[ TOP ] [ 新着 ] [ 太平洋戦争 ] [ 自費出版 ] [体験記] [ 活動 ]
[ リンク ][ 雑記帳 ][サイトマップ] [ 掲示板 ] [ profile ]

 「飢餓の比島 ミンダナオ戦記」

全文掲載

これは著者の平岡 久さんがご自身の青春時代であった24、5才の頃の
軍隊の体験をご自身の記録を元に昭和57年まとめ、自費出版にて発行され、
その後2003年に増補改訂版として再版されたものです。

平岡 久さんの許可を得て、ここに全文を転載致します。
著作権は平岡 久さんに帰属します。
よってこの記事の無断転載は厳禁です。

十五、呆け老人の世迷い言集               

 一、侵略戦争を起す人。従う人。
 戦争は権力者が始める。

 権力の座にある者は、常に権力の質を高め、其の力の及ぶ範囲を無限に拡大する事を望む。
 
 一般民衆は権力に迎合して、己れの血を流す事を喜ぶかの如く振舞う。其うして後悔する。然し日時が過ぎれば又血を流す事を喜ぶ様になる。此れは東西体制の如何を問わない。社会主義国も自由主義国も同じである。歴史は証明して居ります。ポーランド分割、チェコ侵入、又アフガン、ベトナム戦争は明瞭に示して居ります。

 二、大日本帝国の陸軍高級職業軍人
 中国の孫子は二干五百年前に、「敵を知り、己れを知れば百戦危ふからず」と申して居ります。大日本帝国陸軍の高級職業軍人は、日露戦争以来思考停止をして思い上り、「敵を見ず、己を考えず」只ひたすらに日露戦争の白兵戦を至上のものと考え、日本を第二次大戦に引きずり込んで行きました。更に日本の政治家は軍を抑えるだけの力量、見識を欠いた。否率先同調したのです。

 四十年前の職業軍人と政治家の関係は、本質的に、今日の日本に再現されつつあります。戦争を行うには最低限、兵隊に飯と兵器、兵器には弾丸、此等を運ぶ船と車には油が必要です。即ち生産と補給を考えねばなりません。第二次大戦では生産力が乏しい上に、補給能力の無い所へ、博物館行きの兵器を僅か持たせて送り、餓死させ、己れは後方の安全地帯で、酒池肉林の中に暮し、大言壮語するのでは、一線の兵士は余りにも哀れです。高級職業軍人で餓死した人が居たら教えて欲しいものです。「兵士は必勝の信念を食べて、三八小銃に着剣して夜襲すれば総て勝利」と考えた人達と、其の命令に服した犠牲者達。

 三、武器
 昔から造られた武器で使われなかった例は極めて乏しい。何故なら政治家と高級職業軍人は、国費を投じた武器を使わないと、税金のムダ使いと感じる。流れる血潮は別だ。

 世界有数兵器商売、サミュエルカミング日く

 「兵器商売は人間の愚かさに根ざして居るから繁栄は永久に保証される」又曰く「人間は決して歴史に学ばない」と。
                                                    
 四、軍隊とは
 軍隊は国を守る事もあり、又亡す事もある。原爆過剰時代の今日では、人類を、地球其の物すらも亡す恐れが濃い。故に内閣及び、自由に思考出来る議会の厳重なチェックが必要である。

 五、人間の慾望
 人間には物欲、色欲、食欲、名誉欲等、種々ありますが、此等の欲望には一種の滑稽感があり、許せる一面がある。所が一番済度し難い欲望は、支配者の権力欲であり、此の欲望を満足させる、最後、最高の頂点は戦争である。だから此の欲望は常に人類に対する罪悪を伴う。

 六、大国とは
 今世界で大国と称するに足る国は、米、ソ、中の三国と、侯補としてブラジルあるのみ。大国の条件は国土、国民の質量、資源の豊かさ、工業力の大きさ等があるでしょう。

 今日、日本では大国意識が急速培養されつつありますが、日本は人間の質量が豊かなだけであって、基本的には小国なのです。鵜のマネする鳥になってはなりません。

 七、人類の明目
 人類は己れの眼に見える土地の物を利用して居る間は、確実に発展といえる道を歩んだ。然し神が人間の眼から、地中に隠した物、即ち石油と原子力を手にした日より、滅亡への道を急速に歩み出したのでは無かろうか。

