表紙へ  to top page

気になる展覧会

飛騨の円空展  白隠展  出口王仁三郎とその一門の作品展




『閑人亭日録』Diary2013年

1月15日(火) 梱包完了

 畑一面に霜柱。箱根山は雪景色。富士山手前の愛鷹山も雪景色。寒いはずだ。九時半、エアパッキンを買い、自転車に積んで歩いてくる。ふう、汗ばんだ。これで幅120cm長さ50mを五巻買った。在庫を加えれば、300メートルほど使ったか。午後、絵画の梱包を完了。最後は安藤信哉の180cm×180cmの、ベニヤ板二枚を並べた油彩画大作二点。一点は継ぎ目の補強が必要で、ステンレスの板でネジ止め。これで一安心。ふう〜〜。

 一休みしていると、味戸ケイコさんから電話。45分ほど語らう。

 ネットの見聞。

《 「教養というのは、いろいろな定義が可能だと思いますが、結局、『価値の遠近感を持つ』ことと言えるのではないかと思います。『教養を得る』とは、知識を得ることそのことではなくて、その知識が全体の中でどこに位置するものなのかマッピングできる力を持つということ。例えば、自分の周りにあるものを『絶対になくしてはいけないもの』『あってもいいけど、なくてもいいもの』『端的になくていいもの』『あってはいけないもの』くらいのカテゴリーに分けて、全体の中でどの位置にあるものなのか、パッとわかるようになる。」 》鷲田清一

 今、書物の片付けをしていて深くうなずく。


1月14日(月) 十三歳〜二十二歳

 雨なのでバス。エンジンかからんなあ。いや、私の就業意欲が。注意30000。50メートルのエアパッキン(プチプチ)が終えたので明日また買いに行く。絵の梱包もいいかげん飽きてくるなあ。ふう、早々と店仕舞いだ。

 北森鴻『なぜ絵版師に頼まなかったのか』光文社文庫2010年2刷を読んだ。明治十三年から二十二年を舞台に、東京帝国大学のお雇い外国人、医学部教授ベルツに仕える明治元年生まれの少年を狂言回しに五編を収録。千街晶之の解説から。

《 本書にはナウマン、フェロノサ、モース、スクリパ、ボアソナード、ビゴーといった明治期日本に滞在した外国人たちや、写真家の下岡蓮杖、作家の尾崎紅葉や巌谷小波ら実在の人物が、さまざまなかたちで物語に関わるという趣向が、歴史の裏側を覗き込むかのような興趣を催させる。 》

 凝った題名(「なぜ絵版師に頼まなかったのか」「九枚目は多すぎる」「人形はなぜ生かされる」「紅葉夢」「執事たちの沈黙」)に凝った内容。明治がぐっと身近に感じられ、現在と引き比べ、とても興味深かった。早すぎる死が惜しまれる。

 ネットのうなずき。

《 高校生とか大学生のころは刺激ある人生に価値があると思えたものだが、そんなことはないよ。なんのニュースもなく、いつものように、起きて顔を洗ってごはん食べて、ごくごくふつうの、ふつうの、どうということない1日。頭も痛くなくおなかもいたくなく。こんな日は、なによりもなによりも貴重で幸せなのだと、いまはよくわかる。 》 姫野カオルコ


1月13日(日) 二十歳

 朝、晴れ着のお嬢さんたちがポツポツ。きょう晴れ着を着ていれば、二十歳と見られるなあ。そういえば、昨日行った熱海に「五月みどりの店」があって、本人が愛想を振りまいていた。

 ブックオフ長泉店へ本を売って二冊買う。大塚ひかり『愛とまぐあひの古事記』ちくま文庫2011年初版、柳広司『パルテノン』実業之日本社文庫2010年初版、計210円。

 、近所のホームセンターへ買出し。50メートル一巻を自転車に乗せて運ぶ。中国人か敗戦後の日本人になった気分。午後三時からは、先週の演奏録音の続き。大型絵画の梱包にいいかげん飽きてちょうどいい頃合。

 ネットの拾いもの。

《 新橋で酔っぱらったおじさんが駅に向かう連れに「アディダス!」って声かけてたけどアディオスのことだと思う。 》

《 ディノスのカタログぱらぱら見てたら、このソファいいなあとかこのテーブルいいなあとかこのデスクいいなあとかがいっぱい出てきて、つまるところこういうのがぜんぶ入る家が必要になることに気付き、そっと涙を拭う。 》


