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「忘れられないクリスマスの想い出」
162-121126
永山 進 牧師

 「恐れるな。見よ、全ての民に与えられる大きな喜びを、あなた方に伝える。今日ダビデの町に、あなた方のために救い主がお生まれになった。この方こそ主なるキリストである。」ルカ2章10〜11(口語)

 クリスマスの時期になると、いつも思い出す光景があります。それは40年も前のクリスマス・イヴ。アメリカのサンフランシスコの安ホテルに滞在している時の事でした。部屋はかび臭く、テレビもラジオもありません。仕事も見つからず、所持金も底をつきかけていた頃のこと。一人寂しく空きっ腹を抱え、ただションポリとベッドに横たわっていました。すると、窓の外から澄んだ歌声が聞こえてきました。何だろうと外を見ると、4、5人の若い男女が手に手に火の点いたロウソクを持ち、ある家の玄関前に立ってクリスマスの歌を歌っているところでした。その時、私は思いました「あ〜あ、今日はもうクリスマス・イヴか。・・・ロマンチックな光景だ。でも、俺には関係ないな」と。
 その当時、私は、クリスマスとは善男善女のクリスチャンのものと思っていました。ですから、自分の様なヒッピーくずれのしょぼくれ男には無縁のものと考えていたのです。
しかし、後に分かりました。イエスは全ての人の救い主としてお生まれになったことを。

 今、日本では元ヤクザ、元暴走族だったと言う人達が沢山クリスチャンになっています。彼らは、かつては他人から後ろ指を指されるような、いわゆる社会の鼻つまみ者でした。しかし、彼らにも、神の愛は注がれていたのです。勿論、ヤクザや暴走族にならなければ救われないと言うのではありません。クリスチャンの中には元々品行方正と言う方も沢山います。

 冒頭の「全ての民に与えられる大きな喜び」とは、自分は神の恵みから遠く離れた存在であり、神の祝福は自分には与えられないんだ、と思っている人の為にも、神の愛が注がれていることを示しているのです。

 今年は、是非、クリスマスはあなたの為であることを知って頂きたいと思います。



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