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『閑人亭日録』Diary2013年

4月30日(火) 両手いっぱいの言葉

 テレビはお昼と夕方のニュースしか視聴しないんだけど、NHKテレビ、昼の静岡ローカルニュースで、下田市在住のジャズピアニスト菅野邦彦が、新たに開発したピアノを演奏していた。なんと白鍵と黒鍵を一緒に一列に並べている。鍵の幅は少し狭められている。「一列にしたほうがもっと自由に演奏できるのでは?」と考えて考案したと言う。いやあ驚いた、まだ元気なんだ。ずいぶん前、沼津市のライヴハウスで聴いたグルーヴィな演奏が忘れられない。あの時は南伊豆から車を飛ばして来たと言っていた。

 公式サイトがあった。静岡新聞の記事クロマティックピアノ(未来鍵盤)と言うんだ。

 寺山修司『両手いっぱいの言葉  413のアフォリズム』文化出版局1982年初版を再読。抱きしめたくなる言葉の玉手箱だ。「愛 AI」の章から。

《 自分たちにしか通じない言葉をもつのが恋人同士である。 》

《 ことばには重さはないけど、
  愛には重さがあるのです。 》

《 蝙蝠傘は、世界で一ばん小さな、二人のための屋根である。 》

 「美 BI」の章から。

《 美というものはしばしば社会生活の上で障害になる。美はあくまで個人的なものであり、人は美だけでは生きられないからである。 》

 「現実 GENJITSU」の章から。

《 金なしでは生きられない、金だけでも生きるに不足だ。 》

 「飛翔 HISHO」の章から。

《 同じ鳥でも飛ばないとりはなあんだ?
  それはひとり という鳥だ 》

 「言葉 KOTOBA」の章から。

《 一字に影があるように、一行にも影がある。》

 「男 OTOKO」の章から。

《 男が人生の始めに経験するのは「よくない思い出」ばかりだ 》

《 女とちがって、男は「愛していなくとも、嫉妬する」ということがある。 》

 先だってちくま文庫から『決定版 感じない男』が出た、森岡正博『感じない男』ちくま新書2005年2刷を読む。感想は明日。

 ネットの見聞。

《 IOCが定めるオリンピック招致活動規則の第14条では、立候補都市や その責任者が競合都市に対するネガティブ・キャンペーンを行ったり 優劣の比較を含めて競合都市のイメージを損なう発言を行うことが 固く禁じられています。
 今回の猪瀬知事によるイスタンブール“攻撃”が 活動規則に違反する可能性は非常に高く、ニューヨーク・タイムズの記事でも 「今後この発言がIOCで問題となり、東京の招致活動に重大なマイナス材料と なるのは避けられないのではないか」と論評しています。  》

《 とくに問題なのは「トルコの人が長生きしたければ、日本文化のような文化を創造すべきだ」( they should create a culture like what we have in Japan)と語った部分。トルコの文化を見下したことは間違いありません。 》 内田樹

《 都知事はこの言葉がいずれトルコの人たちにも読まれる可能性に配慮していななかったようです。他国において自分の発言がどう解釈され、どういうリアクションをもたらすか想像する習慣がない。これは前の都知事にも、今の総理大臣にも共通する知性の不調の様態のように思われます。 》 内田樹

《 ♪(東京が) 飛んでイスタンブール〜♪  》


4月29日(月) 恋愛辞典

 昨日の『恋』からの連想で、寺山修司『恋愛辞典』新風舎文庫2006年初版を取り出す。大好きな詩「ダイヤモンド」以下、愛唱する語句詩句一節がいっぱい載っている。

《  さよならだけが
   人生ならば
    またくる春はなんだろう  》

《  二人のための英語のお稽古

    愛リス   〔名〕花の名前。
    恋ル    〔名〕線。〔動〕ぐるぐる巻く。
    愛スクリーム〔名〕氷菓子。
    恋ン    〔名〕硬貨。貨幣。金(かね)。
    愛アン   〔名〕鉄。鉄器。(pl)手かせ足かせ。
    愛ンシュタイン〔名〕人の名前。相対性原理を説いた。
    恋ンサンド 〔名〕一致。合致。
    愛シャドウ 〔名〕目の翳(かげ)美容用語。
    恋タス   〔名〕辞書をひいてごらん?     》

《  キスキスと書いたのは、さかさに読んでごらんというわけではない。
   くちづけの意味を二度くり返したのである。   》

 寺山修司はロアルド・ダールの短編集『キス・キス』早川書房1960年を当然知っていたのだろう。

 何より嬉しいのは、この文庫版の本はハードカバー。カバー(ジャケット)は白と薄紫の二色というあっさりしたデザイン。見返し、花布(はなぎれ)と栞紐は嫌みの無い紫。乙女チックだ。

 昨日の毎日新聞に高階秀爾『ニッポン現代アート』講談社の広告。

《 現代アートは今、混沌のなかにある。古今東西の美術を知悉する名手が、最先端を疾走する多彩な才能たちがほとばしらせる表現の核心へと誘う。 》

 「最先端を失踪する」と読んでしまった。彼の前の本『日本の現代アートをみる』と同様、紹介作家は予想の範囲内。今世紀、美術界では混在混沌混迷低迷を経て、その周縁から未知の作品がさりげなく出現、規準が変わり、数多くの現代アートなるものが色褪せ、時代遅れとなるだろう、2013年。

 五月五日、三島文化会館で「牧伸二と百人の芸人たち」開催予定。どうなるんだろ。

 ネットの拾いもの。青春時代。

《 ♪失業までの半年で答を出せというけれど〜♪ 》


4月28日(日) 恋

 ブックオフ長泉店で二冊。似鳥鶏『さよならの次にくる〈卒業式編〉』創元推理文庫2011年3刷、エラリー・クイーン『ローマ帽子の秘密』角川文庫2012年初版帯付、計210円。

