[ TOP ] [ 新着 ] [ 太平洋戦争 ] [ 自費出版 ] [体験記] [ 活動 ]
[ リンク ][ 雑記帳 ][サイトマップ] [ 掲示板 ] [ profile ]

 「天空翔破に憧れて」
少飛第14期生 仙石敏夫


全文掲載

これは昭和62年、元陸軍少年飛行兵第14期生だった仙石敏夫さんが
還暦記念に1年がかりで御自身の戦争体験を
まとめ自費出版にて発行したものです。

仙石敏夫さんの許可を得て、ここに全文を転載致します。
著作権は仙石敏夫さんに帰属します。
よってこの記事の無断転載は厳禁です。

第二章 熊谷陸軍飛行学校
 六 特殊飛行

これは今の若い人達がもしやってみたいと思っても民間では経験することはできない、何故なら現在国内で使用されている軽飛行機では強度上の問題とエンジンの馬力不足で無理なのである。

国産のエアロスバル一八〇が特殊飛行が出来る設計ということであるが、あくまで真以ができる程度である。

最初の課目が『きりもみ』である、学課で各課目共に操縦方法、諸元はいやという程叩き込まれている。スロットルレバー全閉、速度が落ちてくる、機首を下げないように昇降舵を引っ張る、
「ガタガタッ」と振動がおきたら左方向舵をいっばい踏み操縦桿を左後ろへ引く。ここまでは教えられた通りであるが問題は次の瞬間である、機首がガクンと下がり落ち始める、始めて体験する者にとってこの瞬間は正に地獄で、飛行機が旋転しながら落ちている訳であるが、地球がくるくる回りながら「ワーッ」と近ずいてくる、そんな感じである。そして今度は速度がついて機首を引き上げる時は加速度がかゝって非常に苦しい、百聞より一回の体験がどれほど大切か思い知らされたがこの時の恐怖感はなかなか忘れられなかった。

この課目はその後の訓練で操作を誤り失速墜落をした場合、慌てず回復操作を実行できるよう最初に訓練するのである。

その後毎日の訓練はこの加速度にいかに身体が早く慣れるかが重要なポイントである、 (十)Gの苦しさには案外早く慣れるものであるが(一)Gつまり身体がフワッと空中に浮く状態はそう簡単には慣れることは出来なかった。

訓練はそんな事におかまいなくどんどん進められてゆく、垂直旋回、宙返り、急反転、急横転、上昇反転、上昇到転、どの課目も加速度は三Gから四Gかかるので、最初は三十分の訓練でふらふらになったが、助教は一日に同じ事を八名に教えているのである、少々苦しくても音を上げる訳にはゆかなかった。当時の来行機はどの機種も性能優先であるから、操縦性能は悪く操作ミスが忽ち事故につながる危険性が多分にあったので、いつも生死をかけた真剣勝負の教育であるから気合いの入れ方にも熱が入る道理である。毎日の訓練で加速度にも急速に身体が慣れ、目の前が真っ暗になったり、目から星が飛ばなくなる頃には一通りの課目が終り、次は助教がピストから無線電話で指示して単独で特殊飛行の訓練をする課程に入る。

代表的な課目『宙返り』を例にすれば、助教同乗で高度千五百メートル、
「目標赤城山、これから宙返りを行なう、操縦桿に軽く手を副えて見ておれ、始めるぞっ」伝声管の声が終ると同時に目標に向かってスロットルレバー全開、少し機首を押えて増速、これもここまではよく分かる、しかしその後は「アッ」と思っているうちに地球が一回転してしまい、地平線が逆に見えたとき(円の頂点)スロットルレバー全閉と教えられているがそれも分からない。
「どうだ、分かったか」と助教、 「ハイッ」と返事はしたものの、助教も一回で何も分からないことは自分も経験済みで先刻ご承知である。
「よ―し、もう一度ゆっくりやるから覚えろよ、次はお前がやるんだぞ」頭の中でもう一度必要な諸元、注意事項を一生懸命整理をし助教のやっていることを声を出して復唱する、今度は自分でやらなければならない、ここでやりそこなっても助教が乗っているんだ、なんとかしてくれるだろうと二回、三回やっているうちに地平線が逆に見えるのもなんとか分かるようになってきた。

着陸してピストに帰り飛行機から下りると助教も一緒に下りる、どうするのかな、トイレかなと思っていると
「もう一度単独で宙返り三回、高度低下はきりもみ又は急反転、行ってこい」正に晴天の霹靂、全く予期していなかったことであり、操縦班で特殊飛行の単独一番乗りは結構であるが今の若い人達のように「ウッソー」と言いたい心境である。宙返りは今始めて教えられたばかり、急反転も二、三日前に習ったばかり、 「単独ではまだ怖いですからもう一度お願いします」とも言えず、搭乗申告もそこそこに一人で離陸した。

定められた空域で上昇旋回をしながら大きな声を出して諸元を繰り返しながら高度をとる。ビストでは教官、助教を始め同班の者は単独飛行の場合着陸するまで絶対に目を離してはいけないと厳命されているので、目を皿のようにして見ている筈である。先刻と同じく赤城山を目標にして無我夢中で宙返りを行なう、上手下手は別としてとにかく自分一人でやれた。さあ次は高度低下のきりもみ又は急反転であるが、さすがにまだ一人できりもみをやる勇気はない、助教もそこのところは分かっているので、又は急反転と付け加えてくれたのかなと自分の都合のよいように解釈しながら諸元を合せる。

急反転という課目は急横転を半分で止めて丁度背面になった姿勢から急降下をする、宙返りの後半に似ているが今度は高度が違う、課目の訓練と時間短縮を兼ねて一挙に七、八百メートル高度を落すのである。正直なところ慣れるまでは実に恐ろしいが口に出して言えなかっただけである、しかしその恐怖感より人より早く上達したいという気持の方がもっと強かったのではないかと思う。

下から注目されているのでいつまでもぐずぐずしてはいられない、 「エイッ」とばかりに背面にして七、八百メートルの背面飛び込みのダイビングである、飛行場を後ろに見て反転したから引き起こせば機首は飛行場へ向いている筈である。

飛行場にいる時はこんな大きな飛行場を見失うなんということはちょっと考えられない、ところがこの時期、特殊飛行、三千メートル、五千メートルの高空飛行を単独で訓練するようになると、低い所に雲があったり視界が悪くなると上空の偏西風は非常に強いので上昇旋回中にどうしても風下へ流される、そこで方向感覚がちょっとずれると関東平野はさすがに広く、必ず二、三名は空の迷子になり他の飛行場へ着陸して送ってもらって帰ったりした。

大空の醍醐味を味わうにはやはり特殊飛行は最高であるが、訓練課目が一応終了した時点で異例であったが大型機の内命を受け、計器飛行、編隊飛行を主として訓練することになり、他の者は特殊飛行が続けられた。

    昭和62年発行 
    「天空翔破に憧れて」少飛第14期生 仙石敏夫著より転載


アイコン 戻第二章 熊谷陸軍飛行学校 五 単独飛行へ
アイコン 戻天空翔破に憧れて 目次へ
アイコン 戻る 戦争体験記の館へ アイコン 戻る 軍隊・戦場体験記