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『閑人亭日録』Diary2013年

6月15日(土) 戯論

 鷲巣繁男『戯論(けろん)』薔薇十字社1973年初版の副題は「<メディアム加藤郁乎>あるいは詩をめぐっての逍遥游」。目録は以下。旧字体だけれど、変換多難なので、ここでは多くを新字体で表記。

《  連続講談 獨相撲郁乎雑俎  読み ひとりずもういくやのざつそ

   聖体礼儀 後世荒流耶異聞  読み のちのよもあれるやいぶん

   田園夢譚 無何有牧歌迷論  読み むかうなるぼっかめろん

   南無三宝 摩訶涅槃入門頌  読み マーハーニルヴァギナガーター

   天下無双 郁乎兒加藤流讃  読み イクヤールカトールサン    》

 本文五百頁余の半分以上を占める「連続講談 獨相撲郁乎雑俎」は、「ダニール・シメオノヴィッチ・ワシリースキー猊下による大世紀巷話・講談的文学架空公演」と銘打たれている。演題。

《  第一席  伽と云う悪魔祓いの郁乎之介が事

   第二席  イクヤヌス・カトゥルス・キクイティウスが神聖痙攣の事

   第三席  イクヤヌス・カトゥルス顕現変容の事

   第肆席  郁乎道人が天に升り地に入り詩を求めてあまねき事

   大団円  イクヤヌス・カトゥルス詩伯終末領主となるの事
         並びに人の世の終りの事 附けたりイクヤヌス・
         カトゥルス化してイクヤノザウルス博士となりイ
         クヤヌスの句を解読の事                》

《  第一席口上「げに物の化の充ち溢れ十方世界騒がしき さればとダニール発心して一本刀土俵入」

   第二席口上「石碣を開いて百八の魔君を走らし 郁乎石砕けて綺言十方に散る」

   第三席口上「いざわれら言語道断殴りこみ ゲバラ死すともゲリラは死せず」

   第肆席口上「もろびとよ字引片手に書を読め かかるバベルの世にし生くれば」

   大団円口上「驚倒す宇宙惑乱の後 紫電一閃人語を解す恐竜の春」                》

 口演者、助演者は今回見送り。面白いので書き写したけど、どうなんだろう、他の人は。本編はいつか読むつもり。

 新しい収蔵庫へ貸倉庫から美術品を搬入。曇天のもと雨は降らず、一安心。とりあえず収納しただけ。これから時間をかけて整理。それにしても、あるなあ。

 ネットの見聞。

《 国破れて山河あり。山河などあるか。放射能汚染の、除染の対象が、あるだけだ。 》

 ネットの拾いもの。

《 引っ込み思案の人のパーティーでは、カーテンの陰に人がびっしり…。 》


6月14日(金) 定本 鷲巣繁男詩集/蝦夷のわかれ

 『富澤赤黄男全句集』林檎屋の小冊子、山中智恵子の「青夜發孤狼」では、高柳重信鷲巣繁男を挙げて記す。

《 赤黄男に欠けていたものは、この秀れた二人の弟子にある、言葉の旅の放下の自由であろうか。 》

 『定本 鷲巣繁男詩集』国文社1971年限定初版は、昨日の『富澤赤黄男全句集』林檎屋とほぼ同じ造本。私好みの本。五百六十頁を越える浩瀚な本の大方は、日本離れした広壮な詩群に占められている。その題は例えば、詩集『わが心のなかのカテドラル』には「世界の崖の金ロ聖イォアンネース」「復活祭の中の孤独なエピグラムタ」「マルキオンの主題による七つの変容と一つの秘儀」「戦士・眩暈者・昏睡者・ダニールのためのシャンソン」などなど。副題は「ダニール・ワシリースキーの書・第参」。ダニールは鷲巣のギリシャ正教徒の霊名。ワシリースキーは鷲巣をロシア風にもじった戯称。英仏独露伊西希羅伯梵語に通じていたというから凄い。詩集『わが心のなかのカテドラル』巻末の「覚書」冒頭。

《 アルビジョア十字軍によって滅ぼされた南仏十二、三世紀のカタリ派は、アポクリファ「イザヤの幻想」を信奉したが、今その原典は異端の故に散逸し、エチオピア訳によつて僅かに我々の前に示されている。アポクリファとは「隠されたもの」に意である。 》

《 世界の古代語の多くに通じた上、現代外国語をも数々読みこなし、しかも不群の生活を守る鷲巣氏のうちには、端倪すべくもない、血肉と化した博大深遠な教養があるが、それが世の一切の教養人の華美軽浮とは無縁の、黒々とした影と思い足取りを持ちた詩の行として吐き出される原因は何か、われわれはさう疑はねばならぬ。 》 寺田透「鷲巣氏と僕」

