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気になる展覧会
飛騨の円空展 出口王仁三郎とその一門の作品展 HOUSE VISION東京展 エル・グレコ展 貴婦人と一角獣展 山本作兵衛展
『閑人亭日録』Diary2013年
3月15日(金) 囁きの霊園
ブックオフ沼津南店で四冊。芦辺拓『少年は探偵を夢見る』東京創元社2006年初版、松浦理恵子『ポケット・フェティッシュ』白水社1994年初版帯付、円地文子『食卓のない家』新潮文庫1985年6刷、『怪奇探偵小説傑作選1岡本綺堂集』ちくま文庫2001年初版、計420円。『食卓のない家』は三十年ほど前に単行本で読んだ。再読したくなった。一昨日のこと。
村上春樹の新刊は『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』。巡礼。気になる言葉だ。『1Q84』は積読本の塔の底にある……。
イヴリン・ウォー 『ご遺体』光文社古典新訳文庫 920円。『囁きの霊園』 の新訳。小林章夫訳。
イーヴリン・ウォー 『愛されたもの』岩波文庫 630円。『囁きの霊園』 の新訳。中村健二・出淵博訳。
ほぼ同時発売。光文社古典新訳文庫VS.岩波文庫、マルセル・プルースト『失われた時を求めて』でも。なんというか。
ネットの見聞。
《 しかし、よく考えてもらいたい。憲法違反をして存在している人が、どうして憲法の改正などということが言えるのか。これが道徳心に基づいた行為だと称しても、小中学生すら納得させられまい。これこそ、夏目漱石が暗示する厚顔無恥という強者の非道徳的な態度ではないのか。 》 鈴木忠志
《 TPP参加で、農業は売国の本質を隠す材料に使われた。内田聖子(アジア太平洋資料センター 事務局長)が語るように、「交渉内容で重要なものは、1.知財、2.環境、3.法的・制度的課題、4.金融サービス、5.投資、6.労働、7.市場アクセス」などである。農業はあくまでも見せかけである。 》 兵頭正俊
《 どうやら、晶文社は一周したようだね。そう思う自分がいました。
創業者の突然の死、その下にいた人たちが社を、そして、出版社経営の怖さを知って手放した。いまは新しい人たちが、三代目、というわけだ。なるほどなるほど。 》 泥鰌のつぶやき
ネットの拾いもの。
《 届くのが楽しみである。むほほ。死ぬまで楽しめそう。私が死んだら、家族がもてあましそう。たぶん。 》
《 なんか違うが「一糸まとわぬマスゲーム」これでもいいか。 》
3月14日(木) 古い魔術
朝雨は上がったけれど、強風はそのままの寒い曇天。出かける予定を変更、さて、とウェブサイトを見ると以下の記事。
《 ジョン・サイレンス物の「いにしえの魔術」は萩原朔太郎「猫町」と設定を同じくしていることでも有名(影響関係は証明されているんだっけ?)。ちなみに西條八十もブラックウッドの愛読者で、「古い魔術」の題でこの作品を訳している。 》 藤原編集室
『世界大衆小説全集 7 ガイ・ブースビー/アルジャーノン・ブラックウッド』小山書店1955年初版に収録の西條八十訳「古い魔術」を読んだ。妖しい少女にたぶらかされそうになる話。じつに巧みな怪奇小説だ。一昨日紹介した林由紀子さんの「彩色銅版画」を直に連想。ついでに紀田順一郎訳「いにしえの魔術」(『ブラックウッド傑作集』創土社1972年収録)を読んでみたが、西條八十のほうがしなやかな印象。
「猫町」つながりで、つげ義春『猫町紀行』三輪舎1982年を読んだ。「あとがき」から。
《 それから二十数年とんで、つい二年程前、また猫町を読み返す機会があった。 》
《 感想はなにもなかった。私の日常が猫町どころではなかったからであった。 》
ネットの見聞。
《 序文でもうひとつ「へえ」と思ったのはラショーモン・エフェクトという言葉。
I found that people had such strong positive and negative emotions about Jobs that the Rashomon effect was often evident.
