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「銃後の妻の 戦中日記」 全文掲載 |
これは著者の平岡弥よいさんがご自身の青春時代であった21〜25才の頃の
銃後の生活及び終戦後のご主人復員の頃までの様子を日記にて書き残したものを元に
平成16年まとめ、自費出版にて発行されたものです。
昭和十九年(二十二才) 十月
昭和十九年 | 十月 一日 | 朝の片付けをすまし 昼食の用意もしてから下の方へ出て行く。 お宮様へ主人の武運をお祈りし 郵便局へより それから産婆さん宅で診て 頂いて 出産の折りの事 色々精しくお聞きする。 十日が予定目になって居るが 二、三目前に何かの前調があるからとの事。 次にすま店へもよせて頂き 大変なお世話をおかけする事 くれぐれもよろ しくとお願ひして帰る。 帰り道 平岡様宅へ其の旨一寸お知らせして お昼がせまり急いで帰る。 下の方へ行って来たのがこたへたのか 午後より体がどうもしゃんとしなか った。 八時前ねる。 |
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十月 二日 | 洲本で買った種が悪かったのか生えず 広石からもらったのを蒔きなほす秋 の坪網をやって見るとの事 二、三日前より順備にかかられ 今日夕方もう 網をやって来たとか 明日の朝の魚の取れ具合が楽しみだ。 午前中 かや二枚を乾して 倉の戸棚の引き出しへ仕舞う。 洗濯をすまし 出産の際に用うるボロ布れを熱湯をかけて消毒し 日光消毒 もする。 体の方は今日はとてもだるくて たいぎで仕方なかった。 八時過ぎねる。 |
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十月 三日 | 曇り日和なり。 昨夜網を仕掛けて置いて 今朝初めて魚を上げに行って来られたが 案外入 って居た。 早速お昼のおかずに煮付けて頂き おいしかった。 沖へ行って龍麿さん流木をひらって来て 風呂だき物にこしらへて下さる。 夕方より雨が降る。 |
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十月 四日 | 米の配給日なり。 さすがに体がえらかった。 網へ大きなブリ(一〆百五十)が入っており お使ひ物にする。 龍麿さん釣りに行って来られ 夕方たくさん釣って帰る。 夜常会に行って頂く。 |
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十月 五日 | 五時起床。 昨夜常会で紺がすりが当たり 一反を光子さん宅と半反づつに分ける。 網には大きなスズキが居た。 今日も龍麿さん釣に行かれおそく帰る。 十時半ねる。 |
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十月 六日 | 朝の内に すま店へ龍麿さん昨夜釣って来た魚を持って 其の時に私のふと んを運んで下さった。 行李の方は又後程にする。 私の体の方は一向にまだ何の前調も表れない。 此の間干し残って居た蚊帳を干し お母様用のかやを洗濯し のり附する。 良い天気だと思ったが 毎日代わらず曇日和だった。 お産の時使用のポロを 又少し熱湯をかけてほす。 午後より足袋(男物)のつくらひを二足仕上げる。 |
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十月 七日 | 昨夜夜通し 今日一日中止まずに雨が降り続けた。 一日中足袋のつくろひをする。 |
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十月 八日 | 五時起床 昨日の雨も上がり 曇り勝ちだったが時折日も照った。 足袋のつくろひ 又洗たく物のつぎ当てする。 八時半ねる。 |
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十月 九日 | 出産予定日を明日に控えて居るが 何の音もなく 今日等まだまだ胎児がよ く動く。 まだ二、三日前らしい。 朝の間に今月当番の中島さん(平岡春次様宅)で配給物(イリ ニシン 石 けん)がある。 一日中少々腰が痛くて困った。 洗濯をし足袋のつくらひ等する。 龍麿さん 夕方より釣りに行かれ八時半頃帰られる。 晩のしまいをした後主人への便り書く。 九時過ぎ床につく。 |
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十月 十日 | 朝八時頃 突然鳥飼の真柴さんが訪ねて来て下さり 赤飯の珍しいのをたく さん持って来て下さり 十一時半頃帰られたが 丁度網を上げて来て 魚を 色々取りまぜて一〆程持って帰って頂いた。 わざわざ鳥飼から主人の留守中を訪ねて来て下さったのには 本当に深く感 謝する他ない 有難い限り。 婦人会の貯金二円五十三銭出す。 今日は出産の予定日(産母さんの調べた)なれど まだ何の変り様もなく胎 内でよく動いて居る。 |
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十月 十一日 | サツマ芋の茎をゆでて醤油で炊けば 一寸変って本当においしかった。 午前十一時前 広石より待ちに待った赤ちゃん用のたらひを持って来て下さ る。 網でスズキが取れ 持って帰ってサシミや焼魚にして頂いた。 丁度広石の 妹も久し振りの魚で喜んで食べられた。 午後 妹がすま店へ行李を運んで来て下さる。 風呂の水汲み等手傳っても らって 今日は本当に楽が出来て助かった。 |
