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気になる展覧会

飛騨の円空展  白隠展  出口王仁三郎とその一門の作品展




『閑人亭日録』Diary2013年

1月31日(木) 挿絵〜イラスト

 きょうパソコンを自宅へ移すはずが、業者の手違いで10日も延びてしまった。げんなり。

 昨日鏑木清方を話題にしたので、その流れで。近代挿絵は鏑木(かぶらき)清方に始まり、そして清方に終った、と思う。雑誌『芸術生活』1974年8月号、特集「さしえの黄金時代」から。

《 近代の挿絵を芸術に高めた草分けの人は、いうまでもなく鏑木清方である。一葉女史の『にごりえ』による挿絵は、かけ値なしの絶品である。幕末から明治初年の浮世絵にこびりついていた泥臭を、清涼な水でサアッと洗いあげたような画品のさわやかさは、まさに新しい芸術の名にあたいしよう。 》 落合清彦「近代挿絵評判記」

 明治末の清方の雑誌の口絵は、年を追うごとに師水野年方らの旧態を脱し洗練されていく。1971年、生前最後の個展に寄せた文章から。

《 私は少年の日から読み物に興味が深く、挿絵画家を志したのもこれが文章により近いからのことであったが、この途は私の日常庶民の暮しに寄せる関心を満たしてくれるものでもあった。 》

 落合清彦「近代挿絵評判記」では岩田専太郎について大きくさかれている。

《 専太郎が没して、これからの挿絵界は大きく変化してゆくだろうが、彼の果した役割は決して小さくない。印刷の製版技術と小説のツボをマスターし切った専太郎の画業は、影響の大きさで江戸後期の五渡亭国貞に匹敵しよう。 》

《 ──ともあれ、岩田専太郎は、くりかえすが、江戸の浮世絵から近代挿絵への伝承を、大衆のためにみごとになしとげた人だった。 》

 鏑木清方の亡くなった1972年を近代挿絵の終着、という私の見方、岩田専太郎の没した1974年に変更するかなあ。私の見方は、1973年にやなせたかし編集の雑誌『詩とメルヘン』サンリオが創刊されて、新たな挿絵=イラストの時代が始まった、というもの。小説の挿絵から詩のイラストへ、転換期、端境期の二〜三年はあるだろう。

 それからの展開がどのように進んだかは、私の調査はまだ届いていない。大森望・三村美衣『ライトノベル☆めった斬り!』太田出版2004年初版を読んだが、百花繚乱、お手上げ、万歳。

 この稿を書くため、昼前にブックオフ長泉店で『現代日本の美術5 鏑木清方/山口逢春』集英社1976年初版を購入。ほかに飯城勇三ほか『エラリー・クイーン パーフェクトガイド』ぶんか社文庫2005年初版、計210円。

 ネットの拾いもの。

《 この世界は神が遺したダイイング・メッセージなのかもしれない。 》


1月30日(水) 「いき」の構造

 ブックオフ長泉店で二冊。ロアルド・ダール『ガラスの大エレベーター』評論社2005年2刷、ハル・ホワイト『ディーン牧師の事件簿』創元推理文庫2011年初版、計210円。前者は田村隆一の訳を持っているけど、柳瀬尚紀の「訳者から」を読むと、こりゃ買うしかない。

《 この作品も、言葉を楽しむ人たち、「金もうけ」の一語以外の言葉に興味をもつ人たちに喜んでいただければ大変にうれしいです。 》

 九鬼周造(くき・しゅうぞう)『「いき」の構造』岩波文庫2007年48刷を読んだ。いき=粋を構造的に解明した著作として高名なこれをやっと読んだ。若い頃だったら途中で投げ出していただろう。表紙の惹句から。

《 「運命によって〈諦め〉を得た媚態が〈意気地〉の自由に生きるのが〈いき〉である」 》

 本文から。

《 いわゆる客観的芸術にあっても「いき」の芸術形式が形成原理として全然存在しないことはない。たとえば、絵画については輪廓本位の線画であること、色彩が濃厚でないこと、構図が煩雑でないことなどが「いき」の表現に適合する形式上の条件となり得る。 》 62頁

 では、どの絵がそれに適合するだろう。日本画家鏑木清方の代表作「築地明石町」1927年がまず浮かぶ。というか、これしか浮かばん。九鬼周造の定義とは少しずれているが、この女性の表情、仕草はまさしく「いき」だと思う。