ジョブズに対する周囲の証言が人によって矛盾することを黒澤映画「羅生門」から羅生門効果と呼んでいるわけだ。登場人物それぞれの立場で同じ事件に対する見方がガラリと変る。知らなかった。 》 daily-sumus
昨日話題の『時雨の記』の妻の見方に芥川龍之介『藪の中』を連想したが。
《 TPP後発国に課せられる3つの条件。(1)合意済みの部分をそのまま受け入れ、議論を蒸し返さない。(2)交渉の進展を遅らせない。(3)包括的で高いレベルの貿易自由化を約束する。これほど侮辱され、メリットもない条約に入るのは、よほど米国が恐いのである。それしか理由が見当たらない。 》 兵頭正俊
《 俺もよくわかってないTPP。単に、農業がどうのこうのなんてのはそもそもどうでもよくて、全体的に損するのか得するのかで決めりゃぁいいと思うんだが、その算定根拠の数字がまるでないんだよな。北海道は独自試算して、大赤字らしいと聞いたものの、これだけ騒ぎになっているのに数字が全然出ないというのはどういうこと?数字があればわかりやすくていいじゃない。 》
《 人との係わりは、量より質である。 》
ネットの拾いもの。
《 銭湯で根くらーべをしているうちに煙突から黒い煙が出てきたお話。 》
《 怒り有頂天。 》
3月13日(水) 時雨の記
夜は時雨ならぬ春の嵐。
中里恒子『時雨の記』文春文庫1981年初版を読んだ。200頁足らず、すらすら読んでしまった。古屋健三の解説から。
《 大人が読んでも気恥ずかしくならない、いや、大人でなければわからない恋愛小説、それがこの『時雨の記』だと思う。 》
《 ここでは五十男と四十女の交情がしみじみと描かれていて、すこしもわざとらしくない。 》
《 この恋は夢や迷いではなく、目覚めとして意識されている。 》
これが大方の印象であろう。私は、会社を成長させてきた豪腕社長の、ヒステリーの妻に目が留まった。
《 俺は、言えば言うだけ不愉快になるのをおそれて、そのまま出勤した。 》
《 「息子夫婦が、突然、家を出ると言って、さっさと、自分の車で出ていったあと、トラックが来て、まとめておいた家財を運び出した、どうしたんだ、ときいても細君はかんかんになっていて、あなたが止めてくださらないとか、昨夜だって息子と話ぐらいなさったでしょう、いきなり出てゆくというのを黙っていらしたんですかと、喰ってかかるしね…」 》
《 いや、ともかく嫁の実家へひきあげたらしい、それが憎らしいと、細君は、あのひとでなしの嫁は、離縁させますと、まるで、自分の嫁のように言うんだ、」 》
家族の難しさをしみじみ実感。井上靖の長編『化石』講談社1967年を連想した。こちらは建設会社の同世代の社長が主人公。その末尾。
《 金、金、金と、追いかけるのも厭ですね。少しでも、えらくなろうと、あくせくするのも厭ですね。鳥の声を聞いて、ああ、鳥が鳴いていると思い、花が咲いているのを見て、ああ花が咲いていると思う、そんな生き方がいいですね。 》
功なり名遂げた『時雨の記』の社長と同じ心境だ。それを、今の日本に。
3月12日(火) 楕円幻想
花田清輝『復興期の精神』講談社文庫に収録されている「楕円幻想」を初めて読んだのは、『全集・現代文学の発見・第八巻 存在の探求 下』学藝書林1967年初版だった。五ページ足らずのエッセイをまるで理解できず、それでもスゲエ、と感嘆した。何よりも楕円という発想に惹かれた。それから楕円好みは私の習い性になった。そして幾星霜、改めてその卓越した発想に舌を巻く。
《 焦点こそ二つあるが、楕円は、円とおなじく、一つの中心と、明確な輪郭をもつ堂々たる図形であり、円は、むしろ、楕円のなかのきわめて特殊のばあい、──すなわち、その短径と長径とがひとしいばあいにすぎず、楕円のほうが、円よりも、はるかに一般的な存在であるともいえる。ギリシア人は単純な調和を愛したから、円をうつくしいと感じたでもあろうが、矛盾しているにも拘らず調和している、楕円の複雑な調和のほうが、我々にとっては、いっそう、うつくしい筈ではなかろうか。 》
鶴見俊輔は解説で書いている。
《 戦時中に彼が、元マルクス主義者をふくめての、国粋主義者の真円主義者を相手として抵抗することを余儀なくされたように、戦後の彼は、左翼陣営内の真円主義者と論争せざるを得なくなった。 》
話がそれた。楕円から連想が飛んだのは、3日に引用した、吉田秀和『調和の幻想』の一節、紫禁城に立って得た感想を再び引用する。
《 だが、本当はそうではないのだ。広さだけでなく、ここでは、自分とほかの万物との関係が、中心とそれをめぐって回転するところの従属物という関係におきかえられたというのが、根本だったのである。そうして本来ならお互いの間では、さまざまの関係に立っているそれらの従属物は、「中心の存在」を軸として、それとの関係の遠近によって定められる一つの下に帰順する。いってみれば、水平の関係で並んでいた諸事物が、一つの軸を支えに、垂直の関係に秩序づけられる。それによって、はじめて、一つの調和が成立する。その秩序実現の方法として、あそこでは、シンメトリーがあったのである。 》 「対句とアシンメトリー」
シンメトリー〜真円の中心を重んじる中国の論理。アシンメトリー〜楕円を尊ぶ日本の感性。この違いはじつに大きい。そして北一明の茶碗へ至る。

白麗肌磁呉須字書碗「人生夢幻」
《 通常よりも高い温度で焼成することにより、全体をわずかにへたらせた作品です。そのため、口縁はやや楕円になっています。
中国の茶碗等に見られる正円正対称の一分のスキもない完璧な美は、「完結終了で」「余情のない美」であるとして退け、「可能性の美、可能性のエネルギーを内蔵した美」こそ自らの追求すべき美とする北一明の考え方がよく反映された作品です。 》
