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キリスト教 ひとくち Q&A 160-120625

質問:
  「ある人を赦せません。私のような者には救いはないのでしょうか?」

答え:

キリスト者は「主の祈り」の中で、「われらが人を赦すごとく、われらの罪を赦したまえ」と祈ります。
 確かにこの言葉を字句どおり読めば、あたかも私たちが努力して人を赦すなら、神がその報いとして私たちを赦してくださる、というかのように聞こえます。
 しかし、本当の意味は、まず自分が「赦される」と言う救いの恵みを体験することによって、赦すことを、信仰によって、学んで行くのです。
 「敵を愛しなさい」という言葉も、歯を食いしばって努力しろと、無理を要求している言葉ではありません。そうではなく、私たちが神の恵みに生かされ、神の愛を戴いて、自分を憎む人、自分にひどい仕打ちをする人にさえ、その愛によって接する様に、という期待が込められているのです。
 私たちがなかなか人を赦せないからこそ、祈り、私たち自身が神の赦しをいただき、変えていただき、初めて人に対して違ったかかわり方ができるようになります。
 「互いに忍び合い、誰かが他の人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなた方を赦して下さったように、あなた方もそうしなさい」 (コロサイ三章十三節)

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