上條陽子の転回−玄黄から天地へ
K美術館館長 越沼正
上條陽子さんは「玄黄」すなわち黒い天と黄色い大地、その間にいる人間をテーマにした『玄黄(兆)』によって、
女性初の安井賞を一九七八年に受賞した。その玄黄シリーズは、前後十年ほど描き続けられたと言う。それらの油彩画
の特徴は「人は何処から来て何処へ行くのか」といった深い問いかけが、日常から遥かに離れた幻視の果ての世界で展
開されているとでも言えようか。それは哲学的思弁による思考ではなく、幻想の力を絵筆に託して描き出すところから
発想する神話的世界像である。天地ではなく、玄黄という言葉を彼女が選んだ時からその描かれた世界像は、地上の日
常世界から掛け離れていることが約束されていたと言えよう。その純然たる想像世界像を描いていた画家は、八六年の
脳切開手術を経てからの油彩画では、それまでの痕跡を殆ど残さないまでに変貌している。それは天地が引っくり返っ
たような違いである。そう、まさに玄黄から天地へ逆転したのである。玄黄ということばに象徴される、日常から掛け離
れた幻想世界から、天地の間に呻吟する日常の人間へ。この辺の転回について、彼女は彼岸から此岸へといった簡単な説
明をしているが、私は、それは実に大変な事だったと考える。玄黄といった幻想世界が、この地上の脳切開手術という暴
力的な力によって木っ端微塵に吹き飛ばされたのである。手術の生死を跨ぐ苦痛と恐怖と苦悩が、玄黄という観念を、そ
れがただの観念つまりは自らの現実の生命とは全く関わらない所から来ていたことを思い知ったのである。玄黄、それは
自らが現実に生きている日常とは全く無縁な内面世界の閉鎖的自己の中で自足していた観念世界だったのである。玄黄は、
天地の間に横たわる日常の苦痛と恐怖によって食いちぎられた。そして、血を滴らせながら現れて来たものは、まさしく
生きていることの苦痛と恐怖におののく生身の自分の姿であった。それを直視することで、彼女の玄黄の想像世界は、現
実に食いちぎられることにより、逆に現実の日常へ深く食い込み。そのひりひりと痛む感覚から立ち上がり再生を始めた。
すなわち、玄黄のテーマは神話的世界から地上へと転生したのである。『玄黄(兆)』に見られる魂の震えとしての人体
の歪みは、手術後の作品では、人体の痛みの震えとして先ず描かれ、それから魂の震えへと、見る者を導く。彼岸の世
界の魂を描いていた彼女は、此岸の世界において生きていることを描きだした。それまで、目を閉じて自らの内面世界を
描いていた画家は、手術後は目をかっと見開き、自らの肉体を見つめ、そこに立ち現れる肉体の震えから「私は何処か
ら来て何処へ行くのか」の探求を始めた。それは具体的には「生きているとは」という問いかけであり、そして、生きて
いることは動くことであり、その凝縮されたかたちを、踊り=ダンスに彼女は見いだす。
(1998年6月3日)