化を始める。視覚は視界の稜線を引き直す。聴覚は日常の音像を生体の細やかな音像に移調する。触覚は 単線的な強弱から複合的な微動へと移動する。視覚聴覚触覚が、あたかも知情意、心技体のそれぞれから 転位したかのような複雑にして精妙な波動を生み出してゆく。この波動こそ、佐竹邦子が、手と絵筆による 直接的な筆触表現描写では得られない、「版画」という独特の表現技法によってついに獲得した地平である。
 それは佐竹邦子が、自我の識閾下に潜む無意識の深海から汲み上げてきた無像の生を「版」と対峙させ、 表現における絶対的な隔絶(版=間接表現)を超越する過程(下絵〜印刷)で、表現形成への生動力と、「 版」特有の「隔たりの君臨」による認識の構造力とが高度に統合された独創的表現力を獲得し、紙の平面上に 美しく定着させたもの(版画=絵画)である。
 そこには眼の鍛錬のみならず、聴覚と触覚の鍛えられた経験値を「版」の技法によって統合する佐竹邦子 独自の結合の力が下支えしている。セザンヌの苦闘、マチスの探求、ポロックの試行等、二十世紀の先達の 地平に佐竹邦子は出現した。彼女がその地平からどこへ向かうかは不明だが、彼女の生み出す平面作品は、 二十世紀絵画の地平と稜線を超えて行くことだけは確かなことのように思える。

(2005年5月19日)

佐竹邦子 略歴
1970年神奈川県に生まれる
1997年多摩美術大学大学院(版画科)卒業
2000年版画協会賞受賞、日本現代美術展、神奈川県美術展で受賞
以降トーキョーワンダーウォール2003ワンダーウォール賞、ふくみつ棟方記念大賞など受賞