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『閑人亭日録』Diary2013年

3月31日(日) 半七捕物帳・続

 面白いものだ。昨夜さっそくご教示あり。岡本かの子「鮨」は、種村季弘『書物漫遊記』筑摩書房1979年初版の「大食のすすめ」にあった。これこれ。 速行でお知らせくださった給水塔さんに感謝。

《 余談ですが、この岡本かの子の小説『鮨』は、
  大学入試センター試験のサンプル問題の素材に採用されたため、
  私も含めて、イヤというほど読まされた業界人が多数いるという、
  いわくつきの作品でした。 》

 「給水塔」氏には昨日話題の三浦老人のパロディがある。以下無断転載。

《 「今年は戌年ですが、何か犬に因んだやうな新年に相応しいお話はありませんか。」と、青年は訊く。
  「なに、戌年……。君たちなんぞも干支をいふのか。かうなるとどつちが若いか分らなくなるが、まあ好い。干支に因んだ犬ならばハガキ作成ソフトの中をさがして歩いた方が早手廻しだと云ひたいところだが、折角のお訊ねだから何か話しませう。」と老人は答へる。
  「ありがたうございます。ぜひ聴かせて下さい。」
  「どうで私の話だから昔のことだよ。その積りで聴いて貰はなけりやあならないが……。西暦でいふと2005年の暮れも押し迫つたころだ。例のごとく写真機をさげて赤羽のへんをうろうろしてゐるうちに、日が短い時分だからはや日が暮れかかつた。桐ヶ丘のアパートの給水塔の上の方にはまだ日が当つてゐたが、地面のあたりはもう薄暗くなつてきてゐて、あとどれくらゐも撮影できないと思ふと気がはやる。ファインダーの中のフレーミングばかりに気を取られてゐた。それで足許がお留守になつた。右足の靴が、ぐにゆつとしたものを踏みつけた。感触からすれば間違ひない。犬の糞だつたよ。」
  「おやおや、とんだ災難でしたね。それで、どうなさいましたか。」
  「どうもしやしない。公園の枯芝生に入り込んで、靴底をなすりつけただけさ。まあウンがつくと云ふ位だから、新年に相応しいおめでたいお話さね。」
  青年は、おめでたいのはそつちの頭だらう、とでも云ひたげな顔で、気の抜けた麦酒を呷つた。 》

 岡本綺堂『半七捕物帳・続』講談社大衆文学館文庫1997年初版を読んだ。作品解題から。

《 本文庫では先に北原亞以子編の『半七捕物帳』が刊行されており、そちらは「物語性を主とする大衆文学館の意に添える」(岡本経一解説)べく、昭和九年八月から「講談倶楽部」に連載がはじまった後期の作品から十篇を選んでいる。本書は便宜上、「(続)」となっているが、シリーズの第一作である「お文の魂」から、大正期に書かれた最後の半七の物語である「三つの声」まで、前期の作品から十三篇を選んだものである。 》

 こちらから先に読めばよかったのか。半七といえども気がつくめえ。確かに、物語性でいえば後期のほうがいい。

 きょうも花曇り小雨。井上陽水『桜三月散歩道』をソノ・シート(盤面に'72,DECEMBER と印刷)で聴く。作詞は長谷邦夫。

《 ♪ 川のある町に行きたいと思っていたのさ〜 ♪ 》

 三島のことか。んなことはない。ブックオフ長泉店で二冊。樋口有介『捨て猫という名前の猫』東京創元社2009年初版帯付、『谷川俊太郎の33の質問 続』ちくま文庫1993年初版、計210円。


3月30日(土) 鮨

 花曇り、花冷えの一日。朝食後、ふたたびお蒲団へ。至福のひととき。正午数分前に目覚める。

 蒲団の中で考えて瞼にメモ。感覚の弾性、思考の弾力性〜〜求心、遠心〜〜統合、融合〜〜生動、律動〜〜躍動、跳躍……眠りへ落ちる。覚醒。覚えていたわ。そしてそれは意味の弾性へと続く? 佐藤信夫『レトリックの意味論  意味の弾性』講談社学術文庫。

 ブックオフ函南店で四冊。米澤穂信『ふたりの距離の概算』角川書店2010年初版、スティーグ・ラーソン『ミレニアム2 火と戯れる女 上』早川書房2009年3刷、岡本かの子『家霊(かれい)』ハルキ文庫2011年初版、E・ケストナー『ケストナーの「ほらふき男爵」』ちくま文庫2000年初版、計420円。『家霊(かれい)』ハルキ文庫は定価280円。105円の前は200円の値札。そりゃ高い。これには短編「鮨」が収録されている。これを読みたかった。

 読んでみた。鮨屋へ行きたくなった。

 「鮨」は、種村季弘氏がどこかで書いていて、ずっと読みたかったもの。氏の本を何冊か当たったが、見つからず、『好物漫遊記』筑摩書房1985年初版に「番外 贋作三浦老人昔語り・戦後篇」。その冒頭。

《 ──戦後の話をしろとおっしゃるのですか。あれから何年になりますかな。四十年? いやはや、早いものです。そういえば岡本綺堂の三浦老人が幕末昔語りをやってのけたのが御維新後三十年、》

 「三浦老人昔話」と副題のある、岡本綺堂『鎧櫃(よろいびつ)の血』光文社時代小説文庫1988年初版、岡本経一の解説から。

《 三浦老人の住居を大久保に設定したのは、江戸以来の郊外遊楽地選んだのであろうが、若い新聞記者が古老をたずねて昔話を聞くという趣向は、半七老人と同じである。半七捕物帳の姉妹編のつもりであろう。 》

