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『閑人亭日録』Diary2013年

2月28日(木) 時の彼方

 二月はきょうで終わり。早いものだ。春のような陽気に誘われて……出かけない。和室で温かい日差しを浴びて……春愁な気分。風呂場でカビキラーを盛大に使ったせいかな。

 明治大正昭和に活躍した文人たちの書斎がよく、記念館や文学館に保存再現されている。マホガミーの立派なデスクや、貧相な文机を見て、文人の在りし日の姿を思い浮かべるのだろう、観覧者は。平成の今、活躍している物書きたちが亡くなった時、そのような書斎が再現されるだろうか。ワープロに向かい、パソコンに向かい、タブレット端末に向かう物書きたちの書く場所は自室だけではない。列車内であり、コーヒー店であり、街角でもある。もはや固定してはいない。既存のかたちの記念館は求められなくなるだろう、と思う。

 そんなことを、パソコン台とライティングデスクが横並びしているわが個部屋をみて思った。そのつどの発信はデジタル=インターネット、大切な書きものはアナログ=紙の文書で発信。これから電子記憶媒体と紙=文書との棲み分けが一層進むだろう。ほぼ毎日ブログを更新しているけど、これを紙に記録しておこうとは思わない。ブログは見知らぬ人たちへの空間的広がりを求める手段。紙に記録するものは、時の彼方へつなげたいと願うものだけ。それはごくわずか。

 ネットの見聞。

《 私にとって古典的な「左右」の思想区分は、本質的なものには見えない。

  本質的な壁は、私利の確保や全能感の獲得のために政治行動をする人間と「類的」な動機に駆動されて政治実践をする人間たちのあいだにある。 》 内田樹

 Twitter文学賞国内第1位になった小田雅久仁『本にだって雄と雌があります』受賞の言葉より。

《 作者よりもむしろ読者から作品を愛される、という幸運を、この小説を書くことではじめて経験しました。 》

 ネットの拾いもの。

《 平井和正でもうひとつ思いだした。80年代「おたく/オタク」なる単語が雑誌等に載りはじめた頃、自分を含めて周囲では誰もそんな言葉を使っていなかった。唯一、頭に浮かんだのがアダルトウルフガイ犬神明の台詞「おたくらCIAだろ」だった。 》 伊吹秀明

《 「巨神兵東京に現わる」だと世紀末感がすごいけど、「巨神兵大阪に現わる」だとお笑い臭がものすごい。 》


2月27日(水) 映画保存の現状

 深夜降り出した雨は明け方には止んだけれど、曇天のまま気温は上がらず。うー、寒々。かじかんだ手で本を開くと《 人間の心の深くまで訴える、力強く根強いもの 》ということばに出合う。味戸ケイコさんのいくつかの絵は、そんな魅力、訴求力を底に秘めている。

 午後、風が無いので気分転換にブックオフ函南店まで自転車で南下。途中の大場川の広い土手には一面土筆土筆。地獄の針山状態。コワイコワイ。北山猛邦『踊るジョーカー  名探偵音野順の事件簿』東京創元社2008年初版、門井慶喜『天才までの距離  美術探偵・神永美有』文春文庫2012年初版、計210円。名探偵、美術探偵……日本には探偵が何人いるんだろう。妄想名探偵、本棚探偵もいるしなあ。計210円。帰りにテケテケに寄ってお茶。

 東京国立近代美術館フィルムセンターの「映画保存の現状」は、私のデジタル記録媒体に対する危惧を裏付ける内容。

《 Q: フィルムは長く保存できるのですか。

  A: フィルムは、適正な温度と湿度の環境下であれば、数百年安定的に保存できることが、実験によってあきらかとなっています(なお、フィルム・アーカイブにとっての「長期的な保存」とは、少なくとも100年以上を指します)。実際、フィルムセンターでは100年以上前に撮影され寄贈されたフィルム原版(オリジナル・ネガあるいはそれに相当するもの)をはじめとする多数の映画フィルムを、温度2〜10℃、相対湿度35〜40%の環境下で管理された専用保存庫で保管しています。 》

