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 「銃後の妻の 戦中日記」

全文掲載

これは著者の平岡弥よいさんがご自身の青春時代であった21〜25才の頃の
銃後の生活の様子及び終戦後のご主人復員の頃までを日記にて書き残したものを元に
平成16年まとめ、自費出版にて発行されたものです。

平岡弥よいさんの許可を得て、ここに全文を転載致します。
著作権は平岡弥よいさんに帰属します。
よってこの記事の無断転載は厳禁です。

昭和十九年(二十二才) 七月               

昭和十九年  七月   一日 今日で主人が出征してから丸ニケ月だ。
どうか 何れの地に居ても無事で元気で働いて居て下さる様 念願して止ま
ない。 そして無事な便りをどうか一日も早く手にしたい。
本当に 自分の主人程一番の頼りになる人が他には居ない事がこの頃痛切
に感じられる。
一日も早く平和の世の中になり 無事に皇軍将兵が帰ってこられます様に。
午前中 サンド豆、ウズラ豆の木を引き 実をむしり 乾かす
赤ジソの葉をむしり よくゆすぎ かたくかたくしぼり 二十九日につけた
梅酢の中へつける。 これで土用干するまで一段落だ。
主人が 十月に出産する子供の名前は男の子ならぱ「ひろし」 女の子な
ら「ひろこ」だと云って居たが 云われて居た字はまだ見つからない。
今日も色々と書物をしらべて見たが 博・廣・弘・浩・寛 以上しか分から
ない。 便りが出来 出したら早速聞いてみよう。
午後より草引きに行き ヤイト場畠中の段をけづる。 又雨が近いやうだ。
一度ザップリと降ってほしい。
明同は半夏至(半夏生)だというのに まだ田んぼへはわずかしか水が入っ
ていない。
 
 七月   二日 朝より小雨ポツポツとして来た。
一日中 降ったり止んだりの天気だった。
午前中 サンド豆、ウズラ豆をむしり より分けをする。
午後よりサラシ布の半襦袢一枚仕立て上げる。
 
 七月   三日 朝 一寸雨が大きかったが それよりは又小雨模様だった。
今日は米の配給日なり。 ソーメンと此の間配給のあったジャガイモの分が
米の量から引かれ 米は少しである。 此の度より高りゃんが二割混ざる。
龍麿さん朝より魚釣りに沖に行き 夕方キスゴをたくさん釣って帰り それ
を夕方焼いたり炊いたりする。
夜 片付けを終わってから 今度生まれて来る赤ちゃんの産着を一枚縫う。
ネルの配給受けたのでこしらへ 夜なべをかけてやうやく十一時までかかり
ひもも付け 一枚仕上がる。
これからぼちぼちひまを見て 出産の準備をしやうと思う。
今日役場へ寄れば  昨年主人が在郷軍人会へ出た時の弁当代として二円を下
さり 印かんをおして頂いて帰る。
 
 七月   四日 時折 小雨も降り 一日中晴れたり曇ったりで むしむしと大変暑かった。
サンド豆を引いた後ヘゴマをまく。
午前十時頃 又空襲瞥報のサイレンが鳴る。又何処かへ敵機がくるのか
しら どうか 何れの地へ来ても大した被害のない様に念じる。
ゴマ蒔きしただけだが とても体にこたへてしんどい。 やはり身重の為だ
らう。
 
 七月   五日 梅雨日和で 朝の間だけ雨が降ったが それからは割方良く日が照った。
一雨大きい雨が降らなければ 百姓さんの田んぼにはまだ半分も水が入って
いないらしい。
ガーゼの布切を集め 考へまわって赤ちやんの肌ジュバンニ枚こしらへる。
 七月   六日 良い天気だ。 みかんの木の消善をせねぱならぬ。
明日から始める筈でポンプの修繕をして下さる。 まだ みかんが少々残っ
て居るので 一日中切って廻る。
案外多くて 中の段、上の段、ひらき、の三箇所をしらべるのに一日中かか
る。
 
