「平和を願って」 戦後50年 犬山市民の記録
これは昭和60年に平和都市宣言をした愛知県犬山市の市民の戦争体験記集です。
犬山市企画課の許可を得て、ここに転載致します。
著作 権は犬山市に帰属します。よってこの記事の無断転載は厳禁です。
犬山市民の戦争体験
『命の恩人「救命胴衣」』 浮田光夫
芝浦港を出航して早くも半年.マレー半島の西海岸を、激戦を続けながら自転車の進撃だった。
不幸にして戦死や負傷した戦友たちも、「死んでもシンガポールまで行くぞ」が、口癖であった。
1942年(昭和17年)2月8日、近衛師団の各部隊はジョホール水道に集結。上陸作戦準
備に忙しく、周囲は自転車の山積みであった。各部隊の大砲は、大小合わせて108門。聞けば
大砲が壊れても、弾のある限り撃てとの命令だった。
2月10日未明、各兵は兵器、服装の点検、そして箸より少し太めの棒二本を持って、ペニヤ板
造りの上陸用舟艇に乗る。敵の火器はひっきりなしに火を吹いている。エンジン始動、全速力で
闇の中を走る。傷ついた舟艇は腰の付近まで水につかる。水をかえ出す者。突然、エンジンが止
まった。音もなくジャングルの中に向って舟艇が進む。
近くの島の石油タンクが燃える火で、パッと明るく舟艇が照らし出され、そのたびに低い姿勢
になるが、全く気休めに過ぎない。辺りは重油の火の海。不気味さと緊張で、生きた感じもしな
い。双方で撃つ大砲の光跡は、空一面に走る稲妻のようで、壮観そのものであった。
その時、低い声で「降りよ」と艇長らしい兵が命じた。ゆれる舟から重機(重機関銃)を持っ
て遮二無二降りた。足はへどろに突っ込み、潮水に首までつかった。
一歩でも前進と、低い声で 連絡を取りながら辺りに気を配る。敵の砲火はひっきりなく前後左右に落ちるが、ただ前進ある
のみ。少し砲火が途絶えたので、水のない処を選んで鉄帽も取って腰をおろす。衣服、救命具な
どは重油で真っ黒。とその時、近くに砲弾が炸裂,鉄帽をかぶるひまもなく、地べたに伏せた。
「オイ、皆んな大文夫か」と尋ねながら、ふとなにか下腹辺りに重さを感じ、そっと手をやると
熱い。何ともない。見ると長さ12、3センチほどのずっしりとした破片が救命具の左右に突き
刺さっていた。ぞっとした。この救命具がなかったら、あのマングロープの林の中で無念の戦死
となったことだろう。
前進できないまま二日目の夜となり、重油に浸かった乾パンと水筒の水のみ。空腹と疲労は極
度に達していた。近くのマングロープの木にとまり、ついうとうとしてしまった。何か手の先に
動く物を感じたが暗くてわからず、薄明るくなって見れば、どの木にも細かい海蛇がたくさん登
っているのを見て驚いた。幸いに毒蛇ではなかったので助かった。
はやる気持ちを押さえて 「今、少しだぞっ」と、励まし合いながら陸地らしいところに着い
た。誰もが食べ物を必死に探す。丁度パイ缶工場の近くであったので、大小の缶詰を次々開けて
むしゃぶりつき、二日間の空腹を癒した。まさに餓鬼道に落ちた浅ましい姿であった。
すぐ部隊に合流した。しばらくして旅団長が通られ、自分の付けていた救命具を見て尋ねられ
た。昨夜の出来事を報告すると、感心された様子だった。命の恩人ならぬ救命具を小屋に掛けて
心で手を合わせて前進した。思えば内地から同じ大隊で出征し、同じ作戦で戦闘もして来た兄は
無事で上陛したのだろうか、連絡がとれないまま、砲火の中を前進した。
シンガポールの街を包囲する体制が整い、街に通ずる三叉路に陣地を構えた。遠くで機関銃の
散発音はあったが、嵐の前の静けさであった。空を見上げれば、煌々と光る南十字星。今までの
苦労を慰めてくれるように、神秘な気持ちになった。ふと故郷の両親のことが浮かんだ。今どき
何をしているだろうか。山や川で遊んだ、あの日のことなど、矢継ぎ早に脳裏をかすめる。そう
だ、明日2月12日は自分の誕生日だ。いよいよ市街戦となれば死は覚悟だ。生死の運命は、あ
の南十字星にしか解らないだろう。
遠くで万歳の声らしいのが聞こえた。何事かと思っていると、また、近くでも万歳の歓声。伝
令によって敵が降伏したと告げられ、思わず万歳と立ち上がって喜び合いながら、小さいつぼに
入れて来た戦友の遺骨を出し「杉山、シンガポールはお前達の加護で占領出来たぞ」と、涙を流
しながら抱き合った。
1946年(昭和21年)、スマトラから兄弟で無事帰還したものの、出征時の歓送とはう
らはらに淋しい帰還となった。顧みれば、戦争のために人は勿論のこと、建造物、それと交戦双
方の国で失うものは大きく、それを癒すには、余りにも大きな犠牲と歳月を費やさなければなら
ず、真の平和はこの世の中から戦争をなくすことに人類が努力するしかないと思い、心から平和
を念じて止まない (了)
愛知県犬山市 平成9年8月15日発行
「平和を願って 戦後50年 犬山市民の記録」より転載
(自費出版の館内の地方公共団体発行 NO.2)
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