 嘗て爬虫類、恐龍は二億年の長きに亘って、地上を支配した。人類は四十億年の地球の歴史に登場して僅かに三百万年とか四百万年とか言われ、然も地上の支配者として君臨して僅か数万年と言われる。此所で滅亡すれば、何と果敢ない王者だったでしょう。そうならない事を念じつつ。

 八、政治の理想像
 其れは弱者との連帯にあると思う。弱者とは、
○身心に障害を持つ人達。
○年令的即ち、乳幼児、老人達。
○地域的即ち、辺地、低湿地、高地、寒冷地、干燥地、等に住む人達
○社会的即ち、男性に比べた女性、未開放部落の人達、少数民族、肌の色で差別される人達。
○経済的な弱者。
又、弱者は前記条件を併せ持つ場合が多い。


 所が政治の現実は、(建前は別ですが)東西体制の如何を問わず、強者、恵まれた人達と連帯して進行する。弱者も亦其れを当り前として受け入れる場合が多い様に思う。又弱者は弱いが故に、常に味方を裏切り、若しくは裏切ろうとする。

 私の知人が昔、「アホと貧乏人を、欺ます事は最も罪深い事だ」と言ったが、権力者たる者は常に此の悪事を平然と行う事である。そうしてのみ存在出来る。

 理想を追い求めで得られるのは、恐らく自己満足と苦笑位だろう。でも其れは亦それで良かろうでは無いか。

 九、専守防衛
 五十年前大日本帝国は生きんが為と称して中国へ侵略戦を始めたのです。即ち国を守る為と言って侵略戦を始めたのです。

 今軍事費はGNP一%を突破しました。大軍備は着々と進められて居ります。更にナショナリズム強化の為、教育改革を行い、靖国公式参拝を行う。靖国合祀者の中にA級戦犯、即ち戦争を企図し、計画し、命令した人をも祀って居ります。彼らに依り強制的に動員された人、更には本書に出てくるマクラミン患者収容所と同じ様に戦陣訓で殺された人を祀って居ります。呉越同舟であります。此の人達を顕彰する事は「何日の日か侵略戦を再開する」と言う明らかな意志表示では無いでしょうか。本当に自衛隊が専守防衛に徹するのならば、日本が過去に只一回だけ侵略された実例たる元冠の戦いに倒れた勇士を国家として顕彰すべきであります。神風と言う名前の台風に、国土防衛の功績を与える可きではありません。

 一二七四年文永の役では、火薬を用い、集国戦法を使う近代化蒙古軍に、弓矢、刀槍のみを用い、一騎討ち戦法をとる日本軍は苦戦し、一日で大宰府まで攻め込まれました。然し此の時の日本軍は国土防衛の為、極めて勇敢に斗い、元軍を苦しめた為、戦斗人員の揚陸、増強に努めざるを得ず、食糧、宿営、資材、其の他の輜重物資揚陸を二の次とした為、宿営は船上に頼らざるを得ず、台風で全滅したのです。若し当時の武士団に戦意乏しければ、元軍は易々として、兵員、物資の揚陸に専念した事でしょう。其の後台風が来て、船を失えば文字通り背水の軍となり、戦意は強化され、九州を手始めに日本は蒙古の支配下に入った事でしょう。弘安の役に置いても全く同じことです。其の後の日本は高麗と同じく、民衆の苦しみは甚だしいものが生じた筈です。

 軍拡派の人達の口から嘗て一度も、対馬の宗助国、壱岐の判官景隆寺の専守防衡戦に倒れた勇士の事を聞いた事がありません。外国への侵略者を讃え、防衡戦の勇士は忘れ、其して「専守防衛」の声を大にする。羊頭狗肉よりも尚甚しく、羊頭腐肉の類と言う可きです。

 自衛隊の今成す可き最優先の戦力増強策は博多湾頭に千億を投じてでも元冠勇士顕彰碑を建てる事です。傍には記念館を建て、当時の記念品を集め展示する事も大事です。国家が巨費を投じ、自衛隊員が昼夜立哨して敬意を表す可きです。此うすれば国民は始めて「自衛隊は専守防衛軍だ」と信ずる事でしょう。自衛隊員も精神的な拠り所を与えられ、其の士気は揚る事でしょう。