銅版画家林由紀子さんのアトリエを久しぶりに訪問。来月、銀座のヴァニラ画廊で催される「森茉莉生誕110年記念 甘い蜜の部屋」展の案内葉書をいただく。林さんの近作が使われている。妖しく深い眼差しに、心を射抜かれる。バタン。
ネットの見聞。
《 学校教育をはじめとして、今の世界ではあらゆるセクターで「グローバル資本主義の原理」と「国民国家の原理」がせめぎ合っています。それは「寿命の違う生物」のあいだのヘゲモニー闘争だと見なした方がよいでしょう。 》 内田樹
ネットの拾いもの。
《 ちょっとしたヒマ潰しのはずだったのに、あっという間に九冊の本がバッグの中に収まってしまった…あぁ、これでまた、家の容積が減少してしまう…。 》
3月11日(月) 復興期の精神・続き
花田清輝『復興期の精神』から少し、引用。
《 闘争をしているともみえなかった人間が、実は最も大きな闘争をしていたのだ。 》 「天体図──コペルニクス──」
《 無智から素朴さはうまれはしない。ほんとうの素朴さは──そうしてまた、ほんとうの謙虚さは、知識の限界をきわめることによって生まれてくる。それは、ほんとうの闘争が、一見平和にみえるようなものだ。 》 同
とりわけ興奮した「歌──ジョット・ゴッホ・ゴーガン──」から。
《 ゴッホが生の味方であり、ゴーガンが死の味方であることは、私にとっては、まったく自明の事実だ。 》
《 かれらの時代は、ルネッサンス以来支配的であった生の韻律が、ふたたび衰えはじめ、死の韻律が、二度目の制覇にむかって、その一歩を踏みだそうとするときにあたっていた。 》
《 そういう意味において、まさしくゴーガンは時代の子であり、ゴッホは時代のまま子であった。 》
《 ゴーガンはタヒチにむかって、逃避したのでもなく、休息に行ったわけでもなかった。かれは、そこでヨーロッパにいるときよりも、いっそうひどく働くために行ったのだ。憧憬の土地は、はたしてゴーガンの期待を裏切らなかったであろうか。まさにかれは幻滅を感じた。 》
《 ゴッホは熱帯へ行こうとはしなかった。 》
《 躍起になって突き離そうとするヨーロッパに、かれは、あくまでしがみついた。 》
《 コロニイの実現にむかって、ゴッホを性急に駆りたてたもののなかに、かれのルネッサンスへの憧憬のあったことを見落としてはなるまい。 》
このように論述されるゴッホ論は、目が覚めるような鮮やかな見方が提示されていている。ゴーガンとゴッホ。永いもやもやが晴れてきた。二人の絵画の本質的な内実がやっと見えてきた。吉田秀和の『調和の幻想』によって、マネとドガの絵画の輪郭がはっきり見えてきたように。どこで蒙が啓けるか、わからないものだ。
鶴見俊輔は1971年に書かれた解説に書いている。
《 この作品は、二五年前にくらべて、かえって若々しくなっている。 》
《 花田がヨーロッパのルネッサンスにひかれたもう一つの理由は、日本に輸入されて来た一九世紀のヨーロッパの近代文化にたいするうたがいであろう。 》
吉田健一の『ヨオロツパの世紀末』と相通じる視線だ。それにしても復興期の精神、大震災後の今、ひどくリアリティがある。
ネットのうなずき。
《 震災が風化しているという人もいるけど、僕の中ではまったく風化していない。あの津波の映像を何度でも生々しく思い出すし、原発が冷却を失ったと聞いたときのショックはいまだに忘れられない。頻繁に口にしないことを風化と呼ぶのはちがうと思う。 》 阿川大樹
《 もしも自分があの日津波で死んで、遺体が放射性廃棄物の瓦礫に海に未だ沈んでいると考えたら「津波は天罰だ」「原発推進」「復興のためにオリンピック招致」なんてほざいてる人間を絶対に許さないよ。 》 藤岡真
ネットの拾いもの。
《 副都心線と東急の乗り入れ反対!(座れる副都心線を守る会) 》
3月10日(日) 復興期の精神
午前中は再開した源兵衛川の月例清掃へ。主に外来種の草を除去。年配の知人は昨日東京での反原発集会に参加。大勢の人にビックリしたと。原発も外来種のようなものだ。三島でも午後、反原発デモ。
ブックオフ三島徳倉店で三冊。群ようこ『かもめ食堂』幻冬舎2006年初版帯付、ジョー・ゴアス『ガラスの暗殺者』扶桑社ミステリー2011年初版、ポール・ラドニック『これいただくわ』白水Uブックス1995年2刷、計315円。『かもめ食堂』は友だちの依頼本。
花田清輝『復興期の精神』講談社文庫1974年初版を読んだ。大部分が戦時中に執筆発表され、敗戦まもなくの1947(昭和22)年に出版された。欧米の小説家、芸術家、宗教家、科学者など、ダンテ、ダ・ヴィンチ、アラン・ポーら二十二人の傑出した人物を題材に、該博な知識に裏付けられた構想力を駆使し、天馬空を行く才気煥発な筆捌き、縦横無尽に発動されるレトリックに、こちらは一気に魂を抜かれ、魅せられる。ダイナミックな文章の膂力は、径庭を経た今も全く衰えていないどころか、さらに強靭に輝いている。参った。脱帽。名著だ。
1947年の初版「跋」から。
《 戦争中、私は少々しゃれた仕事をしてみたいと思った。そこで卒直な良心派のなかにまじって、たくみにレトリックを使いながら、この一聨のエッセイを書いた。良心派は捕縛されたが、私は完全に無視された。いまとなっては、殉教者面ができないのが残念でならない。思うに、いささかたくみにレトリックを使いすぎたのである。 》
何と不敵な。けれども、読めば頷く。
