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『閑人亭日録』Diary2013年

5月15日(水) 聖少女

 倉橋由美子『聖少女』新潮文庫1981年初版を読んだ。彼女は晩年中伊豆(現・伊豆市)に住んでいた。三島の知人の店によく来ていた、彼女が亡くなってその店も主が亡くなり、店は跡形も無いことを、ふと思い出した。晩年の本を読もうと手に取ったが、気が変わって『聖少女』に。同じ中伊豆(現・伊豆市)出身の漫画家中村光の『聖☆おにいさん』からのひっぱりかも。

 久しぶりの倉橋由美子。『聖少女』の一頁目から惹き込まれた。才気煥発。鮮烈に爆走(暴走ではない。念のため)する文章。冒頭から一気に読書の快感。疾走、迷宮、混沌、帰結。こんな新鮮な読後感は久しぶりだ。傑作だ。1965年に発表されたとはとても思えない。なんと華麗なレトリック。巧緻な構成。

《 今日のあまたの現代小説、なかでも村上春樹や吉本ばななや江国香織に代表され、それがくりかえし踏襲され、換骨奪胎され、稀釈もされている小説群の最初の母型は、倉橋由美子の『聖少女』にあったのではないかと、ぼくはひそかに思っている。 》 松岡正剛『千夜千冊「聖少女」

 松岡は冒頭で書いているが、首肯する。そうなのだ、後進は「希釈」なのだ。若い時に読んでもこの真の面白さは読み取れなかっただろう。今ならわかる。

 ネットの見聞。

《 時間というのは客観的実在ではなくて、「人間の生身」が生命活動を効果的に分節し、資源配分するために要請した「概念」だと思います。 》 内田樹

 『聖少女』のヒロインの自動車事故にまつわる記憶喪失へつながる。それにしてもなあ、松岡正剛よ、ヒロイン=聖少女の名前を書き間違えちゃあいかんよ。

《 「名前は?」
  「ミキ。未だという字に糸偏の紀」 》

 ネットの拾いもの。

《 幕末に薩摩の人と会津の人が話した際に、方言が強くて言葉が通じず、謡の言葉で会話してやっと通じたという…… 》

《 昭文社と旺文社のコラボ「どっちがどっち?!」キャンペーン

  社名が似ていて間違う人が多く、両社が会社の垣根を越えて共同企画を始めたと言う 》


5月14日(火) 私の大好きな探偵

 夏のような陽気。雪は富士山に残るのみ。そういえば、一昨日取り上げた養老孟司・吉田直哉『対談 目から脳に抜ける話』で吉田直哉が美大の入試を語っていた。 三好達治の名詩を出題。

《 それから、「太郎を眠らせ 太郎の屋根に雪降り積む 次郎を眠らせ 次郎の屋根に雪降り積む」を、やはり六コマの絵コンテに、という問題を最初の感覚テストで出した。 》

《 千八百人受けたんですけど、何とその中の百人ぐらいが、「眠らせ」は「殺す」なんですね(笑)。カインとアベルみたいに、雪の上でまず次郎を刺す。次郎倒れる、血まみれで。太郎も血を流しながら二、三メートル歩いて倒れる。その両方の上に十字架が立って雪が積もってる。最初に一つ見た時は、びっくりしてこいつはビョーキじゃないかと思った(笑)。 》

 ブックオフ長泉店で三冊。中村彰彦『二つの山河』文藝春秋1994年初版帯付、ミック・ジャクソン『穴掘り男爵』新潮社1998年初版、伊藤計劃『虐殺器官』ハヤカワ文庫2010年11刷、計315円。

 仁木悦子『私の大好きな探偵 仁木兄弟の事件簿』ポプラ社文庫2011年4刷を読んだ。出世作『猫は知っていた』の仁木兄弟が活躍。好短篇五篇。きょうの陽気にはちょうど良い。巻末に「昭和三十年代・四十年代を読み解くキーワード」。これが意外と役に立つ。

《 フォックス型  眼鏡の玉型(レンズの形)

  トッパーコート  女性用のゆったりした短めのコート  》

 などなど、知らなかった。

 ネットの見聞。

《 社会思想社終了まで増刷を重ね、確認できただけでも22刷でした。 》

 小栗虫太郎『黒死館殺人事件』教養文庫のこと。手元には新刊で買った1977年4月25日初版第1刷とブックオフで買った1997年9月30日初版第21刷。その本が何刷まで刷られたかは、確認がじつに難しい。ベストセラー本は特に。そんなことを調査している本マニアがいる。純文学の初版絶版は楽だなあ。

《 職場の女性たちの笑い声が、「楽しいらしいのに、激しい鋭さも持っていて、笑い声の中に籠城しながら外部を攻撃するような様子が感じられる」 》 小山田浩子『工場』の津村記久子の

 コワ〜イ。

《 もんじゅが廃止となったら、兆単位の国家予算の無駄。でも驚くべきことに誰にも責任はないらしい。 》

 ネットの拾いもの。

《 一生を棒に振った指揮者のお話。タイトルは「ぶらぼう」 》


5月13日(月) お誕生日

 ギャラリー・カサブランカさんの車に同乗して伊豆高原の牧村慶子展へ。牧村さんに再会、お誕生日を祝す。牧村さんの古くからのファンの方が来訪。スクラップブックと古い絵本を持参される。牧村さん、しばらく考えて思い出した。その絵本、探そう〜。ネットでは流通していない。だから面白い。