 更に近隣アジア諸国も安心するでしょう。強大な経済力を以て外国へ進出し、大軍備を持てばお隣りさんが心配するのも当然です。

 十、リッジウェイ将軍の「朝鮮戦争」
 表記の書物を先年読みました。

 第二次大戦当時の日本陸軍高級将校の中に甚だいかがわしい精神の持主が居た事は皆知って居ります。空軍特攻隊員を作り、出撃させ、自身は最後の飛行機で台湾へ逃げた中将や、部下に死を命じ与えて、己れは自殺の真似をした大将、軍指令官としてインパールに出撃させて、多くの兵士を餓死させ乍ら、後方安全地帯で豪遊をつづけた中将の話。餓えた兵士に洋式便器を負わせて歩かせた中将等、揚げれば真に数多い。勿論、終戦時責任を執った阿南陸相以下立派な人達も亦多く居ります。

 然し日本軍は総じて米軍に比べて人間教育が出来て居なかった様に思います。沢山の本で、対米英戦では物資面と並んで精神面でも大変劣って居た事が指摘されて居ります。話を戻して、朝鮮戦争の時の、マッカーサー将軍の後任者リッジウェイ将軍の「朝鮮戦争」を読めば上下勝敗は明らかです。司令官の心構えが天と地の差です。其の責任感、行動、誠に感動しました。内容を書く事は著作権を侵す事にもなるので、割愛しますが、心ある方は是非読んで下さい。立派な本です。

 マシュウ・B・リッジウェイ著 朝鮮戦争
 株式会社 恒文社 発行

 十一、何故不合理な軍隊が生れた?
 私は今迄帝国陸軍の不合理を書いたが、何故そんな軍隊が生れたのだろう。

 思うに日本陸軍の建軍時期、即ち明治時代から敗戦迄は基本的に水田農業杜会だった。農業は施肥、除草、消毒、深耕等、如何に努力しても自然が支配します。干魃、大雨、台風、冷害等は人間の努力を一瞬に踏みにじります。其れで最後の頼みとして、超自然の神の恩恵にすがらざるを得ません。皇国史観が生れ、皇軍精神が強調され、神兵日本軍を造る経済的、社会的背景が厳存したのです。更に同じ農業社会でも畑作農民は自己中心に行動出来ますが、水田農民は複雑な水利体系に縛られて、地域での一体性の中でのみ生きる事が出来ます。だから主体性を欠く人間が生れ、其れに便乗する支配が行われ、軍隊も亦そんな軍隊になったのでは無いでしょうか。

 其れでは今日の日本は、と言えば完全な工業社会です。工業は徹底した合理性の追求が行われます。

 では自衛隊も合理主義的行動をするでしょうか。自衛隊高級軍人が「伝統に戻れ」と呼号し、国民大衆に深く残る前近代性を利益とする力が支配して居る社会です。だから国民が合理主義を体で覚え、血肉と化すには未だ可成りの時間が必要であり、其の間の自衛隊に付いては余程の注意が必要かと存じます。

 十二、上杉・武田両軍
 信玄、謙信、川中島の決戦は日本人の心をゆさぶるものがあります。

 集団戦に徹した甲州軍と、乱戦を得意とした越後軍。両将の共通点は只一つ、戦国時代の常として激しい肉親間の争いを経験した事位でしょう。

 所で信玄は幾度び軍を率いて国を出ても、本国は常に平安でした。然るに謙信は上杉官領の名跡を継いで十国峠を東へ越え、関東に出れば本国に必ず反乱が生じ、関東を平定して十国峠を西に越えれば忽ち関東が寝返る。謙信は生涯此の繰り返しで、部下の反乱に悩まされ続けた。

 其の後忠節無比、団結固しと見られた甲州軍は、信玄の後継者勝頼が長篠、信楽原で一敗するや、一家一門を先頭にして雪崩を打って寝返り、勝頼が天目山で白刃する時は、只一人と言って良い程哀れな姿だった。

