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 「飢餓の比島 ミンダナオ戦記」

全文掲載

これは著者の平岡 久さんがご自身の青春時代であった24、5才の頃の
軍隊の体験をご自身の記録を元に昭和57年まとめ、自費出版にて発行され、
その後2003年に増補改訂版として再版されたものです。

平岡 久さんの許可を得て、ここに全文を転載致します。
著作権は平岡 久さんに帰属します。
よってこの記事の無断転載は厳禁です。

1.応召               

 昭和十九年四月二十六日、召集令。音田の沖で、移動式ツボ網を張っていた所、妻が、転がるように砂浜を走ってくるのを見て、召集を直感した。

 四月二十九日 応召
 朝ツボ網に操業以来始めてと言う程の、チヌの大漁あり、何だか前途を明るく感じました。父も、幸先良し、と大変な喜び様でした。此の時が父との永遠の別れになろうとは思いませんでした。糖尿病の持病がありましたが、割方元気でしたので。
 母は寝たきりで、食べさせ、便を取ってやらねばなりません。矢張り後髪を引かれる想いでした。昼頃妻を連れ佐野出発、尼崎の姉宅に泊まる。

 四月三十日
 姫路の伯母宅に泊まる。

 五月一日 入隊
 姉と、妻が姫路の連隊まで見送って呉れた。
 二人と営庭で万感をこめて、「では元気に」と別れた。
 隊列に入った儘一度も、振り返らなかった。同僚は盛んに見送人と、手を振り合って居たが、私は顔を見れば、ヒョッと、落涙の危険もあり、且今度顔を見る時は、軍服を脱いだ時、と決心して一度も振り返らなかった。
 見送りの二人は、もう一度顔を見たい、と永い間待って呉れたらしい。
 入隊すると、準備に忙しく、兵舎から市街へ出る事が多く、其の度に、何うして連絡するのか、沢山の見送人が待ち受けて居り、瞬時の交歓をして居た。

 五月四日 姫路 出発
 宇品で乗船、釜山へ向け出発。
 平壌から南下する、師団本体と合流する為である。
     

 次へ続く

 2003年5月再版発行 
 「飢餓の比島 ミンダナオ戦記」より転載 禁無断転載(著作権は平岡 久氏に帰属します。)
  ※(自費出版他発行分NO.94)
 copyright by hisasi hiraoka 2003


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