《 およそ意識現象としての「いき」は、異性に対する二元的措定としての媚態が、理想主義的非現実性によって完成されたものであった。その客観的表現である自然形式の要点は、一元的平衡を軽妙に打破して二元性を暗示するという形を採るものとして闡明(せんめい)された。そうして、平衡を打破して二元性を措定する点に「いき」の質量因たる媚態が表現され、打破の仕方のもつ性格に形相因たる理想主義的非現実性が認められた。 》 58頁

《 運命によって「諦め」を得た「媚態」が「意気地」の自由に生きるのが「いき」である。 》 95頁

 心に沁みる。

 『「いき」の構造』草稿の終わりには「一九二六年十二月 巴里」、論文として雑誌に発表されたのは1930年。

 ネットの拾いもの。

《  焦った── 男子トイレの個室から若い女性が出てきた。……さぁーて、ワトソン君本当に女性かな! 》


1月29日(火) 再読・ミステリー中毒

 ブックオフ長泉店で二冊。吉村達也『侵入者ゲーム』講談社1996年初版帯付、『尾崎翠集成(下)』ちくま文庫2002年初版、計210円。

 養老孟司『ミステリー中毒』双葉社2000年初版が平積になった本のてっぺんにあって、ふと手に取ったら、以前読んで貼ってあった付箋以外のところが面白い。すなわちミステリーの話題以外が今回は面白い。いくつかを。

《 じつは翻訳者である要件の一つは、日本語が達者なことである。(略)さらに文章の意味がわかっても、内容が十分に理解できるとは限らない。これがことばの、むずかしいところである。 》 157-158頁

《 私が正しいかどうか、そんなことは知らない。私は「一般的に正しい」ことを信ずる世代とは違う。だから私の戦いは、個人の戦いである。これは「主義」ではない。自分だけが持つものは、おそらく「主義」ではない。ただの「信念」ではないか。他人がそれを共有するか否か、それは最終的には問題にならない。他人の信念をのぞき見ることは不可能だからである。またまた、言ってもムダという気がしてきてしまった。 》 184-185頁

《 ものを学ぶというのは、時と所に応じて、目を素直に開けておくということである。 》 221頁

《 日本の学生だけを教えていると、ほとんど死者の国で教えているのではないかという気がしてくる。だからたいていの講義が、お経のようになってしまうのである。 》 222頁

《 いまはコンビニの弁当が余ると、そのまま生ゴミ工場に直結する状況である。つまり弁当の生産から生ゴミまでの工程のあいだで、その上前をわずかにはねて、食事をしている感じである。奇妙な世の中になった。 》 231頁

《 アメリカという国は、いままでが「前向き」過ぎたからである。日本の不景気と同じで、もういい加減に過去にも目を向けた方がいい。それが真の意味で未来を見ることに通じるのである。 》 235-236頁

《 自分で考えることを、なんとなく禁じるという風習は、日本の世間に作りつけになっているような気がする。そういうことは考えてはいけない。主題によっては、間違いなくそう決められている。主題自体は禁じられていなくても、ある点から先を考えてはいけないというのは、もっとふつうに見られる禁忌である。なぜ先を考えてはいけないのかと思うが、パンドラの箱を開けてしまうような気がするのであろう。 》 294頁

 ネットの見聞。

《 彼には2つの基本ルールがあった。1つは、立証責任は告発する側にあることを絶対に忘れないこと、そして2つ目は、危機に陥ったときは攻撃に転じろということだ。 》

 うーん、された心当たりが一つや二つはあるなあ。


1月28日(月) 本よみの虫干し・続き

 関川夏央『本よみの虫干し──日本の近代文学再読』岩波新書の「まえがき」から。

《 文学には日本近現代史そのときどきの最先端が表現されている。文学は個人的表現である。と同時に、時代精神の誠実な証言であり必死の記録である。つまり史料である。 》

 この視線から、美術史も捉えな直せると思うのだけど。美術好きの洗い直し。いないかなあ。

 昨日の毎日新聞、広告『女子会川柳』ポプラ社に以前書き込んだのとは違うものが。

《   「調子どう?」あんたが聞くまで絶好調

    ストレスは仕事じゃないのあなたなの

    大人でしょ子供じゃないでしょ上司でしょ   》

 広告の上段には「時代の風」。今回はフランスの思想家ジャック・アタリの「民主主義の将来」。

《 民主主義では政治家は計画についてビジョン(理念)を持たねばならない。「人々がそう考えるなら、その考えを変えるよう説得しなければならない」という姿勢が必要だ。 》