 然るにバラバラの筈の上杉家は養子景勝が百万石の大守から三十万石、次いで十五万石と没落して行く過程で殆ど一人の脱落者も出なかったと言われる。一城の主から徒士(歩く兵士)にまで落ち、手内職までしながら上杉から離れなかったと言う。何が原因でしょう。此の事を流動から安定へと動いた時代の差のみで説明出来るでしょうか。或いは信玄、謙信の人柄の差でしょうか。

 大変面白い、楽しい話題ではありませんか。

 十三、野戦軍と攻城戦
 侵攻軍は機動性利用の野戦軍であり、防衛軍は築城(永久、半永久、簡易、即席)に依って対抗する。

 古い日本に於ける機動的(馬匹利用)野戦軍の代表は、南北朝期奥州軍を率いた北畠顕家、源平戦の木曽義仲、此れに準ずるのが武田信玄率いる甲州軍では無いでしょうか。

 東海道以西は馬産地で無い為、歩兵主力だった様です。

 武田勝頼が機動力優位を利用出来ない野戦軍を以って、要塞堅固の高天神城を強襲して大苦戦をした経験を活かせず、簡易築城たる馬防柵を作って待ち受ける織田軍を長篠、設楽原に正面攻撃をして大敗しました。

 歴史に若しもはありませんが、長篠に於いて、歩兵部隊で設楽原の押さえとし、馬匹編成の機動部隊で迂回作戦を行い、織田軍を背後から強襲し長駆して尾張美濃京都を目指したならば何うなったでしょう。茶呑み話としては面白いと思います。

 織田、豊臣両軍は歩兵王力で侵攻軍を組織し、烏取城、高松城、伊丹城、大阪城、小田原城を攻めたが、総べて力攻めをせず、包囲して餓死する迄待つ戦法を執りました。野戦軍は無理な城攻めはしないのが常です。効少なく、犠牲のみ大きいからです。と言う事は守る側は常に最大限築城す可きだと言う事だろうと思います。

 アジアでも北方騎馬民族は機動力を利用して、運動戦を行いつつ中国へ侵攻しました。防衛する漢民族は総べて万里の長城を代表として北京城、西安城、閉封城其の他多くの城郭に依って斗いました。

 騎馬利用の機動的野戦軍の代表はジンギスカンです。彼等は高麗王朝期の朝鮮半島へも侵攻しましたが、住民は城郭を築き、山城にこもり抵抗し、強力な騎馬蒙古軍を悩ませ勇名を残しました。近くは朝鮮戦争でも圧倒的な機動力と火力を持つ米軍に対して、貧弱な武装の北鮮、中国軍は山地築城で何とか対抗しました。

 ドイツ野戦軍は第一次大戦でフランス国境で機動力を生かせない攻城戦を行い多大の消耗をしました。

 ソ連軍は建軍の方針が防衛軍で無かった為に国境線に築城をせず、ヒットラーの侵攻に際して、機動力、火力共に劣る自軍を遭遇戦的戦斗で大きく失い、多数市民をギセイにし、辛うじて国土の広大さに助けられました。又独軍の長い補給線に対するゲリラ戦で時間を稼ぎ、且米軍の軍事援助で立直りました。ソ連軍が防衛軍として建軍され、国境築城をして居たならば、レニングラード、モスコー近郊まで侵攻される事は無かったでしょう。

 イタリア半島でも優勢な米英軍が、モンテカシーノの山地要塞に依る独軍に手こずり、空軍の援助で辛うじて攻略した事でも、野戦軍に対する築城の効果は明らかです。

 日本軍が第二次大戦初期ルソン島に侵攻して、築城済みのバターン半島にこもる米比軍に大苦戦を強いられた事。逆にノモンハンで防衛的立場にある日本軍が何の築城もせず、圧倒的機動力、火力を持つソ連軍に惨敗した事。又ルソン島にあった日本軍が、昭和十七年初めのバターン半島戦の教訓を忘れ、ニューギニアで友軍が死斗を続けて時間を稼いで居る時、軍司令部は酒宴に明け暮れて、マニラ北方山地に兵員、食糧、武器、弾薬の集積、築城等を怠りました。然も圧倒的力を持つ米軍とマニラ北方平野で斗い、惨めな敗戦を致しました。更には愚かにも、マニラ其の他の都市を焦土と化し多くの比国民を死なせ比国民に抜き難い反日感情を植え付けました。マニラ海軍防衛隊は三万人近い徒手空拳の部隊で全滅したのです。(マッカーサーは日本軍上陸するや、さっさとマニラを撤退し人命と市街を守りました。)