 ブックオフ三島徳倉店で三冊。芦辺拓『紅楼夢の殺人』文藝春秋2004年初版帯付、赤城毅『書物迷宮』講談社文庫2011年初版、イサク・ディーネセン『バベットの晩餐会』ちくま文庫1992年初版、計315円。

 照屋眞理子さんから新歌集『恋』角川書店2013年4月25日初版を恵まれる。珍しく厚い紙質のカバー(ジャケット)。思わず撫ぜてしまう布装表紙。上品なピンクの花布(はなぎれ)と栞紐。本文を読む前に感触を愉しんでしまう。装幀 間村俊一。やはりね。

《  追憶の彼方の恋や夕暮の空へ振るため人は手を持つ

   立ち籠めて縹(はなだ)の夕べわれはただうつくしい短歌(うた)に逢いたし

   ああ春は光の匂ひせつなくてうつとりと溶けてしまほう

   白鳥座南中の頃はるばるとわが漕ぎ出だす億年の櫂

   こともなく一日暮れつつほのぼのと空へ伸びゆく忘却曲線   》

 才気煥発の趣が潜んで、ゆるやかな詠唱へと変貌した。かといって、裏打ちされたしなやかな知的弾力は変わらず。日常からふっと燕返しに空へ飛翔してゆく。見事だ。

《  われとわがはぐるる夢の淵深み今朝他人事(ひとごと)のごとく目は覚む  》

 連想が外へ向う。「他人事のごとく目は覚む」には中井英夫の小説『他人の夢』深夜叢書社1985年。その一節。

《 いつと知らずに明るんでいたというような暁方ではない。一条の鋭い光にみちびかれた夜明けなのだ。何もかも、ずっと昔の、地球の初まりのときから、二人がこうしてお互いの瞳の中を覗きこみ、すべてを判り合う刻がくることは、もう定められていたのだ。 》 「他人の夢」

《  見てをりしがいつしかなべて透きとほりただ青空にわが見られをり  》

 「ただ青空にわが見られをり」は、瀧口修造『余白に書く』みすず書房収録「クレー巡礼」の一節に。

《 と書いて「私はここでクレーを見た。クレーが私を見ている」と日本語を書き添えると、フェリックス氏は隣室の夫人にそれを披露して「まるで詩のようではないか」とすっかりご満悦である。 》

《  ノヤと読むとき少しさびしき蓬の字その草冠(さうかう)ゆ北国の風  》

 は、松平修文歌集『蓬(ノヤ)』砂子屋書房2007年へ。それから一首。

《  暗き海のかなたへ去りてゆく翼 置き去りにされし者は見送る  》

 蓬(ノヤ)を詠みこんだ相応しい短歌があったが、漢字変換できないので見送り。

 ネットの拾いもの。

《  美しい心は一日では生まれないが一瞬で消えるんだよ。 》

《 まあ、かつて「マドンナ議員」という恐ろしいおばさんたちがいましたが。 》

《 酒の肴に「死霊のこのわた」だけはヤだ。 》


4月27日(土) 青い壺

 躑躅の香りに巻き込まれながらブックオフ沼津南店まで自転車で。矢作俊彦『ロング・グッドバイ』角川書店2004年5刷、三代目三遊亭円之助『はなしか稼業』平凡社ライブラリー1999年初版、森岡正博『感じない男』ちくま新書2005年2刷、城市郎『発禁本』福武文庫1991年初版、阿刀田高ほか『マイ・ベスト・ミステリーI』文春文庫2007年初版、計525円。

 有吉佐和子『青い壺』文春文庫2011年初版を読んだ。解説が平松洋子だから買った本。青い壺とは砧青磁の壺のこと。京都の陶工の窯で偶然できた新作の砧青磁の壺を巡る短篇連作現代小説。壺は様々な人の手にわたり、数奇な運命を辿る。壺の周囲で起きる戦後の人間模様。人物像がくっきり見える的確な人間描写、巧みな筋運び。読者の心を掴む娯楽小説はこう書くのだという見本のような作。

 初代諏訪蘇山の青磁の壺を鑑賞。ずいぶん前に購入。北一明氏が著書で蘇山を高く評価していて、気になっていた陶芸家。西に傾きかけた日差を受けて、油絵の古典技法に見られる、深味のある青磁色を現す。青磁に関しては詳しくないので、この色が砧青磁なのかよくわからない。汝窯の青磁色ではないことはわかる。

《 何気ない円筒型で、飾り気のない壺であるのに、いざ花を活けにかかると、多く挿しても少なく活けても収りが悪い。 》 『青い壺』第三章

 この諏訪蘇山の青磁の壺も同様。北一明氏の壺も、同じく収りが悪い。幾人かが試みてはいるが、成功した例はない。器だけで自律する美を備えているせいか。

 東京国立博物館で見た青磁茶碗「馬蝗絆」に唸り、大阪東洋陶磁美術館で見た「飛青磁花生」には感嘆したが、同館のもう一つの目玉、汝窯の焼きものには惹かれなかった。1994年出光美術館で見たバウアーコレクションの、かたちも大きさも林檎を連想させる青磁の清冽な青には息を呑んだ。「月白水滴」清・康熙(1662−1722)在銘 H7.2cm.D10.5cm。これ、欲しい〜と思った。翌年の阪神淡路大震災で、巡回展示中の二点が壊れたという新聞記事に肝を潰したが、これは破損を免れていて胸をなで下ろした。

《 うつくしいものは、望もうと望むまいと、ひとの真実を露わにする。(略)際立ってうつくしいからこそ、奥底に重層的な陰影を潜ませており、与えなくてもいいはずの光をもたらして浮き彫りにしてみせたり、分け入らなくてもいいのにひとの心理を腑分けしたりもする。偶然などではない。これは、うつくしいものがみずから背負った宿命、意図しない残酷、または世の理なのだ。 》 平松洋子「解説」