1月12日(土) 俳句集

 友人たちと日がな一日、熱海を歩いて廻った。昼前に見番で芸妓の華やかな踊りを観賞、蕎麦を賞味し、コーヒーで一服、路地裏を探索、お土産屋で友人たちはお買いもの、急な坂道に設けられた石段を歩いたり。昭和レトロが満ちている、見知らぬ他国の街へ迷い込んだような面白さ。熱海は昭和が熱いぜ。また来るぜい。

 自宅へ持ち帰った本に『ダカーポ』565号マガジンハウス2005年がある。処分するつもりだったけど、特集が「最高の文庫本──ベストイレブン──」。文庫本でサッカーチームを作ったら、こんなメンバーにという企画。とりあえず保管。 

 小説家石田衣良がお気に入りの三冊を挙げている。神崎京介『女薫の旅』、川端康成『掌の小説』そして『日本の詩歌 30俳句集』。『俳句集』は元本で持っている。その推薦の言葉。

《 「これはぜひビジネスマンに薦めておきたい1冊。企画書を作成するときのタイトル、見出しの付け方は、なかなか上達しないもの。その上達の秘訣は、意外に現代俳句にあるんです。」 》

《 「ましてや作家志望なら絶対、知っておくべき言葉の発見があると思う。」 》

 へえ〜。考えもしませんでした。

 夏目漱石から種田山頭火を経て石田波郷までを収録。漱石だったらこれが好き。

    名月や故郷(ふるさと)遠き影法師

 読んだことのない俳人に渡辺水巴(すいは 明治15-昭和21)がいる。

《 水巴の父渡辺省亭は花鳥画の大家、 》

 省亭の息子とは驚いた。

《 水巴は「亡父の好みはすべて瀟洒であった。また性格は純粋生一本であった。私の趣味も気質もそれを承け継いでいる」と記す。 》

    天の蒼さを見つつ飯盛る目刺かな

    てのひらに落下とまらぬ月夜かな

    冬の夜やおとろへうごく天の川

    父に似て白き団扇の身に添へる

    寒風や隊伍みじかき帰還兵

    天の川冷え極まりてけぶりたつ

 紹介終り。切りがない。


1月11日(金) 浮世絵ミステリーゾーン・続き

 倉庫へ収蔵する本と美術品の選別を終え、昨日から安藤信哉の絵を梱包している。エアパッキンでぐるっと巻くだけだけれど、床に置いて巻くので、けっこう骨が折れる。ふう。休み休みの作業。

 高橋克彦『浮世絵ミステリーゾーン』講談社文庫では当然、秘画=春画にも言及されている。

《 ところで、この機会になぜ秘画の研究が必要か、それを説明したい。一番はその膨大な数だ。幕府から禁止されていたに拘わらず、浮世絵のほぼ半数がこの秘画で占められている状態だ。中には秘画でしか作品を見ることのできない絵師も無数に存在する。 》238頁

《 秘密出版であるから値段も関係がない。良いものは高く売れる。そこで版元や絵師たちは持てる技術をそっくりと投入し、その時代の最高レベルの作品を出版しつづけた。 》238-239頁

 今読むと胸にじいんと迫る箇所もある。

《 国家意識の上で江戸と今では、まさに天と地ほどの断絶がある。 》247頁

《 彼らにとっての国とは、自分が暮らしている藩であり、決して日本全体ではない。 》247頁

《 日本が真の意味で単一国家となったのは明治からなのだ。 》248頁

《 浮世絵はあくまでも江戸絵である。江戸の実態は伝えても東北は彼らの関心の枠外にあった。 》250頁

 ネットの拾いもの。「駅弁大会チラシの駅弁の名前を組み合わせていちばんいやらしい弁当を作ったやつが優勝2013 」抜粋。

《   どて開拓、どまん中にうに壺の輝き

    豚マダム松茸お持ち帰り

    きんつばしゃぶしゃぶあわびうに飯

    300系ご褒美。肉どまん中

    ご褒美。まぼろしのしゃぶしゃぶ肉まんあんまん味くらべ

    マダムごきげん お召し上がり用金時  》

《  「本能寺の大変」  》


1月10日(木) 浮世絵ミステリーゾーン

 高橋克彦『浮世絵ミステリーゾーン』講談社文庫1992年4刷を読んだ。読みやすい。『写楽殺人事件』等のミステリーと同じ著者とは思えん。大枠の「暮らしに生きる浮世絵」「浮世絵情報戦争」「絵師・この不思議なるもの」といった表題にみられるように、読者の興味をえらくそそる内容だ。かつ、斬新な視点が用意されていて、入門者はもとより愛好家でも唸る指摘、考察が多い。