 この定本詩集には詩のほかに俳句と漢詩が収録されている。その後、歌集も上梓した。ここでは「亡き富澤赤黄男師に捧ぐ」と副題のある「舊句帖・石胎」抄から。

《   火口湖はただ淫靡なる冬日列ねて

    絶壁に沿へば果なし蝶死ぬ天

    地平線蟻越えゆきし記憶のみ

    鶴わたる 旗ことごとく地に焚くべし

    花束とピストル置かれ 不在の神

    ぬらぬらと孤独の雌蕊 天は青

    冬木みな背き立つのみ 汽笛(ふえ)鳴れど   》

 鷲巣繁男歌集『蝦夷のわかれ』林檎屋1974年初版から。

《   死者は皆横顔なりき その夢の果ての廊下に貼りつきしまま

    永遠を灯すごとくにランプといふかなしきものを中心に吊す

    舌長き夏の犬來るこの道の果なきを行かむ今日を狂ふと   》

 時間がたっぷりあるから、思い切って本で遊べる。でも、なんか在庫一掃、大棚ざらえのような。まあ、本があるってうれしいことだ。しかし、整理できていなくて探すのに一苦労。先だって某ブログで推奨されていた古山高麗雄『真吾の恋人』新潮社1996年初版帯付をブックオフで買った記憶があるけど、見つからない。きのう友だちから依頼され、貸す本をあれこれ選んでいて偶然見つけた。そこにあったのかあ。

 昼前、ブックオフ長泉店で四冊。綾辻行人『奇面館の殺人』講談社ノベルス2012年初版帯付、東川篤哉『謎解きはディナーのあとで2』小学館2011年初版帯付、鮎川哲也・編『猫のミステリー傑作選』河出文庫1986年初版帯付、斎藤茂太『豆腐の如く』ちくま文庫1998年初版、計420円。

 午後、東京第二弁護士会環境保全委員会の、源兵衛川が再生へ至る経過の聞き取り調査へ協力。


6月13日(木) 富澤赤黄男全句集

 『富澤赤黄男全句集』林檎屋1976年初版を読んだ。赤黄男は「かきお」と読む。臙脂の布装、濃い茶の革背の瀟洒な本で、見てよし、触れて気持ち良くなる。厚めの本文用紙がまた心地良く、活字の大きさ組み方もよく、愉しい。巻末には高柳重信の四十頁に及ぶ、心を打つ力作「富澤赤黄男ノート」。日記とエッセイ、年譜からなる別冊と小冊子。目を通せば、作品の全体像と作家の生きた激動(戦前の弾圧〜戦中の徴兵〜戦後の苦闘)の時代背景が明瞭に見えてくる。心の行き届いた本だ。

 別冊収録の短文集「クロノスの舌」から。

《 詩は<完成>を希求ひながら、しかも、みづから<完成>を拒否しつづける──この根源的な矛盾が、われわれを詩に趨かしめる。 》

 「富澤赤黄男ノート」冒頭一頁から。

《 おそらく富澤赤黄男という存在は、ちょうど新興俳句運動全体が一つの巨大な投石器となって、俳壇の中天高く打ち揚げてしまった象徴的な記念碑のようなもおで、やがて運動が崩壊し消滅したのちも、同じ位置に依然としてとどまり、更に、赤黄男の死後といえども、なお鮮やかに、そこに位置を占めつづけているのである。 》

 「ノート」の結び近く。

《 戦後の西東三鬼富澤赤黄男は、どちらかというと互いに反発しあうことのほうが多かったように思うが、このとき三鬼もまた胃癌のため死の病床にあった。その西東三鬼の死は四月一日に訪れた。赤黄男の死後、わずか二十数日を経たのみである。 》

 1962年のこと。それから五十年、二人の歳を越えてしまったわい。

《   蝶墜ちて大音響の結氷期

    花粉の日 鳥は乳房をもたざりき

    切株に 人語は遠くなりにけり

    草二本だけ生えてゐる 時間

    偶然の 蝙蝠傘が 倒れてゐる   》

 ネットのうなずき。

《 オリジナルな仕事をするというのは、プロの基礎技術に裏付けられたうえで、自分のなかの素人っぽいところをいかに生かしていくかということだと思うんだ。 》

 ネットの見聞。

《 自転車に使われているネジはイギリス、フランス、イタリア、アメリカとすべてサイズ、ピッチから正逆まで異なる。ネジは時計回りに締めるものと思っているとひどい目に遭う。 》

