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「銃後の妻の 戦中日記」 全文掲載 |
これは著者の平岡弥よいさんがご自身の青春時代であった21〜25才の頃の
銃後の生活の様子及び終戦後のご主人復員の頃までを日記にて書き残したものを元に
平成16年まとめ、自費出版にて発行されたものです。
昭和十九年(二十二才) 六月
昭和十九年 | 六月 一日 | 今日より麦刈り始めで 妹の君子が朝より 先に奥の家の近くの田んぼへ作 業に行く。 私は午前中下の家に居て 来るべきお産に必要な品々を見て出して置き 持 って帰る様こしらへてから 午後より奥の田んぼへ麦刈りに行く。 今日は 晩は早く仕事を終わって下の家へ帰る。 弟の努も麦刈りを少し手 傳って居たが 病気養生に来て居るのだから 無理はさせてはならない。 十分養生して 早く元気になってほしいと願う。 思い出せば 昨年の今夜 坂東さん(広石一番の酒造屋)で 初めて主人と会った時の事 (平岡藤永様のお世話)がとてもなつかしく 思い出も 又一きわつきな い。 |
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六月 二日 | 今日も朝早くより奥の田へ麦刈りに行く。 昨日刈りかけて居た一番大きな田を今日で全部刈り終わる。 妹はほんとに良く働いて居る。 昨年九月十七日に私達の母淋病死してからは 私は六月十五日に平岡家へ嫁 いでしまってるし 其の後は妹君子が一家の主婦替わりの立場になってくれ て居る。 父と弟の面倒を見ながら百姓をして 一生懸命に働いて居る姿が 私には可 哀相でたまらない。 へん屈な父は 麦刈りにはまだ少しも手を出さない。 |
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六月 三日 | 午前中はとても暑く 良い天気であったが 午後より少し曇る。 明日の日和が難しいので 夜十一時頃まで刈った麦を家へ運び込む。 夜 仕事を終えて下の家へ帰るのが つかれて居てとてもえらい。 どうかして奥の家で泊まる様に と妹に話す 私もずっと居て もっと手榑って上げ度いのは山々なれど 佐野の家も気に なるし 明日帰らねぱならない。 妹も本当に一人で大変だが 弟も十分養生させねぱならないし どうか精出 してがんぱってくれる様 くれぐれも頼む。 |
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六月 四日 | とうとう朝より雨降りで 刈り取った田んぼの麦は取り入れられなかった。 今日は家の中で麦扱きをする。 私も扱くのを手傅ってやり度いが 今朝はどうしても帰らねぱならない。 朝より米の粉をひきうすで引いて まき(米のモチ)をこしらへて 家への 土産にする。 母が生きて居てくれ度ら 喜んでこしらへてくれる筈のを 自分で妹に手傅 ってもらってせねばならない。 私が帰ると云うと 妹や弟はとてもさびしそうなのを見ると もつと手傳っ てやり度い気持ちが後がみを引く思い。 父は大変に偏屈な人だし いっしょに暮らす妹と弟を見るのが可哀相で 本 当につらい思い。 佐野の家へ三時半頃帰って来る。 久し振りの百姓の手傳ひでとてもくたぴれ 帰ってからもとてもねむたくて 困った。 |
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六月 五日 | どうやら今日は雨降りも上がった。 午前中 父上の書留(株取引だらうか)を郵便局へ出しに行って来る。 お昼より 蚕豆エンドウ(サヤ)の木を引きむしる。 |
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六月 六日 | 午前中 龍麿さん(主人の弟)がサツカ芋の苗を少し植えて下さる。 五、六月分の配給の砂糖を岡村の店まで買いに行って来る。 先月より又量 が減る。 金額四〇銭(四人分) 午後より 浜の畠の小麦刈りに一人で行く。 午後五時までかゝる。 夜 後の家(ウシロ、秋里さん)で配給がある。 スルメイカ、ワカメ、スミの三色で、合計一円三十四銭。 |
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六月 七日 | 午後より 浜の畠で昨日刈った小麦のたばをくゝり 龍麿さんに牛で引いて もって帰ってもらう。 本日 姫路より主人が出征して行った時に着て居た服、 くつ等、 又不用の 品等を送って来た。 何か手紙かメモでも入って居るかもと楽しんで開けて調べて見たが 何も入 って居なかった。 |
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六月 八日 | 朝早くより 昨日取り入れた小麦を扱く。 午前中で終わらず 午後二時半頃までかゝる。 それより小麦の後片付けをし 新宅(分家)でトーミを借りて来て選別する 全部で小麦四斗余りのしゅうかく。 |