《 Q: デジタル保存のリスクとは何ですか。

  A: デジタル・データ自体は原理的 には劣化しないのですが、それを保存する媒体やファイル形式、読みとるためのアプリケーション・ソフト等が長く保持されません。したがって、5年や10年といった短期間で、複合的な原因によるデータ破壊や消滅が起こるリスクが生じます。
 たとえば、デジタル・データを物理的に保存するハードディスクや光ディスク、フラッシュメモリ、データテープといった記録メディアすなわち情報のキャリアは、何年の耐久性をもつかきわめて不確定です。また、市場における商用デジタル技術のはげしい競争が次々と新たな規格を生み出しているように、現在多くのユーザーによって使用されている映像記録ファイル形式も、短年で陳腐化する(新しい技術の前に時代遅れのものとなり、市場において事実上流通しなくなってしまう)可能性が高いのです。 》

 以下略。

 ネットの見聞。

《 志村けん、本人のセリフではなくて、コント中に読んでる新聞の「原発さえなければ」という見出しをカメラに向けるやり方。 》

 これはお見事!

 ネットの拾いもの。

《 矢沢A吉・桑田K祐・B'z が組んだ最強ユニット AKB55(平均年齢)。 》

《 新規開店した店の看板に“伝説の店”と書かれていた。 》


2月26日(火) ネズミ事師の仕事と生活

 寒い日が続く。体慣らしで自転車でぐるっと一巡り。ついでにブックオフ長泉店をのぞく。ジェフリー・ディーヴァー『エンプティ・チェア』文藝春秋2001年初版、松波成行『国道の謎』祥伝社新書2009年3刷、計210円。ジェフリー・ディーヴァーのリンカーン・ライム・シリーズは『ボーン・コレクター』から『ソウル・コレクター』まで八作が揃ったから、いつでも読める。いつでも、ねえ。

 下谷二助(しもたに・にすけ)『ネズミ事師の仕事と生活』情報センター出版局1983年初版を再読。上質なユーモアに彩られた数々の逸話に連れられ読了。面白くて為になる、という記憶は間違いなかった。裏表紙の紹介から。

《 ネズミ捕り器収集が趣味という著者は、日本のネズミ捕り器に意外な共通点を発見! 誰に頼まれたわけでもない命題を背負ってルーツ発見の旅に出る。 》

《 明治・大正・昭和とネズミ捕り器に関わった人々の原・日本人的生活と意見。さらにはあの731部隊にまつわる秘められたお話へと、ネズミ捕り器をめぐる冒険は日本人が忘れている”何か”を掘り出した。 》

 二十世紀ネズミ捕り器産業興亡史といえばいいか。そこには数多くの泣き笑い人間模様。よかった。

 この快著、どこかで再刊しないだろうか。そういえば、やなせたかし氏のパーティで詩人・歌人の早坂類さんに再会。彼女の歌集『風の吹く日にベランダにいる』河出書房新社1993年初版、再刊してほしいねえ、と一致。この二冊、どこかで復刊しないかなあ。

《  何故僕があなたばっかり好きなのか今ならわかる生きたいからだ  》 早坂類

 ネットの見聞。

《 詩にしても絵にしても、その成り立ちの条件として、「《知覚の不可能性の領域》に、身体の全感覚が触れてしまう」のはすべての基本ではないかと思う。 》 福山知佐子

《 福一由来の放射性物質より、中国から飛散するPM2.5を騒ぐマスコミって。。。 》

 ネットの拾いもの。

《 鏡で自分の顔を見なけりゃうまい化粧はできないでしょ。 》

《 断捨離の本を捨てようかどうか迷っていたら20時。 》


2月25日(月) ジャケ買い 

 紀伊國屋書店横浜店で『ジャケ買いしたくなるイラストレーターさんの表紙の本』というフェアをやっている。表紙絵で買う本はある。当然だけれど、味戸ケイコさんのイラストなら即買い。宇野亜喜良だと考える。宇野亜喜良はエロチックな絵が楽しい。加藤郁乎『膣内楽』大和書房1975年がイチバンだろう。帯を外して楽しんでいる。帯といえば、小泉喜美子さんに『女は帯も謎もとく』徳間ノベルス1982年があった。最近入手した本では姫野カオルコ『リアル・シンデレラ』光文社文庫2012年初版。表紙はポール・デルヴォー描く美女。そそる。

