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「銃後の妻の 戦中日記」 全文掲載 |
これは著者の平岡弥よいさんがご自身の青春時代であった21〜25才の頃の
銃後の生活の様子及び終戦後のご主人復員の頃までを日記にて書き残したものを元に
平成16年まとめ、自費出版にて発行されたものです。
昭和十九年(二十二才) 八月
昭和十九年 | 八月 一日 | いよいよ今日はひともし法要の日だ。 朝三時頃より起きて 色々と御馳走をこしらへる。 徳田店のおぱさん(父の弟の家)が何時もの様に何かと取りしきってして下 さり 大助かりだ。 従姉妹の角川の朝子さんに春枝さんが子供さんを連れて来て下さり 久し振 りになつかしく色々とお話する。 もう夕方には法事が済んで 皆お客様も帰られ うす暗くなりかけた時分ま で妹と二人で後片付けをすます。 |
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八月 二日 | 昨日の法事のつかれで今日はだっくりして 一日中ねた。 午後四時頃より 久保田清子さん(小学校の同級生で一番の親友)がお里の 方へ帰って来られるとの事 早速お会ひしに行く。 子供さん(女の子)の大きくて可愛らしいのには驚くぱかり 二時間程おじ ゃまして帰る。 夜も早く休む。 |
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八月 三日 | 今日はいよいよ帰らねばならぬ。 朝の内に墓まいりをし十時半に乗らうと思ったが間に合わず 次の二時半の に乗る。 志筑よりお客さんが多くてとても乗られず 仕方なく歩いて帰る 桃となしを大分持って来た為 荷物が二つでとても重く ずい分とくたびれ た。 やうやく暗くなりかける前に家に着いた。 平岡さん宅(仲人さん)よりブドウをたくさん頂いたとか 早速私も桃とな しを持って夜月夜なので訪問する。 丁度夕食の済んだ後とかで 外ですずんで居なさり 色々と長くお話ししし まいにはお風呂にまで入らせて頂き 帰る。 十時床につく。 |
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八月 四日 | 龍麿さん朝の間防空ごうを掘られる。 午前中洗濯をすまし しん台でねて居る母上の髪をといて結う。 今日もとても良く照り 暑さは実にきびしい。 午後より 志筑の讐察より呼出がかかり お父様と龍麿さん二人が行かれ 夜 うす暗くなってから帰った。(注) 夜 足袋の配給あり 当たらなかった。 十時過まで話し ねる。 |
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八月 五日 | 午前四時過ぎ起床 裁縫をする。 午後二時時分より北東の風が大変強くなって来た。 しけにでもなるらしい。 主人とみち子さん(同級生)に便りを書く。 午後十時ねる。 |
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八月 六日 | 午前より午後にかけ北東の風が次第に強くなり どうやら雨もともなつて大 しけになるのかしらと思って居たら 晩までとうとう降らないが 風は次第 に強い。 八日の常会を今日にくり上げ 龍麿さん行かれる。 今日よりぼちぼち赤ちゃんのおむつのこしらへにかかる。 電気消し 八時半ねる。 |
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八月 七日 | 昨夜より風は次第に強くなり いよいよ午前七時より待望の雨が降りかけ 止む間なしに一日中そして夜にかけて降り 本当に良い雨だと一同大喜び。 これで植えてある芋等も良く出来るだらうし みかんにも大変良い。 昨日より続いて おしめをこしらへる。 まだやっと半分だ。 |
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八月 八日 | 曇り日和が一日続いた。 昨日の雨は本当に有難かった。 何もかも見違へるばかりに美しい。 今日も一日おしめ作り 夕方洗たくし髪を洗う。 夜 主人に手紙書く。 |
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八月 九日 | 今日は南風きつく雨も良く降った。 降りかければ又良く降りそうだ。 でも家では 結構な事だとお父様大喜び。 おしめも今日でやっと五十枚仕上げる。 一枚一枚つぎ当てせねぱならかっ た事とて ずい分手間どった 出来上がってとても嬉しい。 夜 岩田さんへ便り書く。 |
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八月 十日 郵便二回目 |
良い天気だ。 梅の土用干しをする。 九時頃より下の方へ行き 一度産婆さんの所へ行き診察受ける。 大丈夫異常無し との事で先ず安心。 局へより それより八幡様へお参りし 買い物すませて帰ると十一時前。 今日又主人より私宅へ便り届いて本当に有難い。 早速返信書く。 |
