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『雑記』 1996年 「勝間田哲朗『錯綜する迷宮銀河の考古学』」
『雑記』 1998年 「上條陽子の転回」 「切断と積層が 生む新世界─上條陽子の新作群について─」 「呉一騏 水墨画の新次元」
『雑記』 1999年 「安藤信哉・自在への架橋」  「呉一騏 水墨画の21世紀へ」 「深沢幸雄・人間存在への深い眼差し」
『雑記』 2000年 「内田公雄の絵画世界」  「水墨の原理・易経の哲理」
『雑記』 2001年 坂東壮一手彩色銅板画集「仮面の肖像」
『雑記』 2002年 「坂部隆芳『山王曼荼羅図』」  「ヴァンジの彫刻について」  「記憶の塔ー上條陽子の箱」
           「蒼天の漆黒 内田公雄『2002 W−8』」    「久原大河 『才難は、この若者に降りかかった』」
『雑記』 2005年 「世紀を越えて−大矢雅章と佐竹邦子」   「生動力と構造力 佐竹邦子作品への視点」
『雑記』 2006年 「佐竹邦子の21世紀的展開」
『雑記』 2007年 張得蒂「尊敬すべき人生追及──日本三島市K美術館及び館長越沼正先生に ついて」



『悠閑亭日録』Diary2012年

気になる展覧会

  今和次郎 採集講義展   藤牧義夫展   戸谷成雄展  ユベール・ロベール展

3月15日(木) 白砂勝敏展初日
 今回は、平面(床)展示から立ち上がって立体展示 になった。変化は一目瞭然。深く彫琢された椅子は、昨日早々と来館された方が述べたように、彫刻オブジェの風貌が 明確に現れた。台座に設置されることで、有用の椅子という眼の桎梏から解放されて、木彫作品として理解されるよう になった。また、道具置きとして制作されたものが、じつは最高に興味深い木彫作品だ、ということを、作者白砂勝敏 氏も気づかなかったのが、面白い。その周囲を巡って「言われてみれば、そうですね〜」と彼。今回の眼玉は、新たな 展開を予感させるこの70余センチ高の『龍脈』だ。無用の芸術ではなく、有用かつ芸術。眼で驚き、手で触れて楽し む。工芸とは一味違う作品は、眼の袋小路へ入ったような現代美術の別流へのひらめきになる気がする。

 この冬もそうだったけど、鍋料理はろくにしなかった。こんな鍋はどうだろう。

《 『 仁義なき戦い鍋』

  粗削りな味だけど、食べるとやたら全身がカッカと熱くなって、血の気が多くなる。

  「替え玉、あるかな?」

  「山盛りさ、玉はまだ残っているがよおっ」

  と家族の会話も弾む! 弾!

  『蛇蝎のごとく鍋』

  教養の高そうな家族に、向田邦子ワールドにひたってもらう。

  鍋を囲んでいるけど、家族みんながギスギスシして、空気がとんがって。》


3月14日(水) だましてください言葉やさしく
 昨夕帰りがけに二冊。川瀬七緒『よろずのことに気をつけよ』講談社2011年初版帯付、永瀬清子詞歌集『だましてく ださい言葉やさしく』童話屋2008年初版帯付、計210円。

 永瀬清子『だましてください 言葉やさしく』童話屋をさっそく読んだ。平伏。目から鱗が落ちた。「私が豆の煮方 を」という詩の冒頭。

《 私が豆の煮方を工夫しこげつきにあわてているひまに/あなたは人間の不条理についてお考えです 》

 「有事」の冒頭。

《 戦争が来たらと云う。/戦争が来たら、という声そのものがもう有事なのだ。》

 「嗅覚」の後半。

《 だのに人々は自分をグループに加えること、つまり入会、入党、入学、入社、入組織、同盟することを最大の拠点 と考え/そして自分の嗅覚を失なう。》

 熱くなった頭に冷水をぶっかけられたような読後感。日常を詠った詩ではない。日常に腰を据え、そこからぐいっと立 ち上げる、しなやかで強靭な思索詩だ。高所大所とは真逆の日常生活感覚から、大所高所から物事を論じ大言壮語に奔走 する論客や人々の足元に水をかける。自分が恥ずかしくなった。