 ネットの見聞。

  《 「いちばん肝腎なことは熟睡することだ。」 》 井伏鱒二


3月29日(金) 半七捕物帳

 昨晩は晴れて気持ちが良いので、三嶋大社へ夜桜見物。去年までは桜の下から見上げていたけれど、桜並木から離れた場所から遠望すると、地に桜の薄明かり、夜空にはきらめく星々、ゆっくり去ってゆく飛行機の点滅、壮大な構図になる。昨日の『銀河鉄道の夜』を彷彿させる。しばし呆然としていたらしく、気がつくと、魂を引き抜かれたような、生気の失せた、ひどく疲れた気分に陥った。幽明の境か。予定した夜のブックオフ行きは取り止め、イトーヨーカドー三島店の本屋で雑誌、文庫を眺める。が、気力は浮上せず、これはいかんと帰宅。

 昼過ぎ、源兵衛川中流で観桜。薄曇から射す陽を浴びて、うっすらと明るむ川辺に連なる満開の桜、一陣の風に落花繚乱の花吹雪。静かなる戦慄。今しか見られない絶景。片手で足りる観衆。最高の桜を存分に堪能。桜に関してはこんな月並みな感想しか書けない。

 岡本綺堂『半七捕物帳』講談社大衆文学館文庫1997年2刷を読んだ。十篇を収録。なんだろう、語り口がじつに巧み。というよりも、巧みと感じさせない上手さ。くせのない日本酒をすーっと味わっているような。似た文体を他にちょっと思いつかない。都筑道夫、戸板康二が近いけれど……。世評どおりのいい作品だ。

 北原亞以子が巻末エッセイで書いている。

《 そして、半七が見る夜の闇は濃い。》

 ネットの拾いもの。

《 時代劇で時代考証を厳格にしたら、何を話しているか分からなくなると思う。 》

《 Q:何故歴代ライダーの名前は覚えられて、15人しかいない徳川将軍は覚えられないのですか?

  A:変身しないからです。 》

 ネットのうなずき。

《 表現というのは、人間にとってとても自然で止めることのできない生理だから、(排泄と同じように)どんな人も臆せず表現をすればよいと思う。ただ、アーティストと呼ばれるにはそうした「個 individual 」を超えた表現である必要があるところが、重大で決定的な違いだと思う桜の宵。 》 阿川大樹


3月28日(木) 銀河鉄道の夜

 NHKテレビお昼の番組でクレソンの特集。素揚げなんて知らなかった。我が家から目と鼻の先の川べりにクレソンがひとかたまり。先だっては友だちに頼まれて数株引き抜いた。上流にはセリがひとかたまり。これは茹でて賞味。春だねえ。

 昨日買った宮沢賢治『新編 銀河鉄道の夜』新潮文庫、新編と謳われた表題作を読んだ。以前読んだのは遠い昔の昭和の時代。その本は手元にないが、今回読んだ新編とはえらく違っていた記憶。新編のほうがぐっと印象深い。同時代の稲垣足穂作品との親近を感じさせる描写だ。下記の描写は谷内六郎の絵を連想させる。

《 ほんとうにジョバンニは、夜の軽便鉄道の、小さな黄いろの電燈のならんだ車室に、窓から外を見ながら座っていたのです。 》

 軽便鉄道、大好き。保育社のカラーブックスには松本典久『軽便鉄道』1982年と吉川文夫『楽しい軽便鉄道』1992年があり、人気が知れる。写真を見るだけで幸せな気分になる。ああ、そのほとんどは失われた風景。切なくなる。宮沢賢治は没後八十年になるのに、今もこうして読むことができる。何が遺り、何が消えてゆくのか。滅びしものは美しきかな。

 軽便鉄道が滅んでも、豆汽車は走る。三島駅前の楽寿園には一周一分もかからないような豆汽車が走っている。子ども用だけれど、大人も乗車可能。私は何度も乗っている。無心に愉しい。伊豆市の虹の郷には豆汽車というよりミニ列車が走っている。私は、ちゃちな豆汽車のほうになぜか惹かれる。

 豆といえば、豆本でも好みがある。先だって友だちがへえ〜、と興味を示したのは、森永製菓がハイクラウンチョコ関連で1978年頃に出版した豆本『フラワーフェアリー』シリーズ七冊の一冊。ケイト・グリーナウェイのカラー図版が使われている。10.3×7.5cmほどの堅表紙。ネットでちょっと検索したけど、おまけのカードばかりで豆本は出てこなかった。送料込み一冊1000円で頒布、ではなあ、と今は思う。

 銀河といえば、東工大の入試問題という英文和訳問題

《 以下の英文を和訳しなさい。 》

《 (ii) In the name of the Moon, I will punishu you! 》

 月にかわってお仕置きよ!  セーラームーン……。テレビアニメのエンディングに流れた「ムーンライト伝説」。好きだなあ。胸キュン。

 ネットの見聞。

 首都大学東京そして…… 東京都市大学

 東京大学が可愛く見えてきた。


3月27日(水) ニーチェ

 花曇リ、花冷え。花見は見送り。

 『現代思想の源流』講談社2003年初版収録、三島憲一「ニーチェ」を読んだ。ニーチェの受容からユーゲントシュティール(ドイツのアールヌーボー)等を経て、

《 ニーチェ自身も、そしてニーチェのさまざまな受容も本当はまだとらえきれていない問題の所在がどの辺にあるか、それゆえニーチェ思想のどの部分がいまなお活性化されていないオプションとして残るのかということを、模索してみよう。 》

《 問いは問いを呼ぶ。そうした物語にちりばめられているツァラトゥストラの説教は、豊饒な生命と美のなかへ──言語の表現力によって──消え入り、転成する喜びを歌う。認識の迷宮は、太陽の光を浴びて、生命の大海原の鼓動と同一化する。 》

《 強度な経験への欲求は、ニーチェおいても、ニーチェを最初に読んだ世代においても市民文化の批判と不即不離であった。 》

《 市民社会における擬似的な強烈な経験が断片性を免れないのは、共同性が欠如しているからである。 》

《 たえず同定を避け、無限に変奏を続け、同定のために必要な次の旋律が期待されるところでは、深い沈黙の中に静かに、あるいは突然消えていくような文章。》

《 また、内容的にも現代ドイツとも、ヨーロッパとも、特定の思想や専門とも自己を同一化することは徹底的に回避されている。 》

 『ツァラトゥストラ』と三島憲一「ニーチェ」を読んで思ったのは、ファン・ゴッホとの共通性と共時性。ニーチェは1844年生〜1900年没。ファン・ゴッホは1953年生〜1890年没。1889年、ニーチェは精神病を発症、1月に精神病院へ入院。ファン・ゴッホは1888年末、精神病院に入院。その差、わずか一月。思想がどうのこうの、ではなく、作品から受ける二人の気質、表現の仕方、南へのあこがれなど、深いところで通底している気がする。不思議な暗合を感じる。誰か指摘していないかな。