《 我々は今、2013年にいるが、1913年には、誰も世界大戦が起きるとは考えなかった。地球規模で民主主義を普及させようという勇気がなかった。そして今日、もし地球規模の民主主義について考えることができなければ、民主主義は市場に屈服し、それぞれの国で、ポピュリズムの脅威にさらされるだろう。 》

 パソコンの引越しの準備でキーボードをお掃除。まあ手垢にまみれて。てなことはないけど、ホコリが出てくる出てくる。ひっくり返してパラパラ。

 ネットの拾いもの。

《 スーパーひたちは闇の中を上野に向けて失踪中。 》

 ときおり疾走して失踪したくなるけど、身の置き所が見当たらない。


1月27日(日) 本よみの虫干し

 昨日の午後は知人の誘いに乗って、彼の車で熱海のMOA美術館「広重 東海道五十三次展」へ行く。保永堂版の摺、保存の良いものが並んでいる。「三島」の駕篭かきの足の六本指は、目視では確認できなかった。

《 構図に北斎ほどのうまさもなく、歌麿のような描写の迫力にも欠けるが、広重の作品には心がある。我々が失ってしまった「日本人の心」が封じこめられているのだ。広重の絵を見て誰も「うまいな」とはいわない。「いいな」というだけだ。技術を越えた部分に広重の魅力は存在している。 》 高橋克彦『浮世絵ミステリー』講談社文庫より。

 常設展、佐藤玄々の置物木彫が拾い物。帰路、ブックオフ函南店へ寄る。何もなし。

 関川夏央『本よみの虫干し──日本の近代文学再読』岩波新書2001年初版を読んだ。飛ばし読みをしていたけれど、腰を据えて通読。ジャケット裏の紹介文から。

《 日本近代文学の名作、話題作を、できるだけ現代人の視線から離れ、時代に即して読み直した日本近代文芸思想入門。 》

 樋口一葉から松本清張『点と線』などの大衆文学、カミュ『異邦人』などの翻訳文学、そして岡崎京子のマンガ『リバーズ・エッジ』まで。これは凄い。目から鱗が落ちて、近代文学の見通しがくっきりとした。250頁ほどの本に付箋の林。「あとがきにかえて」から。

《 近代文学のテキスト再読の感想は、第一に、どれもみなその時代の思潮と経済のただ中に生きた悩みと喜びの文芸であり、また試みの記録であるということだ。 》

《 第二に、日本人はこの百年、おおまかにいって、自意識と結核と金銭と戦争と異文化接触を、いわばらせん状にえがきつづけてきたということだ。そしてそれら日本近代の主題は、かたちをかえていまも有効である。 》

 本棚から関川夏央・谷口ジロー『「坊ちゃん」の時代』双葉文庫2002年初版を取り出す。高橋源一郎は解説で書いている。

《 なぜわたしは衝撃を受けたのか。/それはなにより『「坊ちゃん」の時代』には「文学」のことが書かれているからであった── 》

 私は『本よみの虫干し』から同様の衝撃を受けた。文学作品などを通してその時代の深層を掘り起こす視線。いわゆる文芸評論の類が視界から消えた。高橋源一郎の解説で知り、『座談会 明治・大正文学史(6)』岩波現代文庫2000年初版を取り出す。関川夏央の解説を読む。

《 この本の書評はほとんど出ず、この本自体が近代文学研究の際直接に言及されることはまれだったが、実は志ある人を刺激してひそかに参考にされつづけたという点では、徳富蘇峰の『近世日本国民史』と歴史家の関係によく似ていた。 》

 この文章は、そのまま『本よみの虫干し』に当てはまるのでは。

 三浦雅士『青春の終焉』講談社2001年9月27日刊、484頁の大著は世間の話題を呼び、私も当時読んで深い感銘を覚えた。関川夏央『本よみの虫干し』は2001年10月19日に刊行された。私はまったく気づかなかった。今読んで驚愕している。

 ネットの見聞。

《 隙がなく強固に組み立てられていてで他をどこまでも論破し続けていく哲学思想よりも、ツッコミどころだらけでボロクソに批判されるがそれらの批判によって提唱者も気づかなかった思想の潜在的な可能性が徐々に開花していく哲学思想のほうが、大化けするということを、歴史は教えてくれる。 》 森岡正博


