「平和を願って」 戦後50年 犬山市民の記録犬山市企画課の許可を得て、ここに転載致します。 著作 権は犬山市に帰属します。よってこの記事の無断転載は厳禁です。 犬山市民と戦争の関わり この付近は昭和の初め頃、風光明媚なことから井入鹿温泉と名付けられた観光旅館が営業されていましたが、戦争が激しくなった昭和19年春、陸軍省に接収され、陸軍共済病院の安田病院分院(入鹿病院)として生まれ変わりました。その後、病院も14棟に増設され、胸部疾患者の療養が行なわれていました。今は明治村の敷地となっており、当時の面影はまったくありません。 ‐楽田と善師野に地下工場‐ 昭和18年末から約 千人の作業員が昼夜の突貫工事で、山の東西の両側から12カ所ずつ約1キロにわたって掘り進
み、うち3本が貫通、残りも95パーセントまで完成しましたが、終戦となり工場として稼動す
ることはありませんでした。 終戦後もこのままになっていましたが、夏涼しい天然のクーラーのようでしたので、近くの子
供たちがスイカや桃を湧水の中で冷やして食べては遊んだということです。今では西側は砕石の
採取などで地形が変わり当時の面影は残っていませんが、東側はうっそうとした山の中に地下工
場に通じる入り口が危険なため鉄の柵がしてあるものの、そのまま残っています。 また善師野にも、地下工場の建設が進められていました。 〈参考文献〉 愛知県犬山市 平成9年8月15日発行
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