 大分の知人が出しているタウン誌『南大分マイタウン』最新号に耳鼻科のお医者さんの書いた記事。

《 だから耳の掃除は、耳の入口から1cm程度をきれいな綿棒でふき取るようにすればよいのです。耳かき棒は竹や金属でできており、耳を傷つける可能性があるので使わないでください。 》

 ありゃあ〜。竹の耳かきでこちょこちょするのって、すんごい快感。いけないのかあ。知人から欲しいと言われているので、この記事を見せなくては。

 午後五時過ぎ帰宅。お疲れ気味。


5月12日(日) 目から脳に抜ける話

 午前中は源兵衛川下流の雑草撤去作業に参加。山と出る草。午後は三重県からの源兵衛川の視察の案内。ふう。味戸ケイコさんから電話。旭川美術館の展示や昨日のトークのことなど。好評でなにより。

 養老孟司・吉田直哉『対談 目から脳に抜ける話』ちくま文庫2000年初版を読んだ。

《 養老 身体に関する感覚ってのはやっぱり、誰がまともってことは言えないわけで、ただちょっと日本の場合には無視の程度が激しいですね。だから、おそらく明治になって、身体に関する美的基準を持っていないということに気がつかされたんじゃないでしょうかね。面白いことに基準を持たないところに何か入ってくると、相手の基準にパッと同化しちゃうんでね。 》 100-101頁

 西洋画の受容を連想させる。

《 養老 人体が故障することによって死ぬという考え方が成立したのは実は十九世紀なんです。 》 135頁

《 養老 僕は「解剖って何ですか」ってよく聞かれるるんですけど、長い間やってきてたどりついた結論は「人体の認識論」ということ。さらにその基礎的な作業として言語化する。だけど言語化するということと人間をバラすということは、結局は同じことで、なぜかと言えば言語はものを切ってしまう性質をもっている、(以下略) 》 136頁

《 養老 私、高齢化社会で何かメリットがあるとすると、試行錯誤の中で一番ラディカルなことができるのは老人じゃないかって気がするんです。先のことを考える必要がなくなってくるんですね。 》 146頁

 ネットの見聞。

《 新パラダイム提出しようとしている人に細かさを求めたらダメ。求めるべきは蛮勇と、主張の本筋の一貫性。 》


5月11日(土) 無罪/免罪

 きょう、味戸ケイコさんは北海道立旭川美術館で講演(トーク)。いかんせん、旭川は遠い。旭川の知人からはお誘いが来ているけど。で、きのうに続き、牧村慶子展のお手伝いで伊豆高原へ。会場から徒歩数分のところに知る人ぞ知るヒポクラティック・サナトリウムがある。駐車場には関東は当たり前、「なにわ」「山形」といった遠くの車。雨の中、そこに滞在されているご婦人たちも来られる。絵をご覧になって、お茶と談笑。

 毎日新聞8日朝刊のコラム「水説:ある元頭取の証言=倉重篤郎」がネットに公開された。

《 いわく。日銀は白川(方明(まさあき)総裁)時代から量的にみると米国に匹敵するような金融緩和をしていた。にもかかわらず、日本でうまくいかなかったのは、日銀がふんだんに供給したカネが、銀行から末端経済活動への貸し出しにつながらなかったからである。 》

《 いずれにせよそれ以来、銀行はリスクを取らない組織となり、いまだに金融仲介機能を回復させていない。従って、アベノミクスで日銀からのカネを倍増させても効果は疑問であり、何よりも金融システムの再構築が重要である。その重責は、これからの日本全国のバランスの取れた景気回復のためにも、地域の良質な経営者を抱える有力地銀が担うべきだ。これが、日銀国際局長から日債銀頭取に就任し、逮捕後13年に及ぶ裁判の末無罪を勝ち取った(両行の被告他5人も無罪確定)東郷氏の見立てである。 》

 ネットの見聞。

《  今日は教養の大教室授業で、日本の優生学=優生保護法のとこまで話をした。そして731部隊のことはちらっとしか言えなかった。いつも時間切れでそうなってしまうが、いつかきちんと時間とって731をやらないといけないな。いまの若い人ぜんぜん知らないから。 》 森岡正博

 下谷二助(しもたに・にすけ)『ネズミ事師の仕事と生活』情報センター出版局1983年初版、「第三章 怪伝・ネズミ事師 五」に顛末が記されている。

《 第七三一部隊には、約四千五百個に及ぶこうしたペスト・ノミの飼育器があり、二ヵ月に数十キログラムのペスト・ノミを”製造”することができた。千匹や一万匹ではない。数十キログラムのノミを仮定すると、その数は専門家の計算によると数千万匹という。 》

 そのためには厖大なネズミ(三百万匹)が要る。

《 そんなこととはつゆ知らず、戦時下の三条も大阪も、ネズミ捕り器の生産に追われていたのだが、なんのことはない当時の満州はこんなふうなことで、軍需も民需もひっくるめてネズミ捕り器の一大市場と化していたのである。 》