1月26日(土) 地図男

 昨日帰りがけにブックオフ長泉店で三冊。海堂尊(たける)『ブレイズメス1990』講談社文庫2012年初版、ロアルド・ダール『チョコレート工場の秘密』評論社2006年18刷帯付、同『すばらしき父さん狐』評論社2008年3刷、計315円。『チョコレート工場の秘密』は田村隆一の訳で読んでいるけど、この柳瀬尚紀の訳も面白そう。

《 この作品を翻訳しながら、たいへんに楽しい時間をすごしました。それは要するに、この作品がとても面白いからです。 》「訳者から」より

 旧『チョコレート工場の秘密』を本棚の中から探し出すのに一苦労。以下ほどではないけど。

《 絶対持ってるはずの本がどこを探しても見つからないというよくある罠にはまって小一時間。 》

《 あった……この探してる間にたぶん一冊半くらい読めた……。 》

 買っていないと思っていたイタロ・カルヴィーノ『木のぼり男爵』があった……。

 真藤順丈(じゅんじょう)『地図男』MF文庫2011年初版を読んだ。スラスラ読んだ。結びの近く。

《 俺はゆるやかに刷新された世界に融ける、そのいとおしい猥雑さ。無節操なイノセント。やっほう。物語の一部となって俺は沸騰する。 》141頁

 このくだりに古川日出男の小説を連想。亜流といっては語弊があるが。

 風が凄い。いつもの道を避けて細道を自転車で来る。正解だったけど、時折風に煽られ、よれよれ。午後から出かけるので早仕舞い。


1月25日(金) ブラバン

 津原泰水(やすみ)『ブラバン』バジリコ2007年7刷を読んだ。1980年に広島市(多分)の高校の吹奏楽部員だった男女が、四半世紀の時を経て再結成に向かう。総勢三十四名のメンバーたちが繰り広げる、大群像劇。

 2005年頃の四十路の現在と1980年頃のささやかな出来事が、未婚男性の一人称で語られる。なかなか読ませる。が、なにせ三十四名、一ページごとに人物表を参照。まあ、オツムが弱っているからなあ。でも、面白い。映画監督の井筒和幸が帯に書いている。

《 なんや/しらんけど/沁みる小説/なんやわ/これが 》

 この一言に尽きる。

《 音楽の時代だった。あらゆる音楽が今よりも高価で、気高く、目映かった。 》22頁

《 最初から訊けばよかった。こういう人生の無駄づかいが僕には多い。これまでの人生で一年ぶんくらいは損しているんじゃないだろうか。 》31頁

 この視点から語られる、高校生と四十路、ほろ苦い人生模様。

《 十六歳と二十四歳の間には天文学的な隔たりがあるが、四十と四十八の差は端数でしかない。たしかに「なんぼも違わん」のだ。 》152頁

《 郷愁と悔恨は仲睦まじい。どちらも必ず親友を後ろに隠している。 》212頁

《 「近くのアパ−トが借上げの独身寮になっとる。恐ろしゅう狭いで」

  「うちには負けると思いますよ。ベッドの上しかおる場所がありません」 》219頁

《 僕の部屋にたぶんこのコントラバスは入らない。かりに入ったとしても、今度は僕が入れない。 》227頁

《 矜持のおきどころさえ間違わなければ、いい仕事が得られるだろう。 》284頁

《 美しい音色は修得できない。出せる人間だけが初心者のうちから出せる。 》320頁

《 彼女は自分の新しい世界を守るべきだ。僕が自分の古い世界を死守しているように。 》325頁

《 名曲が郷愁と寸分なく合致した時、それは人を殺すほどの、あるいはもう一度生まれ直させるほどの力を持つ。 》331頁

 高校生たちの奮闘振りに米澤穂信の「古典部」シリーズを思い浮かべた。対照的だ。『ブラバン』は隙だらけ。対して「古典部」シリーズは人物はキャラが立ち、きっちりと作りこまれている。けれども、なぜか『ブラバン』に惹かれる。作家の思い入れの違いか、気質の違いか、育った時代の違いか。それにしてもなあ、と思う。『ブラバン』の文庫本には解説がない。孤独な読書の後、そうそうと共感できる感想に出合えないとは。

 ネットの拾いもの。

《 レコードは 身を削って 音を出してるんだなぁ  》


1月24日(木) 楽しい会話

 昨日帰りがけにブックオフ長泉店で二冊。ロアルド・ダール『アッホ夫婦』評論社2005年初版帯付、ロイ・ヴィカース『百万に一つの偶然』ハヤカワ文庫2003年初版、計210円。