 知らなかった女性の悩み。

《 斜め掛けのメッセンジャーバッグとかポーチとかって、両手使えるし便利なんだけど、薄着になると胸の谷間にがっ ちりストラップが入って、おんぶ紐が食い込む昭和のお母さん的バストになるのが悩み。なんかうまい方法はないものか。》

《 「バッグ斜めがけ乳割れ」状態のことを「π(パイ)スラッシュ」と呼ぶ。》

 リンク先のネットゲリラが遮断された。 避難所

《 新規サーバーは、まだ未定。なんせアクセス数が多いので、どこに行っても嫌われ者w 》


3月13日(火) 展示替え・搬入
 昨夕の雨でチリが流れたせいか、今朝は清々しい光。水がきらめくような。白砂勝敏「天然石アクセサリー展」の 搬入。

 昨日買った『目で見る日本名歌の旅』文春文庫、塚本邦雄「水」が読ませる。

《 清く澄む水の心のむなしさにさればとやどる月のかげかな 》

 藤原良経(よしつね)の歌を冒頭に挙げて彼は書く。

《 良経の歌はこの流転する「水」の本質を意識的に把握しようとした稀な一首であった。まさしく「しようとした」 のであって、決して十分な把握とは言えまい。》

《 良経はそこで止まってはいなかった。否流水を人生の直喩としてともに流されることを潔しとしなかった。水底 に立入って虚無を視たのだ。月が映ったとて何になろう。無の上に無を重ねるだけではないか。》

 深い洞察と目に鮮やかな格調高い展開に舌を巻く。斎藤茂吉、坪野哲久の歌を引用し、葛原妙子の名歌で止める。

《 他界より眺めてあらばしづかなる的となるべきゆうぐれの水 》

 結び。

《 そして水は永遠に詩歌の最初にして最後の主題であった。》


3月12日(月) 休館日
 昨日の午後二時四十六分。

《 たぶん、今世紀になって、もっとも静かな一分間だったのかもしれない。》

 画廊へ行ったり、ブックオフ長泉店へ行ったり、美術館で片付けをしたり……のんびりとした休日。銀座百点・編 『銀座24の物語』文春文庫2004年初版、山本健吉・編『目で見る日本名歌の旅』文春文庫1985年初版、計210円。


3月11日(日) 味戸ケイコ展最終日
 朝は源兵衛川の月例清掃。収穫が多くて早めに終えたので、11時の開館に間に合う。ほっ。

 味戸展、好評裡に無事終了。これほど大がかりな展示は、K美術館ではもうないだろう。感慨深い。

 ネットの見聞。

《 自分の中にも原発への「幻想」があった。もっと画期的な発電方法だと思っていた。実態は単なる湯沸かし。湯沸 かしで作った電気を使い、遠く離れた東京でもう一度湯を沸かす。いわば電気をこぼしながらの湯沸かしリレーだ。し かも「死の灰」は増える一方。こんなのが人類の知恵の結晶であるはずがない。》

 ネットのうなずき。

《 さっき(本日、十一日)、新聞のラテ欄を見たら、日中午後、ほとんどの局が、

  大震災の特集番組をオンエアする中、ただ、テレ東だけは、我が道をゆく姿勢。

  午後二時から、「日曜ミステリー銀座・高級クラブママ 青山みゆき3」

  これはこれで、大切なことなのだと思う。ホント。》

 ネットの拾いもの。

《 脱サラという言葉はサラ金から逃げることだと思っていました。》


3月10日(土) 生誕の災厄
 E・M・シオラン『生誕の災厄』紀伊国屋書店1976年初版を、飛び飛びに読む。出口裕弘が「訳者あとがき」で書 いている。

《 どのページでもいい、気ままに本を開いて、胸にこたえる一行があったら、そこから読みはじめていただきたい。》

《 みずからの最深部から力を汲んで、仕事にかかり、自己を顕示しようとするとたん、人はさまざまな天賦の才が自 分にあると思いこみ、欠陥のほうにはとんと無感覚になる。自分の深みから立ち昇ってくるものが、なんの値打ちもな いものかもしれぬなどとは、世の誰ひとりとして諾(うべな)うことはできまい。< 自己認識 >? そんなのは 言葉の矛盾でしかない。》50頁