《 当時、米軍はこの七三一部隊の犯罪行為を極東軍事裁判の場で厳しく断罪するはずであった。しかし一方で非常に高水準の細菌兵器のノウハウの独占入手も企てていた。 》

《 やがて石井四郎と米軍の間に取引の密約が成立し、いっさいの研究資料を提出することを交換条件に、七三一部隊の犯罪行為の免罪を勝ちえたのである。 》

《 神代辰巳監督、原田美枝子主演『地獄』(1979) #見逃したがいまさら観るには勇気のいる映画 山崎ハコの主題歌がすごいですよ。 》 森岡正博

 山崎ハコのシングル盤『心だけ愛して』、発売された時に買った。歌詞が心底に響いた。

《  二人生きる道が唯一つだけあるわ 心だけ愛して 心だけ愛して あなたにそれができますか? 》

 1979年に発売された山崎ハコのシングル盤『流れ酔い唄』も凄い。

《 うちの目にうつるは あんたの嘘だけ

  うまいこと言うて心は 別のことを思いよる 》


5月10日(金) イデアの影

 牧村慶子展のお手伝いで朝、伊豆高原へ。午後六時過ぎ帰宅。

 河原温の「日付絵画」シリーズ、ネットの紹介文を借りる。

《 代表作<デイト・ペインティング>は、それが制作された日の日付を描いた絵画で、その絵画を収める箱の内側には、当日の新聞の切り抜きが全面に貼られています。 》

 箱の外側上部には英語で日付が描かれている。例えば《 MAR.22.1978 》。看板屋さんがきちんと描いたように描かれている。それだけ。だれでも真似できる。

 昨日、「虚空という補助線」の概念を援用することで、河原温の『日付絵画』へのとっかかりを掴んだ旨を記したが、まだとば口にいる。コンセプチュアル・アート=概念芸術の理解とは違った道筋をとりたい。その道筋は、ギリシャ哲学の「イデアの影としての実在」だ。

 それがただの物入れの箱ではなく、芸術作品としてあるための必須条件として、日付は塗られているのではなく、描かれている。筆触は消し去られているように見えるが、私がただ一度だけだが実見した時、それは塗られたのではなく、描かれたと直観した。なぜかはわからないが。

 『日付絵画』は、「イデアの影」としてある。

《 われわれが現実に見ているものは、イデアの「影」に過ぎないとプラトンは考える。 》

 ギリシャ哲学は門外漢なので、それ以上立ち入らない。ただ理解への補助線として、使わせていただいた。

 河原温の『日付絵画』は、それだけを見れば印刷されたカレンダーと見間違える、ありふれた図像だ。すると、連想はアンディ・ウォーホルの『キャンベル缶』の絵やリキテンシュタインのコミック漫画のコマを拡大したような絵へとつながる。『日付絵画』は彼らの絵と表面上は同種なのだ。

 しかし、『日付絵画』は平面絵画ではなくて箱であり、箱の中に新聞(の情報)が仕込まれている。絵では終らない。『日付絵画』は、情報〜イデアの日付の記号であり、絵画=象徴である。描かれた字面(日付)は、飛躍して言えば、イデアの影なのだ。重要なのは、中の新聞の情報。しかし、そのイデア〜情報自体は、それだけでは虚空、というよりも実体の無い空虚なもの。情報〜イデアを受け取る人がいて初めて実体となる。

 その過程では、「日付絵画」を描いた人はその存在が消えている。「日付」だけが重要なのである。例えば看板表現に凄いアイデアを案出した人がいて、その人には関心が向けられるが、そのアイデアを看板に実現した(塗った)ペンキ屋さんについては誰も関心を払わないように。「日付絵画」を発表して、河原温は自身を消し去った。観客は、イデアの影を実体としてあがめる。……うーん、隙間だらけの論述だ。まだ練れていないなあ、当然だけれど。

 埴谷雄高の短篇『虚空』を久しぶりに再読。「虚空」という用語が適切かどうか、心もとなくなる。まあ、新規なことが新奇と見えることは多々ある。見直しは柔軟に対応(って、誰に向って言ってるのか)。


5月 9日(木) 戦後美術ベストテン!

 『芸術新潮』1993年2月号は「特集 アンケート 戦後美術ベストテン! 1945〜1993」。

《 30氏が厳選した、これぞ戦後美術の傑作だ! 》

《 「第二次世界大戦の終結から現在にいたる日本の戦後の前衛美術の流れの中で、作品発表当時の評価や人気とは関わりなく、いま振り返ってとりわけ重要だったと思われる作品を、10点程度お挙げくだい」という小誌の問に、美術評論家など30氏から回答が寄せられた。 》

 1位 12票 河原温 《浴室》シリーズ
 2位  8票 三木富雄 《耳》
 3位  7票 河原温 《日付絵画》シリーズ
      7票 関根伸夫 《位相─大地》

 際立つ河原温(かわら・おん)の強さ。『《浴室》シリーズ』は、1933年生まれの彼が1953年54年に発表した28点の絵(鉛筆・紙)を言う。20歳そこそこの新人の絵の大きさは一点が30センチ×40センチ足らず。選出理由から。

《 個人と社会の問題を鋭く告発した作品もあります。(略)現代社会における人間の問題を告発、審美的表現の枠を壊した河原温の《浴室》シリーズが、それです。 》 横山勝彦(練馬区立美術館)

《 河原の作品は、戦後の光景を写実的に描いたどんな作品よりも、戦後の不安や悲惨さを直接的に感じさせる。 》 岡田隆彦(美術評論家)

《 ことに後者による密室内の切断された人体のイメージは、戦後社会における実存的な人間疎外の状況を提示し、ヴィジョンの激越さにおいてベーコンやジャコメッティにも比すべきものがある。 》 塩田純一(世田谷美術館)

 この作品のコピーをこの作品を知らない絵描きや美術ファンに見せたらどんな反応をするだろう。紙に描かれた絵を見て、残酷な劇画調漫画、下手な絵、と思うだけかもしれない。おそらく戦後美術ベストワンとは思わないだろう。美術の辺境からやってきた衝撃の鉛筆画。発表当時これを評価した人たちは、けだし慧眼の持ち主といえる。