《 浮世絵はまさにマス・メディアの中心に位置していたのだ。 》57頁

《 浮世絵の身上はなんといっても穏やかな明るさにある。ゴッホやマネを初めとするフランス印象派の画家たちが、浮世絵に魅せられた最大の理由はそこにあった。 》91頁

《 遠近法を用いた風景画は見慣れた風景を一変させて、新鮮な感動を人々に与えたのである。水墨画とは別の、庶民の側に立った風景画の誕生である。 》143頁

《 北斎は自然そのものの厳しさと美しさを作品にした。広重はそこに人の暮らしを描き加えた。人があってこその風景であり、人の温かさが風景に新たな息を吹きこむのである。 》155頁

《 豊春の浮世絵にはじまり、北斎における「風景の発見」広重の「風景と人との結びつき」そして国芳の「近代リアリズム」清親の「ファンタジー」とつづいた風景画の流れは安治の登場によって一応の完結を見た。 》163頁

《 描写は絵空事でありながら、対象の本質に迫っている。これが浮世絵の面白さである。 》210頁

 ネットの拾いもの。人を不安にさせる四文字。

《  衆院解散

   安倍談話

   橋下総理

   寿司時価

   仕様変更

   窓に窓に

   オレオレ

   不安の書

   身辺整理

   もういい  》


1月 9日(水) シルバー川柳

 一息ついた昼下がり、You Tube でみなみらんぼうの歌『途上にて』を聴く。二十代の後半、この歌に出合い、シングル盤を買った。擦り切れた盤を今も聴いている。アルバムよりもシングル盤のほうが演奏が胸にじいんとくる。生きなきゃ、と思い直す。

 トーハン・総合一位(12月18日)は東川篤哉『謎解きはディナーのあとで 3』小学館。テレビで主演をしていた北川景子を、次の主演番組『悪夢ちゃん』で美女なんだと気づいた奥手な私。十位には社団法人全国有料老人ホーム協会ほか編『シルバー川柳』ポプラ社。苦笑を誘う。

   誕生日ローソク吹いて立ちくらみ

   紙とペン探してる間に句を忘れ

   入場料顔見て即座に割り引かれ

   目覚ましのベルはまだかと起きて待つ

 最後なんか、今朝の私だ。毎日九時間寝ている。寝る子は育つ、というけれどねえ。

 ネットのうなずき。

《 時を経たものが美しいのではなく、美しいものだけが、時を経て残る力を持っているのかもしれない。 》 原研哉

《 ひとりの人間の思索にただ付き合う。途中で頁を閉じ、ものおもいにふける。ときどきそういう読書がしたくなる。 》 荻原魚雷

《 日本語のネイティヴであっても、日本語のプロの文章を書ける人はほんとうに少ない。プロの文章とそうでない文章がどう違うのかというと、プロの文章は言葉遣いやかかり結びや組み立てが「透明」になっていて、読者に言葉という乗り物の不具合を感じさせずに内容を読み進ませるという点だろう。  》 森岡正博

 ネットの拾いもの。

《 衝撃の告白「お前には腹違いのいとこがいる」 》


1月 8日(火) 1989年平成始まる

 昼食後、息抜きにブックオフ長泉店をのぞく。多木浩二『絵で見るフランス革命』岩波新書1989年初版、石持浅海(いしもち・あさみ)『Rのつく月には気をつけよう』祥伝社文庫2010年初版、高橋克彦『浮世絵ミステリーゾーン』講談社文庫1992年4刷、真藤順丈(しんどう・じゅんじょう)『地図男』MF文庫ダ・ヴィンチ2011年初版、計420円。

 新聞の大きい紙面を広げて読むのが好き。一面の記事の構成に注目する。一昨日の毎日新聞「今週の本棚」の紙面は、マーク・チャンギージー『ひとの目、驚異の進化』インターシフトへの養老孟司評、佐々木幹郎『瓦礫の下から唄が聴こえる』みすず書房への川本三郎評そして池上彰の「この3冊 今年読むべき本」の三記事。下段に文化出版局の本の広告。