 七月   七日 支那事変ぼ発以来七年が暮れ これから八年目に入る。
今日は記念日なり。
消毒のポンプ押しを秋里政次さんに手傳って頂き 今日は私はさわらなくと
もすみ 本当に良かった。
別になまけもしていないつもりだが やはり月の重なりし為か 何事もたい
ぎでたいぎで仕方ない。
今日おひるすぎ少しお腹が痛んだ。 心配していたが晩には良くなり 別に
どうもなかった。
午前中少し草けづりして 九時半頃より役場へ用に行って来る。
午後より赤ち牛んのじゅばん二枚縫う。
夜八時より新宅(分家平岡音吉様)で 塩コンブとチリガミの配給あり。
 
 七月   八日 今朝午前一時半頃 又讐戒警報が出る。 間もなく解じょになる。
どうやら 又 九州の方へ敵機が来たらしいとのうわさだ。ますます心身
共に引きしまる思ひがする。
午前中 ヤイト場畠の消毒の残りを 又手傅って頂き すます 私はウズ
ラ豆のより分けをし 午後おそくより畠へ行き 柴をこしらへ持って来る。
 
 七月   九日 前の畠の消妻を今日する。
 
 七月   十日 今日は 朝の内と夕方 小雨が少し降った。
どうか一時も早く雨が降って田植えが終われる様 百姓をして居ない私達で
も気が気ではない。
昨日の新聞では 津名郡はまだ三分の一しか植えられて居ないとか 本当に
案じられる。
二、三日前縫いかけていた赤ちゃん用の肌着を 綿を入れて縫い上げ 次に
ネルを縫いかける。
 
 七月  十一日 龍麿さん 沖へ魚釣りに行く。
午前中 前の畠の草引きをする。 とてもきつい照りで暑くてたまらず 午
後より裁縫する。 ネルを縫い上げ 黄色の表の袷のを縫って縫いかける。
 
 七月  十二日 朝の間 前の畠の草けずりの残っていたのをすます。
それから裁縫する。 黄色の表地の袷の赤ちゃんの着物仕立て上げる。
今日はとてもひどい暑ぎであった。
午後三時半頃長太郎兄さんが来られ 龍麿さんと二人で夜にかけて沖へ魚取
りに行かれる。
今日 敬向よし子さん(広石同級生)よりハガキが来て 御主人より写真を
送って来たとの事である。 フィリツピンヘ行って居る様だ。
私宅主人も多分いっしょに行った事だらうから 近い内に便りも来る事だら
うと楽しく思う。
どうか 写真でも何でも無事な事を早く知り度い。
 
 七月  十三日 米の配給日 龍麿さん行って来て下さる。
昨夜夜通しで沖へ行って 兄さんと二人 七時頃帰る。
今日は一日中とても暑くて困った。
 
 七月  十四日 朝七時の上がり汽船で長太郎兄さん帰る。
龍麿さん沖へ行き 網を引いて小アジをたくさん取って来て 半分いりぼし
と 半分すぼしする。 良く照りきれいにかわく。
それを持って桝田松子姉さん宅へ行く筈にて 夜七時の船に乗りに行けば
欠航にて明朝にされる。
今日役場より印を持って来いとことづけあり 三時頃行けば 主人の現役時
代二等兵の時の支那事変論功行賞(ノモンハン事変)の賜金として国庫債券
三十円がおりる事の通知が役場へ来ており それに印を押す
債券は後から来るとの事なり。
夕方 小使いさんが又来て 印が足らぬと言って 持って来て押して帰られ
る。
 
 七月  十五日 龍麿さん 朝の汽船なく 正午の汽船で姉さん(尼崎出屋敷)の所へ行かれ
る。 少しづつ 色々の作った豆を虫干しする。
晩の片付けをしておいてから お薬師さんへお参りして来る。
 
 七月  十六日 醤油の配給日なり。 八幡さんへもお参りする。
今日は西の風があって 影は割方涼しかった。 でも良く照った。
昼休み 新宅で配給物(酒 縫ぱり)
国債貯金もして来て 私宅は二十四円余りだとか。
今日 柏原部落の銑後奉公会より出征軍人への慰問袋を家へ持って来て下さ
り 送り賃五十銭もそへて持って来て下さる。
出征中の主人の住所がわかり 送れる様になれぱ 早速送る事にしよう。
さぞかし喜ぶ事だらう。 本当に 皆様の御厚意には深く感謝して止みませ
ん。
慰問袋の中の品の内 煙草は婦人会からで 他にフンドシは西殿さんが寄附
して下さり 入れて呉れてあるそうだ。
早速便りが出来次第この事も知らせてやりませう。
妹より便りがあり 都志の季吉叔父さん(里の父の一番下の弟)が 又召集
を受けて行かれたそうだ。 これで三度目だ。 年がいって居るのに御苦労
な事です
 