 ジャケット買いなら以前はレコード、最近はCD。今はリサイクル店でレコードを漁る。キャンディーズのLPレコードなんか、300円でキレイなモノが手に入る。一昨日のやなせたかし氏のパーティでは歌手の西島三重子さんと久闊を叙したけれど、彼女のシングル盤レコードのジャケットはイマイチだった。

 35年ほど前に下北沢にあったバンブー・ハウスというレコード店でジャケ買いしたのはギリシャの歌姫ハリス・アレクシーウ1976年盤。ギリシャ語で読み方も分からずに買った。大当たり。以来新譜が出ると聴いている。来日公演には行けなかった。20年ほど前のライヴ盤でその様子がうかがえる。「シクラメンのかほり」を歌っている。私よりも数日早く生まれた。みごとに歳を重ねている。そういえば西島三重子さんは二箇月半早く生まれている。

 この寒い一日、はて、何を読もうか? と巡らせていると、ポッと浮かんだのが、先のやなせたかし氏のパーティ会場の立食テーブルでそばにいたイラストレーター下谷二助(しもたに・にすけ)氏の本『ネズミ事師の仕事と生活』情報センター出版局1983年初版。副題が「世の中、笑って住めば幸いだ」。三十年ぶりの再読。友だちに見せたら、交通取締りの「ネズミ捕り」と勘違いされた。

 ネットの見聞。

《 難しいのは、どんなにデッサン力をつけ技術的に上手い絵が描けるようになったとしても、それが他人から見て「おいしそうな絵」「ソソる絵」「欲しい絵」であるかどうかは、また別ということ。それはたぶん同人誌業界でもアート業界でも同じだと思う。そしてこれは、努力だけではどうしようもないことなのだ。 》  大野 左紀子


2月24日(日) アホラ詩集 

 午前中は源兵衛川の下流域で、雑草や堆積した土砂の撤去作業に従事。

 昨晩のやなせたかし氏のパーティでお土産にいただいた中にやなせたかし詩集『アホラ詩集』2013年初版。「好日佳眠」。

《  いいお天気でござるな / 白雲ゆうゆうと / 空を旅してござる / 本日平安 / なにごともなし / 太陽の金粉 / 毛穴にしみて / 拙者はいねむり / おゆるしくだされ / 老体すでに衰弱 / 世間の義理は / さておいて / うちらうつらの / ひとやすみ  》

 午後はゆっくり。ひとやすみ。

 ネットの拾いもの。

《 ノルウェー公共放送局NRKが12時間に及ぶ薪特集番組を流したところ、なんと20パーセントの高視聴率を記録し、世界を驚かせている。12時間のうち8時間は薪が燃えてるだけの映像だった。

 番組には薪の積み上げ方について苦情が60件殺到、50パーセントは「皮が上になってる」と言い、残り50パーセントは「皮が下になってる」と言って切ったという。ノルウェーでは皮の上下をめぐって国論を二分する対立が続いている。 》

《 最近、火事が多い。火事場の馬鹿力、という言葉があるけど、火事場の馬鹿、はイヤだ。

  バカばかりが集まってしまうと凄く困る。バケツリレーと、ケツリレーを間違えるに決まってる。 》


2月23日(土) やなせたかし

 昨日の続き。竹西寛子『ものに逢える日』は、どの短文も平明な言葉でよどみなく、すらすら気持ち良く読めるが、時折どきっと深い表現がさり気なく織り込まれ、著者の思索の深淵を覗かせる。

《 実在を、存在を問いつづけることなしに、表現の深化もまたあり得ないと思うとき、世界解釈への意思は、世界感受と相即して表現の前提となる。 》「宗教と私」

《 人間の不可解、とくに、言葉を用いる人間の不可解への関心は、幸か不幸か、優しく恐ろしい天上の楽の音を恋うようなときめきと、わが身の生傷をわが指で掻き抉るのに似た感覚とをまだ失っていない。 》「物の怪について」