《 当時、ルネッサンスは、フランスにおいて王后のすがたとなり、カトリーヌ・ド・メディチは、国内の新教徒の殲滅を企て、命令一下、聖バルテミーの虐殺を敢行し、宗教改革は、ドイツにおいて、一揆の指導者のすがたとなり、トマス・ミュンツァーは、太陽とブントシューの刺繍された旗をひるがえしながら各地に転戦し、ヨーロッパは、あげて「宗論」の煮えたぎる坩堝と化していたのだが、ここにハイネが『ロマンツェーロー』のなかで喝破したように、「どちらの信仰が当を得ているかはしらないが、どちらもひどく悪臭を発する」と断じ、眉ひとつうごかさず、諸々の人間の情熱を「幾何学的秩序によって証明」しようとする奇怪きわまる意図をもった『倫理学』が発表されたのであり、人びとの唖然としたのもまた無理ではない。スピノザが、多少意識的に、その新しいスタイルによって読者を茫然自失させる効果を狙っていたであろうことに疑問の余地はない。 》 「ブリダンの驢馬」より
文化人類学者山口昌男は花田清輝のレトリックを継いだと記す矢先に訃報。昭和初年代に生まれた書き手にはレトリック感覚に秀でた人が眼につく。亡くなった人を挙げれば、泡坂妻夫(1933年生)、加藤郁乎(1929年生)、久世光彦(1935年生)、種村季弘(1933年生)、寺山修司(1935年生)そして山口昌男(1931年生)。ついでに。きょう本を買ったジョー・ゴアスは1931年に生まれ、2011年に亡くなった。
ネットの見聞。
《 TPP参加で日本が米国の州になるというのは、お人好して甘い日本人の気質をよく表している。米国人としての法的権利は何も与えられないのだから、正確に日本は植民地にされるのだ。これはTPPの様々な条項と、米韓FTAの現実から明白なのだ。これを否定する人間はおしゃぶりをくわえているのだ。 》 兵頭正俊
ネットの拾いもの。
《 座間市が座頭市に見えてしまう。 》
3月 9日(土) 子供の十字軍
春らしい穏やかな陽気に誘われてブックオフ長泉店へ。田中優子『江戸の想像力』筑摩書房1990年16刷帯付、ジャン=フィリップ・アントワーヌ『小鳥の肉体』白水社1995年初版帯付、佐藤春夫『わんぱく時代』講談社文芸文庫2010年初版、計315円。『小鳥の肉体』は宮下志朗の訳。ネットにはこんな書き込み。
《 『出版ニュース』1月上・中旬号に「今後の執筆予定」というアンケートがある。そのなかで宮下志朗氏は、『エセー5』、『印刷業の逸話集』、『フランス・ルネサンス文学集』などの翻訳上梓予定とともに、こんなことを書いてらした。
あと、おもしろいのは、マルセル・シュオブの作品集が出ることになって(国書刊行会)、ヴィヨン論を訳している。 》
マルセル・シュオブは、『黄金仮面の王』大濱甫訳・国書刊行会1984年初版、『少年十字軍』多田智満子訳・王国社1990年初版が本棚にある。未読だあ。
その『少年十字軍』の隣にベルトルド・ブレヒト『子供の十字軍』矢川澄子訳・マガジンハウス1992年初版がある。うかつにも気がつかなかった、この詩を以前、『ブレヒト詩集』長谷川四郎訳・みすず書房1998年新装初版で読んでいたことを。翻訳を較べると、矢川澄子訳のほうが私には印象深い。矢川澄子訳の本は「子供の十字軍」一編で、山村昌明の銅版画の挿絵を添えて詩画集になっている。帯から。
《 戦乱のポオランドをのがれて子供たちが行く、平和の地を求めて。
ブレヒトが魂をこめて謳いあげた感動的な名作。美しい銅版画を添えて贈る宝石のような詩集。 》
矢川澄子は書いている。
《 解説をおわるまえに二つだけ、わたしがこの「子供の十字軍」というタイトルからどうしても連想せずにいられないすぐれた芸術作品にふれさせていただきましょう。
ひとつはフランス前世紀末の詩人、マルセル・シュオップの同名の作品で、日本ではつとに明治時代、上田敏によって「小児十字軍」として部分訳が出て以来、もっぱら「少年十字軍」の名で何度か紹介されています。(略)最近も王国社から多田智満子訳の美しい新版が出ましたから、ぜひご参照下さい。 》
はいはい。
ネットの見聞。
《 幻想小説にして、独裁者小説にして、奇人変人小説にして、アンチユートピア小説であるところの、画家アルフレート・クービンたった1作の小説『対極』(法政大学出版局)は、いかにも水声社か作品社か松籟社で復刊すべき奇書。新装版が出た1985年に買っておいた自分は幸いかな。 》 豊崎由美
そろそろ再読するかな。
《 「霧の都」というロマンティックな呼び名とは裏腹に、その実態は石炭を燃やした煙や煤が川霧とまじったスモッグ。いま北京で発生しているものと大差はない。 》 藤原編集室
《 支持が70パーセントいるらしいから、あれこれ言うつもりはないけれど、現実に自宅に帰れず苦しむ人がいる中で、「東京は安全です。放射能大丈夫です」と断言してオリンピックを誘致しようという輩の気持ちがまず理解できん。 》
同感。
ネットの拾いもの。
《 これ言うの二度目なんですけど、和歌山に昔『トラトラトラ』なるラブホがあって初見では意味不明すぎてスルーの構えだったんですが「えっ、由来これ『ワレ紀州ニ性交セリ』じゃね!?」と了解した瞬間カミナリに撃たれるような感銘を受けた次第です。 》
知人からきょう届いたフリーペーパーから。
《 回答 ラブホテルは、平成23年に風俗営業法が改正され新規許可はできなくなりました。現在あるホテルをそのまま利用する場合は、個人営業の場合は、相談者が経営者として名義変更して経営することはできません(ラブホテルを法人にしている場合は役員変更が必要)。ラブホテルが個人営業の場合は、相談者が管理者として経営に携わることは可能です。 》
3月 8日(金) Rのつく月には気をつけよう