 七月  十七日 日参の番が廻って来た。 朝の片付けをすませてより八幡さんへお参りして
来る。
今日もまだ主人からの便りは屈かなかった。 今日か明日かと毎日毎日此の
上もなくまたされる。 どうか無事な事がなんとしてでも早く知り度いもの
だ。 主人も同じ気持ち 否 私以上にさぴしい事だらう。
夕方 洗濯をし 頭も洗ひ気持ちよくなった。
 
 七月  十八日
 初郵便
二ヶ月半の間 一日千秋の想ひで待ちに待った 主人よりの無事の初の便り
今朝やうやく手にする事が出来た。 嬉しさは此の上もない。
航空便で ハガキで返信も出せる便りだった。
割方色々と精しく書いてあり 私の身の事も案じているらしく 又生まれ
て来る子供の名前も書入れてくれてあった。 「煕か煕子」だ。
本当に安心出来 早速返信のハガキと精しき手紙を書き出す
郵便局へ行って 小包雑誌新聞等南方へ送ることをくわしくたずね 「小包
みは行かぬ 新聞は送れる」との事 早速晩に帯封してこしらへ 又手紙も
一本書く。 本当に無事な事を知る事が出来て何より嬉しい。
   
 七月  十九日 朝の間少しボロボロしたが すぐ又照り出した。 本当に今年が雨が少ない
赤ちゃんの小さなフトンをこしらへる。 午後一時より新宅で配給物(塩
ウチワ マッチ)ある。
四時頃 龍麿さん 姉さんの所から帰って来る。
十五日から行って居たので 色々と向こうでの模様を面白く話してくれる。
松子姉さんより私にとても美しい立派な夏服をこしらへて頂き 龍麿さんに
ことづけて下さる。 又 龍麿さん お伊勢参りして来て 私に帯止をお土
産に買って来てくれる。
晩に郵便物こしらへる。夫ヘハガキ出す。
 
 七月  二十日 のり附けをしようと思って居たら 案のじょう曇って来て 小さい雨が時々
降る。 どうか一度大きな雨が降ってほしい。
午後一時より 龍麿さん 明日よりの徴兵検査の予習に役場へ行って 五時
頃帰られる。
お父様の綿入れの着物の綿を抜いたのを 単衣の着物に今日縫ひ直す。
 
 七月二十一日 龍麿さん 今日は徴兵検査を受ける日なり。
お弁当を持って 朝七時頃出て行かれる。
洗濯をして居たら 今日は部落のお日待ちの御祈り(注)とかがあり 其の
当番にこの隣保五軒が当たり 御飯一斗を炊く。
私も新宅へ行きお昼まで手傳う。 帰って来て洗たくする。
昨夜より今朝にかけて雨は少し降ったが またそれからはきつい照りだ。
夕方うす暗くなりかけてから 広石の里の妹が方々家を間違えた揚句にやう
やく入って来る。
おこわ(赤飯)をたくさんこしらへて持って来てくれ 新宅(分家) 善七
さん(平岡性治様) 後(秋里) 向家(岡村熊太郎様)の四軒へ上げる。
タマゴ三十コと腹帯祝いの布とを持って来てくれる。
妹が私の母親代わりにこの様に気をつかって来て呉れた事を感謝に耐へない
思ひがする。
 
 七月二十二日 朝御飯をすませ片付けた後 妹と二人で自転車屋へチュウブ張りに行って来
る。
昼御飯の後 薬師さんへ寺割りを持って行って来て 浜へ下りて廻り帰る。
午後三時頃より 妹が支度して広石へ帰る。 南京やみかん持って帰らす。
洗濯をすませ 晩の仕まいした午後六時頃 龍麿さん帰って来る。
甲種合格の由 家内一同喜ぶ。
 
