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 「銃後の妻の 戦中日記」

全文掲載

これは著者の平岡弥よいさんがご自身の青春時代であった21〜25才の頃の
銃後の生活の様子及び終戦後のご主人復員の頃までを日記にて書き残したものを元に
平成16年まとめ、自費出版にて発行されたものです。

平岡弥よいさんの許可を得て、ここに全文を転載致します。
著作権は平岡弥よいさんに帰属します。
よってこの記事の無断転載は厳禁です。

昭和二十一年(二十四才)                

昭和二十一年
(二十四才)
           主人が帰って来てから、大家族二軒と私達の三世帯が一軒の家に暮らして居
たが、正月過ぎた頃、主人が久美子姉さん(長太郎兄さんの嫁)に話がある
と呼ばれて行ったが、すぐに大変な興奮状体(態)で帰り、其の理由は言わ
ずで「此の家はなるべく早く出て行く」と言ひ、余程の事を姉さんから言わ
れたらしいと察せられる。

それからすぐに浜の網納屋を製理してかたづけ、障子を張って入れ、金がな
くて畳はとても買へず、むしろを買って来て四畳半と三畳の二間に敷きなら
べ、台所も板囲いしてせまい乍ら炊事が出来る様にし、何とか住める様にこ
しらへる。

昭和二十一年二月八日に私達親子三人と龍麿さんと、それから病気のお母様
も連れて家を出て引越して行く。

所が、お母様の寝台を本家の玄関まで出し連れ出そうとしたら、さすが長太
郎兄さんが、親を連れて出られては長男として世間へ面つがないと大変怒り
り出し、新宅の音吉さんもよんで来て、本家で生まれた人だからと引き止め
られ、お母様も「連れて行ってくれ」となっとくだったのだが、可愛相だが
仕方なく置いて、私達四人で浜の網納屋へ引越して行く。

勿論、住める様にはしたものの、風呂も便所も近所の家でお借りし、お世話
になり暮らして行く。
主人と龍麿さん二人は漁業に精出し、みかん山も造りながら三人共精出して
一生懸命になって働く。

煕は元気で陽気な子で、浜へ良く出て遊び、わんぱくもするし、近所中遊び
まわって人気者になる。  

昭和二十二年(二十五才)

昭和二十二年
(二十五才)
           一年後、みかん畠の中に小さい家を金なしなので安く建ち、昭和二十二年二
月八日に現在の屋敷へ浜から引き越して上がって来た。
六畳二間あるが、やはり畳を買へず、むしろを買って敷き暮らす
風呂は秋里様で貰い風呂、便所は畠の中に假設。

其の年の四月二十四日に長女智子が生まれる。

龍麿さん結婚する。
私達が一寸前まで住んで居た浜の網納屋に一寸手を入れて、畳も新しいのを
敷いて住める様にする。
私の家の方はまだむしろのままだが、新婚家庭は畳しく。

上へ来て一年程しておだれをこしらへ風呂もこしらへる。
又一年後に現在の台所の分建増しす。  

昭和二十三年

昭和二十三年            昭和二十三年十一月二十七日、次男隆が生まれる。  

昭和二十七年

昭和二十七年            煕が小学校二年生の五月に現在の二階建ちの本家建つ。  





    平成16年3月発行 
    「銃後の妻の戦中日記」より転載  禁無断転載(著作権は平岡弥よい氏に帰属します。)
     ※(自費出版他発行分NO.129)
    copyright by yayoi hiraoka 2004


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