 それにしても、3位に入った『《日付絵画》シリーズ』。美術館で彼の『手紙』シリーズと『日付絵画』を見て面喰らった。これ?? 解説を読んでも得心がいかなかった。最近になって、昨日の「虚空という補助線」の概念を援用することで、意味合いが少し見えてきた。凄いわ。ウィキペディアから引用。

《 河原の代表的なシリーズ「日付絵画」は正式の題名を"Today" Series という。単色に塗られたキャンバス上に、制作当日の日付のみが白抜きの数字とアルファベットで「描かれ」た作品である(以下の文中ではキャンバス上に日付を表すことを「書く」ではなく「描く」と表記する)。最初の作品は1966年1月4日に制作された。以来、21世紀に至るまでこのシリーズの制作は続いており、その間、作品の基本的な形式は全く変わっていない。 》

 某ブログから。

《 コンセプチュアル・アートだ。それまで誰もこんなばかばかしい事はしなかった。誰もしなかったことで、河原はアメリカで大きく評価された。 》


5月 8日(水) 空白・余白・虚空という補助線

 昨日取り上げた門井慶喜『天才たちの値段』にこんなくだり。

《 そのものずばりではないか……と、今になれば太い直線を引くこともできるけれど、あんな西洋画の調査の依頼者と、こんな涅槃図さがしの依頼者が同一人物だとその時点で気づくのは、犬と鯨がおなじ哺乳類と気づくよりも難しい。 》 「早朝ねはん」

 現物に対面して、理由がわからぬまま心に強烈な印象を刻まれた作品に、雪舟の水墨画『破墨山水図』、アルベルト・ジャコメッティのか細い彫塑像、そして川村記念美術館に展示されている、マーク・ロスコの『シーグラム壁画』シリーズの一点がある。

 これらがなぜ心にかくまで深く刻印されたのか。その理由を知るには《 犬と鯨がおなじ哺乳類と気づく 》ことが必要だった。簡単に言えば、三つの作品には、「空・白・虚」を味方につけているという点で共通している。空白・余白・虚空だ。

 『破墨山水図』では、墨の部分よりも空白のほうがはるかに大きい。今は図録で見ているが、実際に見ると、余白に漲る力に圧倒される。墨は余白の従者のように感じられた。雪舟は墨によって、じつは余白の力を描いた。今はそう考えている。

 ジャコメッティのやたらに細い人物像を目の当たりにしたとき、私は震えるような親近感を感じた。ロダンたち先行する作家の彫像には重苦しいなあという感想をもったが。あり得ない細さなのに、細いことへの違和感はまったく感じなかった。今では像が空気をまとっている、と思う。空気すなわち虚空を身につけている。像は、その周囲の空気=虚空を顕在させるための一手段なのだ。手をペタペタと押しつけてできたような凹凸のある像。その凹凸と外界との細やかで微妙な接触。そこから生まれる周囲の空間=虚空を取り込んで味方につけている。

 マーク・ロスコの壁画絵画では、ある作品の、二色の色の交わる(ギザギザ?な)部分に惹き込まれた。この色の交わるこまごまとした接触面こそが、彼の描きたかったものであり、そのために、巨大な色面の領域=空白を必要とした。『シーグラム壁画』を頂点として、作風はその後急速に形骸化していった。

 三者とも大きな平面(空白・余白)、空間(虚空)を味方につけることを意識的にか無意識にか心がけたゆえ、おそらく想定以上の成功を得た。手がけたものよりも手がけなかったもの(空白・余白・虚空)の重要性。将を射んとすれば馬を射よ、の諺が浮かぶ。

 画家ではない知人のA4版の紙に描かれた、いつしか出来上がっていたという粘菌の触手のようなペン・水彩画を見て、描かれたものの外の、その余白に一層の魅力を感じた。余白を無自覚裡に味方につけている。輪郭で区切られた描かれない空白の魅力。そこに時代の変化の兆し、萌芽を直感した。デッサンの習練だけからはまず生まれないだろう絵画の辺境。それは、五感を全開にし、自然の水火土風に深く感応する生活の中からのみ得られるのかもしれない。描くことは、じつはまず深く感じること……。

 ネットの拾いもの。

《 〈「次」に読まなきゃいけない本〉がいっぱいある、っていう状況はなんとかならんかな… 》

《 教訓。本を処分すると後で大きなしっぺ返しあり。 》

 周囲を見回す。


5月 7日(火) 天才たちの値段

 お昼近く、龍澤寺の雲水たちが声を張り上げて通る。午後、雷雨。

 昨日買った門井慶喜『天才たちの値段』文春文庫2010年初版を読んだ。副題が「美術探偵・神永美有」とあるように、ボッティチェッリ、フェルメールから古地図、涅槃図まで、美術品を巡るミステリー五篇を収録。手をかけて仕込んだ題材と結末のヒネリがよく効いていて、これは面白かった。フェルメールの『天秤を持つ女』が出てくるなんて、タマラン。

《 私はこの傑作をワシントンのナショナル・ギャラリーで見た。 》

 私は、修復を終えて色が甦ったこの傑作を、大阪市立美術館で存分に堪能した。

《 「何をなさっている方なんです? 美術関係の会社にお勤めですか? あるいはジャーナリズム関係?」
  「泰平の逸民」 「つまり無職」 「そうとも言いますね」  》

 私と同じだ。

《 応接室は、相変わらず書類の綴りやら高価な画集やらが無造作に積まれて埃っぽい。この人にかかると、どんな手のこんだ瀟洒な部屋も古本屋になっちゃうんですよといつか奥さんがこぼしていたが、とんでもない、たいていの古本屋はここよりよほど整然としている。 》