 日本軍はこんな犠牲を出して丸裸に近い状態で山中に逃げ込み、二十九万余人の死者を出しました。

 サイパン島には埠頭に大量のセメントが山積みされ、築城は一切成されなかったと記録されて居ります。

 其れでは日本軍中央の「最高の防御は攻撃である」と言う空威張りの威勢の良い、身の程知らずの方針に従わなかった例や如何に。

 硫黄島の栗林中将、。タラワ、マキンの小島にこもった部隊、或いは中国雲南省南部の拉孟、騰越守備隊等は極めて貧弱な物的条件下で鋭意築城に努め、ひたすら防御に徹しました。其の為大量の犠牲を出した、米、中国軍は感嘆して最大級の賛辞を呈しました。同じ死でも軽蔑されて死んで行くのと、賞賛されて死んで行くのと、何方を選ぶ可きでしょう。

 又沖縄戦で現地軍が簡易乍らも、南部の築城陣地戦を望んだのに、東京の参謀本部は陣地を出ての野戦を強要し不必要な大打撃を受け、戦力を大きく失った、等の事例は数多くあります。

 日本軍は本質的に侵賂用軍隊だった為に、防衛=築城と言う発想に欠けて居たのでしょう。又陸軍大学では、裏付けの無い空威張りをする事と、言霊の幸はう国に相応しく、必勝の信念、無敵皇軍、皇軍無敵と言った類の呪文を教えて居たのでしょうか。又願望と現実を区分出来ない病気の発生地だった? 此の奇病は発生を繰り返すらしく、日本列島が、不沈空母の一列単縦陣に見えたりする患者も現れる。

 侵攻軍は機動力利用の運動戦を主とし、防衛戦は築城して陣地戦に持ち込む。此の単純な原則を無視した大日本帝国の高級職業軍人とは、一体何者だったのでしょう。其の亡霊達が再び日本の空を覆う事の無い様に願うのみ。

 十四、指揮官=記憶力、思考能力、品性

 指揮官の無能は兵士の血潮に依ってのみ補われる。ノモンハン戦の関東軍司令官。ガダルカナルに於ける大本営参謀。インパール戦のビルマ派遣軍司令官、同じく十五軍司令官、更に彼等の助手に過ぎなかった大本営、参謀本部。彼等は全て「必勝の信念」を大声で呼号。記憶力のみ異常に肥大し、思考能力、並びに品性欠如の職業軍人を育てた陸軍の教育、此等の特徴は戦後日本の総ての教育に引き継がれなかったか?断ち切れただろうか?

 次に諸行無常、有為転変は世の慣い、と言う。社会は動き、変化するものだと言って居るのです。仏教の創始者釈尊も「人生を過程として捉えよ」と訓えて居ります。記憶されるのは過去であり、未来への展望は思考能力の如何にかかって居るのです。過ぎ去った日露戦争を不変の鉄則と考えた日本軍。単細胞的思考の代表?

 次に品性の点で誠に不思議な現象が見られます。考え方が正反対の筈の日ソ両軍が、中国大陸の日本軍、満州のソ連軍共に蛮行の点で名声を高めた事です。所がソ連軍と同じマルクス主義を信ずる中共軍は品性高潔で立派な軍隊だった。極めて貧しかったにも拘わらず。此の事は其等の国の軍隊の品性は、各国権力者の人格の反映かも知れません。更には其の様な権力者を生み出した国民性の現れかも知れない。或いは伝統、文化の差かも知れません。殊に中共軍の場合、中国文化の集大成を為し遂げた宋朝以後の集積の結果かも知れません。何れにしても軍隊の品性と言う問題は、私如き者には「判らなぁい」の一語です。何れにしても戦争と言う壮大な愚挙、悲劇の繰り返しは御免蒙りたい。

