「記憶の塔ー上條陽子の箱」


K美術館館長 越沼正


 目に入るか入らぬかの細い針金が、四角い箱の上面に不器用に張り巡らされている。ある箱の中には、 真っ赤な苺のフィギュアがぎっしり詰まっている。ある箱には、黒く塗り固められた数センチ足らずの ライフルやピストル、兵士のおもちゃ玩具が、箱の底に留められている。別の箱には、かわいいお人形 の頭部が、いくつも箱の底にくっついているものもある。また別の箱には、彼女がパレスチナで買った というアラファト議長のお面もある。
 乱雑に編まれた金網の内側には、安っぽい商品がぱらぱらと、あるいはぎっしり詰まっている。どれも が新品からは程遠い、中古またはゴミ寸前の代物である。そのため、その物のひとつひとつが、それぞれ 独自の「人の時間」を刻印している。安っぽいために忘れられた物ものが、上條陽子の手で集められ、ま とめて箱に定着された。見捨てられたひとつひとつのものの時間=人の影の物語は集積され、集積された 時間=影の物語の総記憶として、箱に息づいた。深くはない平らな箱は彼女の手で並べられ、重ねられる ことで、物ものは、個々の時間=影の物語から集団の時間=影の物語の集積、そして影の記憶の塔=影の 歴史へと変貌した。けれども、影の歴史をそのなかへ隔離するために、目に入るか入らぬかの針金が、そ れぞれの箱の上に張り巡らされる現実。
 人は、明日こそ今日よりも良いと願って生きる。その明日は、過去の光と影のさきにある。過去の光だ けを見て明日を見つづけた20世紀は去った。21世紀は、過去の影を今生へ再生させる世紀である。人 びとが棄却し、忘却した過去の影は、呼び戻されなければならない。それなしには、もはや明日はない。 明日のために記憶の塔=影の歴史を観察する=お勉強するのはたやすい。けれども、具体的に 影の歴史= 記憶の塔をほぐし、個々の時間=影の物語を再生するためには、目に入るか入らぬかの細い針金を、素手で 切りはがす他に方法はない。個々の時間=影の物語を再生するということは、個々の歴史を深く掘り起こし、 再構成することであり、それには深甚な内省が不可欠である。
 ところが、ここにその見えにくいほどに細く鋭い金網を突き破り、忘却の向こう側から、安逸の時間を揺 さぶる不埒な記憶の箱がある。すなわちパレスチナの強烈なる影の記憶である。その象徴であるアラファト のお面は、金網を見事に突き破っている。上條陽子のパレスチナ訪問は、パレスチナの記憶を、我がことの 記憶として、彼女に刻印した。

(2002年5月31日)