《 まだ私にも何ごとかが可能だと映るたびに、私は魔法にかけられたような気持になる。》66頁

《 一冊の本は、延期された自殺だ。》134頁

《 一定の年齢に達したら、人間は名前を変えて、どこか目立たぬ一隅に隠れ住むべきである。誰とも面識がなく、友 人や敵に再会する危険もまたなく、仕事に飽き疲れた悪人のようにして、安らかな生涯を終えられる場所に。》149頁

《 何ごとによらず、深く掘り下げたことのない人間だけが、信念を持つ。》177頁

《 自分が、少なくとも永遠の存在ではないと知っていながら、なぜ人間は生きてゆけるのだろう。私にはどうしても これが理解できない。》226頁

《 死者たちの境遇をめぐる果てしない考察から、私が引き出した巨大な利益と巨大な損失。》268頁

《 この本を埋める断章は、反論する気になればいくらでも反論できそうな、無垢といってよいほど隙だらけな構えで 書かれている。》「訳者あとがき」

 ネットの見聞。

《 本日は「東京都平和の日」1945年の3月10日深夜、米軍爆撃機344機による焼夷弾爆撃(二時間半の間に2千トンの 焼夷弾が落された)があり、非戦闘員の死者約十万人、消失家屋二十七万戸という大被害をうけた。世に言う東京大空 襲である。》

 ネットの拾いもの。

《 日本では縄文時代に当たる1 万2900年前にも、同様な彗星などの空中爆発か衝突が北米であったらしいことがわかった。この時期には、急速な 寒冷化や人口減少が起きており、人類はすでに破滅的な天体衝突を経験していたことになる。

  今思い出しても生きた心地がしなかったな。 》


3月 9日(金) 生還の記
 雨がしとしと降る一日。広島や静岡市からの来館者のあった昨日と違って静かな午後。静岡市出身の三木卓『生還の 記』河出書房新社1995年初版を読んだ。1994年の1月14日、59歳の著者は東京渋谷で心筋梗塞に襲われ入院。3月9日に心 臓の手術。そして退院までの細かな回想録。入院したときの心得として参考になった。

《 しかし、からだは傷ついているし、心はそのからだをかばおうとしている。肉体の傷が肉まででとどまることはな い。必ず心の傷になって人に作用する。好んで暴力をふるうものは、そのことを知っている。このようなわたしを救済 するための傷でも、心は完全に傷から逃れることはできない。わたしは心のどこかで傷ついているし、肉体はさらなる 傷を負うことを恐れている。》205頁

 知らなかったことば。15歳から29歳をAYA世代と呼ぶ。

《 AYAは「Adolescent and Young Adult (思春期および若年成人)」の略。》

 ネットの気づき。

《 25年度新卒4割削減は定年近くの公務員の既得権を守る仕組みです。その年度から、定年になった公務員をやる気がな くても能力がなくても全員再雇用することにしようとしてます。そうすると、人件費が上がるので、新卒採用を減らそう ということです。身を切るなんて大嘘です。》

 ネットの拾いもの。

《 雪で凍った歩道をよろよろ歩いていた、ミニスカ姿のOLに

  「こけろこけろ」と念を送ったら、俺がこけた。

  やっぱ邪念はいかんね。》


3月 8日(木) いい音いい音楽
 昨夕帰りがけにブックオフ長泉店で二冊。五味康祐『いい音いい音楽』中公文庫2010年初版、川上澄生『明治少年懐 古』ウェッジ文庫2008年初版、計210円。

 五味康祐『いい音いい音楽』は、大きめの活字にゆったりした行間、短いエッセイという好条件。昨夜読んでしまっ た。前半がオーディオ談義(いい音)、後半が音楽談義(いい音楽)。後半から。

《 偉大な芸術家ほど、様式は変わっても作品の奥からきこえてくる声はつねに一つであり、生涯をかけて、その作家 独自の声で(魂で)何かをもとめつづけ、描きつづけ、うたいつづけながら死んでいる。幾つかの作品に共通な、その 独自の声を聴きとることができれば、一応、その作者──つまり彼の< 芸術 >を理解したといえるだろう。》

《 でも、これは言っておきたいのだが、いい曲といわれるものには、初めて聴いた時から、こちらに琴線にふれる印 象ぶかい好曲と、初めはわけがわからないが、何度か聴いているうちに、素晴らしさがわかって感銘のわいてくるもの がある。前者は初めはチャーミングだが、くり返し聴いているとあきてしまう。》