 ネットの拾いもの。

《 毎日『今日はつかれた〜帰って即行寝よう』と思う。でも仕事終わると元気になってくるんだよなあ。 》


6月12日(水) 俳句に詠まれた画家

 短歌に続いて、俳句に詠まれた画家(美術家)を。一人一句。

《   彼等は婦人として絶えようダ・ヴィンチのまたぎ   加藤郁乎  》

《   向日葵をゴッホの花と愛す娘(こ)よ   上村占魚  》

《   黒き蝶ゴッホの耳を殺(そ)ぎに来る   角川春樹  》

《   新涼の野面ゴッホの耳が飛ぶ   八木忠栄  》

《   ゴッホの糸杉 東風に逆立つ我が蓬髪   高柳重信  》

《   ゴオホの線蜜柑の皮の感触あり   渡辺白泉  》

《   口笛ひゆうとゴッホ死にたるは夏か   藤田湘子  》

《   ロダン観る香水に鼻こはされて   秋元不死男  》

《   峯雲の贅肉ロダンなら削る   山口誓子  》

《   ロダンの首泰山木は花得たり   角川源義  》

《   花こぶし汽笛はムンクの叫びかな   大木あまり  》

《   ルノアルの女に毛糸編ませたし   阿波野青畝  》

《   少年ありピカソの青のなかに病む   三橋敏雄  》

《   夜の書庫にユトリロ返す雪明り   安住敦  》

《   烏瓜もてばモジリアニイの女   有馬朗人  》

《   ヘンリー・ムーアの塑像の脇の落葉籠   石原八束  》

《   露ふれりタウトの夢の藁屋根に   能村登四郎  》

《   くすぐつたいぞ円空仏に子猫の手  加藤楸邨  》

《   鼻くそも石となる空(か)ら風円空仏   金子兜太  》

《   河べりに自転車の空北斎忌   下村槐太  》

 つけたし。

《   トルソオの乳房ゆたかにふくらむをたとえば春の冥さとさだむ   佐藤よしみ  》

《   トルソーは仰向きわれは俯きて月光のなか毒をこぼせり   角宮悦子  》

《   くろがねのトルソー運ぶ油照   秋元不死男  》

《   さびしくて畫廊を出づる畫のなかの魚・壺・山羊らみなみな従へて   中城ふみ子  》

 西東三鬼にはモナリザの句が三つもあるなあ、と『西東三鬼全句集』都市出版社1971年初版を読みながら、三谷昭の解説にたどり着くと、こんな一節。

《 この全句集にも収録したので読んでいただければわかるのだが、抒情が「私」へ回帰する作家と、「私達」へ拡散する作家に分類し、その両方を認めている。ドラマ性を持った作品は、「私達」へ拡散する方向のものといえる。観客へひろがらない演技ではドラマは成立しなからだ。 》

 これは絵画にも通じる。しかし、もっと掘り下げて考える必要がある。貼付された小冊子の加藤郁乎「変身する西東三鬼」から。

《 西東三鬼がもし絵画の道を選んでいたならば、彼はきっとセザンヌ的な物の奥行きを求めた画家になっていたに違いない。 》

 ネットの見聞。

《 放射能をバラまいた人を非難しないで、「放射能危ないよ」って教えてくれた人を風評被害って非難するのは、いまだに意味が分からない。 》

《 三本の矢って、「三本束ねないと折れてしまう」という話だったはず。最近、なんか違う意味で使われている感じ。 》

《 歌舞伎は伝統を守る点でも徹底しているけれど、観客を笑わせようと決心すると、まるで遠慮なく流行を取り込むのが面白いと思う。日曜に場内最大の爆笑は、助六が通行人を呼び止めて驚かせたときのやりとりで、いわく、「待ちやがれ!」「じぇじぇ!」…。 》


6月11日(火) 短歌に詠まれた画家

 ブックオフ長泉店で二冊。岩田慶治『道元との対話』講談社学術文庫2000年初版、米原万里『マイマス50℃の世界』角川ソフィア文庫2012年初版、計210円。それから雨。やっと梅雨本番か。