《 死を全うしていないものにどうして死者の魂など鎮めることができるだろう。鎮魂とは所詮死を経験できない生者の、不安と祈りに発した知恵に過ぎない。自分自身の魂鎮めなのだ。 》「広島が言わせる言葉」

《 芸術には、毀して得られる新しさもあれば、頑なに守ることで得られる新しさもある。 》「ボリショイ・オペラ」

《 新しさの毒は、いつでも新しさの蜜よりおくれて気づかれる。 》「毒の周期」

《 ありふれた言葉でつくられたありふれぬ世界は、こうした作者の細心の配慮を沈めてとかくもの静かである。それは、言葉で存在に深まっている作者特有のもの静かさであるのかもしれない。存在に深まれば深まるほど、高い声は厭われるように見受けられる。 》「古典の言葉」

 招待状が届き、帝国ホテルで夕刻から催された、やなせたかし氏の94歳のお祝いパーティに出席。

 その前に神田神保町へ行き、古本屋を冷やかす。コミガレ(小宮山書店ガレージセール)に遭遇、三冊500円台から石原吉郎『海を流れる河』花神社1974年初版函付、同『断念の海から』日本基督教団出版局1976年初版函帯付、竹西寛子『式子内親王・永福門院』筑摩書房1972年初版函付、100円台から織田正吾『笑いとユーモア』ちくま文庫1986年初版帯付、『学園ミステリー傑作選 第2集』河出文庫1988年初版帯付、計700円。重い袋を提げて会場へ。なんで買ってしまったんだろう。

 ネットの拾いもの。

《 某雑誌で200字の近況がいるのだけど、私の近況って、この前インフルエンザにかかった。でもまあ、なんとか直った。……40字で終わってしまう。 》


2月22日(金) ものに逢える日

 本棚を眺め、次に何を読もうか、目を流していて、竹西寛子『ものに逢える日』新潮社1974年初版というエッセイ集に手が伸びた。最初のエッセイ「うつりゆき」。

《 いったいに、自然の書かれていない作品よりも、書かれているものの方に作者を感じやすいのは、自分が地方育ちのせいもあるかと思う。あらわれるのは人間ばかり、というのは、理屈では納得できても、実情としては何となく息がつまりそうになる。 》

 頭にポッと電球が点った。昨日の『ゴーレム』には自然はほとんど出てこない。人と人とのむせるような濃密な描写が延々と続く。私は小説で人当たりしたのだ。

《 多摩川の川原へは、歩いて二十分あまりの距離であるが、家のそばがちょっとした野原だったので、一昨年まではけっこう摘草などもできた。 》「早蕨」

 昨日行ったブックオフ三島徳倉店へは、抜け道で一級河川の大場川の土手を通る。陽だまりの土手には蓬の若葉がチラホラ。昔、ここではないが、日当たりの良い土手で蓬をどっさり摘むのが一仕事だった。大鍋で茹でて、蓬大福に使った。よく売れた。この春は陽だまりでのんびり過ごしたい。

《 世界は、問いをもつものにしか答えてはくれない。しかもその答えは、問うものの程度に応じてしか得られない。 》「子曰く」

《 すでに起った変化だけでなく、やがて起こり得るであろう変化への予感にふるえるこの詩人の「情緒」の描写が、イメージの喚起よりもヴィジョンの喚起にすぐれていると感じる時、感動の具象化にこめるべき観念の意匠を探りつづけていた私は、ここにおいてまた、ささやかな安堵と新たな不安に揺れながら、それでも励まされるのがつねであった。 》「不逞なる親和──萩原朔太郎讃」

 萩原朔太郎は最も愛読する詩人。大岡信氏の文化功労賞受賞祝賀会の前、会場のある三島プラザホテルの一室で、参加者に配る詩集『故郷の水へのメッセージ』花神社1989年初版へのサインのお手伝いをしていて、ついでに氏の『萩原朔太郎』筑摩書房1981年初版にサインをしてもらった。「一九九八年一月廿九日」。