 昨晩も雨。晴れた今朝は日陰に水溜り。明るい冬空。

 ウェブサイトでエミリ・ディキンソンの詩の翻訳についての書き込みを読んで、文学作品の翻訳の難しさをあらためて実感。岩波文庫には原詩と訳詩が対応しているものがあるけれど、対照しても門外漢にはどれだけ深く鑑賞できるか。平明にして含蓄ある語句の背後をどこまで深く測量できるだろう。

 小泉喜美子『ブルネットに銀の簪(かんざし)』早川書房1986年、「背伸びした理屈より楽しい会話術を!」から映画『カサブランカ』の男女の会話。

《 「十年前、きみはなにをしていた?」

  「歯並びを直していたわ。あなたは?」

  「職をさがしていた。」  》

《 外国では良縁の子女は成人前に必ず歯にブリッジをかけて歯列をととのえてから社会人としてデビューするので、それを指したもの。つまり、まだ成人前の少女で恋など知らなかったと匂わせているわけ。 》

 外国映画には気のきいた科白が頻出。同じエッセイから。

《 「おれは女房が欲しい。競争相手じゃなく」  》 『アダム氏とマダム』

《 「男も女も同じなのよ」

  「ちょっとした差はあるさ。楽しさはその差だ」 》 同

《 「私もあなたが好きだったわ」

  「気がつきませんでした」

  「女は隠せるのよ」  》 『外国の陰謀』

《 「いいことがある。ぼくたち、結婚しよう」

  「もっといいことがあるわ。結婚しないでおきましょう」  》 『ジョルスン物語』

《 とにかく、結婚しようがしまいが人生は野暮に深刻に送るよりは、しゃれて楽しくやるほうずっといい。映画はその良いお手本! 》

 ネットの拾いもの。

《 ついうっかり大量に出てしまった歯磨き粉に、「出すぎた真似を!」と叫ぶ朝。 》


1月23日(水) 紫

 日差しも弱く寒い一日。

 紫は、好きというより、近寄り難くて惹かれる色だ。丸山(美輪)明宏『紫の履歴書』のように。

《 西洋でも日本でも、この色が貴位を表す伝統は根強い。その何よりの理由は、原料や技術の上から紫の発色が困難であったところにああるのだろう。したがって、一八五六年にパーキンが人工染料の紫を発明したことは、この色の歴史における最大の出来事といってよいだろう。 》

《 明治時代の錦絵には描かれた人物であたっていくと、八割以上が服飾の一部に紫を使っているという報告もある。紫は文明開化の明治を象徴する新しい色であった。 》『色の彩時記』朝日新聞社1983年、近江源太郎「色のイメージと意味」

 『明治文学全集』筑摩書房、月報99に高階秀爾「明治の色」がある。

《 明治の末年から大正にかけての時期が、赤と朱に陶酔した時代であったとすれば、その前の明治三十年代は、紫と青の時代だったと言えるであろう。 》

《 明治四十年、この紫の最後を飾るのにふさわしく、東京勧業博覧会で、「紫派」の一人岡田三郎助の「紫の調(しらべ)」が一等賞を得た。 》

《 しかも岡田三郎助は、その後同じ年の第一回文展に「紅衣夫人」を出品している。 》

 紫と菖蒲(あやめ)関連で口ずさむ短歌。

   少女らに雨の水門閉ざされてかさ増すみづに菖蒲溺るる   松平修文

 ネットの見聞。

《 争うのが人間の本能。仲良くするのが人間の知恵。  》

《 浅いか深いかを判断できるなら専門家。それができないのが門外漢。 》


1月22日(火) 日本の伝統色

 昼に雨が止んだので、旧美術館へ自転車で来る。気温が上がらず、寒々した気分。ちょこちょこ片付け。

 昨日買った福田邦夫『すぐわかる日本の伝統色』東京書籍を見て、本棚から小泉喜美子『ミステリー歳時記』晶文社1985年初版を取り出す。月刊雑誌『小説推理』1981年の一年間に連載された小エッセイから「五月 菖蒲(あやめ)」を読む。