 養老孟司評から。

《 われわれは年中「見ている」が、いったいなにをどう見ているのだろうか。 》

 川本三郎評から。

《 「昨日考えていたことが今日通用しなくなる」 》

 池上彰の「この3冊」から。

《 「ラディカルに考えてリアルに実践する」 》

 文化出版局の広告は大きく、『男の美学 高田純次』。横の吹き出し。

《 「高田純次 男の微学」ともいう 》

 池上彰の「この3冊」にはこんな一文も。

《 「最近の日本人は小粒になって、リーダーが生まれなくなった」と嘆く人がいますが、リーダー不在は昔からのことだったのです。 》

 長田弘『すべてきみに宛てた手紙』晶文社2001年初版、「手紙 25」から。

《 一九六○年代にはいって、たとえばチャーチルやドゴールを最後に、いわゆる「大」のつく政治家がいなくなったあたりから、時代の主人公が「人」ではなくなったのでしょう。 》

《 「人」が主人公でなくなっていった六○年代を境に、時代の主人公のように登場したのは「物」であり、時代の表情をはっきりと記憶にのこすものとなったのが、「物」でした。 》

 ネットの見聞。

《 GEは役目を終えた原発と言うコンテンツを東芝に押し付け、あり余るシェールガスを背景にして日々技術更新されている火発でインド&中国市場にのりこもうとしている中、経団連を始め日本のトップ企業は、アメリカが捨て始めたシナリオに固執し、政治をつついてその結果、国家丸ごと沈もうとしている。 》 フジヤマ ガイチ

 ネットのうなずき。

《 を購入…あぁ、またしても私は何を買っているのか…。 》

《 そうだ!今日は平成の誕生日 》


1月 7日(月) 休息日

 変換入力したら休息日ではなく急速日と出た。そんなに急いでどこへ行く。

 ブックオフ長泉店で文庫を二冊。井上夢人『もつれっぱなし』文春文庫2000年初版、鈴木光司ほか全13人『午前零時 P.S.昨日の私へ』新潮文庫2009年初版、計210円。

 大岡信『一九○○年前夜後朝譚』岩波書店1994年初版の副題は「近代文芸の豊かさの秘密」。漢詩文のことが書いてあったかな、と再読してみるが、項目をとって書いてはいなかった。「 I ヴィクトリア朝と幕末」では以下のように描写されている。

《 つまり、徳川末期の数十年間に多くの武士・町人・官僚・神官・僧その他によっていとなまれていた豊かな文学・芸術生活は、この明治維新とよばれる大変革を契機に、根本的な変質を強いられたのです。 》

《 それらはほぼ三十年間の試練と期間を経て、まさに一九○○年前後にいたって明瞭に変革を成しとげ、「近代短歌」「近代俳句」として再生したのです。 》

《 さて、いよいよここで話題は、短歌や俳句に「反抗」して新たに興った近代の自由詩に移ります。 》

 漢詩文は等閑視、いや問題外。「 II 内村鑑三の『地理の宗教』」では内村の漢詩「寡婦(やもめ)の除夜」が紹介され、「 III 知られざる近代──岡倉天心」でちょっとふれているくらい。

《 このスタイルは、たぶん、漢詩文のすぐれた書き手でもあった天心の、対句表現によって鍛えられた表現縮約法の、英語へのみごとな転用、移しがあったと思われます。 》

 ネットの見聞。

《 NHK教育(Eテレっていうのよね、知ってるよ)で大本教について90分!自分が知る限りこうした番組ははじめて。みんな見ろよ!  》

 昨夜一時間半、みっちり見た。次回は北一輝。見逃せない。

《 中国人民大学教授周孝正氏語録:一流の人は名刺を持たない。二流の人は名刺に名前しかない。三流の人は名刺に肩書きが乗る。名刺に三つ以上の肩書のある人はほとんど詐欺師。 》 柯隆

 名刺をどうするか、迷っている。

 ネットのうなずき。

《 安藤忠雄さんとか妹島和世さんの作った集合住宅が全く売れない/借り手がつかないっていうのはけっこうよく聞く話だ。住まいの設計って機能を売る部分がある。それを重視する作家がほんとの建築家だと思う。これが洋服なら、実際には着られない服や大事な部分が隠れない服を作るのと同じだと思う。 》 中島麻美

