世紀を越えて−大矢雅章と佐竹邦子


K美術館館長 越沼正


 手元に季刊『版画芸術』100号がある。その巻末広告で、私は二つの個展に興味を惹かれた。いや、 私の眼は揺さぶられた。東京大手町の画廊での大矢雅章展と銀座の画廊での佐竹邦子展である。 私は1998年の夏、この二つの個展へ行った。双方の作品を観て、私はきょう一日の行程が無駄足では なかったことを喜んだ。
 大矢さんの銅版画は「荒天 恒星 吸気音」と題され、佐竹さんのリトグラフは「風の種」と題されていた。 大矢さんは銅版画、佐竹さんはベニヤ板によるリトグラフと、その表現方法は異なっているが、どちらの作品 にもポスト・モダンという、美術表現が時代の推進力を失った1990年代の美術状況を抜け出す確かな予兆 があった。そこには造形美へ精力を注ぎ込むという旧来の美意識をまずは脇に置き、何よりも未知なる大海 へ作品という帆を広げ、自ら風を起こし船出をしようという、大いなる野望もしくは意気込みが漲っていた。そ れが私にピリピリと奮えるように伝わってきた。
 どちらの作品も、回転あるいは転回する何ものかを出発点としていた。私は、二人の才能がその回転する 表現をこれからどう深化させ展開し、その展開力によってべた凪の時代をどのように波立てていくか、興味津 々だった、と述べたいところだが、心の片隅ではあるいは近々失速してしまうのでは、とも危惧していた。意気 込んだ出発の後には厳しい困難が待ち受けていた。二人は凪いだ時代を突き抜ける創造の一点を生み出そ うと、それぞれ独自の表現の途を手探りで模索するなかで世紀を通過した、と私は思う。私は、二人の探求と 苦闘の生々しい痕跡=作品を観るにつけ、この世紀を越えた困難こそ彼らにとっては必要不可欠の、美術家 であるための通過儀礼なのだと確信した。この試練を乗り越えて時代の壁を揺さぶり風穴を開けなければ、 二人は優れた技術を有した一介の版画家という評価で終えてしまうであろうし、それならば私の関心の埒外 になることである。けれども、私は二人の努力を信じた。
 そのような困難な時を、大矢さんは沈思黙考の底に身を沈め、外部の気配に全感覚を澄ませた。「霏々」シ リーズは彼の姿勢と思考を内側から表出している。佐竹さんは外界に身をさらすことで創作の困難を打ち破ろ うと試みた。すなわち「WIND WORK」。
 内と外、表現の内実の場を分かちながら、この21世紀を迎えて、二人はやっと時代の壁に一穴を、ほんの 一穴を開けたと、私は思う。その小さな穴が、時代の新しい突破口となるかは、まさしくそれぞれの双肩に、絶 え間ない自己革新にかかっている。
 二人のその冷静にして熱い創成の現場報告がここにある。

(2005年1月)
  養清堂画廊「大矢雅章・佐竹邦子二人展」(2005年2月28日〜3月5日)で
刊行したオリジナル版画集(大矢3点、佐竹3点)に掲載されたもの

大矢雅章 略歴
1972年神奈川に生まれる
1998年多摩美大大学院卒業
2001年版画協会賞受賞
以降ブルガリア、タイ、スペイン、台湾で受賞

佐竹邦子 略歴
1970年神奈川に生まれる
1997年多摩美大大学院卒業
2000年版画協会賞受賞
日本現代美術展、神奈川県美術展で受賞
以降トーキョーワンダーウォール2003、ふくみつ棟方記念大賞など受賞