温い朝。蒲団から出たくなくなる。冬服と春服が混在している我が家。晴天で強風。富士山が霞んでいる。花粉だらけだろうな。
石持浅海(あさみ)『Rのつく月には気をつけよう』祥伝社文庫2010年初版を読んだ。
《 長江と熊井、そしてわたし──湯浅夏美は大学時代からの飲み仲間だ。 》 「Rのつく月には気をつけよう」
わたし=湯浅夏美が語り手となって、長江高明のワンルームマンションで熊井渚と三人の宅飲み会に一人を招き、その人の話す食べ物にかかわるちょっとした出来事から、当人も気づかぬ意外な真相を見抜く、という趣向。さらっと楽しめる充実の七編。スッキリした読後感。
《 シングルモルト・ウィスキーと生ガキ、ビールとお湯なし(!)チキンラーメン。白ワインとチーズフォンデュ。泡盛と豚の角煮。日本酒とぎんなん。ブランデーとそば粉のパンケーキ。シャンパーニュとスモークサーモン。七つ、いわば虹色のとりあわせ。 》 田中芳樹「解説」
どれも食べたくなって困る。インスタントラーメンはある。
《 「個人名を出すと差し障りがありますから、仮名にさせていただきます。先輩社員で家主のコンブさん。奥さんのワカメさん。わたしと一緒に押しかけた、男性社員のヒジキさんと女性社員のメカブさん。それからわたしの五人です」
カロリーの低そうな面々だな、と熊井がくだらないコメントをした。 》 「Rのつく月には気をつけよう」
こういう小ネタ、好きだなあ。
ネットの見聞。
《 環太平洋連携協定(TPP)交渉参加をめぐり、先に交渉を始めた米国など九カ国が遅れて交渉参加したカナダとメキシコに交渉権を著しく制限した条件を課した事実に関し、民主党政権時代に日本政府が把握しながら公表しなかったことが新たに分かった。 》 東京新聞
《 TPPには人間を侮蔑するような精神に溢れている。ISD条項。ラチェット条項。スナップバック条項。NVC条項。4年間の「守秘合意」。知的財産権の米国による直接規制。これを第三の開国と呼んだ菅直人はよほど無知な男だが、このレベルの政治家によって、日本は身売りされようとしている。 》 兵頭正俊
《 (承前)木田元の『反哲学入門』は、本としてはかなり面白い本である。とくに蘊蓄はためになる。しかし人を哲学あるいは反哲学の実践へと引っ張っていく本ではない。木田は哲学を味わう人であって、哲学する人ではないということだろう。河合隼雄の本を読んで面白いというのに似たなにかだ。 》 森岡正博
以前読んだ木田元の本は『反哲学史』講談社だった。昔、河合隼雄の『ユング心理学入門』培風館の「10 心理療法の実際」を読んで心理療法士、無理無理、と自覚した。
《 自ら生きることの意味を求めて苦闘し、解決への努力を払っていないで、どうして他人の生きることの意味を見出す仕事に役立てることができようか。ここにおいて、たんに他人を治療するとか、他人をよくするとかいったことよりも、治療者自身の自己教育、その人格の発達ということが、治療の中心課題になってくるとさえいえる。 》 251頁
ネットの拾いもの。
《 どうしよう、くしゃみと鼻水がとまらない原因不明の病におかされている。 》
《 患者「スギ花粉が大量に飛散しても症状が悪化しないんですけど。」 医者「ハウスダストが……」 》
3月 7日(木) ナンセンス・ギャグ文学全集
春霞。……だろうなあ。PM2.5じゃあないよなあ。空を仰いでブックオフ長泉店へ。18冊処分。300円くらいかな。420円。よしよし。買いたい本はなし。一昨日取り上げた『昭和の美術』、やはり売れていた。
午後、三島プラザホテルで催された「フヨウサキナ:東北の未来をつくる女性と子ども応援プロジェクト』」からグラウンドワーク三島など四団体への助成金贈呈式に出席。
ネットの見聞。
《 TPPには、「規制必要性の立証責任と開放の追加措置」という条項がある。それでTPP参加の是非をめぐる問題では、反対か賛成かしかないわけである。一部の産品をめぐる条件闘争などはTPPの恐ろしい本質を見誤ったものである。 》 兵頭正俊
《 あるていどのレベルまでなら、インターネットの情報だけでも、かなり詳しく知ることができる。いっぽう、誰も手をつけていない、未開拓のジャンルを見つけることは、どんどんむずかしくなっている。 》 文壇高円寺
《 成毛眞が『面白い本』(岩波新書)で次のように書いていた。 》 mmpoloの日記
《 『はい、泳げません』(高橋秀美著=新潮文庫)は間違いなく大爆笑してしまうので、電車の中で読むと大変なことになる。》 同
《 爆笑するどころか微笑すら浮かばなかった。成毛はどこが面白かったのだろう。 》 同
《 笑いについては、百人のおそらく百人の人が百個の意見を持っているのでしょう。 》 織田正吉『笑いとユーモア』ちくま文庫「あとがき」
笑いをとるのはじつに難しい。人によって笑いのツボがまるで違う。ユーモア文学全集あるいはお笑い文学全集を私が組むとしたら、と空想することがある。川柳狂歌はさておき、夏目漱石もさておき、二十世紀後半以降の六十年から選んでみたら、と想像するのは楽しい。
それでは候補があまりに多いので、ここは1989年以降、平成の四半世紀に限定にしたい。笑い自体、大笑哄笑から微笑苦笑そして嘲笑までじつに幅広い。よって、微苦笑あるいは愉快なナンセンス・ギャグを主にしたい。
先だって読んだ田中啓文の「私立伝奇学園高等学校民俗学研究会」三部作は、大法螺=ナンセンス・ギャグがテンコ盛り。彼には『銀河帝国の弘法も筆の誤り』ハヤカワ文庫のようなSFおバカ小説がある。霞流一、鯨統一郎、森奈津子といった面々は、ミステリ・SF方面ではよく知られているが、ここはマンガ界から吾妻ひでお『失踪日記』イースト・プレス、いしかわじゅん『瓶詰めの街』角川書店を加えたい。