 美術関連の記事が少ないとの仰せ。画家(美術家)を詠みこんだ短歌を列挙してみる。一人一首。

《   ジョットの壁畫の罅(ひび)をつたひゆく晝の鼠に小さき歯あらむ   葛原妙子  》

《   灰色の二羽の連雀星の冬に吊りてハンス・ホルバイン父子   横尾昭男  》

《   レオナルド・ダ・ヴィンチと性を等しうし然もはるけく蕗煮る匂ひ   塚本邦雄  》

《   ミケランジェロに暗く惹かれし少年期肉にひそまる修羅まだ知らず   春日井建  》

《   ブリューゲル全版画暗し 世のなかにわれはわれをめぐりて狂ほし   小中英之  》

《   ドラクロアの激情を愛し海を愛し美しかりし友にも逢わず   石川不二子  》

《   ターナーの火事の絵を見る 燃えきって世界を繋ぐ言葉は生(あ)れよ   西勝洋一  》

《   ドオミエの夜行車の図を思ひしより混みし乗客俄かに親し   島田修二  》

《   耳を切りしヴァン・ゴッホを思ひ孤独を思ひ戦争と個人をおもひて眠らず   宮柊二  》

《   ゴオガンはタヒチの島に遁れけり真実(まこと)たづねてつひに孤なりき   筏井嘉一  》

《   ロダンとも光太郎とも違ふ小品のごとき手叫びをあげてゐる指   福田栄一  》

《   右の手にロダンが賭けし位置よりは遠く見ている<接吻>の像   岸上大作  》

《   ルドンの闇ふるへつつふかむ雪の窓に亡命者のごとく眠りつ   管野美知子  》

《   いつしかにルドンの眼(まなこ)のぼりいて神宮の森にふくろうのなく   加藤克巳  》

《   生き方の問題としてみづからを責めゐたりルドンの暗き画の下   滝沢亘  》

《   晩年のセザンヌ翁がレアリザシオンを少し解せりといひしおもほゆ   吉野秀雄  》

《   秋の野のまぶしき時はルノアールの「少女」の金髪の流れを思う   佐藤通雅  》

《   わたくしと呼ぶ温泥になずみつつ肉眼もて対うムンクへ   三枝浩樹  》

《   モジリアニの裸婦らみな恐ろしき木目のごとき丸味をもてり   井辻朱美  》

《   シャガール展閑散として会場に馬の臭いの充満したり   岡部桂一郎  》

《   クレエ展のため黒衣もて装えり漸くわれらにも退路なき   岡井隆  》

《   その繪よりその詩歌より身に沁みつローランサンの老年の顔   築地正子  》

《   たちゆらぐ金の芒に思ふかな宗達の線光琳の線   安立スハル  》

《   光琳の鶴千羽とぶ海の絵のさざなみの果ての一点の紅(あけ)   太田水穂  》

《   高橋由一の絵より抜け出し乾鮭が街に吊るされ年の瀬迫る   福島久男  》

《   退色のあらはとなりてこたび見る山下清の花火は昏らし   松川洋子  》

《   ホイッスルチケットテレホンマンホールわが惜春や三嶋典東   福島泰樹  》

 ダリ、マチス、ユトリロ、三岸好太郎などもあったが、一人一首の基準で割愛。手元の本をちょっと探索しただけでこんなに。

 追記。上記で吉野秀雄がレアリザシオンという言葉を使っている。それへの返歌のような。

《   レアリザシオンというフランス語 緑蔭をゆくときふいに想い起こして   三枝浩樹  》

 ネットの拾いもの。

《 本音って積ん読タワーが崩れる時の音のことですよね。》


6月10日(月) 津軽三味線 秋田三味線/女歌の百年

 高橋竹山の津軽三味線と浅野梅若の秋田三味線を合わせたCD『津軽三味線 秋田三味線競演集』クラウン1985年を聴いた。それぞれ八曲を演奏。竹内勉の解説から。

《 こうしたもろもろの差が、静かに耳を傾け考え込みながら聞く高橋竹山の音の世界と、うっとりと、その華麗な技に酔いながら聞く浅野梅若の音の世界、この差を生み出したのではないかと、私は思っている。 》

 もろもろの差が十も挙げられている。津軽と秋田の風土の違い。高橋竹山は食うための門付け芸が出発点、浅野梅若は面白くて始めた。高橋竹山は浪花節にあこがれ、上方の芸能に興味をもつが、浅野梅若は民謡だけで通してきた。理論家である高橋竹山に対する実践家の浅野梅若。 》

 それはともかく。その業界、高橋竹山、浅野梅若に「叩き三味線」木田林松栄の三者鼎立だという。

《 この三人の芸は、それぞれの生いたちと個性が生み出した三者三様の世界を楽しむべきものだろう。 》

 演奏の傾向を例えれば、高橋竹山はモダン・ジャズ、浅野梅若はポップス、木田林松栄はロック。

 道浦母都子『女歌の百年』岩波新書2002年初版を読んだ。1901年刊行の与謝野晶子『みだれ髪』に始る女性短歌の変転。

《 今も忘れがたい感動を与えてくれる歌人たちをあげ、彼女たちの名歌、秀歌を紹介しながら、その作者の生涯、時代背景に至るまで、歌に託されたこの百年間の女性の精神の歴史を辿ってみようと思います。 》

 一九五四年(昭和二九)年七月、中城ふみ子歌集『乳房喪失』が刊行された。

《 ちょうど五十年余り前の一九○一年八月、与謝野晶子の『みだれ髪』が刊行され、激しい非難の的となった。それと同じような短歌界の反応があったのです。うら返していえば、短歌の世界のみならず、社会や時代というものは、表面的には動き、変化しているように見えながら、内面的には半世紀もの時間を経ても、あまり大きく動くことのない倫理観や道徳観で縛られ続けているのが現実と言うことができます。 》 119-120頁

 安倍首相らの発言に情けなくなるこの頃、彼らにとっては時代は淀んだままだとつくづく思う。一昨日の毎日新聞朝刊、「保坂正康の昭和史のかたち」、「〔安倍首相の「占領憲法」意識〕平和求めた先達への侮辱 」の冒頭と結び。

《 安倍首相の歴史観、歴史に向きあう姿勢はかなり危うい。実に乱暴な表現で史実を語る。 》

《 安倍首相の歴史観が、こうした先達の労に思いをはせていないことに愕然とする。 》

 『女歌の百年』から。栗木京子の歌。

《   天敵をもたぬ妻たち昼下りの茶房に語る舌かわくまで

    子に送る母の声援グランドに谺(こだま)せり わが子だけが大切   》

 昨日の源兵衛川の清掃で耳にした、カメラ爺たちが翡翠(かわせみ)を追って下流へ行ったと。北沢郁子の歌。

《   翡翠にとられし魚を誰も知らず在りたることも失せたることも   》

 そして上記、中城ふみ子『乳房喪失』を世に送り出した中井英夫の長編推理小説『虚無への供物』に登場する奈々村久生のモデル、尾崎左永子の歌。

《   いざさらば炎のごとく生きんかな誰(た)がためにあらずひとりわがため   》


6月 9日(日) 成田雲竹・高橋竹山

 午前中は源兵衛川の月例清掃。強い陽射しに冷たい水が気持ちいい。細身の女性が佇んでいる。知人が連れていたカメラマンとモデルだった。

 午後、ブックオフ長泉店で二冊。矢本大雪・編『千空歳時記』青森県文芸協会出版部2002年初版、小野正嗣『にぎやかな湾に背負わされた船』朝日文庫2005年初版、計210円。前者は津軽の俳人成田千空の五句集を編集したもの。