《 当日、姉妹が丹精の菖蒲のたぐひは例年にもまして繚乱と池水を彩って、それは見事なものでありました。縹(はなだ)、二藍(ふたあひ)、藍、紺、菫、葵、紫苑(しおに)、桔梗青(きちかう)、紫匂(むらさきにほひ)、藍青(らんじゃう)、薄青(うすあを)、深紫(こきむらさき)、赤紫、白紫、青紫、葡萄(えび)、若紫、藤紫、淡紫(うすむらさき)、裏紫(うちむらさき)、花紫、仲紫(なかむらさき)、朽紫(くちむらさき)、中倍紫(ちゅうばいむらさき)、偽紫(にせむらさき)、減紫(げにむらさき)、浅滅紫(あさけしむらさき)、滅紫(めっし)、さらに白青(しろあを)、白群(びゃくぐん)、淡紅(うすあけ)……とわずかづつ色をたがへてびらびらと咲き乱れるさまは声を呑むばかり、池水のおもてさへ紫が勝って眺められたほどでございます。 》(もとは旧漢字旧かな)

 須永朝彦『滅紫篇』から小泉喜美子さんが引用。多彩な紫の氾濫に感心した。三浦覚三『色の和名抄』創文社1984年初版によると。

《 実のところ色の和名は千数十種に及ぶといわれているが、江戸の末期迄にあった色名、即ち古来から日本で使われてきた色の呼び名はそれ程多くはない。つまり例えば紫に深、浅、濃、薄、淡という接頭語が付けられたものを一つの紫の色名とすれば、一部を除いては思った程多くの色名はない。 》

 この紹介から、小泉さんは須永朝彦との付き合いが始まったのかも知れない。それが事故死の遠因となり、戸板康二に痛恨の追悼文を書かせ、私を呆然自失させた。この『ミステリー歳時記』は晶文社から贈られたもの。

《  本書は著者の遺志により、謹呈させていただきました。  晶文社  》

 ブックオフ長泉店で二冊。平石貴樹『だれもがポオを愛していた』創元推理文庫1997年初版、クレイグ・ライス『新訳版 スイート・ホーム殺人事件』ハヤカワ文庫2009年初版。前者は単行本で読んでいるけど、有栖川有栖の解説を読みたくなって。後者、羽田詩津子「訳者あとがき」から。

《 クレイグ・ライスの訳者でもあり、旧版の『スイート・ホーム殺人事件』で解説を書いている小泉喜美子さんはライスの作品を「大人の、現代の童話」だといっている。そして、ライスの作品が日本でなかなか売れないのは、”子供の”読者が多いからだと鋭く指摘した。深く共感を覚える。そろそろ、日本でも大人の洒脱なミステリを愛する人が増えてほしい。そんな願いをこめて本書を新訳させていただいた。 》

 ネットの見聞。

《 すべての芸術作品は受取り手にある程度の素養を必要とする。その素養を前提としない面白さが通俗の面白さである。(森村誠一『作家の条件』)  》


1月21日(月) 深夜の散歩

 昨日の続き。『決定版 深夜の散歩』は、福永武彦、中村真一郎そして丸谷才一の共著。ミステリー雑誌に連載した三人のエッセイをまとめたもの。しんがりの丸谷才一は1961年から1963年に連載している。半世紀前だ。今読んでも、昨年発表されたような新鮮な印象。さりげなく洒脱な大人の文章。巧いわ。そして慧眼の士。脱帽。

《 ぼくたちはみな、小説を一人きりで読み耽るのだ。 》「ダブルベッドで読む本」

《 誰でも知っていることだろうが、日本の純文学は自然主義と私小説によって荒廃した。 》「犯罪小説について」

《 すべては語り盡くされた、とぼくは感じる。一体、新しくつけくわえるべき何があるだろうか?しかし、他人の意見の祖述はぼくの得意とするところではない。 》「ある序文の余白に」

《 問題なのは、そういう些細なことではなく、彼らが作ったルールの背景、および彼らのルールの基礎となった英米探偵小説の伝統の背景、にあるところの、あの豊かな市民感覚をぼくたちが持っているかどうか、ということのはずです。 》「タブーについて」

《 なぜなら、ぼくたち善良な男性はみな、悪女に憧れているのだから。そして──たぶん、善良な女性もまた。 》「ケインとカミュと女について」

 前世紀は深夜といわず未明も散歩したけれど。今出歩けば徘徊老人也。

 ブックオフ長泉店で三冊。沼田まほかる『ユリゴゴロ』双葉社2012年13刷帯付、2006年2刷、ジョン・T・ウィリアムズ『クマのプーさんの哲学』1996年4刷、計315円。