《 青磁は、いわば隙がない色彩だ。やわらかだけれど、どこか張りつめた緊張を宿している。 》 同

 ネットのうなずき。

《 芸術ってのは日常に比べると実にスカスカだ。その気になれば、真ん中からすっと通り抜けてしまうことだってできるだろう。 》 椹木野衣


4月26日(金) 何かと用のある一日

 作家池内紀(おさむ)氏を源兵衛川へ案内した記事が載っている月刊誌『ひととき』5月号ウェッジが届く。

《  源兵衛川は三島市街を抜けていく。広小路界隈は旧色町のなごりをとどめており、そちらの分類学も気になったが、昼のひなかのこと、心をのこして素通り。いたずら坊主がそのまま大人になったような人のお尻にくっついて、川辺をゆるゆると下っていった。 》

 北海道立旭川美術館から企画展「やなせたかしと『詩とメルヘン』のなかまたち」展のチラシ、ポスターそして図録が日を置いて届く。図録は目次以下、『詩とメルヘン』発刊当時(1973年)の様式をそっくり踏襲している。折込ページまであって、復活『詩とメルヘン』だ。ただページ数が72頁と、オリジナルより多い。最初の絵は味戸ケイコさんの「雪谷」1983年。私の提供した絵。

 昨日午後、味戸ケイコさんから電話。来月、旭川美術館で講演すると仰る。パンフレットで確認。

 昼前、沼津市庄司美術館で催された内田公雄展に貸し出していた抽象画、40点ほどが戻ってくる。好評だったようだ。昼過ぎ、自宅三階へ運ぶ。ふう。

 午後、王紅花さんから個人歌誌『夏暦』三十五号を恵まれる。

 夜、境川清住緑地愛護会の総会に出席。名が知れてくると、活動に無関係な人が勝手に名乗ってくる。

 ネットのうなずき。

《 おれおれ詐欺なんて稚拙な詐欺に引っかかる奴がいるのかと情けない気分になったが、安倍内閣支持率7割強なんて記事を見ると、むべなるかなとも思える。 》 藤岡真

 ネットの見聞。

《 おニューの老眼鏡(ブルーライトカット付き)で初ツイート。見える、見えるよ! タブレットなら小さい字も拡大できるから老眼鏡要らないわと思ってたけどぜんぜん違うよ!いわんや創元推理文庫をや! 》 大矢博子


4月25日(木) 大阪圭吉作品ベスト

 『大阪圭吉作品集成』解説で森秀俊はパーソナル・ベスト5として、「デパートの絞刑史」「闖入者」「あやつり裁判」「寒の夜晴れ」「坑鬼」を挙げている。五篇とも『とむらい機関車』国書刊行会に収録。創元推理文庫では二冊に分かれている。私のベスト5は「三狂人」「気狂い機関車」「燈台鬼」など、違ったものになるだろう。どれも質が高い。好みで選ぶしかない。

 好みといえば、創元推理文庫二冊の表紙が好みではない。二冊を新刊で買ったが、読むまではなかなか行かなかった。表紙は顔だからねえ。

『大阪圭吉作品集成』収録の「香水紳士」に出ていた「大船のサンドウヰツチ」を買ったことがネットに書き込まれていたが、創元推理文庫でも読める「白妖」の舞台、箱根〜十国峠間の自動車専用有料道路(ドライヴィング・ペイ・ロード)に興味を惹かれた。

《 遙かに左手の下方にあたって、闇の中に火の粉のような一群の遠火が見える。多分、三島の町だろう。 》

 篤志家の車に乗せてもらって、場所を探してみたい。

 「あやつり裁判」の《 ちょっと「築地明石町」みたいな別嬪を見た時に、 》。日本画家鏑木清方の代表作「築地明石町」のことだろう。1927年(昭和2)の作。「あやつり裁判」は1936年(昭和11)の発表。巷間に知れ渡った絵だったんだな。そういえば、「水族館異変」の茂田井武の挿絵、横たわる女性に、鏑木清方の「妖魚」1920年(大正9)を連想。こういう画像はネット検索ですぐ見られる。時代は変わった。

 ブックオフ長泉店で二冊。久世光彦『昭和人情馬鹿物語  コウ(日ヘンに廣)吉の恋』角川書店2004年初版帯付、辰巳芳子『いのちの食卓』マガジンハウス文庫2008年初版、計210円。前者は表紙に岩田専太郎の美人画が使われている。情感あふれる昭和の女性。それに較べて創元推理文庫『とむらい機関車』の表紙絵の車輪は……。収録エッセイ「停車場狂い」で大阪は書いている。

《 いったい私は、子供の頃から旅への憧れは強かった。いきおい、汽車とか停車場とかが好きになる。探偵小説を書いても「とむらい機関車」なぞというのが出来上がっりする。尤も子供の時に汽車や停車場の好きだった気持ちの中には、鉄道の持つメカニカルな美への単純な理解が、かなり含まれていた。 》

 これが蒸気機関車の絵? 駄目駄目。内容は良いから、贈呈用に文庫の二冊を古本で買ってはある。

 ネットの見聞。

《 熊野純彦訳『存在と時間』(岩波文庫)が出た。本年度最大注目の翻訳書であろう。残る問題は、はたして『存在と時間』という本が、世間に言われるほどの重大な本かどうか、というところでしょうな。魔術師ハイデガー最大の幻惑書であるが。 》 森岡正博