 ネットの見聞。宮城県の古書ビブロニア書店の貼り紙。

《 「ビブリア古書堂」はここではありません!…まちがえることないか。(笑) 》

 現代アートと称されるものの大半は、下記の一行でことたりる。

《 インスタレーションと中途半端なコンセプチュアル・アートと映像作品が並べられている。 》

 第8回オタク川柳入選10作品から私の好みを二つ。

  萌えキャラも 母の名前じゃ 萎えキャラに

  ツンデレも 二次元までだ 覚えとけ

 ブックオフ長泉店で二冊。赤染晶子『乙女の密告』新潮社2010年初版帯付、宮沢賢治『新編 銀河鉄道の夜』新潮文庫2003年34刷、計210円。


3月26日(火) ツァラトゥストラ

 今朝も花冷え。自転車で走ると手がかじかむ。ブックオフ沼津南店へ。有栖川有栖『女王国の城』東京創元社2007年初版帯付、鮎川哲也・芦辺拓編『妖異百物語 第二夜』出版芸術社1997年初版帯付、スティーグ・ラーソン『ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女(上・下)』早川書房2010年5刷、佐瀬稔『金属バット殺人事件』双葉文庫1998年初版、計525円。『女王国の城』は贈呈用。正午近い帰り道は手が温く。

 午後、沼津市の庄司美術館で来月催される内田公雄展に出品する抽象画四十点ほどを運び出し。

 フリードリッヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラ』(訳・手塚富雄)を久しぶりに再読。「第三部」は去年の暮れに読了。最終章「第四部」は、中断を繰り返して昨夜遅くやっと読了。前世紀初めて読んだ時はさして苦労せず読み終えた。同じ訳なのに今回は集中力が続かず、難儀した。読了したといっても、とりあえず活字を読み終えました、といったところ。内容の理解にはほど遠いと感じる。内容を素直に受け取るには、生活の垢が頭にこびりつき過ぎてしまったようだ。

《 過去の一切にたいしてわたしが憐れみの心をもつのは、それらの過去の一切が後代の気まぐれにまかされているのを見るからである。── 》 「第三部 新旧の表 11」

《 価格のあるものは、すべて価値の乏しいものである。 》 「第三部 新旧の表 12」

《 よし悪人がどんな害をおよぼそうと、善人のおよぼす害は、最も害のある害でる。 》 「第三部 新旧の表 26」

《 かれらが最も憎むのは創造する者である。既成の表と古い価値を破る破壊者である。──それをかれらは犯罪者と呼ぶ。 》 「第三部 新旧の表 26」

《 多くのことを中途半端に知るよりは、むしろ何事をも知らぬことを選ぶ。他人の見解に従って賢者であるよりは、むしろ自力だけを当てにする阿呆でいよう。わたしは──知識の根底にまで降りてゆくのだ。 》 「第四章 蛙」

《 「そこでおまえは学んだのだ」と、ツァラトゥストラは、相手のことばをさえぎった。「正しく与えることは、正しく受けるよりも、むずかしいということを。また、よく贈るということは、一つの技術であり、善意の究極の離れ業、狡知をきわめる巨匠の芸であることを」 》 「第四章 進んでなった乞食」

《 あなたがたは、わたしから見れば、まだ悩むことが足りない。それはあなたがたが、あなたがた自身を悩んでいて、人間を悩んだことがないからだ。 》 「第四章 高人」

《 あなたがた、創造する人々よ、この「……のために」を忘れよ。 》 「第四章 高人」

《 大きい愛は、愛されることを求めない──それは、「愛されること」以上のことを求める。 》 「第四章 高人」

《 わたしの宿敵、重さの霊は、すでにたじろいで、逃げ出した。 》 「第四章 覚醒 1 」

 JR東海の雑誌『ひととき』五月号のゲラ校。池内紀(おさむ)氏の「冨士の麓めぐり」。ぐるっと巡って源兵衛川が最終地。

《 いたずら坊主がそのまま大人になったような方のお尻にくっついて、川辺をゆるゆると下っていった。 》

 誰のことじゃい、と横の写真を見れば、オレのことか。


3月25日(月) 花曇り〜花冷え

 昨日は夜も所用で外出。従姉妹の車に同乗、開通間もない立派な道路を通った。信号がないから運転が楽、と言う。山間の風景を高規格道路が貫く。巨大な橋桁で失われた美しい風景は記憶に残るのみ。ただ、夜の深い闇は変わらない。前方を照射する車光は深い闇に一瞬にして呑み込まれてゆく。

 ニーチェ『ツァラトゥストラ』「第四部」から。

《 そのあいだにも夜の不思議は、ひしひしとかれらの胸にせまった。 》

《 「世界は深い。昼が考えたよりも深い」 》

 午後、雨が止んだので一枚重ね着、桜を訪ねて川を逍遥。人気の無いせせらぎの静けさのなか、打ち重なる満開の桜桜桜。ふっと異界へ拐われるよう。魔界降臨。

 この数日引っかかっている記事、内田樹「言語を学ぶことについて」から。

《 どちらも言語というものを舐めている。
  言語というのは「ちゃっちゃっと」手際よく習得すれば、労働市場における付加価値を高めてくれる技能の一種だと思っている。
  そこには私たちが母語によっておのれの身体と心と外部世界を分節し、母語によって私たちの価値観も美意識も宇宙観までも作り込まれており、外国語の習得によってはじめて「母語の檻」から抜け出すことができるという言語の底深さに対する畏怖の念がない。言葉は恐ろしいものだという怯えがない。 》


