2018年3月30日に、遺族側から出したセンター調査に対する質問書の回答を受け取り、原因究明・示談成立となって表面上は了承できるかたちとなって終わりました。
2015年12月25日に主人が亡くなってから2年3カ月が経過していました。
後にいろいろな方から、比較的短期間で終了したのでは、と言われましたが、主人が帰ってくるはずはなく、どうしたら主人が許してくれるのか、彼だったら落としどころはどこにするのかを探る毎日で、全てを終えても気分が晴れることはありませんでした。
ただ、当時14歳だった息子が高校3年生になっていました。容姿が少しずつ主人に似てきていることが、主人が生きていた証となっていて、気持ちが穏やかになることもありました。
息子が大学生になったことを機に、仕事を辞め、大学の近くに一緒に住むことになり地元を離れました。
離れてみて、誰も医療事故のことを知らない人たちと交流することで気持ちの切り替えができるようになり、今度は残された自分にできることは何だろうと考えられるようになりました。
もしかしたら、そこに主人の落としどころを見つける何かがあるかもしれないと行動を起こすことにしました。
ここでは、その後に医療安全・患者安全の活動を勉強し始めて、『遺恨』が『理解』へと転換していったことを記録していきたいと思います。