「平和を願って」 戦後50年 犬山市民の記録
これは昭和60年に平和都市宣言をした愛知県犬山市の市民の戦争体験記集です。
犬山市企画課の許可を得て、ここに転載致します。
著作 権は犬山市に帰属します。よってこの記事の無断転載は厳禁です。
犬山市民の戦争体験
『見知らぬ兄への鎮魂』 小川けい子
「あった、確かにあった。兄の名前が…‥」。その名前は「小川繁一」。思わず「兄さん!」
と叫びましたが、あとは悲痛の涙が頬を伝いました。碑に彫られた名前を何度も人差し指でたど
り、本当に兄が戦死したことを確かめました。これが兄との初対面の瞬間でした。その日、南国
の太陽は再び摩文仁の丘を焼き尽くすかのように燃えていました。
平成7年6月23日は沖縄「慰霊の日」。この日、沖縄県が戦後50年を機に建設した「平
和の礎」の除幕式が開催されました。その碑には、沖縄戦での犠牲者23万4千余人の将兵・沖
縄県民の名前が刻まれ、しかも過去の恩讐を越えて、敵国であったアメリカ将兵の名前までも、
記録に留められたとのことに深く感動しました。
「あなたの兄さんの名前も必ずある」と、恩師に励まされましたが、心の中では半信半疑でし
た。このまま不安に苛まされるよりもと、意を決して8月6日再び沖縄を訪ねました。
摩文仁の平和公園へ到着するのももどかしく、愛知県出身の犠牲者の名前を血眼になって追い
ました。五十音順に「ア・イ・ウ……」と追うもどかしさ。やっと「オ」にたどり着きました。
おどる胸を押さえて「小川姓」の13番目に、兄の名前を見付けたときの感激は、決して忘れる
ことができません。
兄、繁一は小川権一の長男として生まれましたが、少年の日に母親に先立たれました。兄は終
戦の年、太平洋戦争最大の激戦地・沖縄で戦死。私はその翌年の昭和21年に生まれましたか
ら、兄を知る由もありません。
「エッ、ではあなたはどうして兄さんと兄妹なの?」。実は、私と兄は「異母兄妹」,そこは
血のつながり、肉親の情でことばに言い尽くせない強い兄妹愛を覚えます。そんなこともあって
か、兄の御霊が私を二度までも沖縄に呼び寄せたものと固く信しています。
兄のことについては、ほとんど何も知りません。兄を知る人の話では、学校時代は真面目で成
績優秀な少年だったようです。昭和13年に城東尋常高等小学校を卒業し国鉄(現。JR)高山
線の鵜沼駅に奉職。その後、国有鉄道教習所の電信科に学びました。
ある日、その教習所時代に書いたと思われる生徒日誌(日記)を発見しました。昭和17年元
旦から几帳面に綴ったものです。これが兄の唯一の遺品です。その一部分を引用します。
( )内は、私の兄を想う心情です。
[1月1日]
輝く皇紀2602年を迎えた。朝四時ごろ、お雑煮用の初水を汲んだあと、氏神様の針綱
神社へ参拝し、皇室の弥栄と皇軍将兵の武運長久を祈願した。
(その後、3月までの日々は電信送受信の厳しい訓練。成績不良を父に心で詫びた話。所長の
聖戦必勝の檄や、鉄道職員への告諭・精神訓話などが克明に綴られています)
[1月11日]
午後二時に外出から帰った。図書館で「母なればこそ」という本を借りて読んだ。子供が病
気で危篤状態に。母も病身。医師や親族の反対を押し切って我が血液を子供に輸血したが、そ
の甲斐もなく子供は眠るがごとく死亡。母は子供を抱きかかえ、発狂したように号泣すること
二時間。母の愛情が通じたのか子供は息を吹き返した、という話。母を亡くした自分は、この
話に感動した。
(若くして母を失った兄のやるせなさが、ひしひしと胸に迫る一文です)
[1月18日]
一日中、寒かった。姉さんの家へ行った。美子(姪)は歩くようになりとても可愛くなった
が、子守には手をやいた。
(兄は度々長姉の家を訪ねたことを書いており、長姉を母親のように慕い姪を妹のように慈し
んでいた、と聞いています)
兄の死については、
浄徳院釈繁証
陸軍伍長 小 川 繁 一
昭和20年6月14日沖縄本島
山城ニテ戦死 享年23歳
と墓碑に書かれている以外、戦死の模様は勿論のこと、出征年月日・所属部隊・兵種・転戦経
路なども全く知りません。今では父が 「繁一は四二部隊に入隊したので、
『シニ』の不吉な語呂を苦にしていたらしく、最初から生
還をあきらめていたのでは?」
と、生前に話していたことを思い出します。
あの時、もっと詳しく当時のことを聞いておくべきだった、と今になって後悔しています。
平素は、親身になって心配して下さる恩師高木先生ご夫妻やまわりの人々、そして二度も沖縄
に同行してもらった親友荒木さん親子に感謝しつつ、そしてまた、いつの日か南の島に亡き兄を
訪ねたいと思っています。
今はただ、見知らぬ兄の霊を永遠に弔うことがたった一つの鎮魂と、仏壇に香華を絶やさぬよ
う勤める毎日です。(了)
愛知県犬山市 平成9年8月15日発行
「平和を願って 戦後50年 犬山市民の記録」より転載
(自費出版の館内の地方公共団体発行 NO.2)
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