3月24日(日) 不思議な石のはなし

 種村季弘『不思議な石のはなし』河出書房新社1996年初版を再読。

《 石をめぐる古今東西の豊饒な伝説。 》 帯文

 先だっては隕石がロシアに落下して大いに話題を呼んだが、隕石について。

《 ケプラーは隕石を大気の発散物と考えていた。隕石が空から降ってくるなどということは、無知蒙昧な「民衆の迷信」にすぎない。それかあらぬか十八世紀の学者たちは、隕石が宇宙空間から落下したと信じて阿呆あつかいにされるのをおそれて、前時代の標本コレクションからわざわざ隕石を外して捨ててしまったという。 》 「石の雨」

《 隕石の宇宙発生説がはじめて公認されたのは、一八九四年(ママ)、ドイツの物理学者・音響学者クラードニ(一七五六〜一八二七)がシベリアの発掘物に基づいて隕石宇宙発生説を打ちだして以来のことである。 》 「石の雨」

 宗左近は、北一明の焼きものを「韻石」と呼んでいる。その釉薬は光彩陸離たる遊色を放っている。

《 雲母も、雲を生む母体と思われていたから雲母である。 》 「石の夢 あるいは木内石亭」

 これは知らなかった。昔、種村氏と富士宮の奇石博物館へ行ったことがある。この取材を兼ねていたのかな。ウェブサイトにはこんな紹介記事。

《 また、地球の歴史をトイレットペーパーで解りやすく紹介もしています。 》

 トイレ、行きたくなった。

《 たとえば、「石ころで全世界が埋め尽くされている世界」というのは、「いま実際には実現していないけれども、ひょっとしたらいまここで実現していた可能性のある世界」ではありません。なので、もし可能世界をこのように定義すれば、前者は可能世界ではなく不可能世界になるように私には思われます。 》 森岡正博

《 (承前)なぜそれが不可能世界になるかというと、「石ころで埋め尽くされた世界」においては、私が存在しないので、「いまここ」がないからです。こうやって考えてみると、可能世界というのはなかなか定義が難しい概念のように思えます。 》 森岡正博

 ツイートのやりとりを見ていて、石ころが眼前にばあーっと拡がった光景がこの数日ついてまわっていた。過去形で語れる。ふう。

 午前中は源兵衛川中流部で川辺に砂を足したり草を移植したり、ホトケドジョウなど魚類の生態を豊かにする、グラウンドワーク三島の作業に参加。富士市の吉原高校の女生徒さんたちも参加。ついがんばってしまう。

 ブックオフ長泉店で二冊。村上春樹『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』文藝春秋2010年初版、仁木悦子『私の大好きな探偵』ポプラ文庫ピュアフル2011年4刷、計210円。

 ネットの見聞。

《 知的で格好良さげな今時のアートやら何やらばっかり追いかけてると、知らぬまに足もとから根腐れしていくよ(不定期ツイート)。 》 椹木 野衣

 昨晩、白砂勝敏氏が持ってきた新作、A4版の紙にペン画と彩色のヘンな絵は、「知的で格好良さげ」からかけ離れている。最初の観客となった幸運。

《 社会と医療のあるべきバランスについてではなく、自分としてはどう「生の質」を考えられているかと質問すると、ある先生は「六十まで生きられればまずは良しと。そこから先の人生はボーナスのようなものと考える。最後の五年はみんな同じ」と。 》 原研哉

 生まれてこの方、ボーナスを払ったことはあっても、もらったことがない。今がボーナスか。納得。

 ネットの拾いもの。

《 名古屋の味仙発祥でなぜ「台湾」ラーメン?と長年疑問だったのだが、台湾人の料理人さんが考案して故郷にちなんで名付けたということを初めて知った。納得した。そして「名古屋名物台湾ラーメンアメリカン」はやはり「どこの国だよ」とつっこまれることも知った。良かった。 》

《 モデル兼プロボクサー高野人母美。「ひともみ」と読むのかと思った。「ともみ」。 》


3月23日(土) 石碑遺物

 昨日はいい天気だったので、桜を探勝。三嶋大社の染井吉野は五分から八分咲き、枝垂れ桜は三部咲きか。源兵衛川下流部の染井吉野はやはり五分咲きくらいか。富士山の雪はどんどん減っている。春〜春〜春。

 きょうもいい天気、お掃除日和。花粉さんこんにちは〜わ〜っ。

 花も人生も儚いが、それに対して石は何百年ももつ。三嶋大社には若山牧水の歌を刻んだ文学碑が池のほとりに立つ。高さ一メートルほどの卵形で、露店の間でほとんど目立たない。それがいかにも奥ゆかしいといえばいえる。その石碑の東に高さ五メートルはあるだろう、でかい石碑が塗り壁のように立っている。これもまた来訪者の視野の外にある。樹木の間の石の壁としか認識されていないようだ。なにあろう、これは日露戦争の戦勝記念碑。この日露戦争戦勝記念碑なるもの、沼津市下石田の稲荷神社境内にもかわいいのがある。官幣大社と一地方の神社の格の違いがじつに露わ。明治三十七年=1904年、有志による建立。今じゃ誰も気づかない石碑。だって面白くもなんともないからねえ。ただそこにある、だけ。遺産じゃなくて遺物だな、なんてたわけたことを思ったせいか、石に躓いて痛い目に遭ったわい。

 墓ならば、後世の人がしょうがねえなあ、とボヤキつつ管理してくれるだろうが、上記のような記念碑は、数十年経つと、関係者は惚けるか亡くなるかで、後は関心の埒外に置かれる。日露戦争万歳といっても、歴史の彼方。長泉町には桃沢川のほとりに忠魂碑がある。これは第二次大戦の戦没者を祀ったと聞いている。私が子どもの頃には、おばあさんが橋のない川を渡ってお参りに行っていた。不心得者は関わってはいけない聖地のようで、今だに対岸から眺めるのみ。