 熊野純彦といえば昔、『レヴィナス  移ろいゆくものへの視線』岩波書店1999年初版、『レヴィナス入門』ちくま新書1999年初版を読んで、深く感心したが。レヴィナスについては内田樹も研究しているが、鋭敏に研ぎ澄まされたひりひりする感性とあまりに深い思索に、私の凡庸なオツムでは理解が届かない。生きた現場の違いがあり過ぎ。

 手元にはブックオフで105円で入手した『エピステーメー II〔3〕 特集エマニュエル・レヴィナス』朝日出版社1986年刊がある。内田樹によるレヴィナス「逃走について」の翻訳や、小林康夫によるハイデガー『存在と時間』に関する論考も。小林康夫の文から。

《 だが、ハイデガーの存在としての現存在の問題圏とレヴィナスの《主体》の問題圏とは全く別のものであることは確かであろう。 》

《 ここではいったい何が言われているのだろうか。 》


4月24日(水) 大阪圭吉作品集成

 先週届いた盛林堂ミステリアス文庫を読んだ。これは面白い。創元推理文庫でいくつか読んでいるけど、肌が合わなかった。たまたま読んだ短篇が合わなかったようだ。しかし、こちらに収録の四篇、どれも面白い〜。「水族館異変」の原色の妖しさ、茂田井武の挿絵もいい。

《 その日、パノラマ室の見物人は、世にも不思議な光景を見た。それは、凄艶な地獄のまぼろしだつた。 》

 つづく「香水紳士」「求婚廣告」「告知板の女」三篇も機智に富んだ鮮やかな結末だ。解説で森秀俊は大阪圭吉の魅力を三つに集約している。

 1 ケレン味たっぷりの探偵小説的な見せ場

 2 視覚に訴える謎

 3 色彩感あふれる描写

 納得。大阪圭吉『とむらい機関車』国書刊行会1992年初版を読む。十四篇収録。大きな活字組が心地良い。じっくり味読。短篇小説の醍醐味、読書の愉楽を大いに味わう。大胆に作り込まれた工芸品のような作品群。戦前の江戸川乱歩の推薦の言葉。

《 従来日本のどの作家が、かくまでも純粋に、かくまでも根強く、正統短篇小説への愛情と理解とを示し得たであろうか。どの作家が、これ程深く理智探偵小説の骨法を体得し得たであろうか。 》

 昨日の毎日新聞朝刊コラム「経済観測」、田中直毅「CO2排出量取引の崩壊」。

《 地球温暖化にストップをかけるための『炭素価格』の設定を、というのが経済学からの提言である。 》

 そんな制度がマスメディアを賑わしたなあ……。新しい経済モデルとか……。

《 しかし今後は排出量取引制度の維持すら難しい。 》

《 そもそも排出権なる権利が存在するという前提がおかしい。こんな権利付与はないだろうという健全な常識論が、現実の厳しい経済情勢のなかで、ないがしろにされたことに発する制度だったといわざるをえない。 》

 震災復興、TPP、原発、憲法、格差、領土。健全な常識論がないがしろにされている2013年の政界財界官界マスメディア。

 グラフィック・デザイナー永井一正が制作した東京電力のロゴの解説

《 構成要素が円だけでここまでのインパクトと造形美を感じさせるロゴマークはなかなかありません。 》

 近藤東の詩「国旗」を連想。

《  セガレよ きょうはメデタイ日
   なぜ 白旗を あげるのじゃ
   いいえ トウサン 日の丸の
   赤を 追放したまでじゃ     》


4月23日(火) 正確な曖昧

 昨日、詩「風一つ」を紹介した藤富保男。現代詩文庫57『藤富保男詩集』思潮社1973年初版から詩「六」全篇。

《  六時に女に会う
   女と会う
   一人の女に
   一人の六時に
   一人で六時のところに立って

   六時だけが立って
   誰もいない             》

 彼には『正確な曖昧』という詩集がある。題名にしびれた。以来、焦点のぼやけた絵には「正確な曖昧」を適用した。ドイツの現代美術家ゲルハルト・リヒターの人物画を筆頭に。

 収録のエッセイ「秩序の中での逃亡」から。

《 無言のひばりでありたい。ただ紫色の影を薄明りの中にのこして行くだけの、それだけの沈黙の、無言葉の行為の溌剌とした美でありたい。 》

 ネットの見聞。

《 私は多摩美術大学で18年間、教鞭を取ってきました.私の講義は「鑑賞する方からの美術、デザイン論」で、必修科目を担当して多摩美の学生に、やや感性を後退させて、大きな歴史や文化の中で美術やデザインを見るとどう感じるかを中心に講義してきました。 》 武田邦彦

 「大きな歴史や文化の中で美術やデザインを見る」ことは重要だと思う。以下の内田樹の見方に蒙を啓かれる。

《 話がそれるけれど、元老山縣有朋と田中義一が死んだときに陸軍の長州閥が実質的に解体する。そのとき長州閥の重しがとれると同時に、東北出身の、陸士陸大出の人たちが陸軍内部で急激に大きな勢力を作り出す。彼らが中心になって皇道派・統制派が形成されるんだけれど、彼らの主要な関心事は軍略じゃなくて、実は陸軍内部のポスト争いなんだよ。長州閥が独占していた軍上層部のポストが空いたので、それを狙った。 》

《 陸海軍大臣・参謀総長・軍令部長・教育総監といういわゆる「帷幄上奏権」をもつポストを抑えれば、統帥権をコントロールできる。政府より官僚よりも上に立って、日本を支配できる。そのキャリアパスが1930年代の陸軍内部に奇跡的に出現した。そこに賊軍出身の秀才軍人たちが雪崩れ込んで行った。真崎甚三郎は佐賀、相沢三郎は仙台、ポスト争いで相沢に斬殺された永田鉄山は信州、統制派の東条英機は岩手、満州事変を起こした石原莞爾は庄内、板垣征四郎は岩手。藩閥の恩恵に浴する立場になかった軍人たちが1930年代から一気に陸軍の前面に出てくる。 》

