坂東壮一手彩色銅版画集「仮面の肖像」に寄せて

<仮面>、その清冽なる時の刻印

 私の記憶が確かなら、銅版画師・坂東壮一は
一九六○年代、あの喧騒と騒乱の時代の片隅で、
自らの内なる深海に潜む<創造>という怪物を、
か細い探照灯で捉え、その一面一面を机上の
鏡面のごとき銅板へ刻印していた。
 その一面が「仮面」であった。

 その「仮面」を今ここに手に持ち、そして
傍らに十枚ほどの「仮面の肖像」を置く。

 右と左。そこに君臨する三十余年の歳月の
隔たり。

 人生という歳月の風化と深化の変転を経て、
<仮面>は一層凝縮され、今や深海からの一際
深い輝きを放つ・・・までに変貌した。

 「仮面の肖像」は、坂東壮一の人生をその深奥から
照らす魂の内視鏡である。翻れば、それを手にする
人々には、多様な人生の局面を、その奥津城から
逆照射する、稀なる魔鏡と化す。

 <仮面>であるがゆえに自我は失せ、自我の
深層に潜む自己を、痛ましいまでに露わにするのである。

 「仮面の肖像」、それは赤裸々な肖像である。

「版画芸術」111号(2001年3月)掲載