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「銃後の妻の 戦中日記」 全文掲載 |
これは著者の平岡弥よいさんがご自身の青春時代であった21〜25才の頃の
銃後の生活の様子及び終戦後のご主人復員の頃までを日記にて書き残したものを元に
平成16年まとめ、自費出版にて発行されたものです。
昭和十九年(二十二才) 十二月
昭和十九年 | 十二月 十九日 | 志筑へ行って来たが 修繕に出して居て今日出来る筈の柱時計が未だ直して くれてなく 仕方なく引返す。 米の配給日でモチ米一人に一キロづつ 妊婦用着物綿の配給五枚買って来る 昼食後 八部さん(八兵衛 平岡岩吉様)で又配給物あり 夕方までかゝる |
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十二月 二十日 | 最近で一番寒い天気になる。 切干大根をして干す。 先光寺へ 来年度無事家内安全 そして健康に暮らせます様にと 平岡しな 久 龍麿 煕 弥よいの五名の祈願料 一名五十銭ヅツ。 前の門屋の中の牛屋と通り門等そうじし片付けする。 |
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十二月二十一日 | ネーブルみかんの残り 前の畠のを切る。 午後八部さんでネーブルの配給ある。 浜の畠の大根を引いて来て 洗って干し大根にする。 八時頃 神戸に居られる興隆寺たこのおばさんの息子さん(主人といとこ) 野上清之さんが突然に来られて泊まって下さる。 |
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十二月二十二日 | 一月四日の配給の米を今日買う。 志筑の時計屋さんへも行って 修繕してもらった時計もらって来る。 時計も調子よく治してくれた。 ヤイト場畠のネーブル切る。 午後二時半頃 空襲あり 敵機が六機此の上を通ったとか のんきで居て知 らなかった。 |
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十二月二十三日 | 今日は好天気なり。 ふとん 座ぶとんを乾す 今日も空襲あり 此の上を敵機が通った。 |
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十二月二十四日 | 浜に作って居るエンド豆の手をして来る。 午後山ヘスクズ(松葉)をかき集めに行って来る。 風呂をわかし 一人で煕を入れる。 |
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十二月二十五日 | みかん 酒の配給ある。 味噌の配給あり。 午後より 今日から明日にかけて亡きお父様の逮夜法要のこしらへする。 片岡さん(父上の里)と新宅さん(分家音吉さん)が来て下さり おまかな いをし 八時半お帰りになる。 九時半ねる。 |
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十二月二十六日 | 昨夜のつかれで今朝は少し朝寝をする。 サツマ芋を蒸して干す。 午後 酢とかずのこの配給ある。 |
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十二月二十七日 | 午前中役場へ行き 供木の金九拾一円三十銭頂いて来る。 龍麿さんの名前を配給の通帳から消して来る。 山で取り集めて来たまつ葉を門長屋の上のふきすだしに積み上げる。 |
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十二月二十八日 | 少々寒かったが 今日煕のお宮参りをした。 新宅の恒吉さんのおばさんに紋付の着物を着てもらって 煕も産着宮参り用 に広石からこしらへて来てくれて居たので それを着せて だいてお参りし て頂く。 私もすぐ後よりいっしょに行く すま店の前で会って お家へよらせて頂き お茶をおよぱれする。 産婆さんにも見て頂き とても大きくなったとかで 皆がびっくりしておら れた。 帰りに写真屋さんへより 記念の写真を取ってもらう。 |
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十二月二十九日 | 八時漬物用塩 午後は牛蒡 炭 下駄の配給あり。 下駄はくじ引きで煕が歩きかけた時に丁度良いのが当たる。 広石の妹が昼前に来る。 漬物のヌカ 米 豆 タンサン ぞうり等を持っ て来て下さり タ方帰られる。 |
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十二月 三十日 | 漬物をつける。 お墓まいりをする。 便所の肥汲みもして運ぶ。 | |||
十二月三十一日 | 今日は大みそか。 魚配給五十一銭 エビや雑魚ばかり。 そうじをして おしめかざりは新宅さん(音吉さん)にお願ひし 午後餅つ き 平岡恒吉さんについて頂き 私がかい取りしてやうやく餅になる。 二うすつく。 九時まで御馳走こしらへる。 |
次へ続く
平成16年3月発行
「銃後の妻の戦中日記」より転載 禁無断転載(著作権は平岡弥よい氏に帰属します。)
※(自費出版他発行分NO.129)
copyright by yayoi hiraoka 2004
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