《 それでも、今の私は、文学と音楽のない世界に生きることを考えるとぞっとする。 》「ロンドンデリーの歌」

 ブックオフ長泉店で四冊。宮部みゆき『ソロモンの偽証 第II部 決意』新潮社2012年初版、同『ソロモンの偽証 第III部 法廷』同、種村季弘(すえひろ)『江戸東京《奇想》徘徊記』朝日文庫2006年初版、似鳥鶏(にたどり・けい)『午後からはワニ日和』文春文庫2012年初版、計420円。コーヒー一杯分の幸福感。

《 人生は一杯の珈琲のようなもの。たわいなくもあり、豊かでもある。 》 鯨統一郎


2月21日(木) ゴーレム

 グスタフ・マイリンク『ゴーレム』河出書房新社1978年新装初版を読んだ。第一次大戦中の1915年に発表。プラハの陰鬱なゲットー(ユダヤ人居住区)が舞台。主人公は精神を病んだことのある四十路の宝石細工師。

 古い記憶を失い、幻覚と現実、おののきと熱情が交錯し、魂は彷徨し、果ては強盗殺人の嫌疑で投獄され(後に釈放)、さまざまな試練を経て、彼は魂の浄化へ向かう、といえばよかろうか。登場人物にエドガー・アラン・ポーやドストエフスキーの小説を連想。ゴーレムは表象的な意味に使われている。

《 タイプはちがって見えても、つねにおなじ頭蓋をした頭が墓穴から起きあがり、その幾世紀にもわたる顔が──きれいに髪を分けた顔、短く刈ったちぢれ毛の顔、総かつらをつけた顔、輪で髪を束ねた顔が──連綿とつづいてやってくる。しまいにだんだんぼくの知っている顔だちになってきて、最後のひとつに収斂する。──ゴーレムの顔だ。 》 192頁

《 そしてその言葉は、かつてぼくが具体的な現実だと思った体験も、実はまったく内的に見たものにすぎないのだという思いを強固にしてくれた。 》 348頁

 好評だったという。当時のプラハを知りたくなった。気づかなかったけれど、毒気に当てられたようだ。毒消しにポルトガルの大衆音楽ファド Fado のオムニバスCD『 THE ROUGH GUIDE TO FADO 』2004年をかける。音楽の特徴、サウダージは哀愁とも郷愁とも訳されるが、今回は離愁がふさわしい気がする。

 自転車でブックオフ三島徳倉店へ。太田忠司『眠る竪琴──レンテンローズ』幻冬舎2011年初版、村上哲見『唐詩』講談社学術文庫2007年9刷、計210円。

 寒いので午後は家にこもる。


2月20日(水) 本を選ぶ

 昨日は連合赤軍浅間山荘事件の始まった日だった。あのときの雪の降りしきる、ひりひりした緊張感。1972年冬、熱い時代の終わりを感じた。あれから四十年、きょうも寒い。

 昼前、体慣らしにブックオフ長泉店まで自転車で行く。川島令三『図解 新説 全国未完成鉄道路線』講談社2007年初版、佐藤忠男『長谷川伸論』岩波現代文庫2004年初版、計210円。前者の結び。

《 ようは、大正の終わりごろに計画した高速線の再来ということになるが、それが実現するのはあと五〇年先のことだろう。鉄道整備とは、それほど気の長いものなのである。 》

 何故ほぼ毎日ブックオフへ行くか。鹿島茂が書いている。

《 すなわち、ある程度の量をこなしていないと、質は確保できないということで、常にたくさんの本に接してカンを磨かいていないと、読まずに良書を見いだすことは不可能なのである。 》

《 この点において、インターネットが普及した今日でも、私は断固とした「店頭派」である。本というのはやはり、現物を手に取ってみないかぎりわからない。 》

1915年の作。本棚に三十数年眠っていた。

 ネットの見聞。

《 自身の使命を、普遍的な知(原理)の確立そのものに力点を置いて見るか、それが具現する人間の生き方(展開)のほうに見出すか。既存の世界の枠組みに対して「思想」だけでなく「人間」をもって変革を挑む意味で、教育はより困難な戦いのように思います。 》