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八月 十一日 | 今日も良い天気。 龍麿さん朝早くより沖へ行き おひるまでにえそ(魚) を二十匹程釣って来て下さり 塩をして開いて乾す。 えさの小アジはゆでて だしを製造す 一日中とてもえらかった。 夜九時床につく。 |
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八月 十二日 | 龍麿さん早くより釣りに行き メマルにグレ十二、三匹つって来られ 平岡 さん宅へ上げやうとの事 朝の片付けの後で 私持ってお訪ねして来る。 藤永おぱ様 丁度御在宅 色々と長らくお話をし 出征中の主人より平岡さ ん宅へも便りがあった事を承る。 午後よりお盆のおまつり事する。 粉を引く。 夕方 酒五合 チリカミ コーヤ(注)一コ配給ある。 十一時前ねる。 |
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八月 十三日 | いよいよ今日はお盆のこしらへでいそがしい。 龍麿さん沖へ行かれる。 米の配給を受けに行く帰りに浜の畠へより 南京を取って帰り 朝よりエン ド豆を六合程炊き あんをこしらへて置き 佛壇のそうじをして それから (おちつきだんご)をこしらへ おまつりする。 丁度こしらへ終わった時 興隆寺のたこのおぱさん(お母さんの妹)の子供 さんが ナスビとおもち(葉のモチ)たくさん持って来て下さり 餅づかり になる。夜ねむたくて仕方なく 九時すぎねる。 |
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八月 十四日 | 今日よりお盆の十四日 朝のまつりごとをすまし片付けた後 お墓まいりし てくる。 お昼もソーメンたいておまっりする。 お昼からとてもむしむしと暑くてずい分体にこたへた。 午後より亡き母の浴衣で夏服を裁ちかける。 そこへ平岡恒吉さん(お母さ んの従兄弟)のおぱ様来られ 色々と話す 私の亡き母ど同じ年だとか 色々と話し 仕事は止める。 午後十時すぎ床につく。 |
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八月 十五日 | お盆の中日 今日はお昼ごはんを炊き おまつりする。 茄子のみそ和へこ しらへてまつる。 午後三時すぎ 送りダンゴをこしらへてまつり お父様お盆の佛さんをお送 りして来てくれる。 夕食後 久方振りに光子さんの病気見舞に行って来る。 大変良くなりもう起きて居た。 九時半ねる。 |
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八月 十六日 | 醤油の配給日なり。 後の秋里さんをさそって行って来る。 八幡さんへお参りする。 簡単服一枚仕上げる。 龍麿さん夜にかけて釣りに行く。 |
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八月 十七日 | 麦三升程いってはったいをこしらへる。 お昼より龍麿さん引きうすでひい てくれる。 昨日の簡単服の残り布でブラウス一枚縫いかけ 大部分仕上が る。 |
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八月 十八日 | 川渕千恵子さんに 主人と一緒にフイリッピンに居る堺村の皿池鉄市さんと 鮎原の荒川薫さんのお留守宅の事情等調べて欲しい とお願いしてあったら 今日千恵子さんよりお便り下さった。 皿池さんの奥様は神戸 荒川さんの奥様は天神にいなさる様だ。 お昼休み早速便り書く。 サラシの布がなくならぬ内に 龍麿さんの入営の時に必要なふんどし五枚を 今日こしらへる。 今日も一日とても暑くてやり切れなかった。 九時ねる。 |
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八月 十九日 | 龍麿さん 小麦を粉に引きに持って行って下さる。 サラシで必要な物こしらへ 次は私のお産の時必要な丁字帯をこしらえる。 午後より婦人会常会あり 久し振りに出席する。 平岡藤永さんのお話あり。 来月より一人一研究を持ち合わせ発表する事に 決定す。 お薬師さんへお参りし お墓へもケイトウの花をおまつりする。 常会に行って来れば 何だか心が清まり 何となく明るい気持ちになり 何 かしら自分の修養が出来た様で たしかに有意義であった。 午後五時すぎに家に帰り晩のこしらへをする。 夕食後 そとのしょう木(床机)の上で 龍麿さんと色々世間話やらフイリ ッピンの主人のうわさ話などする。 九時半ねる。 |
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八月 二十日 | 朝の間 小雨が少々降る。 昨夜 お母様 ねまで衣類フトンよごし その洗濯をする。 午後よりお父様の袷と締入れの仕事着のつぎ当てする。 午後五時前 警戒警報が発令 其の間空襲もあり それでも電気のつく時分 全部解除になる。 また何虚かへ敵機が来たらしい。 九時半ねる。 |
