理解へ

医療安全の活動に参加をして、たくさんの被害者家族や遺族の方にお会いして学ぶことで、自分の止まっていた気持ちが動き出しました。

私は、主人をとんでもない病院に行かせてしまったと、他の方も同じ経験をしていると思っていました。でもそれは違っていました。それぞれが全く違った経験をしており、本当に百人百様でした。それも私とは比べものにならないくらい悲しく悔しく心砕かれるお話ばかりでした。

私の経験を語ったときに、会の幹部の方々が「あなたは順調に終わった理想的なケースだ」と言われた理由がよくわかりました。

最低だと思っていた医療機関側の対応が、主人の事故から4年以上を経過して、そうではないということがわかっていろいろな思いが交錯しはじめました。

確かに、管理者が医療事故として報告、院内調査、5回に及ぶ遺族への説明、センター調査、補償、全てを行って医療機関側は誠意を尽くしている、と言われればそうなのです。

もちろん、主治医にとって軽度血友病を甘くみてしまったことは大きな間違いでした。でも説明責任を果たそうとしている態度には間違いはなかったのかもしれないと感じはじめました。

それは、この医療機関を選んだ主人の選択は、全てが間違っていたわけではないということを意味しているようにも感じ、「遺恨」という糸が少しほぐれたような感覚がありました。

To Error is Human - 人は間違える

この言葉の意味はわかっていましたが、4年という時間を経て、初めて医療機関側の立場に触れて、本来の言葉の意味がわかりはじめたような気がしました。

そして、私は、最低でも、私の経験が標準であるべきだと思うようにもなりました。


一緒に活動をしている方々は20年以上も医療安全活動をしています。その方々から最初に2つのことを学びました。

一つは「医療は不確実である」ということです。

確かに見える部分を治療することよりも、見えないところを治療する時には「確実に治療できる」という確率は下がります。もちろん見えるところでも100%治せるとは言い切れません。

「失敗しないので」なんて言う医師や「神の手」を持つ医師なんて実際にはいません。そう言われる医師には、周りに良いスタッフがいて、自身も命に対して一つも妥協しないのだと思います。

それでも救えない命があります。間違いから命を落とすことがあります。そのことを被害者が理解するまで早期に説明を尽くすことがいかに大切なことかを学んでいます。

なぜなら、きちんと原因究明をした被害者や遺族は訴訟になることはほぼないのです。


もう一つは、「医療機関側の当事者も傷ついている」ということです。

それを聞いたときに、私には心に引っかかるものがありました。主治医が最後(5回目)の面談の時に、主人のことを話しながら泣いていたのです。

家族は「パフォーマンスだ」と言っていました。私も当時は「泣いて許してもらおうなんて」と思っていました。

しかし、4年が経過して、その言葉を聞いたとき「本当は主治医も心に傷を負ったのかもしれない」と思うようになりました。

それだけではなく、主人の死に立ち会った看護師や介護士たちも心に傷を負っていたのかもしれないと思うようになりました。実際に、関わった人たちが医療機関を辞めてしまった話を耳にしていたからです。


私は医療事故調査制度を利用して原因究明ができたので訴訟は考えませんでした。

今考えると、私の提案で、医療機関側がセンター調査をしたことが大きかったと思います。医療機関側がきちんと補償したことも大きかったと思います。

時が経ち、改めて考えてみると医療機関側としては出来る限りのことをしていたのだろうと考えられるようになりました。

医療安全の活動をしていなかったら、きっとわからなかったことだと思います。


活動を始めて数か月後の2020年3月中旬に、気になっていたことを実行しました。

事故を起こした医療機関に電話をしてみました。事故当時、連絡役をしていた事務長が継続して勤めており、各々の近況やその後の医療機関の変化、調査制度を利用した時のことなど、とても友好的に話ができました。

まだ主治医と直接連絡をとる気持ちにはなれませんが、事務長とはメールでのやり取りができるようになりました。このことがきっかけで私の気持ちが一気に変わっていきました。

そこで理解したことは、医療機関側も遺族側も「再発防止」という目的は一緒だということでした。

めざすところは同じということです。

近い将来、一緒に医療安全の活動が出来ればいいと思えるようになりました。