《 アンコールは、名演をきかせてくれた場合に捧げるべきものだ。トクをするのとは違う。》

《 音楽には神がいるが音には神はいない。》

《 フォーレは三十八歳で結婚した。相手は彫刻家の娘で、彼女マリーは装飾的なパネルを描いて県立美術館に買い上 げてもらったり、扇絵を描くとそれがよく売れた。おかげで年収三千フランも稼ぐようになったけど、夫フォーレの音 楽は一文にもならなかったと、フォーレの息子は回想記で書いている。結婚三年目ぐらいである。でも、この三年のあ いだに、フォーレのすぐれたピアノ曲の大半は書きあげられた。/「夜想曲」第一番もむろんその一つで、フォーレの すぐれた天分はすべてここに開花し、結実している。フォーレは全十三曲の「夜想曲」を書いているが、この第一番を 白眉の作と私は推す。(引用者:略)一文の足しにもならぬどころか、豊醇な稔りを有つ結婚だったのである。》

 昨夜遅く、パスカル・ロジェ弾く「夜想曲」第一番を繰り返し聴いた。清澄で端正な演奏。

《 きこえてくる言葉は上品で、男をすでに体で愛することを知っており、その愛のむなしさ、時には嫉妬に苦しみぬ いた夫人の愁いを彷彿させる。/「夜想曲」第一番は特にそうだ。》


3月 7日(水) 人間萬事
 山口瞳『同行百歳』講談社1979年、なんと評したらいいんだろう、と一晩考えた(ほとんど寝ていたけど)結果、古 い言葉だけど、実話小説に落ち着いた。私小説でもノンフィクション・ノベルでもない。なにせ、読んでいて愉しくな かった。不愉快ではないけれど、なんだかなあ、という疑問がついてまわった。

《 この伯父にも私は憎まれた。》「墓地のこと」

 こういう文が苦手。

《 学校の勉強というのは、記憶力ゲームの一種である。それには全く不向きであり、関心すらない。》「学校」

《 私には愛校心というものがない。いや、そもそもそのことがわからないのである。》「学校」

 こういう箇所には一も二もなく同意。

《 私は、固く固くやってきた。それは貧乏を見ているからである。ほかの同胞の知らない貧乏を知っているからである。》 「足」

 我が家は貧乏ではなかったけれど、こういう文章に出合うと、足が止まってしまう。

《 私は「乙女の像」が好きでない。あれは、高村光太郎としては失敗作ではなかったかと思っている。》「フィッシング」

 私もそう思う。

《 自動車もない。ゴルフもやらない。》「人間萬事」

 同じだ。あまりに身につまされるから、露悪自伝のようなこれに、不愉快ではないが、愉しくはないと思ったのだろう。

《 「人間萬事金の世の中」と書き、自分の名をいれた。》「人間萬事」

 ネットの見つけもの。

《 横浜美術館での松井冬子展、興味深かったのは主要な作品の大半に所蔵者の氏名が明記されていること。ふつうは「個 人蔵」と名を明かさぬことが多い。さながらコレクターの欲望の競演のよう。これも「松井冬子」展ならではの風景なんで しょうね。》

《  瓦礫に花を咲かせましょう  》



3月 6日(火) 同行百歳
 雨なのでバス。ぬめ〜っとした温い湿気。なんじゃいこの陽気。しばらくして晴れてくる。

 山口瞳『同行百歳』講談社1979年初版を読んだ。帯から。

《 三十年のサラリーマン生活をやめたとき、私と妻の年齢を合わせると百歳だった──人生の収束の時期、半生を振 返る感慨をこめた"男の履歴書"ともいえる短篇集。》

 ネットのうなずき。

《 情報へは即座に近づけるが、その情報をどう活用するか。……占有から共有へ、独創から共創へ。》

 ネットのうなずき。

《 正社員として一定の給料をもらいつつも、一方で、熱心に(経済的成功を期待せずに)アートに取り組む兼業作家こ そがこの先の日本社会に最適化されたアーティスト像なのではないか。》