 十五、農婦の悲しみ

 社会の歪みは最終的には農民に皺寄せされる。

 家庭の矛盾は主婦に集まる。

 此うして此の世の矛盾、歪みの総ては農民の主婦に集まる。哀れなる者、それは農婦である。

 神よ仏よ(存在するならば)農婦の来世は必ず極楽へ導き給え。

 十六、人間の平等指向

 三五〇〇年前、エジプト古代王国第十八王朝のアケナトン王は「死に依って平等となる前に此の世で平等な人間になろう」と宣言しました。

 二〇〇〇年前インドのお釈迦様は、厳重な階級支配、差別を基礎とするヒンズー教を排して、仏教を興し「人間総て、是れ皆平等である」と訓えられた。

 その頃、中国後漢の光武帝は、「天地の性人を貴しとなす」とドレイ解放の詔勅を何回も出して居る。

 一五〇年前マルクス・エンゲルスも階級支配に挑戦し、平等社会実現を目指した。

 其では此等の先師の後継者を以て任ずる人達の姿や如何に。地下の先師は泣かれて居ないでしょうか。

 想うに人間社会とは一握りの支配者と、其の人達に奉仕する為に生存する大衆とに別れるものらしい。人類滅亡の時至る迄。

 以後二〇〇三年改訂の時増補
 我が日本では、現人神たる、天皇支配の明治憲法から、人民主権の昭和憲法になっても、民衆のドレイ根性は治りません。昔のチョン髷が頭の上から、脳味噌の中へ移転しただけの事です。シモジモのお頭は石よりも固く、おカミにとっては誠に御都合宜しく、お目出度い限りであります。私は敗戦後「人間は総べて平等。王も民も、白も黒も、男も女も、皆等しく飯喰って糞垂れて、永遠の旅に出て行くのだ。人間一切、尊卑貴賊の差などあるものか、あるは、ただ器量の大小のみ」と言い続けて、変り者としての生涯を過す。

 十七、人間のみが造った道具
 動物の中で人間だけが、己れの利便の為に造りし道具あり。

○神・国・銭の三種也。始め子猫の如く、長じて猛虎となった。その道具成長して巨大な主人となり、造りし人その奴隷となる。
 上記三種の狂信者者程おぞましき人は他にはありません。その代表は生きて、己れの銅像や肖像画を建て並べる人達です。

○神・人間の行動基進、倫理の監視者として天上に座す唯一の支配者。太陽崇拝が起源で全宗教の結集点・出発点。と考える。

 基本的に人が神を造ったのであって、神が人を造ったのではありません依って何教を信ずるも、信ぜざるも自由にしてお互い侵すべからず。趣味と同じく、花木・動物・絵画・囲碁.将棋.音楽・魚釣り・等々各人好きな様にして、教団も趣味の同好会・クラブと見れば世界は平和になる。

 古今東西、今日只今も全能の神の御名に於て如何なる残虐行為が正当化されたか。史書を見れば明らかです。私の称える「信ずるも信ぜざるも自由にして侵すべからず」と言う考え方は、私がどれ程、宗教と教団に対して寛容であるか、御理解願えると存じます。

 同一神を信じ乍ら、ユダヤ・イスラム・キリスト教原理主義者の争いなど愚行の極みです。その代表が米軍のイラク侵攻です。神を高く掲げて、国益と銭(油)を求める。神は天上で大変お困りだろうと存じます。

○国。人々の安全を守る為に造った道具、手段です。下駄や衣服や杖と同じです。雨傘、日傘、雨合羽見度いなものです。

 それ等に神性を持たせ、神聖化して民衆を隷属させようと努めて来たのか、古今東西の権力者が望み、実行して来た事です。

 国とは人間の発展段階に応じて出来たのであって、国が人間を造ったのではありません。だから国の形は古来様々に、姿と内容を変えて来ました。人間が己れの必要に応じて造り更えて来たものです。

 日本も一七〇年前の明治迄、藩と言う名前の二六〇余りの「我が国」に分かれて居たのです。日本連邦と呼ぶのが正しいのでした。九州と東北では全然言葉が通じなかったのです。即ち完全な異国の集まりで、徳川幕府と言う連邦政府があったのです。その間田沼意次と言う大改革者が現れたが、少し早過ぎた。丁度織田信長が時世を先取りし過ぎたのと同じです。改革者とは常に保守派の反撃で倒される運命に見舞われるものらしい。然し古着は必らず脱ぎ捨てられて行くのです。田沼失脚後八O年で明治となり、田沼の改革と同じ改革をやったのてず。その後朝鮮王国、満州地方を占領して大日本帝国と自称した。然しキン花一朝の夢、僅な年月で事実上アメリカ帝国の一属国になりました。アメリカ帝国も巨大になり過ぎた。恐龍と同じく大きくなり過ぎて自己の重みで潰れる日が訪れるだろう。既に終りが始まった様です。