 源兵衛川の末端、温水池入口には池の成立を記した石碑がある。南端には苺をなんやらかんやらした人を顕彰したらしい石碑がある。前者は戦後、後者は戦前のものと記憶している。また、三島市立西小学校のプール脇には簡易水道があったという小さな石碑(?)がある。長泉町には橋を私費で作った人を顕彰した石碑。有名人の墓巡り=掃苔が静かな人気のようだけど、忘れられた石碑巡りもまたオツなもの、かな。

 忘れるところだった。函南町の長光寺には昭和書碑林なる場所がある。ご立派な石碑だ。かんなみ仏の里美術館とセットで拝観すれば、ご利益があるかもしれない。

 おっとさらに忘れるところだった。三島の桜川に沿って十数基の『水辺の文学碑』。歩道を占拠しているので不便このうえない。それを眺める人がいたら、すっと通り抜けられない。なにせ、石、後世のお荷物とならなければいいが。

 こんな駄文を書いていて、頭から離れなかったのは、秋元藍という人のショートショート集『眠られぬ夜の旅』だった。発行「黒い手の13人」、発行日「一九七一年一三月一三日」、「限定版一三○部 第13番」。人を喰った本だが、内容も最初の「首」を初め、人を喰った不条理なもの。今読んでも面白い。不条理といえば、最近重刷された、ハインリヒ・フォン・クライスト『チリの地震』河出文庫1996年初版、再読しても不条理だった。

 ネットのうなずき。

《 フィギュアスケートはスポーツだけれども、芸術と非常に似ているのは、最高難度のことに挑戦する人間がいて、その人間が極めて突出していた場合、それを正当に評価できる人間がいない、あるいはそれを正当に評価したくない人間がいる、というところだと思う。最後は「誰がこれを正当に評価できるのか」という問題になる。 》 福山知佐子

 ブックオフ長泉店で二冊。瀬木慎一『近代美術事件簿』二玄社2004年初版、ジャン・コーヌ『コミュニケーションの美学』白水社文庫クセジュ2004年初版、計210円。


3月22日(金) 東京現代建築ほめ殺し

 19日にゆりかもめに乗車して見た東京湾岸のビル群が印象に残り、建築三酔人『東京現代建築ほめ殺し』新潮OH!文庫2001年初版を再読。元版は1997年刊行。この十五年の間に東京のビルは激変している。

《 紳士 丹下の建築を見ていて不安になるのは、建物がどうやって老いていくのかな?ということです。赤坂プリンスホテルは築十五年ぐらいだけど、五十年経ってもまるっきりこのままだったりするとちょっと怖い(笑)。 》 99頁

 築三十年で解体。諸行無常の響きあり。

《 先生 建築家を「作家」と呼ぶ慣例も面白いね。家作ってるから間違いないけど(笑)。 》 168頁

《 先生 でも、いつも思うのは、建築家のいっている言葉とできあがった建物との間には、すごい距離があるなあということね(笑)。いわれてみても、「どこが?」という突っ込みを入れたくなる。 》 246頁

 HOUSE VISION東京展でも感じたなあ。

《 紳士 みんなビルを高層化していくけれども、それでも路地とか、身体感覚に合った空間にどうも人が集まるらしい、といことも見えてきたと思うんですよ。 》 301頁

 東京湾岸のビル群を見て、住みたくないなあと思った。そこには路地がない。

 そういえば木造モルタル塗りの住宅が少なくなった、と自転車で走っていて気づいた。錆びたトタン板壁と違って、古ぼけた壁面は情けないほど侘びしい。

《 モルタル塗りは、サイディングが登場するまで、我が国の木造住宅の外壁の主流でした。モルタル(mortar)は、砂(細骨材)とセメントと水とを練り混ぜて作る建築材料。 》 びお

《 骨組みが木組みで、外壁の表面をモルタル(セメントに砂を混ぜたもの)を塗りつけた構造を「木造モルタル」と呼びます。「木造モルタル」と区別して、単に「木造」と呼ぶときは、骨組みが木組みで、外壁の表面を木板またはプラスチック材などで仕上げた構造を指します。 》 同

《 施工後に亀裂が入りやすいという欠点があるため、今では、大手ハウスメーカーが標準工法としてモルタル壁を採用することは極めて少なくなっています。 》 同

《 見た目の劣化は、塗装そのほか、気象条件等その地域の事情によりますが、7〜15年で劣化してきます。性能上は外装材として機能しますが、見た目の劣化が自然素材と違って年月を経て風合いを増した状態にならない素材です。 》 同

 木造モルタル塗りの家。昭和の住宅の象徴。諸行無常の響きあり。石川セリ『八月の濡れた砂』1972年をシングルレコード盤で聴く。

《 ♪ 想い出さえも 残しはしない〜 ♪ 》

 ネットの見聞。

《 財形貯金を始めたのは昭和62年。いまはなき「協和銀行」である。
  まだ給料の安い時代は毎月1万円ずつ貯めていたのだけれど、多少余裕が出てきたところでそれを毎月2万円に切り換えた。それがいまはなき「あさひ銀行」の頃である。
  で、今日手続きに行ったのは「りそな銀行」だ。
  いやはや。 》

 諸行無常の響きあり。


3月21日(木) 亡霊は夜歩く

 はやみねかおる『亡霊(ゴースト)は夜歩く』講談社文庫2007年初版を読んだ。三つ子の中学一年生姉妹が学校で出合う事件を、隣に住む年齢不詳の元大学教授夢水清志郎が快刀乱麻を断つ解決に導く、『そして五人がいなくなる』に続く「名探偵夢水清志郎事件ノート」第二弾。気軽に楽しく読める。といって手抜きはなしの本格的な謎解き(トリックはちょっとね、だけど)だから私のような大人は気楽に楽しめる。

 ネットの見聞。日経トレンディネットの電子書籍に関する記事

《 日本は国土が狭く、足を延ばせばすぐに書店に行けるため、電子書籍の必然性は米国に対して少ない。 》 安蔵 靖志

 この人、地方の本屋の書棚をご存知ないね。

《 芳文社はインターネット及びイントラネット上において、
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  守っていただけない方には法的手段を講じることもありますので、ご注意ください。  》 芳文社

 この転載も権利侵害?

