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「銃後の妻の 戦中日記」 全文掲載 |
これは著者の平岡弥よいさんがご自身の青春時代であった21〜25才の頃の
銃後の生活の様子及び終戦後のご主人復員の頃までを日記にて書き残したものを元に
平成16年まとめ、自費出版にて発行されたものです。
昭和十九年(二十二才) 九月
昭和十九年 | 九月 一日 | いよいよ九月に入ったが 今日一日はとても暑かった。 今日も石屋さんが来る。 午前中 浜の畠の南京を取りに行き コモ屋さん(古川)へ行き 前に藁を 頼んであった事で聞いて見たが こんな日照りで次の稲が取れなけれぱ売る 所が無いらしく 又其の内との事で頼んで来る。 夜の片付けを終わり お風呂へ入らうとして居ると 長太郎兄さんが突然来 られ 明朝三時に沖へ出て行くとかで 早速晩の内にお弁当こしらへて置く。 十時ねる。 |
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九月 二日 | 朝三時より兄さんと龍麿さんと釣りに行かれる。 石屋さん来る。 兄さん昼の汽船に乗れず帰って来て 晩七時の船で帰られる。 夕方 音田のアミ引きを手傳ってアジ三貫十円で買って来て 早速だしいり をこしらへる。 九時半ねる。 |
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九月 三日 | 朝から日が良く照って 昨日干したアジのイリコが良い具合に乾く。 龍麿さん朝早くより一日中釣りに行かれる。 今日も石屋さんが来 新宅(分家)の正一さんが来て手傳って下さる。 今日は隣保の当番に当たって居る。 早速今日 酢三升五合 細川で配給あ り 新宅の正一さんに行って来て頂く。 主人と皿池さんに便り書く。 九時半ねる。 |
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九月 四日 | 米の配給日なり。局へも行き ハガキ切手を買って来る。 午後一時より酢の配給を分ける人数割りする。 島田みち子さんより便り頂く。 |
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九月 五日 | やや曇り日和だったが午後より又良く照る。 本当に雨の降りにくい年だ。 龍麿さん 假屋の歯医者さんへ行き 午後一時帰る。 午前中お母さんの羽織一枚ほどき 午後より主人の羽織久留米がすりを一枚 裁ち 袷を折る。 八時半ねる。 |
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九月 六日 | 四時半起床。 朝の内 ほんのまね程小雨が降ったが 又良く照った。 晩方南風が強くなって来る。 敬向よし子さんより便りあり 御主人より音信が九月二目にありし事を知ら せて来て下さる。 私の主人からも又近々便りが来る事と 毎日毎日楽しみ に待たされる。 主人の羽織を縫う。 衿付けが残る。 九時ねる。 |
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九月 七日 | 朝よりうったうしく 午後二時頃より小雨降り夕方大分良い雨が降って 本 当によかった。 日参の旗(注)がまわって来ており 朝のかたづけ後お参りし ついでに油 の配給二合買い 産婆さん宅へもよる。 お陰で順調異常なしとの事。 役場へより 衛生綿の配給三〇〇g ガーゼ三m頂き 帰って来れぱ のり ぱで平岡ふじ永様とお会ひし 色々と近づくお産の日の事等御相談する。 帰れぱ十一時半 龍麿さんお弁当持ちで沖へ行って居て留守。 晩方たくさんの魚を釣って来て下さり 全部焼いて頂く。 夕方 信用組合へ行って来いとの事で行って来たが もう閉まって居た。 夜なべにかけて羽織仕上げる。 今日よりお父様 表の間にお母さんと共にねて下さり 私は奥の間にねる事 にする。 八時半ねる。 |
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九月 八日 | 赤ちゃんの綿入れの産着もう一枚縫いかける。 白のキャラコがあり 裏表通しでこしらへ 晩に綿を入れる。 龍麿さん朝の内歯医者さんへ行き 午後より釣りに行き 晩おそく帰る。 晩のしまいして十時床につく。 |
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九月 九日 | 林光吉さんより便り頂く。 浜口あさ子さんにも 御主人より便りあった とか。 長太郎兄さんより戸籍とう本送れとの事 役場へいってこしらへて頂き 局 へ行って速達で送り 八幡様へもお参りし 帰れば二時過ぎになる。 尼崎の桝田の姉様が来ておられ 色々と面白く話す。 龍麿さん釣りから帰り 夜にぎやかに話し 九時半ねる。 |
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九月 十日 | 今日は芋をたくさん掘って来て 蒸したり焼いたり色々として たくさん頂 く。 姉さんお昼すぎより平岡さん宅へ行って来られ 私のお産の時の事を 色々と相談して来て下さる。 中浜のすま店の下駄屋さん宅(平岡さんの親戚)の裏座しきを借りて なに もかもお世話になる様になり 平岡様に何分によろしくおまかせし お願ひ して来て下さる。 エビをたくさん買って来て焼き 姉さん持って帰れる様にこしらへる。 |