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八月二十一日 | 昨夜一時頃 又警報が出たが 朝解除なる。 主人の支那事変の論功行賞一時賜金三十円の国庫債券が役場へ来て居るとの 通知あり 印を持って頂きに行って来る。 主人の苦心の賜と有難く勿体なく頂いて帰る。 午後足袋を一足仕上げる。 九時ねる。 |
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八月二十二日 | 晴天だったが 午後三時夕立す。 川渕千恵子さんに礼状出す。 |
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八月二十三日 | 米の配給日なり。 八幡様へお参りし 局で債券の利子三円九十銭頂く。 一年の利子より金八銭の税金が引かれる。 早速通帳へ入れる筈に思ったが 丁度持って来てなくて 現金にて頂いて帰り 又今度の時にする。 配給の米には押し麦三割入って居り 来月より月二回の配給となる。 四日と十九日の二回。 昨夜より大豆二合程水につけて置き 今日豆腐をこしらへて見たが 思うや うに出来ず 又誰かに造り方教へてもらってこしらへて見よう。 九時ねる。 |
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八月二十四日 | 朝起きれぱ 何時か前に痛んだやうに 又右足のふとももの筋が引きつり痛 くて仕方ない 。其の内になおるかしらと思うが 次第に回数がふえるので 下の病院(療養所)に行き見て頂けぱ 神経痛だとかで薬をくれる。 夕方は大分良くなったやうに思うが どうか大事に至らぬ様に。 昨日 鮎原の荒川かずゑ様より御親切な返信が来る。 今日 岩田さんより便り頂く。 |
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八月二十五日 | 今日は 昨日より足の痛みは少し良いかの様に思はれる。 お腹の中の子供の方は極く順調か とても良く動いて居る。 足袋を縫う。 九時過ねる。 |
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八月二十六日 | 昨夜大豆七合ほどかして(注)あり 今日一人で又豆腐をこしらへて見る。 豆乳にニガリを混入したが どうも具合良く固まらず 又前の時の様に一寸 だけ炊いてセイロヘ入れておけば割方うまく出来た。 局より小為替二十円が届けられ 何所からかと思へぱ 比島の主人からであ る。小遺いがいらずで送って来たものかとも考へられるが どうやら下士 官に任官出来 其の家族手当が送られて来たものかしらと勝手に想像する。 |
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八月二十七日 | 此の頃になり とても体がだるくて たいぎでたいぎで仕方ない。 がんぱってみるものの やはり身重な体の為らしい。 麿さんに局へ行って来て頂き 昨日主人より送って来た二十円を貯金して来 て頂く。 此の間の利子を五円に足し お父様が三十円足して下さり 主人 の通帳に五十五円貯金する。 今日やうやく 此の間から持って行ってあった粉(ウドン粉)が引けて来た 早速代用食に用ひられ うれしく思う。 龍麿さん 部落の青年団が入隊の送別会をして下さり 五時頃より行かれる 晩ごしらへをすましてから 涼しくなったのを幸いに 浜の畠のラッキョを おそさまながら掘って来る。 明日にでもきれいにそうじして塩漬けにでも しよう。 九時過ねる。 |
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八月二十八日 | 昨日掘って来たラッキョをきれいに洗って塩につけるまで大変手間取った。 朝鮮へ行っている岩田さんより絵葉書と写真を送って来た。 主人と岩田さんに便り書く。 |
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八月二十九日 | 龍麿さん朝早くより釣りに行かれる。 お昼休みにミリンとマッチの配給がある。 お母様の綿入れの着物の綿を抜かして頂き 赤子の産着の綿に使うのに用意 し お母様の着物を袷に縫って置く。 |
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八月 三十日 | 今日も二枚綿入れの着物から綿を抜き これで大分綿が用意出来て嬉しい。 男の人 お父さんと龍麿さんは畠の石垣をし始める。 新宅の恒吉さん(お母様のいとこ)宅よりゴム(オムツカバー用)を頂く。 |
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八月三十一日 | 今日は神原の石屋さん 仕事に来て下さる。 午前九時前に石屋さん来て六 時頃仕事を止めて帰られる。 又明日来て下さる。 昨日綿を抜いた着物を袷にして一枚仕上げる。 |
次へ続く
平成16年3月発行
「銃後の妻の戦中日記」より転載 禁無断転載(著作権は平岡弥よい氏に帰属します。)
※(自費出版他発行分NO.129)
copyright by yayoi hiraoka 2004
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