 ネットの拾いもの。

《 女だったのか → 東京駅とNY基幹駅、太平洋越え「姉妹」に。 》

《 今日のネット広告。「結婚力診断」って何なんだ。俺は独身力があるんだ。 》


3月20日(水) 政治のフォークロア

 春分の日。ブックオフ長泉店で二冊。今村仁司ほか『現代思想の源流』講談社2003年初版帯付、アンドリュー・ヴァクス『赤毛のストレーガ』早川書房1988年初版帯付、計210円。

 『林達夫著作集5 政治のフォークロア』平凡社1973年5刷から。

《 人々は今未来の真理たるものの生みの苦しみのさ中にあり、歴史の作り直しに懸命になっているが、その仕事の先頭に立つはずの政府が困ったことにその巨きな障碍になっています。 》 「揺らぐ屋台の一本の鋲」1946(昭和21)年初出。

 「──安倍新文相へ──」と副題のあるエッセイの冒頭。安倍とは安倍晋三首相のことではなく、安倍能成(よししげ)のこと。林は続いて書いている。

《 ただ悲しい事には、わが安倍さんによって悔悟せんとする政治は、もはや全く死に瀕している政治にすぎない。 》 「揺らぐ屋台の一本の鋲」

 きょう今日書かれたような。

《 政治くらい、人の善意を翻弄し、実践的勇気を悪用するものはない。真のデモクラシーとは、この政治のメカニズムから来る必然悪に対する人民の警戒と抑制とを意味するが、眉唾ものの政治的スローガンに手もなくころりと「だまされる」ところにどうでも人が頼らねばならぬ政治のおぞましい陥穽があるともいえよう。私は化けの皮をかぶっていない政治というものには、未だかつてお目にかかったことがない。 》 「新しき幕明き」1950(昭和25)年初出

《 政治の化けの皮がはげかかってから、それを追及し、それに悲憤慷慨することはたやすい。定めし、幕末志士の現代廉価版が、これからこの国土に輩出することであろう。というのは、わが日本では、いまや二度目に「尊皇攘夷」ないしは「尊皇か攘夷か」の時代に足を踏み入れて来たようだから。だが、大いなる歴史的事件は二度繰り返す、一度目は悲劇として、二度目は道化芝居(ファルス)として。どうやら、その道化芝居がいよいよ幕を明けたようである。 》 「新しき幕明き」

《 フォークロアとはつまり指導者の立場からの知見ではなくして、政治される側の一般民衆の受身的立場からの知見というほどの意味であります。 》 「病める現代人」1958(昭和33)年初出

 鶴見俊輔の解説から。

《 林達夫には、本を読むものは生活者ではないという考え方がなく、その故に大衆にたいするひけ目がない。だから、そのひけめから生じる大衆崇拝とか、ひけ目をうらがえしにした指導者意識があらわれる余地がない。 》

 ネットの見聞。

《 かつてのアホ行政「よし、箱物を造ろう!」。いまのアホ行政「よし、ゆるキャラを造ろう!」。「馬鹿でも出来る簡単な行政マニュアル」なんか売れるかもね。 》 藤岡真

《 ロンドン(CNN) 英国の慈善団体に数年前に寄付された絵画の1枚が、オランダの巨匠レンブラントの自画像だったことが19日までに分かった。時価3000万ドル(約29億円)以上の価値があると推定されている。

  作品はナショナルトラストが管理するギャラリーに数年前から展示されていた。しかしまさかレンブラントの作品とは誰も思わず、来館者も素通りしていたという。 》

 英国人も作者の名前で絵を見るんだ。

 ネットの拾いもの。

《 腐女子の進化形って凄いんだぞ

  腐女子(ふじょし)
  ↓
  貴腐人(きふじん)
  ↓
  汚超腐人(おちょうふじん)
  ↓
  腐婆婆(ふばーば)
  ↓
  腐死鳥(フェニックス) ←最終進化形 》


3月19日(火) 増補 思想のドラマトゥルギー/HOUSE VISION 東京展

 林達夫・久野収『増補 思想のドラマトゥルギー』平凡社1984年初版は、昨日書いたように、一筋縄では到底捉えられない深く豊かな見識に満ちている。片鱗をちょっと紹介。

《  クールトンというのは、当時、文字通り四面楚歌、『タイムス』の「文芸付録」をはじめとしてあらゆるところでやられている。保守派にはリベラルすぎる奔放な中世学者に映っていたのでしょうね。しかし今はクールトンさまさまで、主流派の先駆者に祭り上げられている。彼の著書はほとんどみな戦後、復刊されて、逆に学問的に彼を軽蔑していた当時の有名学者たちの方が鳴りをひそめてしまった。自分の目というか頭で確かめて、いいと思えば出せばいいんで、そういうことが大事だと思います。 》 「二 わが遍歴時代」

《  マルクスは学術文献以外でも、ダンテにしろ、シェイクスピアにしろ、古典を熟読玩味しているでしょう。あらゆる時代の一流学者はみなそれをやっている。僕なんか五流だか七流だか三十流だか知らないけれども、それをやらなきゃ嘘でしょう。 》 「二 わが遍歴時代」

《  しかし、話はまた逸れるが、プラド美術館では、何といってもゴヤです。(引用者:略)目玉商品の二つの『マハ』なんか大変人を食ったミスティフィケーション、全くのいたずら書きとしか僕には思えなくなってくる。みんなあの前で溜息をついているが、ゴヤの厖大な画業の中のたた一度のキレイ事の画であることの裏の意味を考えると、身ぶるいが出るほど恐ろしい不敵な画かきです。いい気な俗流評論家の御託並べを拝聴していると、二重にこっちは愚弄されることになる。 》 「四 わが学問の前哨基地」