 私の部屋と似ている。などなど、微苦笑を誘う箇所があちこち散在している。

 一昨日の毎日新聞書評欄。ジャレド・ダイアモンド『昨日までの世界(上・下)』日本経済新聞社の、鹿島茂の評から。

《 「伝統的社会においては、孤独は問題にもならない。だれもが生まれた場所や、その周辺で人生を送り、親戚や幼なじみに囲まれて過ごす」。そう、自由と引き換えの孤独地獄こそが文明社会の宿痾である。 》

 この引用「 」に、岡本綺堂の『半七』シリーズを感じた。まさに江戸。

 山藤章二『ヘタウマ文化論』岩波新書の、井波律子の評から。

《 こうして見ると、上質のヘタウマ文化は、ウマくなるためのプロセスをきっちり踏み、型を身につけた人々が、さらなる飛躍をめざし、型を壊して脱皮するという、創造的破壊によってはじめて編み出されるといえよう。江戸文化このかた日本では、こうした創造的破壊が、サブカルチャーの分野において、ちょっと斜に構えた遊びのポーズで脈々と行われてきたことを、本書は的確に示唆している。 》

 コラム「昨日読んだ文庫」は、文化庁長官・近藤誠一のマルティン・ハイデッガー『芸術作品の根源』平凡社ライブラリー。

《 三つのことが頭をよぎった。 》

《 欧米人は抽象性を求める点で日本人と同じだが、主として目に見える物質を通してそれを行う。 》

《 工芸品が欧米では芸術品より低くみられてきた原因は、彼らが芸術とは日常生活から離れた高尚な営みであり、生活を便利にする道具と区別してきたことにあるのではないだろうか。 》

《 第三は、日本人は自然の中にも、つまり人間がつくったものではないものの中にも、真実への誘(いざな)いをみるということだ。 》

 よく目にする指摘だが、自身そうだろうな、と賛同する。日本絵画の余白(見えない・何もない)の重用など、

 日本絵画における余白の特異性はよく指摘されるが、今、余白・空白の今日的な積極的意味合いを集中的に考えている。今日的な余白・空白は、唱歌「日の丸」の♪白地に赤く日の丸染めて♪という、旧来の図=主、地=従という構図ではない。私の考えているのは、図と地の分断不要性、等価性。さらには描かれた図から描かれない地(余白・空白)への重点移動。また、その接点・接線のざわめき。余白・空白からさらに進んで、空・白・虚の領域が眼目の作品へ。思考はただならぬ漂流を始めた。《 そう、自由と引き換えの孤独地獄 》? いや、新たな海路=回路の開発へ。明日へ続く(つもり)。

 ネットのおどろき。

《 *『坂東壮一蔵書票集』出版計画・進行中! 大人気版画家・坂東壮一さんの蔵書票作品集を、 江副章之介さんが版元となって(レイミア・プレス) 来年、出版します。 》 田中栞

 上記田中栞ブログで紹介されている銅版画家林由紀子さんはきょう、ウイーンヘ一週間ほどの旅へ。

 ネットのうなずき。

《 日本国憲法こそがクールジャパンである。 》

《 96条改正に反対の理由:憲法は政治の権限を国民が制限するためのルールなので、憲法改正に関して政治の権限を強める「過半数で発議」を認めるわけにはいきません。 》


5月 6日(月) 少女 撮影/篠山紀信

 連休最後の日は初夏の陽気のいい天気。街中は閑散、車はスイスイ。

 自転車でブックオフ函南店へ。文庫ばかり13冊。『須賀敦子全集』河出文庫1〜8巻全巻揃い、1巻2009年8刷、2巻2009年3刷、3巻2009年2刷、4巻〜8巻2007年〜2008年は初版。そして湯川豊『須賀敦子を読む』新潮文庫2011年初版、門井慶喜『天才たちの値段』文春文庫2010年初版、都筑道夫『女を逃すな』光文社文庫2003年初版、矢崎存美『再びのぶたぶた』光文社文庫2009年初版、マーサ・グライムズ『「酔いどれ家鴨」亭のかくも長き煩悶』文春文庫1994年初版、13冊2割引で計1092円。新品同様の須賀敦子全集揃いを豪華大人買い〜。満足、あとはもう付けたし……でもないか。

 昨日の篠山紀信〜椹木野衣を受けて。雑誌『BRUTUS』1996年7月1日号マガジンハウスは特集「少女 撮影/篠山紀信」。惹句から。

《 少女──それは、決して触れることのできない、あたかも透明であるかのような存在。 》

《 少女──それは、永遠の謎。 》

 篠山紀信の発言。

《 今回、改めて並べてみて、僕のセンサーが反応した少女たちには全員、美しく可憐な肉体の内に秘めたる毒を隠し持っていたことに気づいたけど、以前はその少女の負の部分を、大人や社会との関係性の中で、捉えていたということだ。 》

