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「平和を願って」  戦後50年 犬山市民の記録

これは昭和60年に平和都市宣言をした愛知県犬山市の市民の戦争体験記集です。
犬山市企画課の許可を得て、ここに転載致します。
著作 権は犬山市に帰属します。
よってこの記事の無断転載は厳禁です。


犬山市民と戦争の関わり

‐小学校が国民学校へ‐

 満州事変から日中戦争へと日本が戦争への道を突き進むと、学校教育も戦時体制へと組み込ま れることになりました。
 昭和16年3月、これまでの「小学校」が「国民学校」と名前を変えました。 「国民学校令」 によれば、「皇国の道に則りて初等普通教育を施し国民の基礎的錬成を為す」とされており、戦 時教育体制を推し進めていこうとしていることがよくわかります。教育の内容も初等科(今の小 学校)では体錬科(今の体育科)の中に武道を正科に入れたり、算術が新しく理数科の中の「算 数」となり、実社会で即役立つ人材を目指していました。
 当時は小学校6年生の上に高等科が2年生までありました。ちょうど今の中学校のようなもの でしたが、高等科へ進学せず、6年生から旧制中学や女学校へ進学する人もいました。犬山の人 たちは隣接の小牧中学(今の小牧高校)や犬山高等女学校(今の犬山高校)へ進学しました。
 学校の行事や儀式でも戦時色一辺倒になりました。犬山町南国民学校(今の南小学校)の学校 日誌によると
 昭和16年12月 8日 戦勝祈顧のため、全校、針綱神社及び忠魂碑に参拝し、街頭行進を 行なう。
    17年 2月 7日 耐寒心身鍛線として、強行軍を行なうとともに、年後、英霊墓地清掃 及び遣族
               の家の仏壇に参拝する。
    18年 5月28日 4年生以上男子は木津、上野、橋爪、五郎丸へ桑皮むき奉仕を行なう。
         8月25日 高二男(今の中学二年生)桃太郎神社前河原にて野営訓練を行なう。
        11月10日 飛行生募集映画を高男(高等科男子の略)児童北校へ見に行く。
    19年 8月25日 海軍志願者予備学習会を行なう。
    20年 5月22日 犬山町南国民学校学徒隊結成式を行なう。
 この中の「桑皮むき奉仕」とは、当時桑の皮が繊維の代用品とき れていたため、全国で盛んに行なわれていました。 「飛行生募集」 とは海軍飛行予科練習生(予科練)のことで高等科を卒業して15 歳以上になれば試験を受けることができました。当時、飛行機乗りは日本男児の憧れの的でした。

     愛知県犬山市 平成9年8月15日発行 
    「平和を願って 戦後50年 犬山市民の記録」より転載


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