 『津軽民謡の神髄 成田雲竹』LPレコード二枚組キャニオン1978年を聴いた。三味線、尺八の伴奏は高橋竹山。解説から。

《 このアルバムは雲竹、竹山の絶頂期(昭和三十六年〜昭和四十年)に収録されたもので、津軽民謡の神髄を伝える貴重な秘蔵版レコードである。 》 結城泰彦

《 はじめに唄があった。三味線はそれを越えようとして活力を得た。その基本的な関係が成田・高橋両師の間にある。それらの点をこのレコードでじっくり聞きこんでほしいと思う。 》 篠崎淳之介

 昔聴いた時と同じ印象。正調津軽民謡なのだろう。昭和四十四年には日本民謡協会からはじめて民謡名人位を授与されたのだから。しかし、先日話題の藤井ケン子らを聴いてしまうと、私の耳には彼の端正な唄いぶりが物足りなく感じてしまう。ちょうど、ジャズがスイングからモダンへ変化したように。そして耳に残るのは伴奏の高橋竹山の三味線演奏。ちょうど、ポルトガルのファドの歌手よりも伴奏のキターラ(ポルトガル・ギター)のほうが耳に残るように。歌い方には時代性が刻印されているのに、伴奏は時代性を免れているのが面白い。

《  窓下にむせぶギターラ、ギターラは墓穴に似し黒き洞(あな)もち  塚本邦雄  》

 高橋竹山『津軽三味線 高橋竹山』CBS・ソニー1978年を聴く。1973年渋谷ジァンジァンでのライヴ録音。ライヴなので語り、観客の笑いも。鮮明な音だ。他の奏者にはない、たゆたうような、しなやかなグルーヴ感がある。竹山は言う。

《 「津軽三味線は、けっして叩くものにあらず、あくまで奏でるものなり」 》

 ネットの見聞。

《 珍奇な形態や生態を持つ菌の日本一を決める、「日本珍菌賞」が発表されました!「第一回日本珍菌賞」は、やはり!エニグマトマイセス Aenigmatomyces の出川先生です! 日本一の「珍菌」に選ばれたのは、「ナゾの菌」という意味の名前を持つ、かつて正体不明だったカビでした。その驚きの生態が明らかに。 》


6月 8日(土) 民謡最後の旅芸人 二代目津軽家すわ子

 二代目津軽家すわ子『民謡最後の旅芸人 津軽家すわ子』CBS・ソニー1979年を聴いた。当然LPレコード。帯の宣伝文。

《 今、半世紀の沈黙が破られた。長い苦楽の深淵から、すわ子の揺ぎない芸は、津軽の魂を叫ぶ! 》

 いやに強張った惹句だが、内容は1979年1月18日青森市民会館、19日弘前市民会館、20日五所川原市民会館での公演を録音したもの。津軽弁で観客の心を一瞬につかむ語りも入った、まさしく臨場感溢れるライヴ録音。解説から。

《 「津軽家すわ子一座」──六十六歳の座長と、その夫である太夫元の佐々木繁月(七一)の率いる”放浪芸人”である。 》 高田城

 スタジオ録音と違って市民会館での公開録音なので、肩肘張らない娯楽演芸のよさを心ゆくまで楽しめる。

《 いまなお昔からの旅回りをしている”民謡旅芸人”は、この一座だけ。貴重な存在である。 》

 十番まである「リンゴ数え唄」から歌詞のさわりを。

《 六 無理に入れたら痛むぞえ 手荒くしたなら傷がつく
    紙に包んで糠つめて 箱に入れられ初の旅
  八 やさしいお方に買い取られ 波路はるかに船の旅
    あすはハワイかアメリカか 自由民主の国に行く
    渡る世間に鬼はないぞエ
  十 とかく世の中色と金 これが浮世というものか
    拭いて磨いて艶出して ならんだリンゴが客を呼ぶ  》

《  青林檎与へしことを唯一の積極として別れ来にけり  河野祐子  》

《  星を嵌め凍る溝あり貰ひたる林檎を胸に匂はせて行く  角宮悦子  》

《  夜の錘としづまる林檎 人ゐざる部屋のりんごの重きくれなゐ  葛原妙子  》

 ネットの見聞。

《 『奇跡のリンゴ』はスティーブ・ジョブズの伝記映画ではありません。 》


6月 7日(金) 浅利みき・津軽じょんがら節

 LPレコード『民謡浅利みき傑作集』テイチク刊行年不明を久しぶりに聴いた。古い唄のようだ。モノラルと擬似ステレオとステレオが混在。解説から。

《 こうした浅利みきが誕生した蔭には、ゆずらず、これでもこれでもかと力で押しまくる伴奏の木田林松栄が居たことを忘れるわけにはいかない。 》

《 それまでの浅利みきの声は鋭さはあったが澄んだきれいな声の色をしていた。その声を木田林松栄の三味線に互角に勝負するため棄てて、今日の声を作ったと私はそんな風に思っている。ともあれ戦後の民謡界で活躍する数少ない本物のプロの芸人の一人である。 》