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十月 十二日 | 網の調子悪く魚がおらなかったが それでも三百匁のスズキニ匹がおり 妹 に持って帰らす 午前九時半頃帰る。 又出産の時に来て頂く筈。 今日は腰が痛くてやり切れ無く 又夕方はとても体がだるかった。 八時過ぎねる。 |
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十月 十三日 | 心地よき秋日和なり。 上の瀬の畠前の小畠にエンド豆 ソラ豆を植える。 午後より浜の塩の中の 畠へも実エンドを植えて来る。 まだ体の方は一向に変わりない。 どうか安産をと祈らずにはおられない。 |
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十月 十四日 | 洲本病院のお医者さんの云った予定日なり だが一日中それらしき気配もな かつたが 晩ねる時になってから 何だか少々お腹が痛むやうな気がする。 正午 長太郎兄様が来られて 晩七時半の汽船で帰られる。 八時半ねる。 |
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十月 十五日 | 柏原部落の婦人会が伊ざなぎ神杜へ出征軍人の武運長久をお祈りして来て下 さり お洗米を持って来て下さる。 何れ比島へ送らう。 夕方 平岡様おば様心配して訪ねて来て下さる。 |
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十月 十六日 | 一日中曇り日和なり。 久し振りに網で魚が取れ 平岡関三様宅へ上げる。 午後二時頃 桝田の姉さんが来られた。 真佐子さんと二人で早や赤ちゃん に着せるケープやら帽子を買って来て下さる。 |
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十月 十七日 | 朝より小雨模様なり。 二、三日前より毎日 お父様ねてばかり居ると思へ ば 風引きであったらしく 平田のお医者さんに見て頂いたら 気管が悪い とかでエキホス等で湿布をする。 九時ねる。 |
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十月 十八日 | お父様病気の為 姉さん帰らず看病して下さる。 午後より小雨日和となる 今日 龍麿さんの現役証が来る。 十二月十三目入隊 後ニケ月程で 本当 に良かったと家中の人大喜ぴ。 網がまたいたんでやぶれたそうだ。 九時前にねる。 |
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十月 十九日 | お父様 今日は療養所のお医者さんに見て頂く。 安静が第一だとか。 今日も夕方小雨模様なり。 米の配給日。 |
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十月 二十日 | 予定日より十日も過ぎたが まだ前兆がない。 もう此の頃は一日も早く無 事に出産が待たれる。 姉さん今日帰られる予定だったが もう二、三目お父様の看病をして下さる 事になる。 |
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十月二十一日 | 今日は久し振りに良い天気だ。 お父様もお陰で日々に良いらしい。 エンド(サヤ)豆の種を植える。 前に蒔いたのが大分生えて来た。 そら豆も大分生えて来た。 今日石屋さんが来る。 肥上げも昨日より今日 にかけて馬で上げて下さる。 新宅の正一さんに手傳って頂く。 正午焼き芋を出す。 |
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十月二十二日 | お医者さんお 父様の発病以来ずっと毎日注射をしに来て下さる。 お陰で順調に良いらしい。 午後四時過ぎの船で姉さん尼崎へ帰られる。 長い間看病して頂けて大助か りで嬉しかった。 八時過ぎねる。 |
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十月二十三日 | 秋晴れの心地よき天気なり。 割木千貫(クヌギ)を買う。 龍麿さんぼちぼちと割って下さる。 晩に龍麿さん地ぴき網を手傳ひに行く。 障子のやぶれのつくろひをする。 九時前ねる。 |
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十月二十四日 | お医者さん午後より来て下さる。 今日産婆さんが見に来て下さる。 どうやらお産は近づいて居るらしく 明 日にでもすま店へ行っておればよからうとの事。 少し白い下り物があった。 夕方 興隆寺よりタコ(叔母さんの家の呼名) のおば様が見舞いに来て下さる。 |
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(これより、十一月十五日まで著者出産のため日記記載なし。)*管理人注記 |
次へ続く
平成16年3月発行
「銃後の妻の戦中日記」より転載 禁無断転載(著作権は平岡弥よい氏に帰属します。)
※(自費出版他発行分NO.129)
copyright by yayoi hiraoka 2004
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