 七月二十三日 米の配給 龍麿さんに頼む。ふとん 敷布ののり付けをする。
午後より 龍麿さん沖へ行って来られ げた(魚の名)とタコを取って来て
久し振りに魚を頂く。
四時頃より龍麿さん同級会へ行かれる。
夕方 晩のこしらへしてから 光子さん(隣の同年配の人)の病気見舞いに
行って来る。
 
 七月二十四日 小麦を干す
お母様 今日たらいで行水なさる様申され 朝より風呂の水を汲み(バケツ
で井戸より水を両手で提げて運ぶ)薪をたいて沸かす。
午後三時頃 表のえんの所でたらひを置き 風呂の湯を運んで 中風で長年
ねて居るお母様をだきかかへて 三人がかりで行水さしてあげる。
毎日 私が湯で身体をふいて上げては居るが 行水は久し振りで 大へん喜
ぱれた。
四時頃より曇る。 一夕立来ればと思ったが 又晴れてしまった。
夜 主人 満兄様 真柴さん(主人の現役兵時代の戦友 鳥飼の人)に便り
書く。
 
 七月二十五日 一日中 一寸曇り日和だったが 雨も一向に降りそうでない。
のり付けしたふとんを縫う。 赤ちゃんの大ふとんを仕立て上げ 次にお母
さんの合ふとんを仕上げる。
 
 七月二十六日 ふとん一枚仕上げる。 敷布四枚かける。
音田所の岡村かおるさんが応召なり 明日祈願祭が行はれるとの次廻しがま
わる。 晩に饅別をこしらへて置く。
岩田武志さん(広石)より久し振りに便りあり。 早速晩に返信書く。
桝田英雄兄様(松子姉さんの御主人)にも一度お便り出す
 
 七月二十七日 一日中曇り日和だと思へぱ 夕方夕立がさっと来た。
一日中 大変むし暑かつた。
夜 大上(平岡節郎さん宅)で常会があり 龍麿さん行かれる。
この月 七円の貯金をすることと 防空ごうを掘れ との話だったとか。
 
 七月二十八日 昨日からモスの黄色の一ツ身の着物(注)の綿を入れて仕上げる。
私の若い時の帯ボロボロだったが それでもつぎ当てをして縫ひ上げれば割
方立派に仕上がって 本当に嬉しく思う。
これを着せる時分が 本当に楽しく待たされる。
龍麿さん 今日より志筑の歯医者さんへ行かれる。
お昼前 釜口の吉谷の方が来られ 食事を出す用意をして居たが ぢきに
帰られた。 今日も時々夕立がする。
 
 七月二十九日 うすい小さいフトンニ枚こしらへる。
防空ごうを掘らねぱならないとのこと 牛つなぎ場の横で今日龍麿さん掘り
かけておいて 又歯医者さんへ行く。
晩に下駄の花緒を二、三足こしらへる。 明日は広石へ行く予定なり。
 
 七月  三十日 午前八時四十分の自動車にて志筑へ行き 志筑より九時四十分ので広石へ午
前十一時前に着く。
妹も父も家に居て 皆ぼちぼちとして居てくれた。
それより昼食をすませ 八月一日の亡き母の灯ともし法要(注)の準備をす
る。 とりあへず家のそうじをする。
隣の家から都志へ嫁がれて居る川渕百合子さんもお里の方へ来られており久
し振りにお会ひする。
其の時川渕美知子さん(同級生 中川原へ嫁ぐ)の御主人應召なりしを耳
にして驚く。
藤井みどりさん(同級生)にもお会ひし 御主人の事を聞かせて頂き
夜 敬向良子さん(同級生)にもお会ひし しぱらくお話する。
御主人より二回写真は来たが まだ此方からの便りは出来ないらしい。
 
 七月三十一日 広石で今日も一日中明日の法事の用意する。


次へ続く

    平成16年3月発行 
    「銃後の妻の戦中日記」より転載  禁無断転載(著作権は平岡弥よい氏に帰属します。)
     ※(自費出版他発行分NO.129)
    copyright by yayoi hiraoka 2004


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