 なんとも艶のある凛とした歌だ。ビシバシと弾く木田 林松栄との迫力ある掛け合い。「叩き三味線」とはよくいったものだ。

 レコード棚からLPレコード『津軽じょんがら節大競演』キング1974年を取り出す。高橋竹山、白川軍八郎、沢田勝秋、三橋美智也、木田 林松栄そして高橋裕次郎の六演奏家が津軽じょんがら節を二回ずつ演奏している。豪勢な組み合わせ、えらく際立つ個性の違い、聴き応え十分。グルーヴな華のある高橋武山、豪放と繊細の合わせ技の白川軍八郎、ぐいぐいと畳み掛けるような沢田勝秋、やや影の薄い三橋美智也、豪快に急転回する木田 林松栄、一気呵成の情熱の高橋裕次郎。いやあ昂奮します。どなたも凄い撥(ばち)さばき。

《  血の色の爪に浮くまで押さえたる我が三味線の意地強き音   岡本かの子  》

 ブックオフ長泉店で二冊。保坂正康『昭和天皇(上・下)』中公文庫2008年初版、計210円。昭和四十五年八月十五日の新聞見出し「戦後二十五年」が今も記憶に鮮やか。そして今、平成二十五年。

 ネットの拾いもの。

《 千葉には八日市場がありますが、子供の頃は妖怪千葉だと思ってました…。 》

《 長い間、ユーミンの「ルージュの伝言」の冒頭は、「あのひっとの♪ ママになるために♪」だと思ってた。業が深い怖い歌だと思ってた。ちがった。 》


6月 6日(木) ひでこ節・津軽民謡流れうた

 昨日伊藤多喜雄を聴いて、同じように鋼の歌声、藤井ケン子のLPレコード『ひでこ節』ビクター1979年を聴いた。懐深く鋼のような艶やかな声がコブシをすっと振ると、空気がぐっと密度を増すようにぞくぞくっとする。久しぶりに聴くとすんごい、平伏〜。八幡平連峰の大気を揺るがせ、田沢湖のたっぷり深い湖水を揺さぶる。

 レコードジャケットの解説から。

《 ケン子は秋田県大曲市で生まれたが、幼くして失明してしまった。 》

《 客の吐く息を吸って生きる芸人のきびしさがそこにある。 》

 つづいてその前年に出た藤井ケン子のLPレコード『津軽民謡流れうた』ビクター1978年を聴く。『ひでこ節』が秋田民謡七曲、岩手二曲、山形二曲、青森一曲、宮城一曲そして福島一曲の計十四曲にたいして、『津軽民謡流れうた』は題名通り十三曲全部が青森民謡。甲乙つけがたく素晴らしい。レコードジャケットの解説から。

《 息づきの鋭い迫力にみちた律動感。それにつづいて朗々と流れるように転回する妙節の美しさ、それこそ盲目の世界と、晴眼の世界との区別を知らない、真実の芸術民謡として堂々と唄っている。 》 中塩幸祐

 ネットの見聞。

《 現時点では最大の「護憲」勢力は国外ではホワイトハウス、国内では天皇陛下です。 》 内田樹

《 ちくま日本文学全集は、ほんと、読みやすいなあ。老眼鏡にかけなおさなくても読める。この50巻だけ、ロケットに持ち込んで、火星で読んで一生を終えたい。 》 岡崎武志

 この文庫サイズの全集、最初は全50巻「ちいさな本格派」、好評だったのか、10巻追加して60巻「ゆたかなひろがり」。追加の十人は、岡本綺堂、折口信夫、渡辺一夫、中野好夫、宮本常一、幸田文、花田清輝、織田作之助、冨士正晴、深沢七郎。
 『ちくま日本文学』という文庫仕様になって全30巻。追加から生き残ったのは、折口信夫、幸田文、宮本常一。不動の27人は。内田百ケン、芥川龍之介、宮沢賢治、尾崎翠、寺山修司、江戸川乱歩、太宰治、坂口安吾、三島由紀夫、泉鏡花、中島敦、樋口一葉、谷崎潤一郎、柳田國男、稲垣足穂、森鴎外、澁澤龍彦、永井荷風、林芙美子、志賀直哉、幸田露伴、開高健、川端康成、菊池寛、夏目漱石、色川武大。独特な人選だ。

《 レジでは女の子が、素早く値段ラベルにジッポーオイルを掛け、迅速に剥がすサービス。 》 古本屋ツアー・イン・ジャパン

 値札をは剥がしてくれる店があるとは。

 ネットの拾いもの。

《 ベテラン記者「社会部で切った張ったしてきたんだよ、俺は」新人記者「カット&ペーストしてたんですか?」 》


6月 5日(水) 片腕

 ブックオフ函南店へ自転車で。井上ひさし『言語小説集』新潮社2012年初版帯付、横関大『再会』講談社2010年初版帯付、『源氏物語 九つの変奏』新潮文庫2011年初版、風見潤・編『ユーモアミステリ傑作集』講談社文庫1980年初版、スティーヴ・ハミルトン『解錠師』ハヤカワ文庫2012年初版、計525円。

 天井まである自作の本棚を見上げて、栗本薫・選『いま、危険な愛に目覚めて』集英社文庫1998年7刷が眼に留まった。これに川端康成『片腕』は収録されている。さっそく再読。以前読んで印象深かったくだり。