 古今東西、多くの国が生れて消えて行きました。神聖にして永遠なる国家など絶対にありません。国家もその支配者も共に一瞬輝いて、一定の役割りを済ませて消え去るのです。

○諸行無常。万物流転して止まず。何度も繰り返すが、この法則だけが不変の鉄則です。

 ヒットラー、スターリン、毛沢東、東條、金日成、サダム・フセイン等々を非難する前に、彼等に躍らされた民衆の悲哀を忘れない事こそ大切だ。日本人は穏和な風土と移り変る四季に恵まれた為か、物忘れが大変良い。半世紀前の戦禍をもう忘れた御様子です。同じ失敗を繰り返す事は如何なものか?

○銭。この世でしか使えません。天国では使えません。そんな物を命よりも大切にする人。又骨董品と間違えて愛玩する人達。正気の沙汰では御座居ません。日本人は黄金教の狂信者。但し、権力は人を支配する為に使用する事多し。要注意。哀れな銭の亡者多し。

 十八、弱者連帯
 子供の時の貧困と母の病気は、私の人間形成を方向付けた。救済(上から見る)でも無く、援助(後から押す)でも無く、弱者と共に歩む姿勢です。痛みを共に感ずる事が出発点です。生涯頑固に守り通して満足だった。

 十九、人生とは
 流星の如く一瞬輝いて余韻を残して闇の中に消えて行く。果敢ないものだ。

 万物総べてが生れ、成長し、老衰して消えて行く。大宇宙も生れて百六十億年とか、地球も年令四十億年とかで、何日かは爆発してチリ、アクタになる。地上の王者恐竜も二億年で消えた。生者必滅は絶対の法則です。秦の始皇帝の様に不老不死の仙薬を求める愚は止めて自然体で行きましょう。花鳥風月を楽しみ、世の激動やその中を泳ぎ廻る人の姿を静かに眺める楽しみは得難いものだ。

 二十、革命から改革へ
 比国から奇跡の生還をした私は、再び戦争を起させまじ、と固く決心して居た。それで反戦争、反封建、反軍国主義を掲げる日本共産党に入党して二十数年奮斗した。その間に共産党とは建前と本音は別物である事を知った。即ち白い皇帝の代りに赤い冠と衣を着た赤い皇帝を造る団体に過ぎない事だ。

 更にマッカーサーが農地解放と言う大革命をやった為に、農民は赤旗を日の丸に持ち更えて居る事を知った。

 決定打はソ連軍のチェコ侵入だった。それで激しい党内論争の末に離党した。今世界の共産党を見るが良い。実体にふさわしい存在となった。私はその後革命から改革へ梶を切ったが、余り間違った選択では無かった様です。東欧共産政権崩壊の時は嬉しかった。その国民への祝福と共に、私自身に対して。

 二一、会話の仕方
 埋立地への三菱商事K.K.の鉄鉱石貯溜場計画の廃止に伴う後始末で上県して、県庁の部長達とやり合った。その時私は「町民への迷惑料」なる新造語で後日一億円支払わせた。(当時町民税は一億に足らず、朝日新聞全国版に載った)

 その後で高級料亭へ案内されて懇親会となりました。その席で佐藤工業K.K.の山田専務(七〇才前で土工からの叩き上げとかで、ドスの利いた話し振りでした)から「平岡よ、あんたはケンカ早い様なので一つだけ参考にされよ」と教えられました。

 @立話しは簡単で結論が早いが、暴力沙汰になる事あり要注意。
 A座談は冗漫に流れる。結論が出にくい。
 B椅子に掛けて机を前の話しが一番事務的に進行する。

以来四〇年教訓を守ったが、身にしみて有難く感謝する事多し。懐かしい人だ。
 
 二二、交際
 基本は相手の立場を認める事にある。人盛なる時は門前市をなし、斜陽と共に人疎になる。与える事出来るから、受けに来る人が集る。受ける物・事無くなれば大波の引く如く人は去る。利害に敏なる人にすれば、理の当然であり、私も「去る者は追わず、来る者は拒まず」の姿勢。