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六月 九日 | 昨日送って来た主人の服や下着等洗濯して なほして置く。 どうか一目も早く無事に帰って来て この服 このシャツが着られますよう に ひそかに祈らずにはおられない。 昨日こなした小麦や小麦わらを乾す。 良く乾いた。 午後より郵便局へ行って来る。 |
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六月 十日 | 浜の畠の芋植のこしらへに行く。 岸の草を刈り肥料をやる。 昼食後 半時間程ひるねをする。 それよりツギ当(衣類)をする。 家の西の岸の草を刈り牛に食べさす 今目の夕方 始めてナスビ一個取る。 |
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六月 十一日 | 午前中 浜の畠をたがやし うねおこしをする。 午後までかかる。 帰って来てから蚕豆をこなす。 |
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六月 十二日 | 昨夜 西の空が大変な夕焼けだったので 今日は雨降りかと思ったが 案外 良い天気だった。 今日は一日草引きをする。 |
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六月 十三日 | 午前中 米の配給を受けに行く。 産婆さん宅へも寄り診察して頂く。 とても順ちょうにお腹の子供は大きく なり 元気に良く動いて居るとのことで 本当に嬉しい。 この様に調子良く育って行く様子を良人に早く早く知らせたい。 早く初信が待遠しい。 産婆さんの所へ夏ミカンを持って行く。 八幡様へもお参りする。 午後よりヤイト場畠の草引きに行く。 酢一升の配給ある。 |
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六月 十四日 | 昨日広石より 父が腹痛で休んで居るので手傅ひに来い と速達便が来て居 た為 今日又 朝早くより魚をたくさん土産にこしらへて頂き持って行く。 十時半頃広石に着く。 魚の料理をし サシミもして 奥の田へ行って居る努や君子に持って行って 食べさす。 河野きくゑさんが来て 麦扱きを手傅っていてくださる。 明日一日すれば 大分麦扱きがかたづくらしい。 父は 腹痛も大分良くなって居るが まだ寝て居た。 母に先立たれてからの父は さびしさの余りは良くわかるが私達子供にと っては一寸扱ひにくく 妹や弟が可哀そうでたまらぬ。 今夜は奥の家(広くて大きい)で泊まる。 |
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六月 十五日 | 朝早くより麦扱き 三人で一生懸命がんぱったが まだ少し残った。 お陰で 心配して居た弟努の体も病気も大分良くなり 少し肥えて来ている 様で 何より嬉しく思う。 父も奥の家へ昼頃来る。 今晩も奥の家で私達泊まる。 |
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六月 十六日 | やうやく昼すぎに全部麦扱きを終へる。 丁度 麦摺機械淋晩方来てくれ 麦摺脱こくが出来 本当に思はぬ順ちよう さで早くかたづいて 大変嬉しくて くつろぐ事になり良かった。 明日は小麦を下の家の川向への納屋で扱かねばならないので 道具を下の家 へ晩に運ぶ。 |
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六月 十七日 | 朝早くよりしとしとと小雨が降り如何にも梅雨本番 夕方まで降り続く。 夕方やうやく小麦扱き終わる。 今日十七日は亡母の亡き日である。 日が入ってから 妹に晩こしらへをし てもらい 弟努と二人で大分遠いがお墓参りに行く。 そして お墓の近くの 空のおぢさん(ソラ 父の里で父の弟)へ寄り 久 し振りに色々と話して 九時過ぎ下の家に帰る。 |
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六月 十八日 | 小麦をこなす。 今日急に 務が会杜に行かなくてはならなくなり 十時頃より其のこしらへ をする。 二時半の自動車にやうやく間に合わし送る。 それより晩までかかって小麦をやうやく仕上げる。 |
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六月 十九日 | 私も今日帰る手筈にし 朝よりおこわ(赤飯)をむす。 佐野への土産用。 十時半に乗らうと思ったが 都合で二時半にのばす。 それまで父の衣類のつぎ当てをする。 キュウリを買って来ておこわといっしょに持って帰る。 志筑までは無事に来られたが それより岩屋行きが乗客が多くてとても乗れ ず 志筑より佐野まで歩いて帰る。 荷物一杯持って身重の体で家へ帰れぱ 五時頃になる。 |
