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 「天空翔破に憧れて」
少飛第14期生 仙石敏夫


全文掲載

これは昭和62年、元陸軍少年飛行兵第14期生だった仙石敏夫さんが
還暦記念に1年がかりで御自身の戦争体験を
まとめ自費出版にて発行したものです。

仙石敏夫さんの許可を得て、ここに全文を転載致します。
著作権は仙石敏夫さんに帰属します。
よってこの記事の無断転載は厳禁です。

第二章 熊谷陸軍飛行学校

上野から高崎線に乗って熊谷の次、籠原で下りて歩いて十五分くらいの所にあった。現在は自衛隊の教育隊として、学校の建物、格納庫等はそのまま使用しているので、此処は殆ど昔の原形をとどめている。飛行場は工業団地になっているが、戦後数回この上空を飛ぶ機会があり、上空から見ると外周道路がそのまま使用されているので飛行場の原形ははっきりわかり、東南にある観音山、荒川との関係位置、音の場周飛行の思い出を懐かしむことができたが、その後、近くを上越新幹線が通りだいぶん感じが変わったものと思う。

『熊谷陸軍飛行学校』この名称は海軍の霞ケ浦航空隊と同じく陸車の操縦教育のメッカであり、将校学生、下士官学生、少年飛行兵、そして特別操縦見習士官と、飛行機操縦を志す者にとって狭き門であり、憧れの学校である。教育課程としては生徒隊一年、教育隊半年の予定である。そして生徒隊後半、昭和十八年十二月一日付で陸軍生徒を卒業して現役に編入され上等兵になる。

    昭和62年発行 
    「天空翔破に憧れて」少飛第14期生 仙石敏夫著より転載


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