《  彼は、文化とは精神の自発的生命であり、その生命の樹が育って花を開き、実を結ぶには、特殊な自由が必要であり、その自由は断じて国家や宗教に奉仕すべきではないという確信を、『世界史的考察』で披露していますが、たといその「自由」が保守派──と、そうブルクハルトを見る人は多いんですが──の「自由」であっても、現実にひそかにそれを防衛し、擁護することに身を賭けていたことは、疑えません。 》 「四 わが学問の前哨基地」

《  ……僕はつくづく思うのだが、ある宗教の精髄というものは、全部その原始段階に出つくしていて、あとは時代時代に適応するための悪く言えば粉飾工作、他宗教からの攻撃に対する自己防衛ないし自己弁明、分派抗争の外ゲバ、内ゲバにおける折伏等々のあおりを食って、一般信者はそれに引き廻されている。 》 「五 聖フランチェスコ周辺」

《  あらゆる国語とその何々弁とが入りみだれて、てんやわんやの時代、カタコト同士でも結構通じ合う時代は、史上空前のことです。だからこそ自分たちのやっていることが大事なんだ、とチョムスキーたちは言うでしょうが、しかし、正直言って、チョムスキーを読んでも世界の民衆のこの生きた「自然言語」の世界の片鱗さえ見えず、かえって十七、八世紀の「言語研究」の高級な学問の系譜が浮かんでくるんです。デカルトとかポール・ロワイヤル、フンボルトとかソシュールとか…… 》 「九 顔のない今日の世界」

 HOUSE VISION 東京展へ行った。新橋駅から初めて乗ったゆりかもめからの湾岸風景は、ほう、これも日本か、となかなか楽しい。青海(あおみ)駅で下車。会場はウッドデッキでつながる平屋が枝状に点在。住宅の実物大模型と呼べばいいか。で、感想は、眼を見開かせるような驚きは、残念ながらなかった。温故知新、日本の伝統的家屋と生活に、現代の技術を投入した感。蔦屋書店のブースでは、「間取り」のコーナーに荻原浩『押入れのちよ』、有栖川有栖『長い廊下がある家』、隣のコーナーには恩田陸『ドミノ』。微笑を誘われた。パンフレットから。

《 代官山 蔦屋書店が展覧会のメインホールにサテライト出店。知識豊富なコンシェルジェによって選書された約三千冊にのぼる「住まい」をテーマとした本が並びます。 》

 それから東銀座のギャルリ・プスで催されている大坪美穂展へ行く。居合わせた羽野誠司氏と久闊を叙す。鉛のボックスア−トに、やっぱり惹かれる。皆で話していると、そこへ上條陽子さんが来訪。森美術館の会田誠展で盛り上がる。午後八時前帰宅。

 中国のツイッター「微博」から。

《 北京人「私たちは幸せだ。窓を開ければタダでタバコが吸えるんだから」

  上海人「大したことない。俺たちは水道の蛇口をひねれば豚のスープさ」 》

 ネットの拾いもの。

《  新教皇が若い頃に質素なアパートに住んで自炊していた、という報道を読んで、一瞬、本をばらしている姿が浮かんでしまった。「だ、だめだ、やはり聖書だけは裁断できない……」 》


3月18日(月) 触っているだけで幸せな本

 春一番。曇天で風が強いので、東京までの新幹線チケットを三島駅そばで購入して帰宅。明日、HOUSE VISION東京展へ。行きたい美術展が目白押し。エル・グレコ、ラファエロ、ルーベンス、フランシス・ベーコン……来月からの、貴婦人と一角獣展、レオナルド・ダ・ヴィンチ展。東京は泰西名画展バブルだけれど、ああ、見送るばかり。

 ゆっくり読書。林達夫・久野収『増補 思想のドラマトゥルギー』平凡社1984年初版を読了。年を跨いだ、永い読書だった。四十年ほど前の対談。豊饒な知識と深い思索を有する文字通りの知識人による、ハイ・ブラウな、アクロバティックな空中遊泳。知層が、学識が桁違い。我ら一般人は口を開けて仰ぎ見るのみ。今はただ、ふう。

 ネットの見聞。

《 触っているだけで幸せな本。因みに売り物ではありません。 》 盛林堂

 その本は日夏耿之介(ひなつ・こうのすけ)がかかわった『游牧記』。昭和四年に出ている。私の場合は二冊。一冊は半村良『石の血脈』早川書房の三方金皮装本1975年。千葉県の半村良のファンが、東京の知人に依頼して製本された私家本、十部限定非売品の番外本。ジャケットの紅と小口の金がじつに豪華。製本した知人からいただいた。

 もう一冊は、種村季弘(すえひろ)『架空日記抄』1987年。発行人は私。限定250部のうち番外本の3。1と2は種村ご夫妻へ謹呈。新書版の大きさで、表紙は山羊皮とオリジナル手染マーブル紙。奈良の知人に製本してもらった、一冊ずつ違う造本。世界に一冊しかない本。

 入手しやすい本では、『日本の旅 名詩集』三笠書房1967年、全五巻。布装に押版というか、金版彫版されていて、その凹凸がなんとも心地良い。B6版だろうか、小体な大きさがちょうどよい。函も出し入れしやすい。愛着の本。

《 西尾維新と佐藤友哉と清涼院流水と森博嗣と舞城王太郎と鯨統一郎辺りを狂ったように読んでいた頃もあった。なかなか尖った女子中学生だな。あっ忘れちゃいけない久美沙織。 》

