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北部ルソン島鉄兵団岡山工兵第十連隊の記録

(我が父は何処に眠る)

藤井 弘道

全文掲載


これは藤井さんが昭和20年8月に北部ルソン島で戦死されたお父上の消息を調査し、
平成12年8月自費にてまとめたものです。
藤井さんよりのコメントです。
『この記録は、平成12年に私が取り纏めた「我が父は何処に眠る」(参考資料8)
についてHP用に一部修正したものである。』
 『その際、写真1枚と北部ルソン島のカラー地図1葉は削除した。』
        
藤井弘道さんの許可を得て、ここに全文を転載致します。
著作権は藤井弘道さんに帰属します。
よってこの記事の無断転載は厳禁です。

2.軍隊(鉄兵団)と帰還者の方々など

軍隊については、少しは知っていた。即ち、南方軍の傘下にフィリッピン方面軍の司令官はあのマレーの虎山下奉文、その参謀長は武藤章中将、本間雅春大将もおり、いずれも軍事裁判により絞首刑や銃殺刑になったなどである。こういった上層部の動きはいろいろな資料で目にすることができたが、父の所属していた第十師団がどうのといったことは一般の書物では書いてない。

そこで、帝国陸軍の組織の本などを見ると第十師団の何々連隊と連隊長と参謀あたりの名前がでている。そこには陸大や陸士の年次が書いてあり、上層部はほとんどその出身者(職業軍人)で占められており、その他に志願兵、召集兵などと区別されており、現在の官僚制以上の軍隊の厳しい上下関係があったであろう。言ってみれば、勇は赤紙召集兵で、どうもラインではなく部隊ではよそ者の感じがあり、疎外感がなくはなかったであろう。それでも、台湾にいた頃より戦況一段と厳しく、その覚悟のはがきには「お国のためのご奉公」とか「死して悔いなきこの身なり」といった兵隊らしい優等生的表現が見られ、家族についても毎度のはがきに必ず老父母と本家(坂山)への気遣いがあり、一家の長男としての責任の一端を伺わせる記述は多い。

父の台湾からのはがきに書いてある「鉄5452部隊桜隊」とは何か。帝国陸軍の本にそれは工兵第十連隊とでていたし、西井軍医の著書1にも出てきた。頭の「54」はつけたしで後の「52」が番号であるとのこと。調べると、十四方面軍には、鉄、撃、虎などの兵団があり、このうち鉄兵団などは山下大将直轄で、山岳地帯バンバン(最初はバギオ最後はキャンガン)にたてこもる山下司令官を取り巻く形でその南のバレテ峠に、撃はその南西のサラクサク峠に布陣していた。(資料1及び図参照)

工兵隊と言うから工事専門かというとそうではなく、陣地や道路建設のほか戦闘も行うもので、バレテ峠では勇敢に戦っているが、いかんせん敵の戦車や大砲の前には小銃、手榴弾と気力だけでは勝負にならない。初め勇は十師団歩兵第十連隊(岡山、姫路地区)所属かと思っていたが、上記の5452部隊を本で確かめて工兵第十連隊と知る。勇は広島高等工業を中退し、呉海軍工廠に勤務した経歴もあって工兵隊配属となったのであろうか。

著書で知った小野清志氏夫人より、平成12年4月、その本5)の寄贈を受ける。この本では、氏が歩兵第十連隊の情報班の中尉であったことから、第十師団の全体の戦いの模様がよく整理されている。夫人は満州のチャムスには新婚で同行されていたが、昭和19年には泣きながら台湾〜ルソンに夫を送られたのである。小野氏は5年ほど前に著書を頑張って完成させ他界されたが、令夫人は今も岡山にてご健在である。

さて、工兵連隊についてはほとんど紹介されている記録は見当たらないが、第十師団第4野戦病院西井軍医の著書1)の中に工兵第十連隊安田作良氏の名前と住所を発見した。安田氏は、岡山最上稲荷に比島鎮魂碑建立(昭和52年5月3日)の発起人の一人であった。

その住所に半信半疑で手紙を出し、もしご家族でも何らかの情報をお持ちではないかと思っていたところ、お元気な安田氏より返事のはがきを頂いた。氏は勇をご存知なかったけれど、勇の所属まで戦友の天川氏に尋ねていただき、安田、天川氏は第三中隊で、天川氏の友人に勇と同じ第一中隊の江口氏がおられ、江口氏は勇をよくご存知である事がわかった。   

また、天川氏によれば、斧田氏が勇と同じ中隊にて事務を共にしていたとのことであり、藤井家は斧田様よりの勇戦死の情報を終戦直後に得ていた(母は直接斧田様からそれを聞いたのではなく、勇の姉の夫が笠岡に出向いて状況を聞いた。母は斧田様の名前と戦死状況ははっきりと記憶している。)こともうなずける訳である。が、今のところ斧田様には連絡を躊躇しているところである。それは、江口様の資料で十分な情報が得られたので、それ以上のことをあれこれするのもどうかという気持ちがあるからである。

 

<岡山工兵第十連隊生存者;関係者>

(3中隊)

安田 作良氏(岡山県英田郡在)   天川 正義氏(兵庫県姫路市在)

(1中隊)

   江口 雄三氏(兵庫県高砂市在) 斧田 弘長氏(岡山市在)

 

    平成12年8月 発行 
    「北部ルソン島鉄兵団岡山工兵第十連隊の記録」 藤井弘道著より転載

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