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 「銃後の妻の 戦中日記」

全文掲載

これは著者の平岡弥よいさんがご自身の青春時代であった21〜25才の頃の
銃後の生活の様子及び終戦後のご主人復員の頃までを日記にて書き残したものを元に
平成16年まとめ、自費出版にて発行されたものです。

平岡弥よいさんの許可を得て、ここに全文を転載致します。
著作権は平岡弥よいさんに帰属します。
よってこの記事の無断転載は厳禁です。

昭和十九年(二十二才) 十一月               

昭和十九年 十一月  十五日 前月十月二十六日にすま店様でお世話になり出産させて頂く。
お陰様で無事目出度く男児出生 六日目に主人の注文通り煕と名前つける。
生まれた時大変大きくて 体重一〆二百匁あり 皆がぴっくりする。
予定日より大分おくれて生まれたので大きくなって居た様だ。
生まれてからもとても元気に母子共に産後の肥立ちが良かったのだが 家の
方へ早く帰ったらお父様が病気なので無理出来ないので 二週間程すま店で
お世話になり 十一月八日に家の方から迎えに来て頂き 母子一緒に
帰って来る。 生まれて早速主人の方へは平岡藤永様より傳へて下さる。
私達母子が帰れば お父様の病気いよいよ悪くなっており それでも意識は
良くわかつて居て はっきり見えて居るのだらうかどうか 「これがひろし
か お前はかしこい子だ」と煕の頭を二、三回撫でて下さり 私達を待ち兼
ねて居た様に二時間程してとうとうこの世を去られたのが十一月八日なり。
其れより今日まで お葬式からずっとお客様滞在し 産後の養生所か 目が
まわりひっくりかえるような いそがしくそして目ま苦しい毎日の明け暮れ
だった。
今日 全部お客様帰られ ふとん他色々の後片付けをする。
午後 煕を入浴させて頂く。
いそがしい毎日だったが お陰で元気で大きくなって来て 本当に嬉しい。
いくらいそがしくても 子供の顔を見れぱ何の苦でもない。
 
十一月  十六日 昨日より龍麿さん尼崎へ行かれ 晩方に帰ってくる。
午前中洗濯をたくさんすまし 午後サツマ芋をむして切って乾かす。
主人に久振りに便り書く。
 
十一月  十七日 昨日醤油の配給日だったが 雨天の為新宅へお願ひする。今月一升だった
療養所のお医者さんに前の納屋(部屋)を貸す事に決定す。
午後煕を入浴させる。
前の畠 上の瀬の畠ヘエンド豆やら蚕豆を植える。
興隆寺のタコのおぱさんの家より ソラ豆 小麦の種類他 米の粉等頂く。
 
十一月  十八日 午前中洗濯をすませ 午後エンド豆とそら豆を植える。
二時の下りの船で 大阪の長太郎兄さんの御家内五人 お父様のお墓参りに
来られ 早速兄様釣りに行かれる。
   
十一月  十九日 米の配給日なり。 兄様夜明けより釣りに行かれる。
何時もお弁当こしらへねばならぬ。 午後四時過ぎの汽船で大阪へ帰られる
どうやら長太郎兄さんは 私の存在はお母様の看護婦と家の女中 そして留
守番に置いてやって居るのだとのお考えで居られるのが ずっと以前からよ
く見えて来る。
つくづく情けなく さぴしい思ひで一杯だが 出征して居る主人の事を思へ
ば がんばって留守番するのが当然だ。
煕を立派に育てて元気に帰って来る主人を待たう。
 
十一月  二十日 お医者さん来るので前の部屋をそうじして片付ける。
やうやく片付け終わると お医者さんが都合が変わり来られない とことわ
りに来る。
浜の網納屋のふきすだしを下忠さんんへ貸す 家賃二円頂く。 十二月分
 
十一月二十一日 曇り日和にて午後より雨となる。
下の上(平岡庄次郎様)で醤油一升分けて頂く。
晩 大上で配給物あり。 税金予納半期分七円を掛ける。
 
十一月二十二日 秋晴れの良い天気だ。 前の畠へ小麦蒔く。
午後より浜の畠のうね造りに行く。
配給帳に煕を入籍する。 お父様の籍を消す。
 
十一月二十三日 朝鮮に行って居る安民兄様(主人の兄で三男)の家族が此方へ引き上げて来
るらしき様子 いろいろ相談の末 結局子供さん一人か二人先に連れて来
ておくとの事で 突然龍麿さん朝鮮へ行かれる。 昼の船に乗って行かれた。
午後しぱらくの間 浜の畠へ小麦蒔きの順備をしに行って来る。
 
十一月二十四日 昨夜よりお母様度々下痢をされ 其の為 私十数回も起きて世話した為かひ
えたのか 今朝お腹が痛くて気分悪くて 朝電気の消えるまでねた。
起きれぱ 割方痛みも楽になり忘れた。
お母様のお世話と煕の育児の為に 私は一人でがんぱらねぱならないのだと
自分をはげます
午前中少しの間 浜の畠へ小麦を蒔くのに肌肥えをかけて来て 午後より又
行って種蒔きする。
蒔き終わって急いで帰れば ねて居る病人のお母様も気げん良く 又煕も割
方泣かずにかしこく待って居て呉れて 本当に嬉しい。
今日始めて 私の顔を見て煕がニッコリと笑顔を見せた。
主人が見たらどれだけ喜んで呉れる事だらうか。
どうか丈夫で元気な子供に育て上げ 主人が帰って来て始めて對面し喜んで
くれる日が本当に待遠しく 其の日が楽しみで仕方ない。
今日 漬物大根と塩の配給の知らせの次廻しがまわる。
大根一丁振りと塩七升注文をする。
 
十一月二十五日 朝より雨棋様らしく 急いでおしめを川で洗って来て 浜の畠の残って居る
仕事をすませて来る。 いよいよ雨日和になる。
晩ごしらへをして居ると 大阪より長太郎兄さんが来る。
煕をお風呂へ入れて頂く。
 
(この次ぎから原稿用紙三、四枚ふん失してなくなって居る。
十一月二十六日から十二月十八日までの分がない)※著者注記


次へ続く

    平成16年3月発行 
    「銃後の妻の戦中日記」より転載  禁無断転載(著作権は平岡弥よい氏に帰属します。)
     ※(自費出版他発行分NO.129)
    copyright by yayoi hiraoka 2004


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