 その少女たちとは。栗田ひろみ、山口百恵、手塚理美、洞口依子、松本小雪、後藤久美子、宮沢りえ、神田うの、宝生舞、吉川ひなの……。

 そして「今回登場」の少女たち。

《 鈴木沙綾香、水谷妃里、小倉星羅、吉野沙香、浜丘麻矢、安藤聖、栗山千明、安藤希。 》

 聞いた名前があるなあ。

 この特集で椹木野衣はバルテュスの絵について書いている。

《 あえて乱暴を承知で言えば、バルテュスの作品は少女を描いたものというよりは、作品それ自体が少女のような「物」なのである。 》

《 時に彼の作品が垣間見せる残酷無比な印象というのも、おそらくはそこに由来している。 》

 慧眼だ。そのバルテュスについて篠山紀信の発言。

《 その姿を見た時に、彼は描くことで、自らの少女愛を封印しているのだな、と感じた。 》

 四谷シモンの談話として書かれていることから引く。知人について。

《 自分が少女になってしまいたい、という衝動さえ心のどこかにあるという。 》

《 だからこそ、金髪の人形を作りつづける彼のように、少女になりたいという想いさえ抱くのだろう。 》

 このくだりを読んで、そう、1日に取り上げた森岡正博『感じない男』を連想。

《 私は少女の体を生きてみたかった。 》

 それにしても、この撮り下ろしの少女たちに性的魅力をほとんど感じない。それが篠山紀信の技量なんだろう。

《 僕の欲望はもっとずっと巨大で、ロリータなどという狭い性向にとどまるのではなく、それらを踏み越えたところで写真を撮っている。 》

 ネットの見聞。

《 思い出した。。。同じ安倍政権だったか。(2007年の記事) 女性は『産む機械、装置』 講演で柳沢厚労相 [東京新聞] こういう馬鹿タレが大臣になる安倍末期政権。 》

《 「米国に押し付けられた恥ずかしいもの」とは「憲法」でなく「日米地位協定」だろう。「憲法」でなく「GE社製の欠陥原子炉」だろう。「憲法」でなく「欠陥機オスプレイ」だろう。「憲法」でなく「遺伝子組み換え食品」だろう。安倍晋三はこれらをすべて米国に突き返してから「改憲」を口にしろ! 》


5月 5日(日) TOKYO未来世紀

 自宅前は大通り商店街まつりで歩行者天国。親子連れが一杯、賑やかを越してうるさいくらいの人出。昔、このまつりの実行委員長をした。お金をかけずに人の足を止めさせるイヴェントをいろいろ案出した。車道に模造紙を延々と延ばして、落書き大会を催したり。受けた。
 会場の700メートルを往復。ワゴンセールと小さなイヴェントが混在。この混在がいいのだろう。派手でないちんまりした雰囲気。これが三島の「まつり」の特徴。「大通り」といっても、とても広いとはいえない、この狭さがちょぼちょぼ歩くにはちょうどよい。車の通行の不便さを逆手にとって成功した。源兵衛川上流部では、子どもたちが川に入って賑やか。これが三島。

 喧騒を抜けてブックオフ長泉店へ。アリストテレス『弁論術』岩波文庫2002年13刷、『ドイツ名詩選』岩波文庫2002年12刷、J・ハーバーマス『近代 未完のプロジェクト』岩波現代文庫2000年初版、バックミンスター・フラー『宇宙船地球号 操縦マニュアル』ちくま学芸文庫2000年初版、二割引セールで計336円。

 昨日取り上げたの月刊太陽1993年4月号には新連載、インタビューによる「写真家という仕事」第一回「篠山紀信」。

《 写真家という仕事の真実に、毎回、話題の文学者、批評家が迫る大型新連載。 》

《 椹木 最近、写真を芸術の一ジャンルとして認めていこうという方向がありますね。でも、それはちょっと危険だとも思うんです。写真に絵画や彫刻と同じような地位を与えようとすることによって、写真が本来持っている力が失われてしまうんじゃないかと。

  篠山 そういうのはぼくは写真だと思ってない。写真を使った美術作品でしょう。ぼくなんかがやってることが写真です。

《 椹木 たとえば写真専門の美術館ができたりしていますよね。それに対してはどうですか。

  篠山 結構なことだと思う。でもぼくは美術館に入れるためとか、そこに評価されるために写真を撮っているわけじゃない。 》

《 椹木 新宿の写真を中心にした『TOKYO未来世紀』がありますね。きっと時間がたつと、この写真集を見てあのころの東京のことを考えることができると思う。現在の『晴れた日』が、七○年代を刻印しているように。

  篠山 この写真集は寝かせれば寝かせるほど面白い。 》

 インタビューから二十年。『TOKYO未来世紀』小学館1992年初版は、時折見ているけど、嘘みたいに面白い。「未来世紀」という言葉に一瞬くらっとする、バブリーで奇妙な時代相を、接近と望遠の冷静な遠近法で、細部まで作り込まれ、綿密に構成された写真に仕上げている。ただ見ているだけで楽しい。ぐっと踏み込んでそこから何かを読み取る=引き出すこともできよう。楽しみ方は見る人に委ねられている。サービス満点。

《 椹木 篠山さんの写真は音がない世界だな、って思ったことがあるんです。

  篠山 それは写真として純化しているってことです。 》

 第一回「篠山紀信」には「高田万由子一家」の白黒写真。彼女と父母祖母の五人が古い和風の和室縁側に取り澄ました表情で佇んでいる。

 毎日新聞朝刊に高田万由子と母の笑顔の写真。二十年前の篠山紀信の写真との違いっぷりが面白い。父は亡くなっているというから祖母も亡くなっているのだろう。

 ネットの拾いもの。

《 人出は最高、売り上げ低調、疲れは倍増。 》


5月 4日(土) 瀧口修造のミクロコスモス

 伊豆高原での牧村慶子展のお手伝いに出かける。きょうもウグイスがきれいな声で囀っている。

 本棚に月刊太陽1993年4月号『特集 瀧口修造のミクロコスモス』平凡社があるのに気づいた。新刊で買ったと思うが、すっかり忘れていた。

「オブジェ・コレクション全250 デカルコマニー/ドローイング/水彩/ロトデッサン/吸取紙/漂流物/コラージュ/バーント・ドローイング/リバティ・パスポート/オリーヴの木」。