 ネットの見聞。

《 塩をかけたご飯がこの世で一番うまい説  》

 今年、旧美術館の昼食は白米にわびのふりけけ、だけ。そしてお茶。


1月20日(日) 終り方が大切

 毎日新聞朝刊、書評欄で故丸谷才一のエッセイ集『快楽としてのミステリー』ちくま文庫を若島正が紹介していた。

《 どれを読んでも楽しいことこの上なしだが、ここで一篇だけ紹介しておこう。『深夜の散歩』にも収録されていた、「終り方が大切」と題されたエッセイだ。早い話が、この一篇を読むために、わたしは『深夜の散歩』を何度も再読したほどである。 》

 『決定版 深夜の散歩』講談社1981年5刷をさっそく開いた。六頁のエッセイ。アンブラーの短編『影の軍隊』を読み進めて。

《 エリック・アンブラーといふ小説の玄人が、体をなしてゐない終り方をしたのでは困るぢやないか。それが傑作集にはいつてはなほさら困るぢやないか。
  さう思つて、わたしははらはらしながら最後の三行を読み──その三行の水際立った藝に舌を巻いたのである。 》

 まず、詩人田村隆一のエピソードと詩が紹介されている。

《   言葉なんかおぼえるんじゃなかった

    日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで

    ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる   》

 ネットの拾いもの。

 『女子会川柳』ポプラ社から。

《   入社時は 腰かけ今は 命がけ

    「至急でね!」 頼んだおまえが なぜ帰る

    やっぱりね 残りものには 訳がある

    合コンで 仲良くなるは 女子ばかり

    逆らわず ただうなずいて 従わず

    十年目 部長が席まで 来てくれる

    きつくなる 目つき性格 腹まわり  》


1月19日(土) 美術〜アート

 今朝は昨朝より寒かった。乾燥しているので路面凍結はなく、やれやれ。

 処分予定の雑誌を整理。『BRUTUS』マガジンハウスの美術特集が四冊。
  「究極のアート特集 ゴミ芸術論」1995年
  「再び、空想美術館へ」1996年
  「日本美術? 現代アート?」2002年
  「自分のためにアートを買いたい!」2003年

 2006年には発行日が『BRUTUS』と同じ1日と15日の雑誌『PEN』で「いま世界には、アートが必要だ。」という特集。年を追うにつれてつまらなくなっている印象。美術という言葉がアートという言葉に代わっていくにつれて、内容が軽くなり空疎になってきた気がする。

 気づけば心の奥深くに響いてくる作品……。どこかにひっそりとあるはずだ。

 ネットのうなずき。

《 そもそも何が得で何が損なのか、考えれば考えるほどわからなくなる。 》


1月18日(金) 松永耳庵

 この冬一番の寒さのよう。路面も凍結。自転車で転びそうになった。冷っ。おお寒。

 『芸術新潮』2002年2月号特集「最後の大茶人 松永耳庵 荒ぶる侘び」を読んだ。

 「電力の鬼」といわれた耳庵松永安左エ門(1875-1971)。享年95歳。子はなし。

《 東邦電力の社長として電力業界を牛耳っていた彼が、はじめて茶事にのぞんだのは昭和9年60歳のときである。 》

《 茶をはじめてから4〜5年で買った道具の総額は、いまの値段で100億円にのぼるという。 》

 世間で名品だ逸品だと喧伝された茶器や美術品を買い漁った人だ。

《 長寿と壮健のわけをきかれてこたえている。「女遊びをはやくやめることだ」「先生は何歳で?」「たしか78歳かな」 》

《  初夢や若き娘を抱きつけり──九十翁正月の一句である。 》

 他の誌面から。ミステリ作家エラリー・クイーンは、本のコレクターは4段階で進化してくという。

  1.ただ読むことができればいい「書物愛好家(ブック・ラバー)」

  2.初版本でないと満足しない「鑑識家(コニサー)」

  3.本のジャケットの状態にもこだわる「書物狂(ファナティック)」

  4.著者の書きこみがある稀覯本を集める「書物崇拝狂(ビブリオファイル)」

 クイーンは3段階にいるとか。私は2.5段階かな。

 ネットの拾いもの。

《 ♪オレがアヒルで河がウイスキーだったら、河に潜って二度と浮かんで来ないよ♪ 》

《 鮟鱇ル・ワット  鯵アの純真  寒鰤ア宮殿  鯖威張るゲーム  》


1月17日(木) 寒い朝

 この日の未明、仕込み中に阪神淡路大震災が起きた。仕事が一段落、テレビをつけた。空撮で見た火の手に仰天した。今朝も寒かった。でも、火が恋しい、なんて言えない気分。

 午後、スーパーへ段ボール箱を貰いにいき、ついでにブックオフ長泉店へ寄る。赤瀬川原平・山下裕二『京都、オトナの修学旅行』淡交社2001年2刷帯付、日影丈吉『夕潮』創元推理文庫1996年初版、樋口有介『プラスチック・ラブ』創元推理文庫2009年初版、モ−パッサン『怪奇傑作集』福武文庫1989年初版、計420円。