 ネットの拾いもの。

《 将来『国立古本屋博物館』が建設されたなら、 》

《 自分の本棚の特等席に並べる本(富岡多恵子、生野頼子、金井美恵子、松浦理英子、野溝七生子)から感じられる、男の影響の無さつらい…… 》

 富岡多恵子『厭芸術反古草紙』思潮社1970年初版、生野頼子『二百回忌』新潮社1994年初版、金井美恵子『愛の生活』筑摩書房1968年初版、『野溝七生子作品集』立風書房1983年初版は新刊で、松浦理英子『葬儀の日』文藝春秋1980年初版は古本屋で買ったけど、まだ本棚に鎮座したまんま。


2月19日(火) 乱れ文字

 きょうも冷たい雨。きのうは某美術館の人が絵を受け取りに来たり、出かけたりしたけど、きょうは昼過ぎに食料品の買いものだけで家こもり、のんびり読書。

 ネットの見聞。

《 むかし伊東のハトヤに行ったとき“伊東ゆかりの作家”ってコーナーがあった。 》

《 グラジオラスは、ダリア、アマリリスと並んで昭和の花って感じがする。 》

 花の区別がつかない……。

 牽引、検索。牽、索、モニター画面では区別が難しい。きょう届いたメール、腹痛を腰痛と読み違えた。

《 「 隕石を書けないマスコミの人けっこう多いな。テレビ欄でもいん石ってなってるのあるし。」

  「まったく。引責辞職もんですな。」 》

 宗左近(そう・さこん)は、北一明の焼きものを韻石と呼んだ。


2月18日(月) 乱れからくり

 きょうは雨水。寒い雨。

 ロシアで隕石が落下、それでは次に読む本は泡坂妻夫『乱れからくり』幻影城1977年初版だ。当時予約して購入、著者サイン入り。

《 色も形も判らない何かが、凄まじい速度で落下したようだった。車全体が衝撃を受けたのが、それと同時だった。ガラス窓が吹き飛んだかと思ったほどだ。 》 46頁

《 「一体、事故の原因は何だったのでしょう?」

  「それが、さっぱり判らない。事故の直前、何人もの人が空から何かが落ちて来たのを目撃している」 》 56頁

 隕石が車に衝突したこの場面は印象に残っていたが、まずないだろう、と当時は思った。いやあ、わからないものだ。

 再読、あらためて驚嘆。カラクリの衒学趣味が伏線となって、自動連続殺人をみごとに彩っている。最後の落ちもいい。間然するところなき傑作だ。

 中井英夫は巻末の「プロフィール・泡坂妻夫」でこんなことを書いている。

《 そしていつまでもこうしてしゃれたものを書き続けて欲しいけれども、それは長くは続かないだろうこと。 》

 危惧は外れた。それはともかく、「15 ずんぶりこ」は、逃避行で三島が出てくる。

《 三島から伊豆箱根鉄道に乗った。 》

 嬉しいねえ。

 ネットの見聞。

《 『「ささえあい」の人間学―私たちすべてが「老人」プラス「障害者」プラス「末期患者」となる時代の社会原理の探究』:この本はいまから20年ほど前に、友人たちと書いた共著。副題を見て思うのは、実は時代に先んじた視点を打ち出せていたこと。 》 森岡正博

《  「日本の伝統」はちょっと前に流行った「品格」と似てるな。品格と言いたがる人はたいてい品格がないのと同じで、伝統と言いたがる人はたいてい伝統を知らない。 》 佐々木俊尚


2月17日(日) 天岩屋戸の研究

 ブックオフ長泉店で六冊。川本三郎『遠い声』扶桑社1992年初版帯付、保坂和志『小説の誕生』新潮社2006年初版帯付、マヌエル・プイグ『ブエノスアイレス事件』白水Uブックス1989年3刷、川本三郎『東京の空の下、今日も町歩き』ちくま文庫2006年初版、須賀敦子『遠い朝の本たち』ちくま文庫2001年初版、古川日出男『ゴッドスター』新潮文庫2010年初版、計630円。

 「私立伝奇学園高等学校民俗学研究会」シリーズ第三作、田中啓文『天岩屋戸(あまのいわやど)の研究』講談社ノベルス2005年初版を読んだ。完結篇らしく、シリアスな展開が、……危機一髪、乾坤一擲、究極の技……はあ、やっぱり脱力のオメデタイ結末。まあ、なかなかいい終わり方だ。面白かった。それにしても、よくこれだけの駄洒落を考えたものだ。