《 面白くて面白くて、泣く暇も震える暇もありません。 》 『失踪日記』イースト・プレス2005年4刷帯、菊池成孔
《 ……読み終えた私は、ふうと息を吐き、笑いすぎて痛くなった頸の筋肉をマッサージした……。 》 『瓶詰めの街』角川書店1994年初版帯、大沢在昌
ふと思ったけど、ナンセンス・ギャグ絵画……ちょっと思い浮かばない。それこそ「誰も手をつけていない、未開拓のジャンル」かも。
ネットの拾いもの。
《 探偵小説が幅を利かせ気味な105ミリ×148ミリの桃源郷 》
3月 6日(水) 山の音
川端康成『山の音』を読んだ。鎌倉の山裾に住む老夫婦と息子夫婦。そして女児二人を連れて出戻ってきた娘を加えた生活。主要人物の信吾は結婚前にあこがれていた、妻の亡くなった姉を今もって密かに慕い、息子は愛人を囲い、中絶や妊娠、離婚とご難続きの、1950〈昭和25年)年をはさんだ数年の話。今の感覚でいうと、信吾は70歳くらいの印象だが、その信吾の息子の嫁への恋情というのか、それがこまごまと描かれている。それ以上の感想を綴るほどの感興はない。何がすごくいいのか、私には不明。自身の価値規準がずれているのか、多分。「片腕」「眠れる美女」などは高く評価するけど。
後味がスッキリせんので、ブックオフ函南店まで自転車でひとっ走り。風はけっこう強いけど寒くない。今井金吾『「半七捕物帳」江戸めぐり』ちくま文庫1999年初版、北村薫・宮部みゆき編『もっと、「半七!」』ちくま文庫2009年初版、計210円。汗ばんで少しスッキリ。
すっかりスッキリしないので、カレーを作ることにした。近所のスーパーで牛肉を購入。牛肉玉葱を強火でガンガン炒める。晩御飯を食べながらじっくり煮込む。午後八時前、きょうのところは終了。
ネットのうなずき。
《 専門家が大切にするものは、お金や名誉、それに上司の命令などを超えて、その専門における誠実さです。 》 武田邦彦
ネットの見聞。
《 3.11以後の世界には、もはや希望しか残されていない。 》 兵頭正俊
ネットの拾いもの。
《 ハッ、もしかして聖書の著作権切れてんじゃ? 》
3月 5日(火) 一汗冷や汗
啓蟄。強い陽光。お掃除せよと、天がいう。はい掃除機、カビキラー、トイレマジックリン……。一汗かいた。冷や汗かいた。
ブックオフ長泉店に毎日新聞社から1990年に出版された『昭和の美術』という、一冊一万円を越える豪華美術本五冊(最後の第六巻がない)が105円棚に並んでいた。昭和初年代から四十年代までの五冊をうんうん言いながら(嘘)順に鑑賞。最初の絵は鏑木清方「築地明石町」。これはいいね。日本画、洋画・版画、彫刻そして工芸の順。写真、デザインはない。殆どが既知の作品。これが四半世紀ほど前の美術の常識。昭和は遠くなりにけり。今もって鮮やかな作品は……数少ない。棚へ返した。
ブックオフ沼津南店へ。矢作俊彦『悲劇週間』文藝春秋2005年初版帯付、柳広司『聖フランシスコ・ザビエルの首』講談社ノベルス2004年初版、計210円。
昨日買った安野光雅『文学の絵本』筑摩書房で「川端康成集」を見ると「山の音」が収録されている。いつか読もうと思っていた。今がその時だ。『現代日本文学全集 37 川端康成集』筑摩書房1955年初版で前半を読んだ。
《 信吾の妻の保子は一つ年上の六十三である。 》
主要人物の信吾が私と同い年。やはり読み時だ。読み進めると、やや。
《 今年から満で数へることに改まつたので、信吾は六十一になり、保子は六十二になつた。 》
一昨日の毎日新聞、「オピニオン」で、福島大学特任研究員開沼博とジャーナリスト武田徹の発言が記憶に残る。
《 開沼さんは「予言を的中させてきた。一昨年の統一地方選も昨年の衆院選も、事前に「原発推進派が勝つ」と言っていました。それはまさに日本社会が「変わらない」ものであることを示している。ならば次は、なぜ変わらないのかに正面から向き合ってゆく必要がある。 》 武田徹
《 日本社会が戦後を通して模索し、探し当てた「皆がほどほどに満足する均衡点」がある。一度不満が増大し、振り子がぶれても必ずここに戻る。今回の脱原発のぶれも同じでしょう。そこをずらす方法を私たちは持ち得ていない。原発問題に限らず、考えていく必要があります。 》 開沼博
「変わらない日本社会」を変える転回点はどこかに見出せるのだろうか。ふとグラウンドワーク三島の20年の活動を思う。
ネットの見聞。
《 とかく軍備増強をいう人は、じぶんは兵隊ではなく、安全な場所にいて指揮できる側に立てる、と過信しているフシがあります。 》 花森安治
《 原発の使用済み核燃料は、どうするのか。安倍自民党は、その答えもなしに再稼動に突き進む。なぜなら、米国と財界の要請があるからだ。いかにも自民党らしい政治である。 》 兵頭正俊
ネットの拾いもの。
《 これは見事な退き際!鮮やかに決まりました! 驚異の進退能力 ! 》
3月 4日(月) 意識通信
昼前、ブックオフ長泉店で二冊。安野光雅『文学の絵本』筑摩書房1997年2刷、レジルド・ヒル『探偵稼業は運しだい』PHP文芸文庫201年初版、計210円。前者は「ちくま日本文学全集」全60巻の挿画集。巻末に各巻の収録作品が載っている。読書の参考になる。評論家、批評家の巻はなかなか見ない。気長に探そう。
昼、三島市民文化会館大ホールでの告別式に参列。薄日の差す寒陽気。
昨日の毎日新聞読書欄、西垣通『集合知とは何か』中公新書への三浦雅士の評が興味を引いた。
《 コンピュータは「タイプ I 」から「タイプ II 」へと変貌したのであると、本書の著者は言う。 》