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九月 十一日 | 正午の汽船で姉さん尼崎へ帰られる。 色々と私の事心配して下さり又近々来て下さるとの事 本当に嬉しく思う。 帰りがけに私と龍麿さんにお小遣ひ下さる。 夜にかけて大分大きな雨となって来た。 九時ねる。 |
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九月 十二日 | 昨夜より今日十時頃まで本当に良い雨だったが 又お昼より良い天気となっ た。 昼まで便り書く 主人と広石の妹 夜 林光吉さん 荒川さん 九時ねる。 |
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九月 十三日 | からりと晴れてとても良い天気。 おひるまで山程の洗濯をし 昼食後よりのり付けをし ふとんの敷布をかけ ぼちぼち分べん当時の用意をする。 平岡さんより御返事ある筈だが まだまだ何ともわからない。 肥船(人糞尿)が来て 龍麿さん 三十荷午後より上げて来て下さる。 |
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九月 十四日 | 龍麿さん今日も肥上げして来てくれる。 午前九時半家に帰り 又芋をぬいて来て やきいもをする。 お産用のふとんの荷をこしらへる。 行李を開けて赤ちゃんの物と私の物ね まき他色々と入れて もうこれで何時でも運んで間に合うやうに支度が出来 たが やはり未だ平岡さんからお返事がない。 多分おいそがしいのだらう。 龍麿さん夕方より釣りに行き グレ四匹と他の魚と五匹釣って帰り 其のま ま井戸へつり下げて置き 明日頂く事にする。 |
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九月 十五日 | 朝より魚のすまし汁を炊き 本当においしかった。 朝よりかんかん照りの良い天気らしいので 小麦を出して乾かしたら 正午 時分雨がぽつぽつして来て あわてて入れたがソーバイ日和だった。 洗濯物のつぎ当てをする。 |
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九月 十六日 | 昨夜より大雨が降り皆大喜び これでナルトみかんの木も此の度ばかりは大 満足だらう。 八時より大上(平岡節郎様宅)で配給物あり 当隣保のを全部受けて来て昼 休みに分ける。 ニシン ふ ビール 酒 そして債券の金も集める。 醤油の配給 龍麿さん行って来て下さる。 皿池とも子さんより便りあり 御主人よりは初便のみ 第二便まだ来ぬとか 私も毎日毎日便りを待ち遠しいが 向こうからは便り出す事が許されないの らしい。 九時ねる。 |
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九月 十七日 | 今日はとても風が強く 大きな波がして おそろしかった。 午後平岡さんがお出でて かねてよりのお話の返事 先方すま店さんが承諾 して下さったとの事を傳へて下さり 本当に嬉しく思う。 早速順序を運ぶ予定になる。 |
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九月 十八日 | 秋里長壽さんに洲本で種物買って来て頂く。 午前中ゴマを刈り 早生大根としょうご院大根 玉葱の種を蒔く。 ゴマの葉をむしりそうじする。 午後二時半頃 龍麿さん音田の網引きの手傳ひに行って イワシを引いて来 て 三〆程持って帰り 早速だしいりをこしらへる。 イワシのすいとんもしたが 案外 思う程おいしくなかった。 |
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九月 十九日 | 今日は山の道造りの日で 龍麿さん行って下さる。 米の配給日だが 私足が痛くて行けらず 秋里さん宅へお願いする。 半月分の内 豆三日分つく。 小麦を外に出して乾かす。だしいりもきれいに乾き 箱に取り入れる。 |
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九月 二十日 | 洲本で買って来てもらた種 色々に屋敷のまわりの畠に蒔く。 シャクシ菜 白菜 ホーレン草 かぶら等蒔く。 午後より 豆を水につけてあったので豆腐をこしらへたが 又うまく出来な かった。 晩のこしらへしてから 浜の借屋の前の畠ヘワキギを植えて見よ うと思って行って見たら 此の間の大しけの為 波が畠の中まで入って大荒 れして どうにも手のつけ様がなく 仕方なく帰って来た。 |
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九月二十一日 | 龍麿さん芋種ふせた後ヘホーレン草の種を蒔く。 午前中洗濯すまし 午後二時頃片岡さんの子供さん二人が来てしぱらく遊ん で帰り 焼餅や焼芋等こしらへて上げる。 午後四時過ぎ広石より妹が来て ナシ 柿 米粉 ササギ他色々と持って来 て下さり 久し振りになしを食べられる。 龍麿さん釣りに行ったが 今日は釣れず早く帰って来た。 八時半ねる。 |