 もうひとつ。

《 いくつになっても焼肉の網の上で焼かれる野菜の食べるタイミングが解らない。『まだ早い』の次が『黒こげ』。 良いタイミングが解らない。》


3月 5日(月) 休館日
 雨なのでのんびり寝ていたら、午前十一時。起きた。

 藤原伊織『ダナエ』文藝春秋2007年初版を読んだ。亡くなる五か月前に出た。三編を収録。昨日取り上げた『雪が降 る』講談社文庫の解説で黒川博行が書いている。

《 イオリンは頭が良すぎたために芸大には行けず、東大に入って学生運動と麻雀にのめりこんだらしい。》

 藤原伊織は油彩画の心得があったようだ。

《 それに具象とか抽象を超えてるでしょう? 絵画で最初に評価を得たのは、ブルーのバリエーションが大胆なのに、 鋭くて繊細で、人間の切なさが、面と線に溶けこんでいたからだと思う。作品の深いところを流れているもの。風景や 静物さえも。そういうタッチで感情を表現できる画家なら、それは国際的に通用するんじゃないのかな。それにあれは、 計算した技術じゃなくて、本能が描かせている。》「ダナエ」

 絵を描いている人間が書いた文章だと思う。この批評は、ピカソの青の時代の絵を想起させた。

《 貧しかった時代、彼女とふたりで暮らしたあの時代。この静物は、静物ではない。肖像なのだと思った。あの時代 と生活の肖像なのだ。》「ダナエ」

 三編とも人生の機微を感じさせる。そして、ずっと昔の出来事が、歳月を経て今に深い影響を与えてくる。その経過 をみると、彼が関わったらしい学生運動の経験が透けてくるような。それにどう関わったかは知らないが。


3月 4日(日) 雪が降る
 雪の降りそうな曇天。雨。藤原伊織『雪が降る』講談社文庫2001年初版を読んだ。六篇収録。どれも上手い書き出し だ。一気に小説世界へ没入する。

《 人を殺した人間には、かつて一度しか会ったことはない。ちょうど四十歳というという年齢でひとり。》「台風」

《 どこかでなにかが鳴っている。》「雪が降る」

《 頭上には、輝く空以外なにもない。むせかえるようなにおいだけが鼻をつく。》「銀の塩」

《 「わたしはね、人魚なのよ」彼女はそういった。》「トマト」

《 まだ未明の通りには人影がない。》「紅(くれない)の樹」

《 両腕に抱えた箱は重かった。こいつがいちばんバカげているな。》「ダリアの夏」

 上手い小説だ。巧みな小説はいくらでもあるが、上手い小説はさほどあるわけではない。漢字とひらがなを見事に遣 い分けている。引用した「台風」では、「一度」「四十歳」と漢字を遣って、一人ではなく「ひとり」。この小説集で は「言う」はなく、「いう」。些細なことへの目配りの効いた文章が、読者にあるかもしれない(あったらいいな)小 説世界を堪能させる。それにしても、女性たちのなんと魅力的なことか。

《 二十年の歳月。それは彼女にわずかな痕跡しかもたらしてはいなかった。奇跡を見るような思いがあった。あのこ ろ、夏の陽射しで濃い影をつくった長い睫毛。それはそっくりそのままだった。唇をわずかに開き、その表情はあどけ なくさえみえる。目尻にいくらか細い皺が彫りこまれてはいるが、それはしっとりした落ちつきさえ与えたようにも思 える。いつかの妖精がそこにいた。手をのばすまでもないところにいる。》「雪が降る」

 もう一箇所、そこは黒川博行が解説で引用し、書いている。《 ここがいい。めちゃくちゃいい。》。

 ネットの拾いもの。

《 なぜ美人はいつもつまらぬ男と結婚するのだろう。

  賢い男は美人と結婚しないからだ。 》


3月 3日(土) 名残り火
 藤原伊織の遺作『名残り火 てのひらの闇 II 』文藝春秋2007年初版を読んだ。この本が出る四か月前に亡くなった。 良質なエンタテイメント・ミステリだ。文春文庫版収録の逢坂剛「いおりんの名残り火」から。

《 いおりんの小説においては、謎も謎解きも常に登場人物の心の中にあり、物理的なトリック、不自然な状況設定な どは、薬にしたくもないといってよい。ミステリーである以上に、小説としての完成度が高いのだ。》