 その退き際は人柄に依り二種に分れる。第一は黙って静かに消えて行く。第二は何十年訪れ、受けた物、事多き人が騒がしく「あんな大悪人とは知らなかった」と悪口雑言のこじつけ話、造り話の山を残して急ぎ逃げ走る。その姿は泥棒が追う人を指して「人殺し!」と叫んで、傍で見る人を、たぶらかして逃げる姿を連想させる。彼等も矢張り人の子、曾ての日に受けた物・事が心の重荷になって居るのでしょう。憫笑の念が沸き御同情申し上げる事が多い。

 尚、与え・受ける事少なかりし人は、何の風も吹かず従前通り茅屋を訪ねてくれる。楽しい曰々だ。

 二千余年前、中国法家学説の管子に曰く「愛は憎しみの始也。徳は怨の本也」と。即ち「恩は仇で返される」例が沢山生れますよ、と言う事。

 だから、己れの目線、考え方、価値観で人を推量してはならない。自分とは一味違うものとして接すべきだろうと思う。

 桜・梅・椿・ツツジ・百日紅等々万花それぞれ、時に応じて色、形、香りを競って散って行く。その姿見れば正に人生と同じです。楽しき哉人生。残日幾何かは知らねども、友人、知己と共に日々を楽しみたい。

 二三、争い事
 兵を起すは易く、退き時知るは難しい。国も個人もケンカを始めるのは簡単だが、治め時が難しい。ナポレオンもヒットラーも東條も退き時を知らなかった。

 今プッシュ米国大統領は、アフガンで泥沼に足を突っ込み、更にイラクを制した。次はシリアに目標を移すか。流される両国民の血潮を、いつどうして止めるのだろう。中国の春秋戦国時代の史書は種々と教えてくれる。野外での砲弾の交換よりも、室内でテーブルを挟んだ言葉の交換の方が良い。樽俎折衛、の言葉あり。

 二四、絶対と相対
 世の中で絶対と言えるものは、自然現象だけと思えば良い。特に「絶対の正義」なる言葉程、曲者は無い。他と比較して梢善に近ければ極く上等の部で、殆んどが騙りと思えば良い。又総べての物事は流転。変化するから、今日の正義は明日の不善となる事あり。簡単に信じ込むな。狂信者にはなるな。単純思考・白紙人間は我が身も社会も亡す者だ。

 二五、二宮金次郎・尊徳 一七八七年生(天明七年)
 釈迦も孔子も皆人間である。経文や経書と言っても、結局は人間の書いたものである。と言い切った大胆な意見の持主である。即ち徹底した合理主義者で、単なる勤倹力行主義者で無かった。彼の行跡を見れば良く判る。矢張り尊敬すべき指導者と思う。同時代に生きた田沼意次と相通ずるものあり。戦後宰相では石橋堪山の短命が惜しまれる。

 終章 軍隊
 戦記の最後として、軍隊の名と実を書いて終戦とする。

国名 軍隊名 備考
日本 皇軍 天皇の為に在る。
ドイツ 国防軍 国家の為に在る。
フランス 国民軍 国民の為に在る。
中国 人民軍 人民の為に在る。
ソ連邦 赤衛軍 共産党(書記長)の為。

(第二次世界大戦の経過報告とも言える)


     

次へ続く
 
      

    2003年5月再版発行 
    「飢餓の比島 ミンダナオ戦記」より転載  禁無断転載(著作権は平岡 久氏に帰属します。)
     ※(自費出版他発行分NO.94)
    copyright by hisasi hiraoka 2003


アイコン 次へ 著者略歴
アイコン 戻る 続 あとがき アイコン 戻る 「飢餓の比島 ミンダナオ戦記」目次へ
アイコン 戻る 戦争体験記の館へ アイコン 戻る 軍隊・戦場体験記
アイコン 戻る 他の出版社一覧へ
アイコン 戻る 自費出版の館へ