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「ノーモア戦争 平和シンポジウムに寄せて  

これは昭和60年に平和都市宣言をした愛知県犬山市の市民の戦争体験記集です。
犬山市企画課の許可を得て、ここに転載致します。
著作 権は犬山市に帰属します。
よってこの記事の無断転載は厳禁です。

平成六年度広島派遣学習体験者の感想文

「平和、ぼくたちが守る」

                    
                            犬山市東部中生徒会会長(当時) 宮島由典

 このたび広島へ行き、原爆投下のことについての遺品やいくつかの碑などを自分の目で確かめてきました。日頃はテレビなどでしか、なかなか目にすることのない原爆ドームも実物を見ることができて、とてもよい経験をしました。

 広島の町の中の様子といえば整えられた道に車が走り、また建ち並ぶビルとビルの間を多くの人々が忙しそうに歩いていました。

 悲劇の起きたあの日から五十年たちましたが、ここに原爆が落ちたということを少しも感じさせるものがありませんでした。今の広島はどこにでもある普通の町です。あのころ生き残った子供たちの手によって、今の日本はここまで豊かになり、平和になりました。今度は平和の時代に生きるばくたちが、それを守ってゆかなくてはならないと思いました。

 「戦争の恐ろしさ伝えよう」

  
                         犬山市東部中生徒会副会長(当時) 小川知子

 私たちは平和学習のため広島へ行きました。広島では原爆ドームや平和公園、平和記念資料館へ行きました。特に印象に残ったのが、平和記念資料館でした。

 資料館に着くと『原水爆禁止』と書かれた旗を掲げている人や、平和について書かれたTシャツを着ている人がたくさんいました。資料館にはたくさんの展示品が並んでいました。中でも印象的だったのが血のしみついた女学生のもんぺや焼けただれた皮膚を引きずっている人形、八時十五分で止まっている時計でした。資料館に納められた遺品は戦争で我が子を失った人や親をなくした子供が提供したもので、全部の遺品に名前が書いてありました。この人達はどんな気持ちでこれらの遺品を納めたのでしょう。きっと大切な遺品でも資料館でたくさんの人々に見てもらい、戦争の恐ろしさを知ってもらいたいと思ったのでしょう。

 年々、戦争の体験者は減ってきています。私も戦争を知らずに育ってきました。しかしこのような体験をすることにより戦争の恐ろしさ、平和の尊さがよく分かりました。今回の派遣学習で学んだことを生かし、たくさんの友達や地域の人々に戦争の恐ろしさを伝えたいと思いました。


          愛知県犬山市役所総務部企画課発行  1995年発行 
          「ノーモア戦争
平和シンポジウムに寄せて」より転載
           (自費出版の館内の地方公共団体発行 NO.1)


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