 ネットの拾いもの。

《 息子がけん玉のヒモを切った。もっと自由に玉を扱えると思ったらしい。。。 》


1月 6日(日) 明治の漢文学

 川口久雄『平安朝の漢文学』吉川弘文館1981年初版、「一 日本漢文学序説」から。

《 こうして明治期前半期は、江戸漢文学の余波たるにとどまらず、江戸漢文学の残山剰水たるにとどまらない。海彼における希有の経験を、漢詩表現というオブラートに包んでわが日本列島にもたらしたのである。明治前半期知識人の間に、異様な欧化心酔の旋風をまきおこす反面、その文明開化の下地に江戸三○○年が培った儒教的漢学的な教養と漢詩漢文による表現能力とが西欧的なものを摂取する地盤を形成していた。(引用者:略)それは同時に日本漢文学の終末をかざる記念碑となるのである。 》

 明治文學全集『32 女學雑誌・文學界集』筑摩書房1973年付録「月報 75」、富士川英郎「明治時代と漢詩」から。

《 明治時代の漢詩は、もちろん、江戸後期に栄えたそれの伝統をひいているが、明治十年代から二十年代へかけては、むしろ江戸時代を凌ぐほどの盛況を呈していたと言ってもよい。 》

《 これに比すればあの『新体詩抄』はもちろん、二十年代のいわゆる新体詩の大半は、幼稚にして粗笨、ほとんど鑑賞に堪えないものであったと言ってもよいだろう。 》

《 ところで、これほど盛だった漢詩文も、明治三十年代に入ってからはそろそろ衰えはじめ、四十年代になると、次第に文藝界の片隅へ(或はその外へ)押しやられてしまった。そしてそれまでそれが享有していた「詩」という一般的な名称を「新詩」に譲ったことは、前にも述べた通りである。 》

 原田憲夫・訳『日本漢詩選』人文書院1974年初版に選出されている漢詩人で最後の人は1920年(大正9年)没。享年を考えると、活躍期は明治だ。漢詩文は明治に隆盛し、明治の終わりとともに衰亡した、といえるだろう。

 大正元年は1912年。百年前だ。アナログレコードの売り上げが去年は一昨年に較べて倍増という。時代の変化の先触れか。

 午後は知人の音楽家が展示室で演奏の録音。先月演奏して気に入ったので、また使わせてほしいと。

 ネットのうなずき。

《 日本の勢いがなくなり、少し自信をなくしていたが、日本にいれば、どこでも眠ることができるし、喫茶店で席をたっても物は盗まれないし、人前で泣いても情の深い人だと思われるし、音をたてて、そばやパスタを食べてもにらまれないし、日本のいいところは、いっぱいあるんだ。 》 沖田和海

《 絵は飾るもの。部屋に飾るもの。人生を美しく飾るもの。時間を美しく飾るもの。いいな、美しいものは。 》 四谷シモン

《  本を一冊読み終えて次の一冊を積読本の中から選ぶときって楽しいね。 》

 ネットの拾いもの。

《 工員・矢野ひとし  》


1月 5日(土) 明治漢詩文集

 小寒。寒い。二階の収蔵庫から額装された絵を一階へ下ろす作業をゆっくりゆっくり、休み休み。ここでギックリ腰になったら……笑えぬ寝正月だ。

 昨日取り上げた明治文學全集『62 明治漢詩文集』筑摩書房1983年初版、神田喜一郎の「編者後記」から。

《 明治の漢詩文について研究したものは極めて少ない。殆ど絶無に等しいといってよいくらいである。 》

《 いったい明治の漢詩は、前にも述べておいたが、日本に漢詩あって以来、空前の発達を遂げたのである。殊に後半期、細かにいうと、明治二十年から三十七、八年に至るまでの間であるが、その間が著しかった。 》

 漢詩に対して生まれた新体詩。

《 明治期に作られた文語定型詩。1882年(明治15)刊行の井上哲次郎・矢田部良吉・外山正一の『新体詩抄』に始まる。それ以前は、詩といえば漢詩を意味したが、西洋のpoetryに相当する日本の新しい詩歌として作られた。 》

