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 「天空翔破に憧れて」
少飛第14期生 仙石敏夫


全文掲載

これは元陸軍少年飛行兵第14期生だった仙石敏夫さんが昭和62年、
還暦記念に1年がかりで御自身の戦争体験を
まとめ自費出版にて発行したものです。

仙石敏夫さんの許可を得て、ここに全文を転載致します。
著作権は仙石敏夫さんに帰属します。
よってこの記事の無断転載は厳禁です。

第一章 東京陸軍航空学校
 三 普通学 軍事学


一日の日課は午前中学課、午後術課で教練、体操、剣術、夕食後二時間自習という毎日で、国語、歴史等は一年間を通じてそれほど難かしいと思わずにすんだが、数学、理科は旧制中学後半から高等学校、専門学校程度といわれていた、数学は代数、幾何、微分、積分等、理科は当然物理であり大学出身の若い航技将校が教官で立板に水を流すように講義は進められてゆく、物理の計算問題、今でも思い出すのは抛物線等であるが「質問はないか」と言われても、何を質問してよいのかわからないのが実情で、定期的に行なわれた試験を毎回どうやって切り抜けてきたのか今思い出してもぞっとするほどである。卒業してから同期生の連中が口を揃えて物理が難かしかったと言うのを聞いて、自分一人が分からなかったのではないと変なところで安心したのを覚えている。

軍事学は航空兵操典に始まり、あらゆる典範令の暗記、兵器学、地図、下士官として必要な教育を受けたのであるが、最も悪戦苦闘したのが軍人勅諭の清書である。陸軍、海軍を問わず軍隊の経験のある人はすべてこの難関を通ってきているのであるが、若い時であるから暗唱だけなら比較的早く覚えられる、しかし清書は別である。ゆっくり読めば三十分以上かかる長い文章を覚えるだけでも大変なのに難かしい漢字、そして変体がな、これをお手本を見ないで間違えないように清書するのは並大抵の努力ではできないが、区隊長自身毎日の指導で息つく暇もあたえなかった。京都桃山報徳学校在学中、中国語の先生に大阪外語学校を受験してはどうかと薦められたが勉強するのはあまり得意ではないし、学徒動員とか徴用で工場へ行くより飛行学校を受験すれば学費は要らないし飛行機の操縦が出来るだろうという単純な動機て志願したのであるが、今更こんな筈ではなかったと後悔しても手おくれである。飛行機の操縦がしたければ戦友達に負けないように勉強するより方法はないと最も苦手な書くことに精をだした。

一日二十四時間のうち就寝時間の七時間を除いた十七時間は上級校を卒業するまで常時班長、区隊長の指導下にあり、息のぬける時間は三十分あればよい方で洗濯等はその僅かな時間を利用して「それ―っ」とばかりに片付ける、階段というものは二段づつ走って上り下りするものなのである。

現在の高枝生と同じ年令であるが、二年間の生徒課程で一般の学校の四年分から五年分に相当する課程を昼夜兼行でつめこまれる訳である。戦後軍隊のすべてを当然否定されている、しかし、若者の教育ということについては軍隊における学校教育は世界各国共通して何れもその国の最高の水準のものであると思う、ここで私が強調したいのは、現在の学校教育と異なり少数の優等生を作るのではなく全員の体力、学力を如何に向上させるかという点に目標が定められており、毎日の教育訓練に一人たりとも落ちこばれは許されなかったことである。そして被教育者である我々も数十人の中から選ばれた一人であるというささやかなエリート意識と飛行機に乗りたいという希望でホームシックにかかっている暇もなく歯をくいしばってすべてに競争したものである。勿論、戦争を是とするものではないが、青少年の訓練方法としては今でも最高のものと信じている。

    昭和62年発行 
    「天空翔破に憧れて」少飛第14期生 仙石敏夫著より転載


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