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「幸せって・・・?」
165-130707
永山 進 牧師

「一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる。」(箴言17章1節)
これは今から約3000年前の、イスラエルの第3代目の王ソロモンが語った言葉です。
彼は何不自由なく暮らし、自分の欲することは何でもやることができる身分でした。事実、彼は様々なことを心の赴くままに実行しました。快楽を貪り、事業を起こし、’金銀の財宝を超え、更にその当時の最高の知織を身につけました。
しかしその結果、彼が見出した答は、「空の空。すべては空。」と言うものでした。そして、しみじみ感じたことが上記の言葉、「一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる。」であったことが伺えます。

それは現代の私達にも通じるものではないでしょうか。
今から約40年前、私がアメリカのサン・フランシスコでハウスボーイをしながら留学生活を送っていた時に味わった印象を今でも鮮明に覚えています。その家はかの有名なゴールデンゲートブリッジを見下ろす高級住宅街にあり、私の他にもうひとりメイドが雇われていました。ご主人は米国でもやり手の弁護士。家は3階建てエレベーター付き。車はキャデラック、ベンツを保持し、週末は毎週別荘で過ごすと言う超セレプな暮らしぶり。
しかし、そこの奥様は朝から晩までワイングラスを片手に不平タラタラ。「どうしてこんなに文句ぽっかり出るんだろう」と不思議でたまりませんでした。

そんな時、キリスト教会に導かれ、毎週末そこの牧師家庭にお世話になるようになりました。彼らは決して金持ちではなく、質素な生活でした。しかし、夕食時などの和やかな雰囲気には大きな安らぎを感じました。

その体験を通し、「人間の本当の幸せって何だろう」と真剣に考えさせられました。それまでの私の幸福観は、金持ちになること、有名になること、社会的な地位を得ることなどでした。

「人間」という字が表わしているように、人は関わり、交わりの中で生きる存在であり、更に、愛し愛されるという関係で幸せを感じる存在です。

更に、聖書は、人は真の神との正しい関係の中で生きる存在であることを教えています。

実は冒頭の聖書の言葉は、真の神を畏れ敬うという信仰が土台となっており、前述した牧師家庭も、真の神を信じる信仰を上台として築かれていたのです。

 


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