 吉野仁の解説から。

《 作者の持ち味のひとつは、まさしく「質のいい諧謔」にあるのかもしれない。げらげら笑わせる類のユーモアでは なく、思わずニヤリとさせられる描写や会話だ。》

《 もともと、描写や会話のうまさは折り紙つきだったが、それだけではない見識や妙味にあふれているのだ。》

 本文から。

《 ある種の気配りを身につけた人間はいる。年齢をかさねても、それを知らないまま終わる人間もいる。たぶんそっ ちのほうが多いのだろうが、そうでない事例を仕事中の警察関係者に見るとは思ってもみなかった。》11頁

《 「いい人ばっか、早く死んでくね」 》23頁

《 そのときだった。前をいくBMWの運転席の窓からさしだされたものがある。彼女の細い右腕だった。夜目にも白 いその腕が、ゆるやかに上を向いた。そして開いたてのひらが左右に静かに揺れた。その瞬間、私は悟った。柿島奈穂 子が背後の私にあいさつをおくっている。別れのあいさつ……。だがその理解は限りなくおそかった。》376頁

《 どの藤原伊織作品においても、見事な絵画のごとく、場面の情景がありありと目にうかぶような的確な描写に徹し ていた。すなわち、しっかりした視線と安定した構図で現実をとらえていたのだ。しかし、冒頭の場面やクライマック スにおいて、大げさな外連味を加えたり、大胆な切り口でドラマを劇的に見せることも忘れてはいない。》逢坂剛

 1995年、出たばかりの第一長編『テロリストのパラソル』を読んで仰天、知人に単行本を贈った。享年59は早い。 北森鴻は享年49。早すぎる。毎日新聞朝刊、万能川柳から。

《  高齢と嘆くななれぬ人もいる  優モア 》


3月 2日(金) ぼんやりの時間
 昨夕帰りがけにブックオフ長泉店で二冊。武井武雄『ラムラム王』銀貨社1997年初版、樋口有介『ピース』中公文庫 2011年6刷、計210円。

 昨夜、風呂あがりにお客用のビールを飲んだ。この前飲んだのは賞味期限切れだったけど、これはぎりぎり。うまい。 いつもは牛乳だけれど、なぜかビールを飲みたくなった。350mlで十分。他に何もいらない。ちょっと本を読んで就 寝。いろんな夢をみた。枕元の時計を見ると6時。まだ寝られる……それも夢だった。

 自転車で来る。しばらくして雨。安藤信哉画集の問い合わせ、牧村慶子展の問い合わせの電話。祭りの後の閑けさ。 雨音に耳を澄ます。

 辰濃和男『ぼんやりの時間』岩波新書2010年初版を読んだ。

《 人は「自然にとけこんで生きる」ことの幸せのなかにいるとき、もっとも上質のぼんやりの時間を得ることができ る、と私は思っている。》86頁

《 自然にとけこむということは、人間が太古の自然に生きていたときの野生をよみがえらせることだと思う。》87頁

《 企業は「むだの排除」を利潤追求のための重要な目標にするが、個々人の暮らしにとって「むだ」はそう悪いもの じゃない。》107頁

《 戦後、激変したことの一つは、私たちが周辺の静けさといったものの多くを失い、貴重な「聴く」文化を失いつつ あることだろう。》139頁

 ツイッター《 名古屋でコーヒーなら「バロン」か「ガロン」か。》に反応。昭和の時代、歌人の塚本邦雄のエッセ イで紹介されていた聖舞瑠(せいぶる)とかいう漢字の喫茶店へ、所用に合わせて訪れた。はて、名古屋のどこにあっ たか。

 去年、知り合いのイラストレーターが福岡市へ引っ越した。近々、知り合いの女性詩人が福岡市へ移る。九州は未踏 の地。いつか行ってみたい。来年は行けるか。


3月 1日(木) 味戸ケイコさんご来館
 純白の富士山。この冬一番の白さ。厚化粧とも言う。お昼に味戸ケイコさんご来館。賑やかなひととき。午後三時過 ぎ、お友だちの車で退出。無事済んでやれやれ。ふう。

 ネットのうなずき。

《 起きてしまったことは仕方ありません。大事なのは、失敗した後にどう対処するかだと思います。》

 対処に心を痛める毎日。はあ。来年のきょうは、のんびりしていたい。


旧日録 2012年 1月  2月 

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