 新体詩=文語定型詩はその後、口語定型詩、口語自由詩へと発展していったが、漢詩は。

 この巻、当時は3800円だった。今回は函無しで定価7875円(本体価格 7500円)。やっぱり、うーん。

 ネットの見聞。

《  日本のメーカーが弱体化したから日本は凋落し始めたというのは全くあたっていない。バブル崩壊の中で財務省(大蔵省)の天下り先の金融機関を守る為に国民の金利を奪い疲弊させ円高攻撃もありメーカーも疲弊。そもそもメーカの創出した国富をマネジメントできなかった金融業界や金融政策が根本原因。 》 JAPAN ART LINK

《 既出だが重要なので。06年に吉井英勝議員に「津波による電源喪失」の危険性を指摘されながら、対策なしに「安全の確保に万全を期している」とうそぶいたのが安倍晋三その人。当時の経産相は甘利明氏(現経済再生相)。福一原発事故の戦犯との反省も無く、脱原発見直し、新規原発建設を主張。 》 志葉玲

 ネットの拾いもの。

《 さ、これで仕事に集中できる。がんばろっと。 》


1月 4日(金) 展示室へ移動

 寒い朝。昨日と違って風が無いから自転車が楽。スーパーで段ボール箱をもらって旧K美術館へ。安藤信哉の大きな絵を収蔵庫から展示室へ運ぶ。同じ一階でわずかな距離だけれど、ふう、お疲れモード。

 ネットの見聞。

《 あれ、筑摩の山風明治小説全集が復刊してる。最後の一冊があっさり目の前に。 》 米澤穂信

 毎日新聞朝刊の広告に筑摩書房の『明治文學全集』復刊。全99巻。最後の配本は『62 明治漢詩文集』だった記憶。これは持っている。定価 7,875円(本体価格 7,500円)。うーん。

《 NHKBS国際共同制作ドキュメンタリー「世界の貧困」を正月に見て、富を貪欲に求めて庶民から収奪する多国籍巨大マシーンに匹敵するものを日本内で探すならば何だろうと考えてみたが、その答えは原発産学官複合体だ。戦後からの歴史を総まとめすればこのシリーズの最大の目玉になったことだろう。  》 森岡正博

《 人口2億4千人のインドネシアはすでにTPP不参加を表明しており、最近、完全自給を目指す法案を作成した。筋が通っている。そして、中国、韓国、インドもTPPには参加しない。アジアの主要国が参加しないTPPであることが現実。参加しなければ乗り遅れるという意味がわからない。 》

 ネットの拾いもの。

《 実のある話はしないことにしています。 》

《 好きなブランドの福袋があり、15,000円でダウンとワンピとブラウスとポンチョってそれ買いでしょと思ったらMサイズ限定の文字が目に入り全世界を呪う。 》


1月 3日(木) 仕分けと梱包

 昨日ブックオフ沼津南店まで遠出。海堂尊(たける)『ひかりの剣』文藝春秋2008年初版帯付、小松左京『虚無回廊 III 』角川春樹事務所2000年初版、『ニューヨーカー短編集 I 』早川書房1980年14刷帯付、大原富枝『ベンガルの憂愁』ウェッジ文庫2008年初版、などなどを105円棚から。バーゲンで一冊84円也。

 美術館の冷蔵庫を開ける。閉館後の集まりで残った缶ビールが三缶……だけ。電気を切る。

 本を仕分け。段ボール箱五箱ほどを自宅へ運んだ。倉庫へ置く本は大小三十箱ほど。九分どおり箱に収納。処分する本は『芸術新潮』と何冊かの貰い本。やれやれ。

 北一明の茶碗などを箱詰め。カラスケースから出して手に取ると、際立つ輝きに胸が躍る。やはりスゲエわ。格が違う。陶芸評論家が無視したがるのもワカル。

 ネットの見聞。

《 「ガイガーカウンター」や「ベクレル」や「シーベルト」は、いまや日本人の共通言語になったと思っていたのだけれど、今日、私より若い下関の女性に全く通じず、しかも瓦礫問題も知らなかった。そういう人は論外と言えば言えるけれど、被災地から遠いと、案外これが普通なのかもしれないと愕然とした。 》 早坂類

 ネットの拾いもの。

《 子供のころスモーキングを相撲の王様だと思ってました。ウォーキングとは戦争の王様のことではありません。 》

《 アベノミス 》


1月 2日(水) メメント・続

 初夢は、最後の一口で御飯が終るとき、手はずしして茶碗が畳をころがっていったけれど、御飯は茶碗からこぼれなかった、というもの。どんな意味だろう? 珍しく憶えている。