《 知の世界そのものが「機械の知」から「生命の知」へと大きく転換しつつあることに注意を促しているのだ。近代西洋型の知からの大きな転換、コンピュータが「タイプ I 」から「タイプ II 」へと変貌したことの意味はそこにあるというのである。 》
《 こうして、「人間集団を感性的な深層から活性化し、集団的な知としてまとめあげる」ような「タイプ III 」のコンピュータの出現がいまや切望されているというのだ。 》
この評から「ドリーム・ナヴィゲイターの誕生」という副題のある、森岡正博『意識通信』ちくま学芸文庫2002年初版を連想。元版は1993年の出版。例えばこんな文章。
《 匿名性に裏付けられた、制限メディアの意識通信では、参加者たちの表層意識だけではなく、その奥に秘められた深層意識までもが活性化されて表面に出てくることがある。 》 「第四章 社会の夢」153頁
《 これと並行して、個人のこころの底にある深層意識が、触手を伝って意識交流場へと流出する。そして、誰一人として気付かないうちに、我々三人の深層意識は意識交流場で混ざり合い、意識交流場の底辺に沈み込んでひとつの流動的な層を形成する。これが我々三人の社会が作り上げた「社会の無意識」である。 》 同167頁
「文庫版あとがき」から。
《 第 II 部で言いたかったことは、電子メディアが社会全体に浸透するようになったら、それは、われわれの集合的な無意識と密接な相互交流をすることになるはずだということである。深層心理学が扱ってきたようなことがらが、電子メディア全体で生じるようになる。集合的な無意識と電子メディアというテーマが、本書の真の主題だった。 》
《 単行本が出版されたときに、何人かの方々から、本書の内容は「早すぎる」といわれた。 》
刊行から20年。時代がやっと追付いた。
ネットの見聞。
《 TPPの「ネガティブリスト」などたいした問題ではない。TPPにはいちど参加させてしまえば、国家の主権など米国企業の利害によって奪える仕掛けが、ISD条項を初めとしていくつも用意されている。参加は、即植民地化を意味する条約なのである。条件闘争など意味はない。参加してはいけないのだ。 》 兵頭正俊
《 TPPに参加したら、条約発効後4年間は、交渉内容を公開してはならないことになっている。これは民主主義と国民主権に対立する、まことに異様な合意である。それほど国民に知られたらまずい内容が入っているわけだ。 》 同
《 TPP参加後、「守秘合意」の4年間のうちに、TPPは国会で批准されている。仮に国中が大騒ぎになったとしても、それへの対策がすでに条約の中に入れてある。「再協議禁止」がそれである。これはTPPが国会で批准されると、再協議することはできないのだ。 》 同
ネットの拾いもの。
《 一人一曲づつ暗記するっていうSF映画だれか作らないかな?「歌詞451度」とかいうタイトルで。 》
3月 3日(日) 調和の幻想・続き
昨夜急遽頼まれ、午前から午後、朝霞市から来た人たちを源兵衛川などへを昼食をはさんで案内。三嶋大社では角隠しをした花嫁さん。晩は市民文化会館での通夜へ参列。
吉田秀和『調和の幻想』の「あとがき」から。
《 私としては、「幻想」は fantasy の訳であり、全体は「調和をめざす創造的想像力の働き」をさすものと考えている。 》
広壮な紫禁城の太和殿の正面に立った感想から吉田秀和は、中国のシンメトリー概念を掘り下げてゆく。。
《 だが、本当はそうではないのだ。広さだけでなく、ここでは、自分とほかの万物との関係が、中心とそれをめぐって回転するところの従属物という関係におきかえられたというのが、根本だったのである。そうして本来ならお互いの間では、さまざまの関係に立っているそれらの従属物は、「中心の存在」を軸として、それとの関係の遠近によって定められる一つの下に帰順する。いってみれば、水平の関係で並んでいた諸事物が、一つの軸を支えに、垂直の関係に秩序づけられる。それによって、はじめて、一つの調和が成立する。その秩序実現の方法として、あそこでは、シンメトリーがあったのである。 》 「対句とアシンメトリー」
《 だが、調和や均衡は、シンメトリーがなければ不可能なのか? そうではあるまい。
とすれば、日本文化の特徴は、もしかしたら、シンメトリーとは逆に、非均斉、アシンメトリーによっても平衡と調和を生みだせることを証明した点にあるのではないだろうか。私は、はじめて中国を訪問し、紫禁城の壮麗に打たれたことを通じてようやく、このことに気づかされるところまできた。 》 同
《 以上のように、宗達からドゥガと続けてみてくると、ドゥガが日本の美術的思考、その美学と技法に大いに啓発、触発されたという説がもっともと思われてくることを経験すればたりる。 》 「宗達とドゥガ」
《 しかし、この二人の絵画の間にあるちがいの最大の点は、そこにあるのではない。ドゥガの絵が、これほど強く日本画からの影響のあとを感じさせるにもかかわらず、依然として、奥行き、つまり立体的なパースペクティヴを失わない点にある。言葉をかえれば、「空間の構成」の仕方に、根本的なちがいがある点である。 》 同
《 マネが日本の版画から影と光に無頓着な平べったい塗り方、幾何学的なパースペクティヴが生み出す奥行きを解消する方向にもってゆく空間構成を学びとったとすれば、あるいはそこに向って前進する勇気と理論的根拠を手に入れたとすれば、西洋式空間の造型をあくまでも手放す気になれないドゥガは、日本画から特異な視角による画面構成についての、決定的な励ましを得たといっていいだろう。 》 「マネとドゥガ」