 鯨統一郎しか読んでない。森博嗣と舞城王太郎は少し持っている。

《 ヤフーオークションのIDを2つ持っていたので、そのひとつを解約しようと思った。
  が、ヤフーオークションのトップページのどこをみても、それらしきページがない。
  どうすれば、解約できるんだ?
  あれこれ探し回って見つからず、ヘルプから検索をかけてなんとか「Yahoo! JAPAN IDの削除画面」に辿り着く。
  が、「Yahoo! JAPAN IDを削除」しようとすると、「Yahoo!ウォレットご利用中のため、削除できません」というメッセージが出る。
  そこで、Yahoo!ウォレットを削除しようとすると、「Yahoo!ウォレットを削除できません」というメッセージが出る。
  Yahoo!ウォレットを削除するためには「Yahoo!かんたん決済 受取口座の削除」をしなければならないらしい。
  で、「Yahoo!かんたん決済 受取口座の削除」をした。
  が、それでもまだ「Yahoo!ウォレットを削除できません」というメッセージが出る。
  「Yahoo!プレミアム会員登録の解除」もしなければならないらしい。
  で、「Yahoo!プレミアム会員登録」を解除しようとすると、「解除すると、こんなにいろいろな特典が受けられなくなるんですよ。それでも本当に解除するんですか」という画面が出る。
  それでも解除しようと思うと、今度はどこをどうすればいいのか分からない。
  よくよくみると、そのページの一番下に「次へ」「戻る」というボタンがある。
  もしかしてこれかと思って「次へ」とクリックすると、ようやく「Yahoo!プレミアム会員登録の解除画面」に辿り着き、なんとかかんとか解除することに成功。
  で、そこから「Yahoo!ウォレットの削除画面」に戻るにはどうすればいいんだ?
  またしてもヘルプ画面から「Yahoo!ウォレットの削除」と検索して、「Yahoo!ウォレットの削除方法」というページに辿り着き、そこからようやく「Yahoo!ウォレットの削除画面」に到達し、ようやく「Yahoo!ウォレットの削除」に成功する。
  これで、ようやく当初の目的の「Yahoo! JAPAN IDの削除」ができるのだろうけれど、「Yahoo! JAPAN IDの削除画面」に行く方法が分からず、またしてもヘルプから「Yahoo! JAPAN IDの削除」と入力して、何重にも張り巡らされた罠をかいくぐって、ようやく「Yahoo! JAPAN ID」を削除することに成功する。ぜーぜー。

  いくら解約されるのが嫌だからって、そこまで解約しずらいように設計しなくたっていいじゃないか。
  正直、途中で諦めようと思ったぞ。
  これだけの文章の中に何回「ようやく」って言葉を使わされたと思ってるんだ!?  》 大丈夫日記

《 カナダ、メキシコが、 TPPの後発参入国として屈辱的な条件を飲まされてまで、 TPPに参加したのは、結局、日本という巨大なカモが、後から入ってくることがわかっていたからである。 》 兵頭正俊

 ネットの拾いもの。

《 私は最近、草間彌生と樹木希林の区別がつかないが、別に支障はない。 》

《 修行無用の響きあり。 》


3月17日(日) John Coltrane  Live in Japan

 昨日に続き、朝からグラウンドワーク三島二十周年記念事業で外出。昨日に続いて三島駅北口前の日大校舎へ。シンポジウムに参加。お昼をはさんで午後三時終了。「三島モデル」という提言に意を強くする。事務局長の「二十年間、職員の給料のことが頭から離れなかった」という回想が心に沁みる。

 ネットの見聞。

《 ジョン・コルトレーン(John Coltrane)が1966年の日本ツアーで使用したサックスがオークション・サイトeBayに。同ツアーのライヴ・アルバム『Live in Japan』のアルバム・カヴァーも飾ったサックスで、YAMAHAが翌年に販売する「YAS-1」のプロトタイプ・サックス。現在の価格は115,000ドル(約1100万円) 》

 『Live in Japan』の三枚組LPレコ−ドで「My Favorite Things」を久しぶりに聴く。以前と同じく複雑な気分。四頁にわたる解説が面白い。

《 正味1時間30分……休憩もないわずか3曲のコンサートであったが、こんなにも興奮した夜はなかった。 》 油井正一

《 コルトレーンの実演奏は、ぼくの感情に全然訴えてこなかった。 》 中山信一郎

《 コルトレーンの音楽に接し、私は久し振りに大なる感動を覚え、叱咤激励されたが、これは生演奏でうけた初めての体験である。 》 高柳昌行

《 ほとばしるエネルギーの奔流は超人的なまでにすごかったが、その感動はセックス・アピールにも似た純粋に肉体的なもので、芸術的なものではなかった。 》 筒井之隆

《 45分を越える《マイ・フェイヴァリット・シングス》が、少しも長さを感じさせない。 》 野口久光

 そういえば、このライヴ盤では「マイ・フェイヴァリット・シングス My Favorite Things 」ばかりを聴いているわ。その後は黄金のカルテットによる『クレッセント Crescent 』1964年録音を、やはり聴いてしまう。偏愛的な盤。

《 これはあくまでもぼくの憶測ではあるが、1966年の来日時に於てジョン・コルトレーンは自分自身の死が近ずいていることを知っていたのではなかっただろうか。 》 久保田高司

《 安倍晋三首相は十五日、環太平洋連携協定(TPP)の交渉参加を正式表明した。しかし、水面下で行われてきた日米の事前協議では一貫して米国ペースだった。本交渉では、後発参加国に不利な条件が課せられることは首相自身も認めるが、既に「不平等」は現実になっている。 》 東京新聞

《 TPP参加も消費税増税も原発維持推進も、諦めたら、植民地の奴隷だ。奴隷にならないための政治の受け皿は、生活の党を初めとして存在している。それらの政党が国会で過半数をとれば良い。人間は闘って負けねばダメだ。安倍晋三のようにあれこれ忖度して、諦め、闘わずに引く精神が奴隷根性なのだ。 》 兵頭正俊

 ネットの拾いもの。

《 最初に花粉症になった人はたいへんだったろうな。 》


3月16日(土) グラウンドワーク三島二十周年

 朝からグラウンドワーク三島二十周年記念事業で外出。天候に恵まれてホッ。午後九時帰宅。ふう、疲れた。

 ネットの見聞。

《 技術的に原発はいまの何倍も安全になる可能性はかなりあると思う。けれど、人間が、日本人が、それを安全に運用できるかどうかはまったく別の話だ。その上、どんなに技術が進んでも悪意のある人間が内部にいれば、安全は簡単に脅かされる。とりかえしのつかないものは作ってはいけないと思う。 》 阿川大樹

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