 森達也『メメント』実業の日本社文庫から。

《 死を否定せずに肯定する機能を持つからこそ、宗教は現世に生きる人にとっては危険な劇薬となる。でも死を知ってしまった人類は宗教を否定できない。決して手放せない。だからこそ世界の紛争は今も続く。 》32頁

《 これもまた根底にある意識は、「自分のためではなくあなたのため」なのだ。だから異を唱えづらい。陶酔しやすい。摩擦係数が低いから、つるつる滑る。例えばアメリカのイラク侵攻。例えばオウム真理教による一連の犯罪。いずれも潤滑油となったのは、悪意ではなく善意だ。この善意が共同体内部で共有されたとき、正義や大義へと肥大する。 》103頁

《 言い訳ではないのですが、最近「これは自分の思想なのか、誰かの受け売りなのか?」という区別が頭の中でできなくなっていて、本当に、恐ろしく感じてもいます。 》124頁

《 凶暴な人だけが人を殺すわけじゃない。優しい人も人を殺す。善意や正義や大義や崇高な使命感が働いているとき、人は人を大量に殺すことができる。悪意では人を大量に殺せない。人はそれほどには強くできていない。 》138頁

《 真実はひとつではない。人の数だけある。確かに事実はひとつだ。ただしその事実は無限に多面体だ。つまりどの角度から見るかでまったく変わる。 》188頁

《 実と虚は二分されていない。その領域は線ではない。敢えて書けば濃淡だ。 》245-246頁

《 憲法とは何か。主権者である国民が国家という強大な権力を規制するための条項であり、主権者である国民が、こんな国を目指しなさいと政治家たちに託す国の理念だ。これは立憲主義の大原則。 》296頁

《 ところが今の改憲の論議は、そんな基本すら理解していない政治家たちが中心になっている。このレベルで護憲か改憲かなどと論議することすら、本来は噴飯ものなのだ。だからこそ基本に帰ろう。 》296頁

《 いずれにせよ記憶は大切だ。それは大前提。なぜなら歴史は記憶によって紡がれる。 》300頁

《 つまり歴史は何を残して何を忘れるかを決める後世の人たちの主観によって形作られる。 》300頁

《 実のところ釈迦は、来世を肯定するような発言はまったくしていない。仏教における浄土信仰や極楽などの発想は、すべて釈迦以降の後付けだ。 》335頁

 ほかにも引用したい箇所はいくつもある。みずからの経験から思索を重ねて練り上げられた論考という好印象。注目に値する書き手がまた一人。

 ネットの見聞。

《 だいたい日本が近代化してるなんてはなから決めつけるから話がおかしくなる。 》 椹木 野衣

 国土地理院が日本全国お雑煮マップねえ。いきなはからい。あ、静岡県は空白だ。


1月 1日(火) メメント

 トップページをK美術館からK美術に変更。日録を悠閑亭から閑人亭に改める。

 昨夜は音楽を聴いて過ごす。最後のレコードはエルヴィス・プレスリー『ロッカー』1984年発売。1956年と57年の録音を収録。今更ながら上手いわ。真似したくなる上手さ。除夜の鐘を耳にする前に就寝。

 昨年最後に読了した本は、森達也『メメント』実業の日本社文庫2012年初版。素直に刺戟を受けた。いくつもの気づき。鋭いわ。題名について。

《 ラテン語で「死」は「モリ」と言う。メメント・モリ。死を想う。(引用者:略)平和を願うためには戦争を思わねばならない。この世界の豊かさや優しさを実感するためには、貧しさや憎悪から眼を逸らしてはならない。 》21頁

 メメント・モリって、森達也を思え、ってことにもなる。明日、引用の予定。

 年初の読書は、長田弘『すべてきみに宛てた手紙』晶文社2001年初版。最初の「手紙 1」から心に響く。冒頭。

《 はじまりというのは、何かをはじめること。そう考えるのがほんとうは順序なのかもしれません。しかし、実際はちがうと思うのです。はじまりというのは、何かをはじめるということよりも、つねに何かをやめるということが、いつも何かのはじまりだと思えるからです。 》


保管庫はてなダイアリー)へ