《 「片腕を一晩お貸ししてもいいわ」と娘は言った。 》

《 私は娘の右腕を雨外套のなかにかくして、もやの垂れこめた夜の町を歩いた。 》

《 その光りはぼやけてひろがって薄むらさきであった。 》

《 女の車はうしろのライトも薄むらさきであった。 》

《 闇のなかを私はベッドにもどって横たわった。娘の片腕を胸の横に添い寝させた。 》

《 私はその腕の指を口にくわえていた。 》

 やはりなんとも耽美的だ。そしてこのいいようのない寂しさ。片腕を借りる男は、私には若いあるいは中年の男としか思えないのだけれど。

 知人のネットゲリラ氏が民謡歌手の伊藤多喜雄を紹介していたので、彼のデビューアルバム『TAKIO JINC』1986年を久しぶりに聴いた。小室等のプロヂュース。それまでの民謡とは一線を画した歌と演奏。この頃はおとなしい。「弥三郎節」でのジャズピアニスト佐藤允彦の伴奏に耳が立つ。

 ネットの見聞。

《 権力側が表現の自由にブレーキをかけるとき、まず槍玉にあげるのは、大衆に受け入れさせやすいエログロから。という世論操作のプログラムを、ぼくはリアルタイムで知っています。 》 辻 真先


6月 4日(火) 本という不思議・つづき

 長田弘『本という不思議』みすず書房1999年初版、続き。

《 物語がくれるのは、どんな結末でもなくて、はじまりです。出口が入口であるような世界が、子どもの本の世界です。 》 137頁

 優れた美術作品もそうだと思う。つまり以下の感じ。

《 優れた美術作品がくれるのは、どんな結末でもなくて、はじまりです。出口が入口であるような世界が、芸術の世界です。 》

《 読まなかったために、かえって忘れられない本だってある。「読んでしまった」というのも読書ならば、「読まない」「読まなかった」というのもまた、一つの読書といっていい。そう思うのです。 》 141頁

 うんうん、同感同感。

《 本というのはおもしろいもので、どんな本も読み手とおなじ背丈しかもたない。読み手がこれだけであれば、本もまたこれだけなのです。ひとが本に読みうるのはつまるところ、その本を通して読みうるかぎりのじぶんの経験だからです。 》 149頁

 美術鑑賞もそうだなあ。

《 オーウェルが「いい社会」として胸においていたのは、きれいな川のある社会でした。 》 228頁

 源兵衛川〜。

《 芸術について、オーウェルはおもしろい定義を下しています。すなわち芸術とは「必要な余計なもの」だというのです。 》 230頁

 ネットの見聞。

《 グローバルスタンダードという名の下に徳よりも得を優先する企業経営者 》

《 モノだけをデザインする時代は終わった。 》


6月 3日(月) 本という不思議

 ブックオフ沼津リコー通り店で文庫を三冊。東川篤哉『もう誘拐なんてしない』文春文庫2011年7刷、渡辺剣次『ミステリイ・カクテル』講談社文庫1985年初版、アンドレ・シャステル『グロテスクの系譜』ちくま学芸文庫2004年初版、計315円。

を読んだ。

《 蔵書は、本という情報を、あるいは本という財産を、さっと手に入れることではありません。しかし、愛すべきヴッツ先生のように、本という経験を、あるいは本のかたちをした時間を、手間かけて手に入れることがいっそう難しくなった今日、蔵書が何のために必要でしょうか。ノサックの遺した答えは、こうでした。
  過大に絶望しないために。 》 19頁

 いい言葉だ。

《 「人びとは、はっきりと目に見えている事物の認識において、すっかり騙されている」。エペソスの人ヘラクレイトスはそういいました。 》 52頁

 モニター画面だけじゃあねえ。

《 わたしたちを今日悩ましているのは、いったいどんな本なのでしょうか。わかるけれどもおもしろくない本、あるいは、わかるそしておもしろい本でしょうか。わからないがおもしろい本、それともわからないおもしろくない本でしょうか。 》 68頁

 「本」を美術作品に替えて読むことができる。わからないがおもしろい美術作品。私の希求するそれは、手際よくまとめられた作品ではなく、未完成であるが、何かを開こうとしている作品だ。

《 言いたいことを言いあらわすための言葉でなくて、詩の言葉は言いがたい何かをあらわす言葉です。じぶんを表現するための道具でなく、むしろ黙って、注意ぶかくここに、あるいはそこにある沈黙をゆびさす言葉です。 》 90頁

 そういう美術作品を愛好する。明日へ続く(つもり)。

 ネットの見聞。

《 脳を偏重するのではなく、体を重視した身体論を読みたい。 》 mmpolo

《 身体は「脳の道具」として徹底的に政治的に利用されるべきであるとするのは、私たちの社会に伏流するイデオロギーであり、私はそのイデオロギーが「嫌い」である。

  身体には固有の尊厳があると私は考えている。そして、身体の発信する微弱なメッセージを聴き取ることは私たちの生存戦略上死活的に重要であるとも信じている。 》 内田樹

《 60過ぎて高校の同窓会をすると、同窓会に出られること自体が一種の勝ち組だということが判る。リストラで職がなく以後全くパッとしない、親の会社を経営したが倒産、大病、死亡、行方不明。時は残酷だ。 》