《 だから、あの戦争があそこまで暴走したのは、東北人のルサンチマンが多少は関係していたかもしれないと僕は思う。結果的に近代日本を全部壊したわけだから。ある意味で大日本帝国に対する無意識的な憎しみがないと、あそこまではいかないよ。戦争指導部は愚鈍だったと言われるけれど、僕はここまで組織的に思考停止するのは、強い心理的抑圧があったからじゃないかと思う。 》 内田樹「東北論

 この分析は知らなかった。

《 春になり、澄んだ雪解け水がさらさらと小川を流れるような、そんな美しいハナミズが出てます。 》

 風邪ひいて初めて経験。


4月22日(月) ライト・ヴァース

 瀧口修造没後の何回目だか忘れたが、銀座佐谷画廊でのオマージュ展へ行った。肩透かしを喰らった記憶。そのへんのことを、ギャラリー「ときの忘れもの」オーナーがブログで回顧してる。『余白に書く』みすず書房1982年は、先行する『画家の沈黙の部分』『瀧口修造の詩的実験1927〜1937』縮刷版と同じ大きさ。三冊並べると、ミクロコスモス瀧口修造。

 植草甚一(1908年-1979年)と瀧口修造(1903年-1979年)。ふたりは戦後の同時代を生き同じ年に亡くなった。植草甚一はサブ・カルチャー、ポップ・カルチャーで人気を博し、瀧口修造はファイン・アート、現代美術で地位を確立した。植草は軽妙な饒舌体、瀧口は簡潔な文体。植草は若い一般読者を相手に語り、瀧口は見込みのある芸術ファンを相手に語った。絵をたしなんだ二人は、1960年代、1970年代それぞれに注目される存在だったが、おそらく接点はなかっただろう。記憶がたしかなら、植草甚一の蔵書は神保町の古本屋へ流れた。瀧口修造の遺品は、富山県立美術館と多摩美術大学と慶応大学へ分散収蔵された。没後まで対照的だ。

 寺山修司と唐十郎、横尾忠則と宇野亜喜良、五木寛之と野坂昭如。1960年代〜70年代には興味深い共立競立対立対抗対峙があった。突出した表現者の跋扈した賑やかな時代だった。情報が世界を一気に通り過ぎる今日、ちょっと昔を振り返ることで、今の構造が見えてくる気がする。

 『現代詩手帖』1979年5月号、特集「ライト・ヴァース」。Light Verse とは、High Verse という高尚真面目な詩に対する哄笑軽妙な詩、ほどに考えておくといい。藤富保男は「軽業詩」と呼んでいる。

《 笑いと悲しさは顔にあらわれないかもしれない。しかし、この二つの感情がライト・ヴァースにかくされていることは見逃せないだろう。 》

 藤富保男詩集『風一つ』1974年から。

《  涙の音が
   はてな
   と
   ひびく
   風やんで眉あげる  》

 藤富の詩はまさしく軽業詩だが、彼が紹介している伊藤勲の詩「泪」。

《  ハンカチーフで泪をふいてはいけない

   泪がよごれる                 》

 工藤直子詩集『てつがくのライオン』1982年から「ライオン」。

《  雲を見ながらライオンが
   女房にいった
   そろそろ めしにしようか
   ライオンと女房は
   連れだってでかけ
   しみじみと縞馬を喰べた  》

 詩集『求めない』で仙人になってしまったような加島祥造は特集で書いている。

《 ライト・ヴァースの軽さとは詩の表現の軽妙さをさすのであって、詩の主題の軽さを指すのではない。それは深刻とされる主題──愛や死や苦悩──を扱いうる点ではハイ・ヴァースと少しも変わらない。 》

 ネットの見聞。

《 映画はいいものができると50年、100年残る。私には子どもがいないので、何かを残せるとすれば、それは映画。(吉永小百合) 》

 収蔵美術品を後世に残そうと思っているけど、それはそれとして、きょうを生きようと今は思っている。一日一日がいとおしい。風邪をひいた。対処の仕方を忘れてしまった。


4月21日(日) 余白に書く1

 冬に逆戻り。雨も止まず。蒲団に引きこもる。

 昨日、ネット注文した瀧口修造『余白に書く』みすず書房1982年初版函帯付が届く。この元本『余白に書く』1966年刊行の細長い本は、当時の私には高価で手が出ず、本屋で眺めるだけだった。それが瀧口の死後、『2』と小冊子を加えて函入り本として出ていたのを知ったのは最近のこと。当時の定価4600円、古本値3000円。ずっと心に引っかかっていた『余白に書く』1を読んだ。短文集。

《  イメージを再現するのでなく、
   イメージを生産するのである、  》

《 いったい私たちはあまりにも絵画の略図的知識や既成の処方にたよりすぎている。そして才能はそれを巧みに利用することだと思いこんでいはしないであろうか。 》

《 私はともすれば、画家が既成の空間を描くものだとのみ思いこんでいるような世界に慣れすぎている。 》

《 現代絵画にはいくつかの観念、いくつかの開拓されたルート、いくつかの類推の手がかり、またいくつかの見出しがつくられていて、それだけが入口であり出口であると思い込まれ易いことも事実だ。それより絵画の社会的、経済的な枠で出来上がった固定観念もなかなか救い難い麻酔的効果である。──こうして絵は忘れたころにやってくるにちがいないのである。 》

