これは著者の平岡 久さんがご自身の青春時代であった24、5才の頃の
軍隊の体験をご自身の記録を元に昭和57年まとめ、自費出版にて発行され、
その後2003年に増補改訂版として再版されたものです。
平岡 久さんの許可を得て、ここに全文を転載致します。
著作権は平岡 久さんに帰属します。
よってこの記事の無断転載は厳禁です。
2.輸送船
五月十日 釜山港 出発
此の日は、大変な雨降りでした。
其の中で荷物の積み込みをした為、全員ズブ濡れになりました。又此の師団は歩兵などは、朝鮮人が半分も占めて居り、ビックリしました。
○ 師団は潜水艦攻撃を考えて、各部隊を、真二つの縦割りとし、半部が海没しても、残り半部で、縮小された師団として行動できるように編成乗船しました。
一半部が主流で吉備津丸、二半部は玉津丸で、四野病の二半部長は谷本正夫中尉で、私も此の中に居りました。
さて、船室は誠に狭く、其所へズブ濡れの兵隊が押し込まれた為、中は湯気モーモーです。船室は座って頭を打たない程度の高さ、人間のみでツツ1杯の所へ、大きな背嚢を膝の上に乗せて、師団の偉いさんの巡視を待たされたのには、情けないやら、アホクサイやらで、腹の立つ事でした。巡視が済むと早速甲板に上がり、大息を吐き、服を乾かし、幹部の形式主義を嘲笑したものでした。此うして門司港外迄行き、船団編成を待ちました。再び見る事ありや、無しやと、思いつつ種々と思い廻らし、日本の山野眺めて日を過しました。
五月十三日 門司出発
七、八隻の輸送船団を組み、数隻の小型駆潜艇が両側に付き添い、一隻の駆逐艦が先導して、ジグザグの行進が始まりました。
尚吉備津、玉津の両船は、敵前上陸用に急造されたものとかで、船内至る所に電気溶接の火花が飛び散り、削り落として無いため良く手をけがしました。
又、船底には、上陸用大発がレール上の台車に乗せられ並んで居りました。
船の後尾は今日のフェリーボートの様に、トビラが開き兵員を乗せた大発が続いて海上へ、突出出来る様になって居りました。航海中は毎日交代で「対潜水艦監視」に出ましたが、舷側に並んだ兵隊はおしゃべりばかりで、魚雷なんか真面目に見て居る者は殆ど居りません。恐らく誰もが腹を決めて、運命に従う心境だったのでしょう。
只此の頃より、面白い風景に良く出合いました。其れは軍帽を強風で、海上へ吹き飛ばされる人達が多かった事です。兵隊は室外へ出る時は必ず、帽子をかむらねばなりません。無帽は絶対禁物で、上官に見付かると大目玉です。でも、何回かの「非常呼集」で甲板へ駆け上がる「退船訓練」がありましたが、無帽組が沢山居りました。其の内に四野病発着の中にも、二名無帽組が出来ました。すると私には言い易いのか、「班長、帽子を飛ばしました」と言って来る。帝国陸軍では、下士官、古参兵が兵隊に信頼される為には、どうしても、典範令(軍隊の教科書)には無いが、絶対欠く事の出来ない特技が必要なのです。其れは泥棒の技術です。私は早速、何所かの総理大臣では無いが、「よっしゃ、判った」と請け負いました。それで考えた末、五月二十日過ぎ即ち上陸直前の深夜、行動を開始しました。何層にもなって居る、薄暗い船室のろうかを歩きまわりました。グルッと見回して皆寝て居る事を確かめた後、ローカの縁に頭を並べて眠って居る兵隊の中で、頃合の良さそうな奴を、足で軽くけって見ます。目を覚まして怒鳴られると、「済まん、済まん」とお詫びを言い、ムニャムニャ組から、サッとかっぱらって三ケ入手致しました。
所がさて六月五日上陸となりますと、皆帽子をかむって居るのです。ビックリしました。彼程海へ飛ばし乍ら何故皆の頭上へ帽子が戻ったのでしょう。後で聞くと、師団経理部の荷物の中から、帽子の梱包を探し出して、誰とも無く配給したとの事です。
兵隊の「かっぱらい」上手は先刻承知で、私もやったのですが、「流石になあ」と感心致しました。
五月十九日 マニラ湾到着
無事マニラ湾着。海岸近くに並び繁るヤシの木立を眺めて遠く熱帯の地に来た事を痛感。
又マニラ湾に沈む夕陽の美しかった想い出は今も目に浮かびます。戦後何回かマニラ空港を通過して夕陽も見ることがありましたが、十九年の夕陽が一番美しかったと思います。
夕方一部公用上陸者が帰船しましたが、四野病薬剤少尉が酔っ払って「チイチイタッタ、チイタッタ」と唱い乍ら抜刀して歩くのにはビックリしました。此の少尉さん、九州の有名大名の子孫とかですが、アル中患者で後日病院の薬用アルコールを盗んで飲むのには閉口した様です。終いにはベッドに縛り付けられて垂れ流しの状態でした。
五月二十二日 マニラ出港
五月二十三日 吉備津故障
ルソン島バタンガス沖で、吉備津丸エンジン故障。
玉津丸は其の儘先行。
吉備津丸乗船部隊はバタンガスへ上陸、マニラへ戻り、一足おくれて六月五日スリガオへ到着しました。
次へ続く
2003年5月再版発行
「飢餓の比島 ミンダナオ戦記」より転載 禁無断転載(著作権は平岡 久氏に帰属します。)
※(自費出版他発行分NO.94)
copyright by hisasi hiraoka 2003
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