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九月二十二日 | 妹が来て色々と手傳って頂き 私の体は今日は大助かりで嬉しかった。 午前中に帰る筈に云って居たが午後よりに引き止め 龍麿さん沖へ行ってエ ビやイカを買って来て下さり 全部焼いて持って帰らす。 午後二時半頃帰らす。又近々にタラヒ(赤ちやん用)を持って来て下さる とか。 芋もゆでて 妹といっしょにたくさんたべる。 夜 配給所でハモを買って来てすまし汁を炊き おいしく頂く。 九時ねる |
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九月二十三日 | 今朝比島の主人より又金拾五円が送られて来た。 前月送金して来てより約一ケ月目だ。 此の度は送金の目的として 広石の 亡母の一周年忌に際し佛前に供えられたしとあり 遠くに居ても良くもまあ 広石の母の事を思ひおこし お供えまで送ってくれたのには 本当に嬉しく 涙のこぼれる思ひで一杯になる。 郵便局へ金を受け取りに行った時 どう言う方法で送金して来たのかよく伺 って見ようと思う。 早速主人と広石へ便りしようと思ったが 都合で明日にのぱす。 彼岸の中日で新宅の恒吉さんだけ佛さんへおまいりに来て下さり 晩方まで お話して居て下さる。 今日の新聞では 比島に又たくさん敵機が来たそうで 戒厳令がしかれた様 いよいよ戦場となりし比島 只々ひたすら主人の無事のみ祈る。 |
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九月二十四日 | 主人より待望の手紙が今朝七通届き 本当に嬉しい。 六月中旬より八月初めに出して居た分が一度にかたまって着いた。 隣保の家等他方々へ来たらしい。 無事の事がわかり何より嬉しい。 早速晩に返事を書く。 お昼 龍麿さん新宅へ御馳走になりに行く。 今日ホーレン草やゴ蒡の種の残って居るのを蒔く。 夕方国民貯蓄と日ぜに(注)を集めに隣保中まわって来た。 |
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九月二十五日 | お母さんのよごれ物多くて川へ洗濯に行って来て 帰れば姫路の葉田猪之助 様が来られて居て 九時半頃より釣りに行き 夕方七時の船で帰られる。 丁度ハモがたくさん買へ お土産に持って帰って頂く。 昼にイリコの配給があり分ける。 百匁当たる。 国民貯蓄の金を持って行く。 又今夜もおそくまで電気が来なかった。 八時半ねる。 |
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九月二十六日 | お父様朝早くより志筑へ行かれ 夕方帰る。 おむつカバーをレザーの布で一枚こしらへる。 荒川様 皿池様 井上様にお便り書く。 八時ねる。 |
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九月二十七日 | 荒川さんより 二十二 二十四日に便りありし事をハガキにて傳へて下さる 男物の単衣の着物(主人か龍麿さんか両方着れる様)縫ひかける。 小麦粉が出来て来る。 龍麿さん すま店へ挨拶に行って来て下さる。 何時でも来て下さる様にと 大変機嫌良く言って下さったそうだ。 晩のしまいした後で 光子さん洲本へ養生に行っておられたのが 昨日帰ら れておるので 夕方見舞い方々主婦の友の本借りて居たのをかへし 十月号 かりて来る。 九時過ねる。 |
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九月二十八日 | 龍麿さん 興隆寺のタコのおぱさんの所へあそびに行かれる。 泊まったのか 今日は帰らなかった。 今日一日中 左足のすじが痛んで本当に困った。 やはり身重の為であらう。 |
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九月二十九日 | 龍麿さん朝帰って来る。 お餅や柿芋等たくさん頂いて帰り 早速御馳走になる。 二、三日前から縫ひかけて居た男物単衣着を今日漸く仕立て上げる。 九時過ぎねる |
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九月 三十日 | 朝よりうったうしき日和なり。 龍麿さん 郵便局で比島の主人よりの送金を受け取って来て下さる。 向こうよりどの様にして送金して来られたのだらうかと 局で色々たずねて 見たが 精しい事は局の方でも全然わからぬらしい。 正午前 平岡藤永様たずねて来て下さる。 私の身の事を色々と心配して気 づかって見に来て下さった。 船を百三十円にて佐野の漁師さんに漸く買ってもらい 家内中これで一安心 落付いた。 午後よりしとしとと小雨が降る。 八時過ぎねる。 |
次へ続く
平成16年3月発行
「銃後の妻の戦中日記」より転載 禁無断転載(著作権は平岡弥よい氏に帰属します。)
※(自費出版他発行分NO.129)
copyright by yayoi hiraoka 2004
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