 昨日引用した林達夫の発言の続きが読ませる、というか辛辣。

《 その点、案に相違してガッカリさせられたのは手塚富雄。あれほど素晴らしい『ファウスト』やリルケの『ドイーノの悲歌』の訳業をした人が、ブレヒトの詩ではまるで別人だ。「老子出関の途上における『道徳経』成立の由来」、題の訳からして泣けるよ。人は全力投球できない仕事はしないことだ。鈴木信太郎の玉石混淆のボードレールの『悪の華』の悪訳と好一対だ。マラルメやヴィヨンであんなにいい訳業見せている男が……。 》

 ここまで言うとはすごい自信だ。自信……地震……自身に震えが走るなあ。寒さではない身震い。……やっぱり寒い。なお、長谷川四郎の訳ではこんな題。老子が老師になっている。

  「老師亡命途上道徳経成立譚」

《 芝居の翻訳というのは、語学的にいくら精確でもどうにもならない。語感を精確に訳出できないとね……。 》285頁

《 曰く、「翻訳とは女のようなもので美しいと忠実でないし、忠実だと美しくない」。 》295頁

 岩波文庫と光文社文庫で、プルーストの大長編『失われた時を求めて』が別の訳者で翻訳、順次出版されているけど、どうなんだろう。片方を褒めちぎる評者ばかりで、両者を比較検討した評は、浅学にして知らない。今世紀初頭に『失われた時を求めて』の翻訳で読売文学賞を受賞した鈴木道彦は、鈴木信太郎の息子。

 ネットの見聞。

《 787:バッテリーが原因かもということで調査開始。変だな窓ガラス、ブレーキ、燃料漏れもバッテリーが原因?「GSユアサ」だけを悪者にして787の製造責任と設計責任は問わないのか。TPPもこんなことになると思うよ。 》

 ネットの拾いもの。

《 「本の雑誌社」と入力するつもりがzを抜かしてしまい、「本の圧死者」に。あれ。  》


1月16日(水) ブレヒト詩集

 出掛けに雨がポツポツ。遠くは青空がのぞくのに〜。自転車で来る。美術館の電話を今月末で解約の手続き。メールは変更しない予定。

 梱包は終っても紐で結わえる作業が待っている。ふう。

 林達夫・久野収『増補 思想のドラマトゥルギー』平凡社1984年、「演劇変相之図」の章。

《  ブレヒトの詩というのはどれもこれも僕は好きですね、いつ読んでもいい。「わが愛誦歌」という言葉がピタリと当てはまるほどだ。それとロルカだな、現代の好きな詩人は。詩の本道を堂々と歩いている。

  久野 その点で長谷川四郎は眼力があるな。

   彼も僕と同じだな、ブレヒトとロルカ……。ブレヒトの詩は、訳さえよければ翻訳でも結構楽しめる詩ですよ、長谷川四郎や野村修の訳なら……。 》283頁-184頁

 長谷川四郎・訳『ブレヒト詩集』みすず書房1998年新装初版を読んだ。最初の詩「きみは長い仕事に疲れきって」全文。

《  きみは長い仕事に疲れきって

   くりかえしくりかえしくどくどと話す人だ

   長いこと話す、骨おって話す

   だが忘れないでくれ、あれは

   ますますくたびれて

   真実を話しているのだ。 》

 しみじみ。しみじみと苦いユーモアと毒を含んだ大人の詩群だ。「あらゆる製作物のうちで」「アルファベット」「ぼくに墓石は必要ないが」などに特に惹かれた。

 ネットの拾いもの。

《 人の漫画が本屋に沢山並んでると『売れてんだな〜』って思うんだけど、自分の漫画が沢山並べてあると『余ってんだな…』と思ってしまうアニメイトの帰り道。 》

過ぎし日録
1月

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