《 この「現代語」を一夜に「死語」と化すような詩をこそ望んでいるのだ。 》

《 不可能の造形こそ、現代の芸術家をもっともつよくとらえているのである。 》

 ネットの拾いもの。

《 青山テルマエ・ロマエって漫才師いそう。 》

《 テルマエロマエがシリーズ化したら、そのうち、「NHKテレビラテン語講座」なんてのが始まったりして。 》


4月20日(土) 詩のイメージ──瀧口修造を中心に

 大岡信『肉眼の思想』中央公論社1969年初版、「言語芸術には何が可能か」より。

《 言語構造体の自律化を激烈なまでに追及しつつ、他方で、これと一見矛盾する欲望、すなわち、言語を通じて具体的な世界を通りたい、という熱望にたえずかられている──ここに、『瀧口修造の詩的実験1927〜1937』がもっている独特な意味があったし、今日これらの成果がはじめて一冊にまとめられたことの意味もあるのだ。 》

 大岡信『現代詩人論』角川書店1969年初版、「瀧口修造」より往復書簡の瀧口の返信部分。

《 たしかに私は絶対に魅入られていたのです。しかしいま思っても妙なことは、その絶対という観念の世界が、私にとって、いつも具体的な世界と表裏しながら去来していたということです。なんと私は具体的な実在を通ることに思い焦がれていたことでしょう! 》

《 結局、記号であり、表象である以上のものの探求を言語に賭けようとする非望のようなものが、私につきまとっていた、といえるでしょうか。 》

 『骰子の7の目 シュルレアリスムと画家』叢書河出書房1973年の月報0号から瀧口修造「画家の明証」冒頭。

《 人は絶えず何ものかに賭ける。しかも、6の目の骰子を振りながら、その実は7の目をもとめているのではなかろうか。画家もまた例外ではない。 》

 『昭和文学全集34 評論随想集 II 』小学館1989年初版には、飯島耕一「詩のイメージ──瀧口修造を中心に」1982年が収録されている。

《 瀧口修造におけるリアリズムは次のようなイメージとなって爆発する。 》

 と紹介されたのは、一昨日引用した瀧口修造の詩「絶対への接吻」全篇。やはりね。

《 鮎川信夫の戦後の詩論と、一九三○年の瀧口修造の詩や詩論は、まるで異なったものに見える。しかしこの二つの、非常にかけはなれたように見えるものを、ほとんど暴力的に結合させることはできないものか。 》

《 われわれのことばに力をとり戻す行為はアクチュアルな現実と、そこから飛翔しようとする意識の切り結ぶ地点ではじめて可能であるに相違ない。 》

 ネットの見聞。

《 大阪市内ではこのほか寺田町駅前店、そして正式な店名は忘れたが鶴見緑地線沿いにあったブックオフもつぶれた。 》 智林堂書店

 行きつけの三島徳倉店、長泉店、函南店、沼津リコー通り店そして沼津南店、どれも閉店の気配はない。よかった。競合店は三島沼津全部潰れた。

《 中に入ると時間が停まり、ただただ埃と古本が降り積もって行くのみ…棚下平台のノベルス低山を掘り起こし(まだまだ何か埋まっていそう…)、コスモノベルズ「ふたりの乱歩/松村喜雄」を100円で購入。 》 古本屋ツアー・イン・ジャパン

 近所にあった古本屋北山書店を思い出す。黒岩涙香『幽霊塔』旺文社文庫1980年重版、E・ガボリオ『ルコック探偵』1979年初版などを発掘した。どちらも200円しなかった。


4月19日(金) 画家の沈黙の部分

 ブックオフ長泉店で文庫を三冊。京極夏彦『死ねばいいのに』講談社文庫2012年初版、桜木紫乃『水平線』文春文庫2012年初版、クラフト・エヴィング商會『らくだこぶ書房│21世紀古書目録』ちくま文庫2012年初版帯付、計315円。

 東京の古本屋書肆盛林堂から『大阪圭吉作品集成』盛林堂ミステリアス文庫が届く。今月出たけど、初版300部が早売り切れ。

 瀧口修造『画家の沈黙の部分』みすず書房1969年初版を読んだ。昨日話題の『瀧口修造の詩的実験1927〜1937』と同じ版型、同様の装丁。二冊並ぶと愉しい。新刊で買ったのだけれど、なかなか読み進められなかった。機が熟した。

《 ここに十二人の外国の作家についての文章が、書かれた年のあとさきにかかわりなく集められた。 》 「後記」

《 クレーの芸術は宿命的にアイロニーと諷刺の世界に生れついている。 》 「クレーの怒り」

《 私はむしろ子供の世界を火のように盗んできた有邪気な芸術家であったのだと理解したい。 》 同

《 またタブローと素描との、人工的な差別を、可能なかぎり取り除いた功績はクレーのものだ。 》 「パウル・クレー論 クレーはここにいる」

《 物を描く線から脱けだして、蛛蜘のように、空間に編みだす線。蛛蜘は、けっして〈蛛蜘の巣〉というものをつくろうとはしていないのだ。 》 同( クモは蜘蛛と書くが、この本では蛛蜘と記されている。 )

《 線は切るのではない。線は歩み、動くことによって、空間をつくるのである。空間をもった線。 》 同

 これらのエッセイで、惹かれるけれども複雑不可解なクレー絵画への理解の道筋が仄見えてきた。クレーだけで十分だった。

《 アポリネールがジャリのアパートをはじめて訪ねたときの逸話がある。 》 「ユビュ図像学入門」

《 暖炉にはフェリシアン・ロップスから貰ったという日本製の石の大きな男根が飾ってあった。しかしある日、訪れた某女流作家にショックをあたえて以来、布がかけてある。その作家はジャリに聞いたそうである。「これは型取り(ムラージュ)ですか?」ジャリは答えた。「いや、縮図です」と。 》 同

 小説家の寮美千子さんから平城京跡を守る署名のお願いが来る。賛同、署名をメール送信。歴史的景観に日本人は鈍感過ぎると思う。歳月を経て形成されてきた歴史的景観に下手に手をつけると、取り返しのつかないことになる。源兵衛川でさえ、二十年たっても、まだ病み上がりの状態だ。丈夫な川にいつ戻るか予想がつかない。

