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「いのち溢れる人生」
157-120507
永山 進 牧師

 イエスは言われた。「私は、よみがえりです。いのちです。私を信じる者は、死んでも生きるのです。」(ヨハネ11:25)
 風薫る5月。野山が新鮮な若葉で覆われ、1年中で、最もいのちに満ち溢れる季節です。自分の人生も、いつまでも若々しく、いのちに溢れるものでありたいと思わされます。しかし、現実には、季節がめぐって来るたびに、肉体的衰えを覚えるこの頃です。

肉体の衰え、そして死は、人間にとって絶対に避けられない宿命です。ドイツの実存哲学者ハイデッガー(1889〜1976)は「人間とは、『世に投げ出され』、『死に向う』、歴史的存在であり、無に直面しておののく『不安』な存在である」と述べています。

 確かに、医学の進歩によって、難病と言われている病気も克服されて行くものがあるでしょうし、また、延命治療も進歩して行くことでしょう。しかし、それであっても、「死」そのものを完全に克服することは出来ません。

しかし、冒頭のイエス・キリストのことぱは、人間では言うことの出来ない言葉であり、何と力強い約束でしょうか。

 内村鑑三は、10代なかばの娘を亡くしました。親にとって、子供に先立たれることほど、大きな悲しみはありません。きっと彼も、心情的には、他人に言うことが出来ないほどの悲しみを味わったことでしょう。しかし、彼は娘の墓で、「ルツちゃん、万歳」と叫んだそうです。それは、イエス・キリストを救い主として信じていた娘は、聖書の約束通り、永遠のいのちに与かり、やがて、イエスが再び来られるときに、栄光のからだによみがえる、と言う確かな希望を持っていたからに違いありません。

 ある方は、「人は死んだら無になる」と漠然と思っています。しかし、そう言いながらも、「自分も、いつか死を迎えなければならない」、と考えると、憂鬱になるのではないでしょうか。

 しかし、私たちの人生は、死で終わるのではありません。やがて一人一人が、真の神の前に立ち、裁きを受ける、と聖書は告げています。あなたも是非、イエスを信じて、永遠のいのちに与かって下さい。




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