 瀧口のデカルコマニーは、何だかなあと、ずっと理解の外にあった。今回、この特集に掲載された巖谷 國士(いわやくにお)のエッセイ「瀧口修造とデカルコマニー」を読んで理解へのとば口が見えた。

《 デカルコマニーは何かを表すのではない。先在する何かを外へ押しだすという意味での「エクス-プレッシオン(表現)」ですらないのかもしれない。むしろ彼が戦前から求めつづけていたような、それ自体が「実在」でありうる言葉、また「行為を拒絶する」行為としての詩──であったのかもしれない。 》

《 これに見入っていると、こちらもまた、かぎりない受動性のなかにおかれてしまうかのようだ。すくなくとも俗な「幻想」にふける余地などない。溜息をつくばかりだ。 》

 また、土渕信彦のエッセイ「彼岸のオブジェ」の以下のくだりを読むと、そこから別の方向へ関心が向く。

《 オートマティスムとはある個人の意識下の世界を主観的に表現しようとする創作手法のことである、と考えるのは誤解であって、むしろこの実験においては、実験者である「私」は作品の創作者ではなく、「私」に対して彼方から発信されてくる「記号」や「謎」の受信者と化している。すなわち、そこでは旧来の「ある特定の個人に創造行為」という概念が覆され、「誰かとしての私」における影像の発生に、「私としての私」が立ち会うという、一種の自我の二面化(二股的構造の明確化)を通じ、創造行為の非人称化・無名化(つまり一種の客観化)が図られているのである。 》

 ここから瀧口修造のドローイングとは異なった、新たな絵画が出現する可能性を感じる。あるいはもう出現しているかもしれない。瀧口修造もまた、時代の制約のもとにいた、といえるような。

《 それは正午、巨大な眼、僕のペンはピサの斜塔のやうに異様な均衡を保ちながら動きだす。 》 瀧口修造「詩と實在」

 ネットの拾いもの。

《 日本人は、アフターファイブになったら良く働くんですよ。何故だか家に帰りたくない人が多いから。 》

《 九州から初めて東京へ見物に来た人。「おい、あのオイオイてのはなんね?」「マルイマルイ」 》


5月 3日(金) 憲法記念日/ジャズからの出発

 伊豆高原アートフェスティヴァルに、知人のギャラリー・カサブランカが牧村慶子さんの絵を出品。お手伝いに行く。伊豆高原は、二十年ほど前、池田二十世紀美術館での上條陽子展へ行って以来。小鳥のさえずりが賑やか。

 昨日取り上げた相倉久人『ジャズからの出発』音楽之社1973年初版から。

《 音楽の価値は、その歴史的意義や社会的役割によって決定されるものではない。そういった有効性をこえたところで、演奏家の内面から直接わき出してきた力によって、音楽に盛られた下意識の量として計られるのである。それ──「有効性の上にあるもの」としての価値判断の基準を、かつて本多秋五は「品位」あるいは「品格」であるといった。 》 「音楽の品について」より

《 そういえば、現代はエロティックなものを失って、かわりにもっぱらポルノグラフィックなものだけが幅をきかせている時代だ、と言った人がいたっけ。 》 「ポストジャズ・イン・クラウド」より

《 エロティシズムのないところに、真の表現はない。表現とはほんらい、精神の内奥に秘められた根源的欲求の顕在化──つまりは生命力のリズミックな発現にほかならないはずだからだ。エロティシズムの追及が、とどまるところ死と再生の秘儀に到達するように、表現もまた究極的には死のかなたにみずからを蘇生させようと志向するものなのである。したがって死の頽廃、エロティシズムの喪失は、必然的に表現の不毛化をもたらす。 》 同

 このような言説を四十年前に読んで感化された。今でもその影響下にあるようだ。

《 六○年代から七○年代へ抜けるトンネルの中で起こった位相の転位によって、今や内容のあるものはすべてインチキであり、見せかけだけが意味を持つようになった。 》 同

 ここへきて再び位相の転位が起きつつある気がする。私の希望的観測にすぎないかも知れないが。


5月 2日(木) 八十八夜/青磁砧

 朝、小雨。雲の多い風の強い天気。

《 かつて間章が日本に招いたスティーヴ・レイシーも、アレアに影響を与えたソプラノ・サックス奏者。うねるリフと楽曲構成はセロニアス・モンクについての独自の解釈による。確かにアレアの変拍子とモンクのビバップは相性いい。美術好きはジャケットも。 》

 と、椹木野衣氏がツイッターで書いているが、若い人は知らないだろうな。スティーヴ・レイシーとジャズピアニスト、マル・ウォルドロンの共演盤『 JOURNEY WITHOUT END 』1971年パリ録音のLPレコードを久しぶりに聴いた。

 別の人のブログでは音楽評論家相倉久人のためのコーヒー豆をブレンドしたと。これは飲んでみたい。本棚から相倉久人の本、『ジャズからの挨拶』音楽之友社1968年初刊、『ジャズからの出発』音楽之社1973年初刊、『相倉久人の”ジャズは死んだか”』音楽之友社1977年初刊、『相倉久人の音楽雑学事典』音楽之友社1977年初刊、『モダン・ジャズ鑑賞』角川文庫1981年初刊を出して見る。いつ何が入用になるか、わからんものだ。