 そういえば、来月の高校の同窓会、欠席の通知を出した。久闊を叙す人がいない。


6月 2日(日) パノラマ島綺譚

 江戸川乱歩『パノラマ島綺譚』光文社文庫2004年初版を読んだ。絢爛たる夢魔の世界、パノラマ島。

《 美しき身の毛もよだち、恐ろしき歯の根も合わぬ、五彩のオーロラの夢をこそ 》

 と乱歩はよく色紙に認めたというが、そんな夢を描いた小説だ。パノラマ島入口のブイから島まで続く海底のガラスのトンネルから見る海藻や魚類の奇怪な描写、島内の極彩色の風景描写がなんともいえず蠱惑的でクラクラと眩暈を誘う。

《 若しも、恐怖に色づけされた時、美が一層深味を増すものならば、世に海底の景色程美しいものはないでしょう。 》

《 見物は先ず細い真っ暗な通路を通らねばならない。そしてそれを出離れてパッと眼界が開けると、そこに一つの世界があるのだ。 》

 昨日の蘭郁二郎『少年科學小説 奇巌城』の冒頭につながる。

《 いかに樹海の中とはいへ、外にゐる時は滿天の星明りで、あたりの様子もうつすらとではあるが見ることも出來たけれど、このぴつたりと閉ざされた穴の中では、まつたく一糎先も見えぬ漆のやうな闇に包まれてしまつたのだつた。 》

《 なるほど闇を透かして見ると、行く手にぼーつと白い光りがたゞよつてゐる。 》

  『少年科學小説 奇巌城』のカラー口絵は、トンネルから出るトラックが森の中をこちらへ向って来る絵。「千と千尋の神隠し」の異界への道のよう。

 『パノラマ島綺譚』で最も印象深かったのは、曲線をめぐる記述。

《 人はこの世界に於て、始めて、曲線の現し得る美を悟ったでありましょう。自然の山岳と、草木と、平野と、人体の曲線に慣れた人間の目は、ここにそれらとはまるで違った曲線の交錯を見るのです。どの様な美女の腰部の曲線も、或はどの様な彫刻家の創作も、この世界の曲線美には比べることが出来ません。 》

 大正十五(昭和元、1926)年、乱歩三十二歳の執筆。

 ネットの見聞。

《 多くの人が何度も語ってるけど、私も。今回の児童ポルノ法、一番洒落になってないのは、漫画がどうとか、そういう以前の問題で、「警察さえその気になれば、事実上、日本全国、例外なく、全国民を、誰であろうと、恣意的に逮捕できる法律」が作られるって事なんだよ。それだけは理解して欲しいの。 》 榊一郎

 ネットの拾いもの。

《 新作映画「大抵はバーにいる 2」 》


6月 1日(土) 少年科學小説 奇巌城

 富士山くっきり。残雪細々。昼過ぎ、昨日に続いてNHK−BS「ニッポンの里山」で放送する源兵衛川の取材で川に入って清掃をする。終えて富士宮市のRYUギャラリーの白砂勝敏展のパーティへ。富士宮から仰ぐ冨士は三島からとはえらく違った稜線。

 蘭郁二郎『少年科學小説 奇巌城』盛林堂ミステリアス文庫2013年初版を読んだ。表題作ほか「見えない煙幕」「大空の気密室」「謎の空中魚雷」「爆發光線」の四篇を収録。五篇とも昭和十五年十六年の太平洋戦争直前に発表されたもの。どれもアメリカとの戦争間近という気配が濃厚。そして戦局の行方を正確に予測していて驚く。「奇巌城」から。

《 うむ、まさしく×國機ぢや……(略)つまり敵は、富士山を目標にして飛んで來て、そこから東京の見當をつけやうといふのぢやよ、(以下略)」 》

《 それは五十機や百機の編隊ではないらしい。晝間ならば、おそらく空を覆ふ大編隊が見られたに違ひない。 》

 米国と戦争したらば、の冷静な予測が見て取れる。昭和二十年の東京大空襲を想起させる記述だ。収録された爆撃機の編隊など、あたかもその時の写真を基に描かれたよう。挿絵を担当した鈴木御水(ぎよすゐ)の意気込みが、収録された一文「挿繪について」からうかがえる。

《 挿繪家として充分細心な注意を拂つて描いたつもりです。 》

 上記引用からわかるように、本文は「旧字旧仮名遣い」。旧字を拾うのに一苦労。ふう。

《 奇想天外を愛し、尊重しないところに、飛躍的發展性はあり得ない。現牀維持的な退嬰的な見方考へ方からは世界を驚かす大發明は出て來ないのだ。奇想天外は奇想天外に終るものではなくて、新しい定則を發見するための礎石ともいふべきである。 》 「作者の言葉」

 ネットの見聞。

《  ザミャーチン『われら』(1924)、ハクスリー『すばらしい新世界』(32)、オーウェル『1984年』(49)。国家があらゆるものを統制管理し、そこから逸脱したものを断罪排除する、20世紀前半に書かれた物語を2013年の日本で読むことの意義は小さくないはず。 》 藤原編集室

 ネットの拾いもの。

《 日本を取り乱す。 》

《 人生いたるところに青山あり(スーツには困らない) 》


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