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「安藤信哉(のぶや)・自在への架橋」


K美術館館長 越沼正


 安藤信哉氏は、1983年元旦、85歳で亡くなる少し前までデッサン(素描)に励んでいました。画家たる 者はまず描く対象をしっかりと見据え、その対象を自らの眼と手で画面にきっちりと再構成(描写)することだ という基本を守り通した人でした。1920年代、20代の安藤青年はいくつかの美術研究所へ通い、西洋アカ デミズムを学び、深く習熟しました。デッサン、油彩画に卓抜した技を発揮し、戦前の美術展(帝展文展など) に入選特選を果たしました。戦後はいくつかの団体に所属し、日展の審査員、評議員、参与を務めました。また、 聾唖学校の美術教育に生涯携わり、その功績によりヘレン・ケラー賞を受けました。

 戦後、海外から新しい美術思潮と美術作品が、堰を切ったように日本へ押し寄せました。モダンアートの耀け る画家たちのなかで、ゼザンヌ、マチス、ゴーギャン等から氏は多くを学んだようです。安藤氏は西欧先達の苦闘 の果ての成果と識見をその視野に収めつつ、自らの描くべきことをしっかりと掘り下げ、探求してゆきました。そ の画面では、描くということに対する根源的な思索と鍛錬の成果が、揺るぎのない筆触と、確固たる対象描写から 成る骨太の絵画構造に、見事に投影されています。

 描くことへの真摯な内省と試行の径庭を経て、氏は描く対象の形態と色調が自らに呼び起こす感興と興趣を、画 面上にそのままに移す(描く)という独自の方法を開拓し、その表現技法を深めてゆきました。その表現は油彩画 から水彩画、墨絵へと広がってゆきました。

 多くの画家たちがする、頭でアーダコーダと思い巡らせ、考えながら絵筆を動かす(描く)のとは逆に、安藤氏 の場合は自らの眼の直観的認識から手への直接的伝達によって、絵筆が画面上を直截的に進んでゆきます。自らの 心深く覚えた感動をそのままに、手が絵筆を持ち、絵筆が自在に動いてゆき、それが一枚の絵に成ってゆく。それは、 対象把握、対象描写に習熟し、常に鍛錬と内省を怠らない氏をして初めて可能ならしめた「観自在」(解釈に固定さ れる手前の瑞々しい可能性の状態で対象を丸ごと把握し、自らの生の律動にそって再構成する)な絵でした。絵画に 人間の「自由」を表現し、確立しようと苦闘した西欧の先達に対し、安藤氏は確固たる対象把握、対象構成の基礎の 上に「観自在」という孤高の表現技法を駆使することにより、「自在的自由」「融通無碍」ともいうべき未到の日本 的絵画表現を達成しました。西洋アカデミズムの習得から出発した安藤信哉氏は、絵画世界に西欧的「自由」の構造 から日本的「自在」の構造へ至る一本の強固な橋を構築したのでした。

 晩成したその絵画では、対象は対象としてそこに確固として在りながら、そのかたちと色調は解釈に固定される手 前の、瑞々しい感興のままに見事に引き出され、自在に再構成されています。観る人は、肩の力を抜くことにより、 その画面上を往還している自在な流れ、自在な気配に、いつしか心の風通しが良くなっていることに気づかれるでしょ う。


略歴

1897年 千葉県に生まれる
1937年 第2回文展、特選
1939年 文展、無鑑査出品
1951年 日本水彩画会会員になる
1957年 日展審査員に就任
   同年 東京教育大教授に就任、聾唖者の美術教育に力を注ぐ
1968年 日展評議員に就任
1974年 日展参与に就任
   同年 ヘレンケラー賞を受ける
1983年 没(享年85歳)

2011年 遺族からK美術館へ寄贈された絵画等を収録した画集を、K美術館から刊行
      A4版72頁、オールカラー、250部限定。1500円。