豊かな論説のほんの一部を紹介。マネの「オランピア」などの絵が、スキャンダラスといったことではなく、マネの絵の何が本当に凄いのか、ずっとわからなかった。『調和の幻想』で、やっと腑に落ちた。
ネットの見聞。
《 安倍晋三が、50兆円を手土産に米国に朝貢した。そして郵貯マネー約270兆円、医療保険を通じた日本人個人資産700兆円を米国に献上した。長い射程で見ると、TPP参加の真相はそういうことだ。 》 兵頭正俊
《 TPP問題では、郵貯マネー約270兆円、医療保険を通じた日本人個人資産700兆円の、米国への献上を隠すために、農業を前面に出す、目くらましが行われている。農業は見せかけであり、 TPPの本質は、米国による、わが国の保険・医療・知的所有権の構造改革と富の収奪にある。 》 同
3月 2日(土) 調和の幻想
日差しが強い。桜三月春の陽気。自転車でブックオフ沼津リコー通り店へ。立川談春『赤めだか』扶桑社2008年初版帯付、山口雅也『奇偶』講談社2002年2刷、西澤保彦『腕貫(うでぬき)探偵』実業之日本社文庫2012年2刷、林美一『江戸艶本(えほん)を読む』1994年初版、『このミステリーがすごい! 2011年版』宝島社2010年初版、計525円。『奇偶』は新書で持っているけど、できれば大きい活字で読みたい。新書は二段組みで小さい字、単行本は一段組みで字が大きい。
幹線道路は渋滞。これを河津渋滞と呼ぶ。東伊豆の河津桜を見るためにここ、沼津三島から渋滞。
昨日の「天才までの距離」で最近電脳天災に見舞われた、森美術館の「会田誠展 天才でごめんなさい」を連想。本歌取りのような彼の絵に魅力を感じない。ブックオフで105円で購入した『孤独な惑星―会田誠作品集』1999年(サイン入り)も、一度開いただけ。
その昔新刊で買ったまま本棚に鎮座していた、吉田秀和『調和の幻想』中央公論社1981年初版。丸谷才一・加島茂・三浦雅士『文学全集を立ちあげる』文春文庫2010年初版で言及されている。
《 三浦 それから「紫禁城となんとか」という……。
丸谷 「紫禁城と天壇」、「調和の幻想」という中国紀行にはいっている。あれはとてもいいものですね。 》
読んで驚いた。知的刺戟にあふれている。読み進めるにつれ、新しい視界が次々に開かれてゆく。対象への明晰な分析に基づく明解な文章が軽快に綴られてゆく。わくわく、わくわく。論説の眼の覚めるような面白さを堪能。座右に置いて何かと再読したくなる。
前世紀に読んでもこれほどの感銘は覚えなかっただろう。本文に掲載されている粗い白黒写真の絵からは、絵の細部まで参照できない。紫禁城であれ、マネ、ドガの絵であれ、ネットで検索し、鮮明な画像と対照しながら論をじっくり読むことができたからこその充実感。いい時代になった。明日へ続く。
ネットの拾いもの。
《 ♪ 花粉が飛んだ〜 花粉が飛んだ〜 (渡辺真知子の声で) 》
3月 1日(金) 天才までの距離
ビキニデー。太陽は薄雲に隠れ。夜は春の嵐みたい。
門井慶喜『天才までの距離』文春文庫2012年初版を読んだ。美術品にまつわる五篇のミステリを収録。
《 美術品を主題にした国産ミステリは少なくないが、その中でもトップクラスの一冊だと断言しておこう。 》
解説で福井健太が書いているので読んでみた。前半は、『おさがしの本は』光文社文庫でも感じたもどかしさがあったが、後半の二篇では解消。「トップクラスの一冊」かなあ。脳裏には北森鴻のキレのいい美術ミステリが浮かぶ。
《 そういう夫の妻にしてさえ名前を聞いたことがない、ないし聞いても忘れてしまったという事実のなかに、平福百穂という日本画家の凋落はむごいほど端的に示されている。いまとなっては専門家と、愛好家と、郷里角館の住民のほかには知る人もないのではないか。 》 「文庫本今昔」
平福百穂(ひらふく・ひゃくすい)。代表作が浮かばない。
《 私は牧谿(もっけい)の実物を見たことがないし、元来が東洋美術を評するための語彙をたくさん持たない人間だけれど、それでも「水墨美術大系」第三巻『牧谿・玉澗』戸田禎佑著、講談社)という大型の画集をひらく程度の予習はしたから、真作との差がよくわかる。 》 「どちらが属国」
戸田禎佑は、北一明の焼きもの作品を高く評価している。
《 「あなたの収集の姿勢はあまり尊敬できるものではありません。生まれ年だの学歴だのいう外面的な情報をいささか重視しすぎるように見受けられます。けれども実際のところ、コレクションというものは、もう少し内面的というか、強い共感からおこなわれてはじめて真に高い価値を持つのではないでしょうか」 》 「レンブラント光線」
深く同感。
ネットの見聞。
《 「誰かに寄り掛かる心を捨て」今日の安倍総理の演説の中で、最も印象に残ったのは、冒頭のひとこと。私は、人は誰かに寄り掛かっていいと思います。寄り掛かった以上に、寄り掛かってきた人を支えられれば、それでいい。それが、我々が目指す共生社会です。やはり、安倍自民と我々は違うと感じました。 》 細野豪志
ネットの拾いもの。
《 全国で唯一スタバがない鳥取県。どう考える?と直撃された鳥取県知事、「うちには大きなスナバがありますから」。 》
《 石原慎太郎が怒りを込めて叫んだ。「親子の近親相姦、きょうだいの近親相姦、そういう歪んだ性愛というものを描いて金を儲けている人間は、私は卑しいやつだと思いますな」。直ちにその意を受けた圧力により、石原慎太郎「完全な遊戯」と「古事記」「聖書」関連書籍が絶版になった。 》
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