 ネットの拾いもの。

《 中央線。iPadで雑誌を読むおじいちゃん。なかなかヤルなと見てたら、めくる時、指を舐めた。
  そこはデジタル情報革命の外側。 》

《 日本の「地水火風」は、地震・大水・噴火・台風。 》 椹木野衣


4月18日(木) 瀧口修造の詩的実験1927〜1937

 一昨日触れた「主情的な詠嘆に彩られた近代詩」から一線を画していた詩人は、瀧口修造(1903年〜1979年)だろう。1967年初刊本が縮刷版で再刊された『瀧口修造の詩的実験1927〜1937』思潮社1971年初版は、白地に縦書きの文字だけの装丁、A5版ほどの小体な版型で、私の好みにぴったり。挟み込まれた栞の「添え書き」冒頭。

《 私のなかのひとりの詩人がこのような標題を選ばせた。編者はむろん私自身である。私にはこれまで単独の「詩集」というものが存在しなかった。存在しえなかった。 》

《 しかし詩集とは呼ばず、「詩的実験」と呼ぶことにした。実験という語については、その字義通りに解釈していただきたいのである。実験という語にまつわるさまざまな時評的解釈に呪いあれ! 》

《 おそらく西脇(順三郎)氏の出現なしにはこの本は存在しなかったか、もしくはかなり異なった相貌を呈したであろう。 》

 詩的実験という標題にただならぬ気配を感じ取って1200円を払ったわけだが、大当たりだった。まず一読驚嘆惚れたのは、散文詩「絶対への接吻」だった。その冒頭。

《  ぼくの黄金の爪の内部の瀧の飛沫に濡れた客間に襲来するひとりの純粋直観の女性。  》

 半ば。

《 霊魂の喧騒が死ぬとき、すべての物質は飽和した鞄を携えて旅行するだろうか誰がそれに答えることができよう。  》

 結び。

《  すべては氾濫していた。 すべては歌っていた。 無上の歓喜は未踏地の茶殻の上で夜光虫のように光っていた…… ( sans date )  》

 1931年の発表。シュールレアリスト瀧口修造の面目躍如。マックス・エルンストのコラージュを連想する。例えばエルンストのコラージュ小説『百頭女』1929年、第二章の「百頭女がおごそかな袖をひろげる。」(1996年河出文庫版の巌谷國士・訳)を。1974年に河出書房から出た『百頭女』の小冊子に瀧口は書いている。

《 昔、始めて見たときの「百頭女」は静かな炸裂のように私の若さをゆるがした。その出現は、時知らずの暗黒の大密林で出遭う沈黙の稲妻のようなものであった。  》

 1936年の「マックス エルンスト」という行分け詩全篇。

《  夜の旅行者は
   不可解な夜の手錠を
   肉片のように
   食い散らす

   声のない夜半に
   ゴビ砂漠気附で届く
   擬態の手紙がある

   言葉の鑵詰を
   飢えた永遠の鳥たちは
   肉片と間違えるのだ

   一夜
   人間の贈り物は
   花のように燃えていた  》

 誤字が心配。

 ネットの見聞。

《 明白なのは、「TPPに入っても日本には何もメリットはない」ということだ。事前協議でこれだけの内容を唯々諾々と米国に渡しておきながら、「本交渉では交渉力を発揮して聖域を守ってルールメイキングをします」といったところで、その言葉は信頼に足るはずがなく、空疎な妄想といっても言い過ぎではない。 》 Acts for Democracy

 ネットの拾いもの。

《 パスワード忘れたからヒントを見たら『今のお前のことだ』と表示されてしばらく迷った末に「バカ」と入力してみたら無事通った……。 》


4月17日(水) 最後のコラム・続き

 鮎川信夫『最後のコラム』文藝春秋1987年初版、最初のコラムは「署名入り寄贈本」。

《 ある日のこと、たまたま手にした未見の詩集を開いてみると、丸山薫に宛てた著者の署名本であった。それから、同じ棚の詩集を次々に見ていくと、丸山薫様、何某、と見返しの頁に署名した詩集が、かなりたくさんあることに驚かされた。 》

《 寄贈本をどう始末するかは、著作家にとってけっこう厄介な問題である。 》

《 そのたびに、丸山薫の例を思出していたのか、というとそうでもない。なにしろ、四十年も昔の話である。 》

 四十年前の1973年四月に初版が出た『現代日本文学大系93 現代詩集』筑摩書房1980年10刷の月報、冒頭は丸山薫のエッセイ「詩というもの」。

《 理由は、詩というものは到底言葉にならない心情を、どうにかこうにか言葉にちかいものに仕立て見せたものだ、というのが私の考えだからである。そうであるかぎり自他の詩について的を射た論議をするのは、すくなくとも実作者の私には不可能無意味だと思われるからでもある。 》

 こういう考えなら、寄贈本は後日古本屋へ、だろう。近隣のブックオフには誰に贈ったのか、寄贈本の句集歌集詩集がっごっそり並んでいる。ほとんどが自費出版で105円。不思議なことに、これがいつしか消えている。売れたんだと思いたい。函南店で以前入手した夏樹静子『特装本 国境の女』講談社1978年非売品にはサインペンで宛名と署名。思い当たらない名前だ。エリザベス・グージ作/石井桃子・訳『まぼろしの白馬』福武文庫1990年にはペンで「一一九一年クリスマス 石井桃子」。これは微笑ましい。