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六月 二十日 | 久し振りに 朝 家のそうじをし 洗濯もする。 午後二時頃より雨日和。 |
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六月二十一日 | 昨日の雨も心地よく晴れて とても良い天気になる。 ふとんの敷布等洗濯し ふとんも乾かす。 夏ふとん三枚のりつけして張る 午後二時頃よりふとん縫いかける。 夕方 母上のねて居る寝台を表の間に運ぶ。 |
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六月二十二日 | 夏ブトンニ枚を縫い上げる。 午後三時より畠の草引きに行っておれば 平岡ふじ永様が来て下さり 色々 と話する。 |
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六月二十三日 | 米の配給日なり。 昼休みにつぎ当てをし ヤイト場畠へ草引きに行く 今日も非常に良く照り とても暑かった。 米屋へ行く途中 平岡様へ魚を持ってよる。 大変喜んで下さり ソラ豆一 升とおモチ それから私に普段用下駄一足頂く。 晩ごはんの後片付け終へて 皆で話していると 長太郎兄さん(主人の一番 上の兄さん)が来られ 御飯を出す。 それよりお弁当をこしらへ 十時頃 沖へ魚釣りに行かれる。 |
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六月二十四日 | 一日中草引きをする。 お昼休みに秋里さんへ南京を買いに行って来た。 晩七時常会あり 龍麿さん行く。 |
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六月二十五日 | 午前中草引きに行く。 ヤイト場畠の(ひらき)と(上の段)をけずる。 (大畠)は昨目終わる。 午後より小雨降り つぎ当てをする。 |
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六月二十六日 | むしむしとむせて大変暑かった。 朝起きたらお腹がいたくて とても起きて居られず 1日中寝さして頂く。 お昼頃 大変痛くて困ったが 晩には大分良くなった。 夕方 とても大きな雨が降ってビックリ。 |
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六月二十七日 | 昨日一日寝たので 今朝はまだ体がだるくてしんどかったが それでもどう やらもう良くなったらしい。 一日中 降ったり止んだりの日和だった。 絽の襦袢を縫いかけた。 |
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六月二十八日 | やはり梅雨の時季 一日中晴れたり曇ったりだった。 昨日縫いかけの長襦袢は 昼過ぎ縫ひ上がる。 次に単衣の長襦袢を縫い始 める。 洲本税務署より所得税の用紙が来る。 思ったよりあまりに多くて どうし ようかと思ひつつペンを置く。 |
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六月二十九日 | 晴天で 土用を思わす良い天気だった。 昼まで洗濯をし 家の外の上のつまにある梅の木の実を取り つける。 四升程梅の実があり 塩一升を入れてつける。 良人宛てに林光吉様より便り来る。 まだ 私の出した便りは届いて居ないらしい。 角川の従姉妹の朝子さんよりハガキが来た。 広島に居た御主人の健一さん (従兄弟)も 去る十九日南京へ出動したと書いて来た。 夜 早遠返事を書く。 じゃがいも一人一貫の配給があり 今日受けて来る。 |
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六月 三十日 | 朝 東の空が朝焼けした。 どうやら雨が近いらしい。 から梅雨なので 雨の一日も早い事を誰もが待って居る。 畠の草引きに行く筈に朝からがんぱって居たが どうも右足の筋が引きつっ たやうで 痛くてたまらない。 別に覚えのない事で 多分妊娠より来る物らしい。 少し熱もあるのか 一日中 今にも倒れそうになる程えらかった。 義理の中で暮らして居る事とて つらかったが何とかがんばって 晩の来る のを待ちかねて 九時半頃より床につく。 長襦袢二枚を仕上げ 半衿もつけて片づける事が出来て気持ち良く嬉しい。 |
次へ続く
平成16年3月発行
「銃後の妻の戦中日記」より転載 禁無断転載(著作権は平岡弥よい氏に帰属します。)
※(自費出版他発行分NO.129)
copyright by yayoi hiraoka 2004
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