 ネットの見聞。

《 「はてしない物語」事典(岩波書店)がでていた。編者のひとりロマン・ホッケは元エンデ担当編集者。数年前にローマ近郊のお宅を訪ねたことがある。まさかグスタフ・ルネ・ホッケが父上とは知らず、びっくり。 》

 グスタフ・ルネ・ホッケ『迷宮としての世界』美術出版社1966年初版、同『文学におけるマニエリスム I ・II 』現代思潮社、やっと読める時が来た。まだ読まんけど。

 ネットのうなずき。

《 何が辛いといって、私は自分が読みたくない本を読め!といわれるのが、なにより辛いのである。ましてや、感想を書けとなるとこれはもう「拷問」である。 》


2月16日(土) 邪馬台洞の研究

 お散歩のつもりで自転車でブックオフ長泉店へ。久世光彦(くぜ・てるひこ)『百關謳カ 月を踏む』朝日新聞社2006年初版帯付、富岡多恵子『西鶴の感情』講談社2006年2刷帯付、計210円。あまりに寒いので自宅へ直行。

 ロシアじゃ空から火球が落ちてくる、ヴェネツィアじゃ降雪、水浸し。わたしゃあ、お家でひっそり。

 「私立伝奇学園高等学校民俗学研究会」シリーズ第二作、田中啓文『邪馬台洞の研究』講談社ノベルス2003年初版を読んだ。

《 なんと、一作目より確実におもしろくなっているではないか。著者である私が言うのだから、まちがいはない。 》

 すごい自信というか、法螺というか。それはともかく面白かった。よくぞここまでクダラナイ脱力ギャグをひねり出したものだ。

《 呆然とする皆が、視線を目の前に転じると、そこには……。

  蕎麦が羽織を着て座っておりました。 》

 古典落語の落ちで締めるなんざあ、お見事!

 朝日新聞朝刊、「私の視点」は、グラウンドワーク三島の事務局長渡辺豊博の「公共事業改革 市民主導の『公協事業』に」。安倍政権の公共事業政策への批判。

《 これらは国民や地域の要望、判断をないがしろにした「上から目線」の政策であり、多くの無駄を現出させた従来型の公共事業の手法でもある。 》

《 国民の参加と監視なしでは国家の暴走は止まらず、さらなる借金と無駄な公共物は遺物として残る。公共政策決定過程の転換が今こそ必要だ。 》

 毎日新聞14日の夕刊、文芸評論家斎藤美奈子「甘い社会が見過ごす暴力 安倍政権で一掃は可能か」。

《 体罰(という名の暴力)を禁じているのは学校教育法だけではない。子どもの権利条約19条はあらゆる虐待からの子どもの保護を訴え、日本国憲法11条は基本的人権の尊重を、13条は個人の尊厳をうたっている。暴力は人権意識と密接に関連するのである。 》

《 ところが自民党の改憲案では「何人も、いかなる奴隷的拘束を受けない」とする18条の条文が削除された。 》

《 人権を制限し、究極の暴力の否定である戦争放棄に異議を唱える人たちに、暴力を一掃することができるだろうか。矛盾としかいいようがない。 》

 同感同感。

 ネットの見聞。

《 宮川淳「芸術がどのようなものでもありえ、また、どのようなものも芸術たりうるとしても、なお芸術がすべてであり、すべてが芸術であるわけではない」(「反芸術」'64)。あわせて宮川は、芸術が日常性へと下降し、両者の交流が密になればなるほど、芸術と日常の断絶は実は深くなると言っている。 》 椹木 野衣

《  宮川淳にとって反芸術には、あらゆるもの(呟きも?)が「芸術」たりうる時代にあって、芸術と日常が見分けがつかぬほど一体化してなお、どうしても残らざるをえない「芸術と芸術でないものの境界」をあらわにする役割がある。 》 椹木 野衣

 ネットの拾いもの。

《 脱サラという言葉はサラ金から逃げることだと思っていました。 》


過ぎし日録

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