 亡くなった1986年10月に雑誌に掲載されたコラムと絶筆から。

《 君子は豹変す。そうでなければ国際社会では生きられない。 》

《 高齢化社会の到来は必至だから、老後の備えは欠かせない。 》

《 「日米関係は、かつてなく良好」という言い草も、あながち皮肉ではあるまい。 》

《 それからが大変である。うっかりすると、元も子もなくしてタダ働きになりかねない。 》

 コンビニエンスストア、ファストフード店、ファミリーレストラン、ディズニーランド、アウトレットモールそしてショッピングモール。日本の街と郊外の景観を激変させたアメリカのビジネスモデル。なす術も無く衰退壊滅する商店街。その流れに抗して、三島市中心街を流れる源兵衛川の修景整備と生態系の復活を心がけて二十年。今日空き店舗はない(ウソみたい)。昨日のこの地区の老人会総会では、住むにはここが一番いいと、もちきりだったとか。

 天候に左右されない人工空間にたいして天候が気になる自然空間=源兵衛川。ひそかに三島型モデルと考えている。街の中に緑と清流。人は水辺に憩う。水辺をお散歩。水に入る。なんと気持ちよいことか。年配者が住みたくなるわ。

 ネットの拾いもの。

《 おはようからおやすみまで ツイッターを見つめるヒマ人 》


4月16日(火) 最後のコラム

 きのうは強風きょうは穏やか。気持ちまでゆったり。ゆったりとブックオフ長泉店へ。吾妻ひでお『失踪入門』徳間書店2010年初版帯付、綾辻行人『アナザー Another 』角川書店2009年初版、久世光彦『昭和恋々 Part II 』清流出版2003年初版帯付、皆川博子『倒立する塔の殺人』理論社2007年初版帯付、北森鴻『親不孝通りラプソディー』講談社文庫2012年初版、計525円。うーん、満足。いい天気だ。それにしても「きたもりこう」を変換すると「北も履行」。なんだかなあ。

 一昨日昨日と取り上げた『戦後名詩選1』で収録されていた鮎川信夫( 1920-1986 )の詩について、城戸朱理は書いている。

《 第二次世界大戦を生き残り、見送った死者を代行することに自らの詩的営為を賭けた鮎川信夫は、戦後詩の象徴的存在と言ってよい。》

《 それは主情的な詠嘆に彩られた近代詩とは別の次元に開かれていく新時代の詩を、田村隆一らとともに体現するものであった。 》

  「主情的な詠嘆に彩られた近代詩」という指摘に、腑に落ちる思いがした。中原中也、宮沢賢治らの詩に、馴染めない違和感をずっと感じていた。それがこの一文ですっと解消した。

 鮎川信夫『最後のコラム』文藝春秋1987年初版の副題は「鮎川信夫遺稿集103篇 1979〜1986」とある。帯にはこんな一文。

《 錯綜した迷路の時代に、この稀有の書を。 》

 1985年のコラムからいくつか。「森嶋通夫の学歴社会論」から。

《 校内暴力、非行の増加、登校拒否、いじめ等で、今日の教育は荒廃しているとおわれる。その原因についても、社会の変化と情報メディアの多様化に伴う家庭の教育機能の低下、物質万能主義にによる心の不在、受験戦争の深刻化など、さまざまな理由が挙げられている。》

《 凡庸で退屈な教育論が氾濫している中で、森嶋のこの本は、大変刺戟的である。彼は道徳教育の復活には反対だという。復古、反動、軍国主義につながるからではなく、時間と国費のむだ使いだからだという。誤解されやすい挑戦的な言葉だが、よくよく読めば、すべての先生が徳育の見本だといっているのと同じである。それが分からない人には、「あなたが高潔な人格者であるのは、修身教育のおかげですか」と問えばよい。 》

 今の話題かと思った。「伊藤憲一『国家と戦略』」から。

《 現在の日米、日欧の貿易摩擦については、「摩擦とともに生きるという考え方ないし姿勢が必要なのであり、存在しない特効薬をみつけようとすることのなかにではなく、新しい<国交条件>をたえず模索しつづけることのなかかにこそ」安住の地がる、と説く。 》

 TPPをはじめ、今の話題かと思う。「栗本慎一郎『鉄の処女』」から。

《 いくら平和と民主主義の世の中でも、こう不要の人が多くては窒息してしまう。と、誰しも自分を勘定に入れずに思っている。 》

 皮肉な論をさりげなく挿入する。「オルテガの『傍観者』」から。

《 傍観者は思索する者であり単独者である。集団主義や超個人的な見解とは鋭く対立する。「個人的な観点こそが私には世界をその真実において眺めうる唯一の観点と思われる」という彼にとって、現実が姿を現すのは「個々人の遠近法(パースペクティブ)の中においてだから、誰でもが自己の遠近法に忠実であれ、というのが衷心からの願いとなる。 》

《 傍観者といい、遠近法の大切さを説いても、けっして静観主義ではなかった。「われわれには新たなるものを予感する義務がある」と言い、そのためにはわれらが魂は、寝ずの番をしていなくてはならないと主張した。慣習、権威、既成事実といったありとあらゆる諸特権をひきずった「古きもの」に欺かれることはなかった。文化を創造する能がない者にかぎって、伝統的な文化を、埃を払って持ち出してくる。 》

 深く同感。

 きょうのうなずき。

《 大事なものは見えにくい (角川ソフィア文庫、鷲田清一の本) 》

《 まったく交通費がもったいない…古本は見つけた時に買いましょう! 》

 ネットの拾いもの。

《 爆弾を解体中に残った赤と青の配線。犯人は「赤を切れ」と。犯人は主人公の親友。

  信じて赤を切って爆弾が止まる→アメリカ映画
  信じず青を切って爆弾が止まる→イギリス映画
  信じて赤を切って死ぬ→イタリア映画
  信じず青を切って皆死ぬ→フランス映画

  残り3秒で遠くに投げる→日本アニメ  》

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