 愉快なのが『相倉久人の音楽雑学事典』。

《 アーチスト   スタジオやバックで演奏しているときはミュージシャン。ソロ・アルバムを出すとアーティスト。 》

《 アヴァンギャルド  ”きわもの”を、かっこよくいうとこうなる。 》

《 アマチュア   何をやっても「ごめん」ですんじゃう人。 》

《 アンチ   企画力がまるでない人。案痴。自分で考える力のない人ほど、他人の企画や作品にイチャモンをつけたがるものだ。 》

 芝木好子『青磁砧』(『湯葉│青磁砧』講談社文芸文庫2000年初版収録)を読んだ。1972年、芝木好子(1914-1991)58歳の刊行。

《 すぐれた陶器や陶芸家に魅せられる父と娘の微妙な心の揺曳を抒情的に描く「青磁砧」 》

 と裏表紙にあるとおり、焼きものに入れあげてきたサラリーマンの父と、感化されて青磁の魅力にはまってゆく一人娘。自宅の鎌倉と若い陶工が窯を構える美濃猿投山を舞台に話が進む。

《 青磁に関しては娘に一目おかねばならないのを快く思っていなかった。出来ることなら娘を出しぬいても青磁の逸品を手にしたかった。 》

 コレクターはこれだからなあ。

《 娘が異性にくだらなく興味を持つようなら、初めの大学生のように踏み込んで目を覚ましてやるつもりだった。 》

 どこの父も同じだ。

《 週に一度、K美術館へ出る榊をちょっとの期間邪魔しようと思った。 》

 ドキッ。それはさておき。青磁というのは首を突っ込むと、政治と同じで抜け出せなくなるようだ。芝木は1976年に台湾へ行っている。『やきもの鑑定入門』新潮社1983年初刊に芝木はエッセイ「青磁  故宮博物院の青磁」を寄せている。

《 私はやきものの中で青磁がいちばん好きである。見ていると、惹きこまれていってかなわない。すぐれた陶芸家は日本にもたくさん居るだろうが、私は加藤嶺男氏の青磁にゆきついて陶然としてしまった。 》

《 青磁は幾室にも分れた陶磁室の最初にあった。人気のない展示室に立つと、ケース毎に青磁が並んでいて、壺もあれば、杯もあれば、瓶もある。きびしく選りぬかれた一点一点は青磁といっても肌の色がさまざまである。 》

 私は、貫入のある青磁には惹かれない。滑らかな肌地の砧青磁あたりが好み。芝木好子とはそこで別れる。

《 陶器のよさは手で触れなければわからないからであった。 》

 と小説に書かれているが、そのとおりだ。


5月 1日(水) 感じない男

 夜半からの雨が上がり、久しぶりに窓をせいせいと開ける。涼しい風が部屋を吹き抜けてゆく、五月。寒いので閉める。午後小雨。

 森岡正博『感じない男』ちくま新書2005年2刷を読んだ。

《 男の性についての一般論ではなくて、実際に自分がどうなのかというところから、この問題を考えていきたいのだ。 》 「はじめに」

《 ミニスカを凝視する男の視線が女にとって不快なのは、女がミニスカ娼婦として見られているからではなく、ミニスカさえあれば生身の女はいらないという排除の視線が、女に突き刺さってくるかであろう。 》 第一章「ミニスカートさえあれば生身の女はいらない!?」

《 そして、このような視線を浴びせる者こそが「感じない男」なのであり、ロリコンや制服フェチなどを生みだしている現代の病理なのである。 》 同

 という結論だけ読むと誤解されそうだが、ここへ着くまでの論述がじつに興味深い。

《 すでに述べたように、「感じない男」は、感じる能力をもった女に復讐しようとしたり、女よりも優位に立とうとする。しかしそれだけではない。「感じない男」は自分の体を否定するがあまり、自分の体から抜け出そうとまで試みるのである。 》 第二章「『男の不感症』に目を背ける男たちは」

 この章で男の性にはすごい個人差があるなあと実感。

 第三章「私はなぜ制服に惹かれるのか」、第四章「ロリコン男の心理に分け入る」と進むと、またまた驚きが続く。

《 すなわち、ロリコンの男たちは、少女は大人へと脱皮する瞬間というものに、異様に執着しているのである。「大人の女」に執着しているのではない。大人の女が出現する「瞬間」というものに執着しているのである。 》 第四章「ロリコン男の心理に分け入る」

《 私は少女の体を生きてみたかった。この情念の一点において、制服フェチとロリコンは通底している。私は少女であり、少女は私である。このような常軌を逸した妄想を一瞬かなえてくれるもの、それが制服とロリコンである。 》 同

《 美少女の体を着ること、これこそがおたくの「萌え」の核心なのである。 》 同

 慧眼というか、深い。うーん。

《 私は、自分が夢精をしなければならない体として生まれてきたことや、男の体になっていく自分自身というものを、どうしても肯定できなかったのである。 》 第五章「脱『感じない男』に向けて」

 このへんは、私はじつに鈍感だった。ま、こんなもんだと受容していた。

《 もっとも大切なことは、好きな人や、大切な人たちと、やさしい関係をつむいでいくことであり、互いを尊敬していつくしむことのできる関係を作っていくことだと私は思う。 》 第五章「脱『感じない男』に向けて」

《 セクシュアリティの問題に、一般的な解答はない。読者ひとりひとりが自分のこととして考え続けなければならない。 》 同

 同感。どこかに思い当たる節を感じる。ちょうど占いのように。

 ネットのうなずき。

《  富士山が世界遺産として認められそうだというニュースにずっと違和感を覚えていたのだけど、やっとわかった。インタビューを受けてる関係者が「地域活性化」とか「世界に認められて観光地として発展」とか言ってるからだ。つまり金儲けのネタとしか見てない。本来の目的である保全については無視? 》 太田忠司


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