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 「天空翔破に憧れて」
少飛第14期生 仙石敏夫


全文掲載

これは昭和62年、元陸軍少年飛行兵第14期生だった仙石敏夫さんが
還暦記念に1年がかりで御自身の戦争体験を
まとめ自費出版にて発行したものです。

仙石敏夫さんの許可を得て、ここに全文を転載致します。
著作権は仙石敏夫さんに帰属します。
よってこの記事の無断転載は厳禁です。

第三章 北支 大同へ
 五 編隊飛行

大型機の訓練では編隊は最も重要な課目である。通常の距離間隔は一機長、半機幅、半機高と定められているので、最初は尾部を上げて水平状態にした三機をキチンと定位置に並べ、二、三番機から見た一番機、普通長機と呼んでいたがこの見え方の基準を覚える、これは熊谷でも同じ事を行なって基本を覚えたのであるが、今度は操縦席が機体の中心ではなくて左側であるから、左から見る場合と右からとでは見え具合、基準のとり方が全然違うのである。

空気の抵抗を利用して浮いている飛行機が他の飛行機と一定の距離間隔を保って飛行するのに必要な技術というのは、地面を走る自動車なら前後左右の感覚ですむところへ空中に浮いているので上下が加わるから厄介なのである。

プロペラ機の場合水平に巡航速度で飛行している状態で大体まっすぐ飛べるように垂直尾翼、水平尾翼は設計されていて、尚操縦席で微調整ができるので、うまく調整すれば一機で飛んでいる時は手足を放してもまっすぐに飛んでいる。

ところがエンジンを増速すると浮力が増大するので機体は上昇し、機首は左へ振る、反対に減速すると降下しながら機首は右に振るという理論は飛行機工学、操縦法で教えられていて、勿論中練でも同じである。しかし理論は同じでも中練と大きく違う点をあげてみると
一、エンジンの馬力が約三倍に大きくなり、機体の上下左右に振れる力もそのように倍加する。

二、操縦桿とスロットルレバーを操作する手が中練と左右反対になっているので、頭で理解はしていても手足はなかなか思うように動かない。
三、地上滑走と同じく機体の重量による惰性が非常に大きくなる。

大型機は出発地点で隊形は空中と同じく整えるが編隊離陸は行なわない、長機が発進して尾部が浮いた時点で二番機が発進する、三番機も同じく二番機の尾部の浮くのを待ってレバーを全開にする、この方法で離陸すると八百メートルから千メートル宛離れるので三番機は長機との距離が千六百から二千メートルになる。長機は緩やかに旋回しながら上昇しているので二、三番機は全速力で旋回の内側へ、内側へと近道をして距離をつめる。

さあ、定位置に近づいた時が問題である、これから行なう操作を頭で繰り返しながら「ここだっ」と思うところでエンジンを減速する、このタイミングが最もむつかしくその時期が早過ぎると丁度自分の飛行機だけ空中に停止して置き去りにされるような感じになるし、反対に遅過ぎるとエンジン全開にしても長機より前へつんのめってしまう、いずれの場合も「しまったっ」ということで急激な操作をするので、至近距離の長機はまっすぐに飛んでいるのに自分の飛行機は前後、左右、上下におどりだす。こうなると事前に一生懸命復習していた操作要領も慌てれば慌てるほど役にたたなくなり、言えるものなら「助けてくれ―っ」と言いたいような状態になる。

呪文のように唱えている操作要領を文字にするとこうなる
「エンジン回転上げる、操縦桿押して右足踏む。回転下げる、操縦桿引いて左足踏む」これが先程の工学の理論の当て舵で書けばいとも簡単なものである。ところがどうしても体験して身体で覚えるより方法がないのが惰性の処理であるが、これは前後左右、上下どんな方向へも力が働くので説明の方法がない訳である。

とにかく、すぐ目の前に長機の翼端や尾翼を見ながら行なうこのジャジャ馬慣らしの期間中は一緒に乗っている助教も全く命がけで、当然罵声がとび、鉄拳がとぶ、どちらも必死なのである。

この難行苦行も日、 一日と技□が向上するのが自分でわかる程充実した毎日が続き、 一ケ月もすると離陸全速、長機の上昇旋回のコースを予想して最短距離を高度を押えて追随し、長機の下から急上昇して速度を落し一発でピタリと定位置に空中集合ができるようになる。こうして編隊飛行の基本をマスターするとそれからは又課目がどんどん進む。三機編隊で行なう急旋回、九機編隊による中隊教練、そして仕上げは0機長、0機幅で行なう密集隊形である。

編隊で旋回をする場合二番機と三番機はそれぞれ全く違った動作をしなければならない、旋回の内側、外側ということであるが、この旋回半径は飛行機が大きくなる程、又機数が増えるに従って差が大きくなるのは当然である。旋回を始めると長機の翼の傾き角度に比例して内側機は下に下がり、外側機は上に上る。


この場合もし初動の発見が遅れると外側機は取り残されるだけですむが、問題は内側機で、 一瞬遅れると長機に衝突することになる。なにしろ今と違って編隊行動中無線による指示とか合囲は一切無しである、だから長機の翼の傾きを全神経を集中して見ていなければいけない.気流が悪くて長機の翼が揺れたとしてもその動きにに自分の飛行機も合せて追随するのである。


九機編隊の訓練が始まると最外側機はこれ又大変である。旋回の外側になった場合は初動で一瞬遅れるとエンジン全開にしても追い付けないし、内側の場合は反対にエンジン全開にして急旋回をしてももまだはみ出しそうになる、勿論そのままの状態では失速してしまうので、安全速度を保ちながら急旋回の状態を持統しなければならない。

いずれにしても端末機がこなせなくては編隊の訓練を受けた事にはならないのである。この経験から考えても自衛隊のブルーインパルス、アメリカ海車のブルーエンゼルスの航空ショーを見て、その超人的な訓練の精度には只々目を見張るばかりであった。



    昭和62年発行 
    「天空翔破に憧れて」少飛第14期生 仙石敏夫著より転載


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