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自費出版・共同出版・企画出版本の内容紹介
  

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こちらは、個人の方の御協力を頂いて収集した戦争体験記集
及び私自身が調べ、収集した自費出版・共同出版等関連の戦争体験記の一覧です。

UPロゴ書籍全文を掲載いたしました。
『飢餓の比島 ミンダナオ戦記』
表紙写真「飢餓の比島 ミンダナオ戦記」
著者 平岡 久
 兵庫県津名郡津名町佐野(発行当時)
発行日 2003年5月再販
印刷所 れいめい社
 兵庫県洲本市本町5−1−24
 TEL0799−24−1047
ページ 198ページ
本体価格 非売品
目次
巻頭資料
まえがき
初版 まえがき
30師団編成表
野戦病院編成表
1、応召
昭和19年
 4月29日 応召
 5月 1日 入隊
 5月 4日 姫路出発
2、輸送船
 5月10日 釜山港 出発
 5月13日 門司出発
 5月19日 マニラ湾着
 5月22日 マニラ出発
 5月23日 吉備津故障
3、スリガオ病院
 5月25日 スリガオ港着
 6月 5日 一半部到着
 6月 7日 輸送船沈没
4、口は禍の元
 8月24日 サイパン玉砕
5、米軍大空襲
 9月 9日 大空襲
 9月13日 マブハイ病院開設 
 9月下旬  マブハイ病院閉鎖
6、ミンダナオ縦断行軍
10月     ディゴス行軍
7、アグサン収容所
11月     アグサン収容所
12月12日 俳句記録
12月下旬 アグサン収容所閉鎖
昭和20年
 1月1日 マルコ
8、オモナイ収容所
 1月 2日 オモナイ収容所
 2月11日 キバウエ訪問
 3月 7日 オモナイ
 4月 9日 オモナイ収容所閉鎖
 4月13日 マライバライ帰還
9、リナボ病院
 4月14日 リナボ建築隊
10、山中への敗亡行進
 5月 4日 糧秣収集
 5月20日 マナゴック
 5月23日 マクラミン患者収容隊編成
 6月 3日 深夜大隊長命令 
 6月 6日 ブランギ渡河
 6月 7日 早朝 泥棒
 6月中旬  Y軍曹自決
 6月12日 バンダドン山
 7月 4日 軍医死亡
 7月始め  地図模写
 7月13日 高曽、中井落伍
 7月17日 熱発
 7月20日 右手に立つ事
 7月22日 先任下士官死亡
 7月24日 中地区隊
 7月28日 煙草入手
 7月30日 一飯盒の藷
 7月31日 大きな畠
 8月 3日 藷畠出発
 8月 8日 筏作り
 8月11日 流弾を浴びる
 8月12日 大きな畠跡
 8月16日 祈願祭
 8月23日 ランガシアン
 8月末   三上少佐と会見
        三上少佐の後日
 9月 1日 矢持受傷
 9月15日 襲撃を受く
 9月17日 敗戦を知る
11、投降
 9月22日 投降へ
 9月29日 ハラビタン
 9月29日 ハラビタン出発
10月11日 サグント発
10月12日 ブツアン発
10月22日 ブゴ出発
10月24日 第二タグロパン収容所(レイテ島)
12、捕虜病院
10月27日 パゴPW病院勤務
11月 9日 発熱
12月 4日 同僚帰還
12月16日 タグロパン出発
13、生還
12月22日 浦賀上陸
12月29日 故郷へ
戦後の年月
あとがき
14、フィリッピン紀行
  四野病発着部生存者への報告書  昭和58年8月2日
 7月30日 ダバオ周辺巡拝
 8月 1日 カガヤン空港着
 8月 2日 マライバライ出発
 8月 3日 カガヤン滞在
 8月 4日 カガヤン空港発
 8月 5日 マニラ周辺巡拝
 8月 6日 帰宅
続あとがき
改題・増補 あとがき
15、呆け老人の世迷い言集
 1、侵略戦争を起す人。従う人。
 2、大日本帝国の陸軍高級職業軍人
 3、武器
 4、軍隊とは
 5、人間の欲望
 6、大国とは
 7、人類の明日
 8、政治の理想像
 9、真守防衛
10、リッジウェイ将軍の「朝鮮戦争」
11、何故不合理な軍隊が生れた?
12、上杉・武田両軍
13、野戦軍と攻城戦
14、指揮官=記憶力、思考能力、品性
15、農婦の悲しみ
16、人間の平等指向
17、人間のみが造った道具
18、弱者連帯
19、人生とは
20、革命から改革へ
21、会話の仕方
22、交際
23、争い事
24、絶対と相対
25、二宮金次郎・尊徳
終章 軍隊
著者略歴
管理人からの内容紹介
著者が初版まえがきで記していますが、
「愛する子や、孫のために、又もっと広く戦争を知らない世代の為に、師団戦記中、四野病本体の記録を作った原稿を下敷きにして書きました。 名高いガダルカナルよりも非度い30師団、更に哀れな第四野病の事実を文書にしたかったのです。」(原文のまま)とあります。

