これは著者の平岡 久さんがご自身の青春時代であった24、5才の頃の
軍隊の体験をご自身の記録を元に昭和57年まとめ、自費出版にて発行され、
その後2003年に増補改訂版として再版されたものです。
平岡 久さんの許可を得て、ここに全文を転載致します。
著作権は平岡 久さんに帰属します。
よってこの記事の無断転載は厳禁です。
著者略歴
一 |
一九一九年(大正八年)三月二十七日生れる。 |
二、 |
一九三三年(昭和八年)三月、尋常高等小学校卒業(尋常六年、高等二年)。以後、生家の後継者として農漁業に従事。 |
三、 |
一九四〇年(昭和十五年)三月、現役兵として、旅順要塞重砲兵連隊第二中隊へ砲兵として入隊。 |
四、 |
仝年七月衛生兵に転科。 |
五、 |
一九四三年(昭和十八年)四月、大連防空連隊を現役満期除隊。 |
六、 |
仝年六月十五日、弥よいと結婚。 |
七、 |
一九四四年(昭和十九年)四月、召集令、朝鮮平壌の第三十師団第四野戦病院発着部編入。フイリッピン・ミンダナオ島派遣。 |
八、 |
一九四五年(昭和二〇年)十二月末帰還。 |
九、 |
一九四六年(昭和二一年)二月、日本共産党へ入党。反戦、平和の為に。 |
十、 |
一九五二年(昭和二七年)、公選制町教育委員に当選。以後地方政治に関与する。 |
十一、 |
一九六九年(昭和四四年)三月、前年夏のソ連東欧軍の、チェコ侵攻問題で党と激しく対立して共産党離党。建前と実体の落差の大きさ暴露。 |
十二、 |
一九八O年(昭和五五年)、地方政治より引退。言うべき事、成すべき事は尽くした。天命を痛感。 |
十三、 |
その後は晴耕雨読、友人知己との往来、海外旅行等、人生の付録を満喫して、夫婦共に八○を越えた。子・孫に恵まれ、楽しい老後である。 |
(了)
2003年5月再版発行
「飢餓の比島 ミンダナオ戦記」より転載 禁無断転載(著作権は平岡 久氏に帰属します。)
※(自費出版他発行分NO.94)
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