 私が読んで思ったのは、太平洋戦争中の悲劇というものがいくつかありますが、それ以外にも似たような悲劇の場面は多く存在します。これはその中でも意外と知られていない野戦病院の記録です。第30師団は、フィリピンにおいて、約16000名の動員があり、その内帰還(生存)できた者は約3200名あまりでした。この数字はガダルカナル戦の数字と比較するとよくわかるのですが、非常に低い生存率です。しかも戦没者は餓死された方もかなり多いとの事です。しかし更に、数字を見てみますと、30師団中第四野戦病院関係者は動員数の約7分の1という生存率しかありませんでした。それほど厳しい戦場だったのです。その中にあって、著者は発着部の事実上のリーダー(階級上のリーダーは他にいた。)として終戦後まで仲間6人と共に行動し、悪戦苦闘しながらもついに6人全員を帰国まで導きました。本書には著者自身の応召から帰国復員までの状況を詳しく綴っております。しかし、戦場で生き延びるためには、いかに、的確に現状を把握し行動するか、しかもそれを真のリーダーシップを取れる人が率先して行動し皆を引っ張っていくかが必要かと感じました。著者がリーダーでなければ全員帰還することは難しかったのではないかと思います。こういう戦記をもっと多くの人に読んで欲しいと思います。
注意
1.
こちらの本は、私が藤枝市立図書館蔵書より借り出しした書籍よりの情報です。自費出版ですので、入手は難しいと思われます。恐れ入りますが、図書館・古書店にお問い合わせください。

追記
2007年になって、この紹介記事をご覧になって著者と交流された東久留米市のF様より、メールにて、「著者の平岡様より管理人さんに書籍を謹呈する旨のご許可をいただき、なおかつ、全文をホームページ上に掲載しても良いという承諾をいただけた」とのご連絡を頂きました。そして著者の平岡様より大変貴重な書籍を、本書籍を始めとして計四冊の戦争関連書籍を早速お送りいただきました。
著者の平岡様、そしてご尽力頂いた東久留米市のF様有難うございました。
尚、本書籍以外の3冊も後日、内容紹介(全文掲載)をする予定ですので、その時、改めてご紹介いたします。

2.
管理人からの内容紹介は、文責は管理人にあります。

3.
上記の追記にもありますように、著者の平岡様よりホームページ掲載のご許可をいただきましたので、全文を掲載いたしました。但し、
著作権は平岡様に帰属いたしますので、無断引用・無断転載は一切禁止です。ご注意ください。

なお、掲載全文は、著者の意向により全て原本通りとなっております。管理人は内容には一切手をくわえておりませんことをお伝えいたします。(ただし、漢字表記は一部旧字が変換できないものがありましたので、それは現代表記かひらがなにて対応させていただいております。ご了承ください。)

全文掲載でかなりの量となりますが、ぜひこの機会に全文をお読み頂き、戦争の実態を知ってほしいと思います。(これは全て事実です。著者の平岡さんが実際に体験した事を綴っております。)

4.

本の内容紹介で本の表紙を掲載しておりますが、これは私が皆様に情報提供する場合に、少しでも詳しく知っていただくために私の所蔵しております本の表紙から写しております。本来なら全ての発行者及び著者の方に許可を頂かなければいけないと思いますが、出来る限り本の詳しい情報をお伝えしたいという私の考えから現在のところ許可を頂かずに掲載をしております。但し、本の発行所・発行者・編集者・著者・印刷所・発行年月・ページ数・表紙題字揮毫者・イラスト作者等その本に関してわかる限りのデーターを掲載するように注意しております。本の表紙写真のみの掲載はしておりません。
もし、著作権等の問題で表紙写真の掲載は不可の作品がございましたら、ご連絡いただければ対応いたします。
自費出版の本のため、通常情報をなかなか得られない事が多いので、どんなものであるかを視覚的にもお伝えしたいと私は考えております。関係者様各位のご了解・ご協力をいただければ幸いです。

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